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若くしてよくこんな調査をしたものだと驚いた。被差別部落出身の著者がかつて当たり前に食べていた食事から始まる調査。
テーマが世界の被差別民がどのようなものを、どのようないきさつで食べているのかなので、内容は過酷なところもあるが、実に冷静な文章で読んでいて心苦しくなるようなところがない。
とても面白かった。
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あぶらかす・フェジョアーダ・ガンボ、そしてフライドチキン。今では一般的な市民権を得たものも多い各地の「ソウルフード」は、かつて差別と貧困に苦しめられた人々が知恵と工夫で編み出した食べ物だった。
関西の被差別部落地域、アメリカ南部、ブラジル、ネパール……と世界各国を旅しながら食べ歩いたソウルフードにはいくつかの共通点があり
・加工調理に手間がかかる
・味に癖がある/食べづらい
・そのため本来は加工の途中で廃棄されていた
・(おもに宗教観に基づき)「穢れ」と見なされている
材料だということ。それに手間暇をかけ、あるいは味付けや香辛料で工夫を施して出来上がった料理だということが挙げられる。
そして彼らはそれを「ソウルフード」として愛着や誇り、または複雑な感情を内包しつつ愛しているということ。
中には、もともと貧しいアメリカ南部黒人奴隷の食べ物であったフライドチキンのように、ファストフードとして世界中で愛されているもの、マストな名物料理としてガイドブックに掲載され、知られているものも少なくない。
筆者自身も被差別部落の出身であり、各地で問題意識を忘れずに被差別の歴史や現状のルポを行っているが、それ以上に「本場本物のソウルフードを味わいたい」という食欲を忘れていないため、重すぎない内容になっていてバランスが保たれている。
その中にあってやはりネパールやロマの話は重く、考えさせられることは多い。
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被差別部落出身の著者が、世界の被差別民の食文化を追ったルポ。
正直客観性には欠けているけど、紀行文として面白かった。
自らも被差別部落出身というアイデンティティありきで、それがないと成立しないのは分かるが、ちょっと途中しつこく感じた。
ただ、自分も被差別民だと告げることによって毎度取材対象が心を開いていくのを見ると、やはりこの人でないと書けない本なのかもしれない。
逆に、世界の被差別民が日本の被差別民の食事を口にした時の感想を聞いてみたいと思った。
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世界各地の被差別地帯に伝わるその地特有の「ソウルフード」と、今も残る差別の実態を紹介したルポ。
すごく興味深かったです。余り物や本来捨てられるような部分をうまく利用した料理の数々から、なんというか反骨精神のようなものを感じました。
しかしハリネズミ調理方だけなぜそんな写真入りで詳細に…
黒人差別の話は昔学校でぼんやり習った程度だったけど、改めて考えてみると、肌の色が違うというだけで同じ人間を奴隷として売買していたというのはすごいことだなと…。今も確執があるのは仕方のないことなのだろうか。
あぶらかすという食べ物を初めて知りました。味の想像がつかない…いっぺん食べてみたいです。日本では昔は四足の生物は食べなかったというのも初めて知った。
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著者は大阪の被差別部落に生まれ、「あぶらかす」が大好物だったが、ある時それが一般的な食べ物でないことを知ったという。そして米国・ブラジルの黒人、ブルガリア・イラクのロマ、ネパールの不可触民を訪問し、「ソース・フード」を食べ歩く記録はバイタリティに富む。フライドチキンが黒人奴隷の食べ物だった!しかし、本当に美味しいものらしい。米国などではあまり差別を言われなくなったが、ポリティカリー・コレクト(政治的公正)により差別が見えづらく陰湿になっているということは確かにそうなのだろう。
またイラクのロマにはフセイン元大統領時代がいまだに人気がある!ということは現地に行かないと分からない。
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今や大阪のかすうどんは大阪名物の土産として駅売店に売っているぐらいなので世の中どうなるか分からないものである。
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フライドチキンが被差別料理というのは意外だった。
昔は一般の人が食べていなかったホルモンも今ではメジャーな食材になっているし、被差別料理の垣根はどんどん低くなってきているのかも。そのうち「あぶらかす」もスーパーで売られるようになったりして。
被差別部落出身というバックグラウンドを活かして、外国でもするっと特殊なコミュニティで話を聞いている。被害者ぶらず、淡々と自分の知らない世界を紹介してくれるので読みやすい。
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アメリカ、ブラジル、ブルガリア、イラク、ネパール、そして日本。
各国の被差別民とされる人たちが暮らす地域を訪ね、その食をレポートした本。
今も差別が色濃く残るところ、水面下に潜んで見えなくなってしまったところ。
どんな差別を受けたのかといったことは、(かなりソフトに書かれているのではと思うが)やはり衝撃的。
冒頭で紹介された、有色人種だからとあからさまに無視されるといったことでも私などはショックだったが…。
ネパールなどでの身体的な暴力まで伴う差別の状況を読むと、心がえぐられる感じがする。
アメリカのソウル・フードは、なんとなく想像がつく食べ物が多かったが…
ブラジルのフェジョアーダやムケカ、ロマのハリネズミ料理となってくると、だんだんどんな料理だか、想像もできなくなってくる。
食に関してとても保守的な自分を再発見してしまった。
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テーマは良いのだが、何だかブログを書籍化したようで物足りない。ところどころ引っ掛かる表現もあるし、要は自分と相性が悪いのだろう。
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ふつーに面白く読んだ。
なんか色々美味しそう‼︎
あぶらかすも気になるがカロリー凄そう…
あまり身近で被差別部落を感じたことないけど、
世界のいろんな民族との比較も
興味深かった。
ちょっと母の味のくだりはしつこかった。
自分で再現しなさいな‼︎
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自分の好みにタイプのタイトルなのでジャケ買い。文体も違和感がないし、内容も非常に興味深く面白い。
作者のフィールドワークの細かさが正確に伝わってくる。そこにあるものを食べるだけでなく、可能な限り人の話を聞いているし、その土地のことも詳細に書いてある。
おそらくもともと被差別の話は文字で残っているものが少ないんだろうな思った。口承や経験から辿る話が多く、誰かが研究として残さないと、おそらくなくなっていってしまうものであるかとも感じた。当然背景には被差別であったことを自ら残したくないんだろうという予想が容易につく。
『食っていうのは、命そのものでしょう』『料理にとっての精神性とは、多くの場合雰囲気だけではない。雰囲気というのは心理であり、精神性の一つでしかないからだ。料理の精神性とは、その料理の生まれ、歴史、場所から生じる。』
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アメリカ、ブラジル、ブルガリア・イラク、ネパール、そして日本という世界各地の被差別民の生活とその共通性を”ソウルフード”(食事)という観点から描いたノンフィクション。
普段何気なく食べている食事にこそ、文化が表象されるというのは当たり前のこととして、内臓料理の割合が多いことや、香辛料等で煮込むその調理法、など、その共通性が面白い。
これを読んで無性にかすうどんが食べたくなった。東京ではあまり見ないが幾つか店もあるようなので、近いうちに必ず。
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被差別の「むら」、部落、奈良育ちには馴染みが深い。当時は気づくこともなかったが全国的に見ても奈良はこの手の同和問題に対する教育は熱心だったようだ(本書にも、”部落解放同盟の前身である水平社は、奈良県の部落から誕生した”とあり、奈良が総本山だったのかぁと今さらながら驚いている)。
大阪の被差別部落”更池”の出身である著者が、自宅で食べていた「あぶらかす」が、「むら」独特のメニューであることに気づいたことから、世界各国の被差別民族の食卓に伝わる、その民族独自のメニューを訪ねるルポルタージュだ。とっかかりは”料理”であるが(その食べ物を食べさせて、とアプローチしていく)、「むら」の人たちとの接触を通じて、その被差別民族の歴史や現状が語られており、予想以上になかなか歯応えのある内容だった
アメリカの南部を訪れ、黒人料理を食べ歩きながら、「サウザン・ホスピタリティ」呼ばれる過剰な笑顔の裏に「見えない差別」を読み取り、ポリティカリー・コレクト(PC=政治的公正)と称して差別そのものが見えにくくなっている現状に疑問を呈するなど、こう言ってはなんだが、自身が被差別部落出身故に、そうした差別する側の意識、感情を皮膚感覚として感じ取ることができるのかなと読んでいて漠然と思う。
ブルガリアではロマ(ジプシー)の「むら」を訪ねハリネズミ料理を食べながらインドから続くロマの歴史を俯瞰し、ネパールでは露店で被差別民が砂糖を買う何気ない動作からカースト解放令(1990年)後も残る見えにくくなった差別を鋭く感じ取る(「わたしは”不可触民”という言葉を、戦慄をもって思い出していた」と)。
その国、地方のソウルフードを口にすることで、いっきにそのコミュニティに溶け込めることは自分も体験的によく理解できることだ。それは食前酒代わりで、メインディッシュは被差別の現状への踏み込みだったという切り口が本書の白眉だろう。 面白かった。
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正直な感想を言えば、読んでいると食欲がなくなる。
しかし、ブルガリアのロマの章などは「うっ」と思ってしまうけれど、実際その過程は私達が牛や豚を食べたりするのと同じことなのだった。
どんなに眉を顰めてしまうような食事風景だとしても、彼らにとってはどれもこれも単に生きるために他ならない。
何を食べるから良い、悪い、などと、私達に批判できる権利など一切ないのだ。
本当に食というのは命そのものだ。
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「ソウルフード」とは魂の食事とか郷土料理という意味ではなく、アメリカを発祥とする黒人文化の料理。もっと言えば「奴隷料理」のことで、その背景には差別や貧困という悲しい歴史が潜んでいる。フライドチキンがアメリカのソウルフードの代表と呼ばれる理由は、かつて白人の農場主が残して捨てていた鶏の手羽先などを、黒人の使用人たちが油で揚げて食べていた事から。ブラジルのフェイジョアーダ(豚の内臓と豆の煮込み)、ブルガリアの「焼きハリネズミ」、牛肉を禁じるヒンドゥー教の国・ネパールの不可触民と食べた「スキヤキ」など、世界各地に根ざした「被差別料理」とそれらを食べる人々をレポートする。日本においても、牛や豚の屠畜場で働く人たちが作った内臓の揚げ物など、筆者自身が幼少の時から親しんだ「むらのソウルフード」が生々しく描かれており、被差別の民の歴史に深くえぐり込んだ一冊と言える。