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私の沖縄戦記 前田高地・六十年目の証言 みんなのレビュー

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一般書

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みんなのレビュー8件

みんなの評価4.5

評価内訳

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8 件中 1 件~ 8 件を表示

紙の本

遊佐未森の盟友の実父なので読み始めた本

2021/06/25 12:47

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る

遊佐未森がデビューする前からの盟友の外間隆史は外間守善の息子だが、この事を知ったのは、この本の文庫本が出る少し前だったと思う。外間守善という人がどういう人かぐらいは知っていたけれど、この本を買ったのは、そういう面からだ。
 この本に出て来る「死ぬだけが国への奉公ではない」と言った陸士出身の日原正人中尉は「日本陸海軍総合事典」に掲載されている陸士出身の朝鮮人の名簿によると民族名は金鍾碩といい、陸士56期だ。どうやら外間守善は彼の民族名は終生知らなかったようだが、銃殺された事は知っている。金鍾碩は南朝鮮労働党の地下組織に対する粛軍で銃殺された日本陸士出身の陸軍将校として任官した経歴がある唯一の将校だ。「回想80年」によると金鍾碩は英語が出来るとあるので、韓国軍人として出世出来ただろうに。金鍾碩にとって、「国」とは日本なのか、それとも朝鮮なのか、気になるところだ。
 陸士の同期には日本陸士出身で唯一の韓国陸軍大将になった李亨根がいるが、彼は阿南惟幾の息子達と陸士の同期で戦死した次男について話す為に阿南家を訪問した時に玉音放送を拝して、角田房子の「わが祖国」によると赤坂の李王家東京邸を訪れて英親王から身の振り方を指南されたとある。「朝鮮王朝最後の皇太子妃」は「わが祖国」が出る前だから仕方がないとしても、「朝鮮王公族」は書かないと困るのだが。少々方向性が違うが、単純な黒白二元論では分からないというところだ。

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紙の本

生死の門

2024/04/22 16:15

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:森の爺さん - この投稿者のレビュー一覧を見る

本書は沖縄学の第一人者であった故外間守善法政大学名誉教授が戦後60年を経て自らの沖縄戦従軍経験を回想した記録である。沖縄師範学校に在学していた外間氏が志願して配属されたのは第24師団配下第32歩兵連隊(通称「霞城連隊」山形県、北海道応召の兵士で編成)の志村陸軍大尉率いる第2大隊である。
 沖縄戦における日米の攻防は、首里戦線から始まるが首里戦線で米軍と戦ったのは第62師団であり、第24師団は島尻の守備に当たっていたが、米軍との血みどろの激戦により第62師団の兵力減少による戦線崩壊を恐れた第32軍司令部は、第24師団の前線投入を決断し、第32連隊は後退した第62師団の大隊と共に戦うこととなるが、外間氏の大隊が投入されたのは、米映画「ハクソーリッジ」の舞台である浦添の前田高地であり、まさに沖縄戦有数の(「ありったけの地獄をひとつにまとめた」と語られる)白兵戦が展開されている。
 昭和20年5月4日・5日に第32軍は大本営からの再三にわたる攻撃の催促に逆らえずにそれまでの戦略持久戦から攻勢に出て失敗し、更に兵力・兵備を消耗する結果に終わった結果、前田高地からの撤退を決定する。撤退に際して第62師団の部隊は無事撤退出来たが、第24師団第32連隊第2大隊は撤退開始に際して米軍からの集中砲火を浴び志村大隊長以下約50名は撤退を断念し、前田高地の洞窟陣地に潜むが、その後第32軍司令部は首里から摩文仁に撤退する中で、前線から取り残される。
 第32軍の組織的戦闘は昭和20年6月22日には終了し、23日には牛島司令官、長参謀長が自決、第24軍師団司令部も玉砕するが、歩兵第32連隊は糸満の国吉丘陵の激戦後付近の洞窟陣地で最後まで組織的抵抗を続け、昭和20年8月15日の終戦後に米軍に降伏し、歩兵第32連隊本隊とようやく連絡がついた第2大隊も本隊降伏後に降伏しているが、終戦時の第2大隊で生き残ったのは30名弱(最初は1大隊約800名程度)だったという。そして外間氏は捕虜収容所での生活の後に沖縄を離れて家族が疎開している本土にわたるが、家族は外間氏の戦死広報を信じて既に葬式も終わっていた。
本書においては師範学校生だった若者が、志願して従軍した沖縄戦有数の激戦地での壮絶な実体験が記されている。前田高地においては、手榴弾の投げ合い合戦も展開されているが、碌な訓練も受けていない学徒兵である外間氏も投げ合いに参加する姿が印象深い。
外間氏の手記の他に、「証言」では第2大隊の元兵士歩兵第32連隊第1大隊長伊東大尉の手記、更には前田高地の戦いに関連した著書からの抜粋が掲載されているが、元兵士の証言については非売品の「連隊史」等の戦記等に収録されている場合が多く、内閣府の沖縄戦関係資料閲覧室でも行かなければお目にかかれないし、元兵士の方々も殆ど亡くなられているので非常に貴重である。
中で深かったのは、外間氏同様に現地志願で同じく歩兵第32連隊第2大隊に配属された兵士が結局沖縄戦で1発も銃を発射せずに終戦を迎えたという証言であり、所詮生死の門は人智の及ぶものでは無いと実感した。

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2012/05/05 16:34

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2018/11/25 10:42

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2019/01/28 17:59

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2020/07/11 16:22

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2023/04/16 18:30

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2024/01/03 23:45

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