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道一本隔てたところでは食べられることのない、部落だけの食べ物。「ソウルフード」と被差別民の歴史を探求するルポルタージュ。登場する料理の大半は油っぽく濃い味付け(理由がある)なので、おそらく好みではないが、一度味わってみたいと思わせる。日本編で食肉工場で著者が働く場面がある。その時の肉体労働者への視線に魅了された。なぜ底辺で働く肉体労働者にはアルコール依存症が多いのか。冷えきった工場で長時間働いて著者はその理由を知る。
著者の作品は初めて。また読みたい。
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「部落」出身の作者が、世界中の「被差別の食卓」をめぐるノンフィクション。
淡々と書いてあるけれども、差別は未だなくなっていない現実があるのだなぁと。簡単に言えば、差別する側が、差別を認識していないがゆえになくならないのかもしれない。
あと、被差別の食卓に上るものが、「余ったもの」「残り物」「穢れがあるもの」を加工したものであることが共通である。んでもって、近代に入り手に入りやすくてカロリーの高いものを選ぶ傾向がある……と。
あれ……それってファストフードだよねぇ。飽食の時代になったってのにどうしたということなんだろうか。
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今日ほどKFCが売れる日はないと思うが、ディープ・フライドチキンは、ソウルフードだということは初めて知った。
洋の東西を問わず、高カロリーで味が濃く、脂が多用されるのが、その特徴だ。
あぶらかす・さいぼしは関東圏では食べる機会が少ないが一度チャレンジしたいものだ。しかし、新宿の横丁には赤身の筋やチレ(脾臓)を新鮮な味で提供する店がある。非日常の味は、ごくたまに食べると本当においしいと感じる。
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アメリカ、ブラジル、ブルガリアとイラク、ネパール、日本、夫々の被差別民の食事のルポルタージュ。 つい共通点が何かを探そうとしながら読む。やはり内臓、屍肉を食べることから大蒜、唐辛子は被る。消毒、殺菌、匂い消しは共通だ。
それと酢。これも殺菌、消毒、匂い消しなのだろう。 故平岡正明が全冷中時代に出したテーゼ「世界史は酢の海に浮かんでいる」を思い出す。
唐辛子、スパイス、ハーブ、ビネガーと書くと、こじゃれて小賢しい料理が浮かぶかも知れない。 だが大蒜、唐辛子が効いた、塩気の強い料理は香りだけで血が騒ぐ。それが何処の国の料理であろうと、だ。 きっと凡ゆる料理のルーツが、殺菌+消毒+匂い消しなのだろう。
薄味だったり素材を活かした洗練された料理は、ごく一部の階級の特権性→インフラの整備→一般化の流れに沿うのだろうか。 肉体労働と国家専売の塩、権力の象徴とスパイスやハーブの関係も考慮しなければならないだろう。 特にサラリーマンの語源が、ラテン語のサラリウム=塩に由来しているし。
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日本だけでなく、アメリカ、ブラジル、ネパール、ブルガリア、トルコなどの被差別民の人々が食べてきた、彼等しかしらない料理。
ハリネズミの処理の仕方は、びっくりしたな~。
「差別をなくそう」の一言で、差別がなくなればいいのに。
人ってなんだかむずかしいね。
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★3.5
テーマが面白かった。世界中の被差別地域独自の食事を自らの足で周って、レポートされたもの。ブラジルやネパールには出向けないものの、日本のそれも関西なら自分の舌で確かめることができるかも。興味をすごくもった。 しかし、テーマはすごく面白いのだが、そもそも題名に惹かれてこの本を手に取ったのでもっと日本のことを書いてほしかった。関西圏以外は述べられていなかったので。
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元「部落」出身者の著者が、同じく身分制度や奴隷制度の陰で支配階層に冷遇されてきた人々の食卓を巡る。
こんなものを食べているのか!といったものが多数出てきて、単純な紀行ものとしてもかなり面白い。
しかし、本書を単純な紀行ものと分けている点は、筆者の思いだ。
自分と同じルーツを持つ人間が何を食べてきたのか、今何を食べているのか、そしてどう暮らしているのか、それを知りたい。
その思いが、本書に普通の紀行ものにはない「厚み」を与えているように思えた。
また、日本で被差別部落と言ってももはや知る人も少ないと思うのだが、世界ではまだまだ差別問題というのは根深いものなのだと知ることができた。
アメリカ等での有色人種に対する差別は何となく知っていたが、ネパールやインドといったカーストが残る国々で、「不可触民」と呼ばれる最下位カーストの人々がこれほどまでの差別を受けているというのは、正直少しショックを受けてしまった。
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差別と貧困の中で生まれた反骨の食文化を求め、世界各国を旅する筆者のルポ。
私の大好きなフライドチキンがアメリカの黒人奴隷料理がルーツだったとは、驚きました。ほか、ごちそうとして食すハリネズミ料理や、タブーとされた牛を食べることで差別されていたネパールのサルキなど、興味深かったです。
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食の切口からみた、差別と貧困の文化。世界各地の被差別民の食卓には、共通する思想、長く差別され続けることからしか生まれえなかった思想が流れている、と教えてくれる。
テーマは厚いけど、旅行記のような体をとっていてさらりと面白い。
私の問題は、ネパール、インドの牛料理もアメリカのフライドチキンもブラジルのフェジョアーダも差別から生まれた食べ物だと知りながら食べたことがあったのに、
日本のさいぼしやあぶらかすについては聞いたことさえなかったという、外を向いた知識の偏りなんだろう。
「極東カースト問題」…ね。
前に著書を読んだことがある八木澤さんが出てきて驚いた。
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読了:2011/05/21 図書館(調)
やっと読めた。ニコニコで見たんだけど、上原さん、しゃべりも面白い。
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私もたまに食べるファーストフード、ケンタッキーフライドチキンは黒人料理だそう。思いもよらなかった。「アメリカの料理」と漠然とした認識しか持っていなかったけど、料理のルーツをたどれば見えなかったものが見えてくる。
ほかにも、いろいろな国の被差別社会から生まれた料理が載っていて、どの話も興味深く読めた。 被差別部落でしか食べられない料理「あぶらかす」。道一本はなれた一般地区では食べられていないのに、遠くの被差別部落では、同じように食べられている。 これは、被差別部落が一般地区との隔絶を示していると、作者は言う。 確かにそうだと思う。 部落差別は解消傾向にあると、書いてあったが、早くそうなってほしいものです。
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いわゆる「ソウルフード」を切り口としながら、日本における被差別部落、アメリカにおける黒人奴隷、印欧におけるロマ(ジプシー)などの共通点を示していく。
実はフライドチキンもまた「被差別の食卓」に由来するものであった、という話は意外な発見。一度普及してしまうと多くの人はその背景を気にすることがなくなるのだろうが、一方で、自分たちの生み出した食文化の由来をきっちりと守りたいという要求もあるように思われる(紹介されていたブラジルの「アカラジェ」という食べ物はそういう事例なのだろう)。この辺の折り合いは難しいところだ。
あまり馴染みのないテーマの書籍であったが、いろいろと発見が多かった。
豆知識的な意味でも是非。
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著者は自分の地元でよく食べていた「あぶらかす」「おでんうどん」などの食べ物が被差別部落に特有のソウルフードだったということを知る。
そうした食べ物のルーツや分布を調べていくと、いろいろと興味深いことがわかってきた。
○肉の内臓系が多い
○食べにくいものを工夫して食べられるようにしている
○カロリーが高い
○九州と大阪など離れた被差別部落間で婚姻関係を結ぶことが多く、このため遠く離れた地で全く同じ食べ物が残っていたりする
などなど・・・。
そのうち、作者の興味は海外へ。
フライドチキンにナマズフライなど、海外の「被差別の食卓」にもそれぞれにいろんな歴史や背景がある。
単に被差別というよりは「貧民の食卓」な部分もあるが、それはこのさいヨシとしよう。
・・・と、ここで私なぞが想像するありがちな展開は「いかに被差別民が理不尽な逆境を乗り越えて厳しい環境で暮らしてきたか、その労苦に思いをはせる・・・」という話なんだけど、この本はいい意味で裏切ってくれた。
著者は自分のルーツや被差別民への思いはあるにせよ、単純に「食べることが好き」なのだ。
食べることが好きなので、食べられないものを食べられるように工夫して、しかも美味しい!となると、それだけで嬉しくなるようだ。
この気持ちわかるーー。ww
世の中への怒りや過剰なシンパシーを排除して、淡々と食べ物を語る作者に、同じ食べ物好きとして共感するし、被差別部落問題を本質的なところで考えるきっかけを与えてくれた気がする。
私は「さいぼし」も「あぶらかす」も全く知らずに育って、内臓といえばハラミとレバー(でも好きじゃない)くらいしか食べられないんだけど、なんとなく「美味しそう!」と思えたのは間違いない。
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いやー面白かった。
テーマは、扱い方によっては重たくもなるものを、軽くさらっと書いている。フライドチキンが被差別のものだったとは、寡聞にして初めて知りました。
全体的に面白いし、あんまり重たい話もないんだけど、中東のロマのところは気持ち悪くなりました。だって私、現代日本人だもん。衛生面が悪いのはダメだよ。食事中に読まない方がいいです。
しかし、これ読みながら、差別に関してはいろいろ考えたり思い出したりしました。
それこそ現代日本で「普通」の家庭に生まれた人って、当たり前のように、自分は絶対差別されないって自信を持って、無神経なことを言うことあるよね。とかね。
何ていうか、「被差別部落の人を差別するのは悪いことだ」という知識は持っているから、いい年になると言わないけど、「女子高生なんてみんなエンコーしてるよね」的発言は平気でするとかね。
ひとくくりにするなよ、と言っても「だって私が見えるところ(って要するにテレビだよね?)だとそうなんだもん」って、それ、すごい差別発言だよね。ってびっくりして、うまく指摘できなかったことが、今でも忸怩たる気分として残っているので、こういうのを読むと思い出すのです。
中に出てくる食事は、美味しそうなのあり、「申し訳ないけど私だったら食べたくないな」というのあり、いろいろです。
イラクのロマ(ジプシー)の話で、「フセインが政権を持っていた頃は保護してくれたけど、フセインがいなくなってから、定住していた土地を追い出されて、仕事もなくなって、大変なことになった」という話は、いろいろ考えさせられます。
やっぱアメリカが悪いんじゃん!
(湾岸戦争が起こった頃、実家の友達に電話して「アメリカええ加減にせえよ」と言ったら、「こっちの友達はみんな『フセインが悪い』って言うのに、あんたは逆やね」と言われたのです。だってあれ、アメリカの内政干渉じゃん!)
あ、でも、「世界各地の被差別民のところに行って、そこに特有の食事を食べさせてもらおう」という発想は、うまく言えないけど、現代的だと思う。
(もちろん相応のお礼はしてます)
日本の部落問題が『極東カースト問題』と言われていると、初めて知りました。確かにカーストだよね。
というか、「あの人は私たちとは違う」ってヘーキで発言する人いるよね。
自分で自分のカーストを設定して、勝手に私のこともそこに組み込んで、それ前提で話されると、正直つらいです。
ダンナがIT関係、と言ったら、「人種が違う」と言いやがったヤツもいたな。人種は一緒だよ! むかー!
(と友達に愚痴ったら、「今どき、本当に人種が違っても、『人種が違う』って言わないよね」と驚いてくれたので、まぁ、そんな人ばっかりじゃないと思おう)
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「被差別部落」は透明になればなる程よいと思っていた。特に日本の差別問題の場合は、黒人問題と違って、見た目でも名字でも分からないわけだから。(名字で分かるという方もいるかもしれないけれど、本書で書かれているパキスタンの名字ほどではない。)
でも、そこにはそこ特有の文化があって、それをなかったことにしてしまうのはちょっと違うのかもしれない、と考えを改めた。差別がなくなるというのは、「私は部落出身なの」という主張が「私は東京出身なの」というのと同じ受け止められ方になること、なんだなと。