サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

  1. hontoトップ
  2. レビュー
  3. 森の爺さんさんのレビュー一覧

森の爺さんさんのレビュー一覧

投稿者:森の爺さん

21 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

紙の本最後の参謀総長梅津美治郎

2023/02/28 15:59

昭和陸軍後始末係

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

辞世の句も、メモや日記も残さず、回顧録を書くことも無く感情を表に出すことも無い寡黙な軍人である梅津美治郎くらい評伝を書くのが難しい人物はいないと思う。
 その昭和陸軍における役割は自ら行動を起こすのではなく、他人がしでかした不始末の後始末という点では「昭和陸軍の後始末係」というのが最適であるが、本人にとっては甚だ不本意だったのではないだろうか。
 その後始末の主なものとしては、
1 2.26事件後の陸軍次官としての粛軍人事
2 服部・辻コンビが拡大したノモンハン事件後の関東軍司令官としての軍内統制(下剋上の克服)
3 最後の参謀総長として陸軍による暴走(クーデター)無しでのご聖断による終戦の実現
になるのだろう。
 必要以上に政治に関与しないという点では「軍人らしい軍人」であり、東条英機ではなく、梅津が陸相になっていたらとも思う。
 終戦に至る過程では、陸軍中枢から東条の息のかかった人物を追い出し、終戦に向けた人事を行っており、表面上は強硬な姿勢を示しつつも、実際には勝ち目がない戦争であることは十分認識して行動している。
 ご聖断が下った後は「承詔必謹」の態度を崩さずに参謀本部についての統制が乱されることを防いでいる点で、若手将校からの突き上げに動揺した阿南陸相とは好対照であるが、梅津の態度が陸軍の統制を辛うじて保ったとも言える。
 最後の参謀総長として帝国陸軍の葬送を物語るかのようにミズーリ号にて降伏文書に調印したのは、本人にとっても不本意だったろうが、更に太平洋戦争についてその開戦に何ら関与せず、かつ戦闘にも参加しなかったにもかかわRずA級戦犯になとして終身刑となり獄死という点も気の毒であるが、これも関東軍司令官という対ソ連最前線で関特演に関係したことをソ連から睨まれたとすれば誠に運が悪いと言うしか無い。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

紙の本山県有朋 愚直な権力者の生涯

2024/04/22 16:08

山県有朋像の転換点

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

数々の明治大正期の政治家の伝記を書いておられる伊藤之雄氏による分厚い新書であり、「軍閥政治の生みの親」として悪名高かった山県有朋を「愚直な権力者」として評価している。
 明治政界の長州閥の中では、「陽性な」伊藤博文がナンバー1、「陰性な」山県がナンバー2であったが、伊藤暗殺の後は山県が元老として「反政党」の藩閥官僚による「山県閥」の親玉として政界に君臨している。
 山県の出発点としては、松下村塾で吉田松陰に学び、奇兵隊幹部として軍事的な活躍により、明治陸軍における長州閥の巨頭として活躍となるが、実際には山城屋和助事件により窮地を西郷隆盛に救われたり、征韓論の際にはその西郷に配慮した煮え切らない態度により木戸孝允から疎まれたり、同じく長州出身の軍人である山田顕義や薩摩の西郷従道との確執等、陸軍のドンの座を最初から確立していたわけでは無く、その危機を長州の盟友である伊藤博文や井上馨、薩摩系軍人として馬の合う大山巌らに救われている。
 また、長州系軍人として後進である桂太郎、児玉源太郎、寺内正毅、岡市之助、田中義一達との関係も微妙なものがあり、決して山県の下一枚岩だったわけでは無いのと、司令官として勇んで前線に出た日清戦争においては病気のために途中で交代帰国し、日露戦争においては参謀総長として満州軍総参謀長の児玉源太郎から煙たがられている(日露戦争の陸軍は、元陸相・参謀総長の大山巌が満州軍司令官、元陸相・内相かつ台湾総督の児玉源太郎が満州軍総参謀長で参謀総長に元首相・陸相・内相の山県というこれ以上ない豪華メンバーである)。
 本人の性格から地道にコツコツ努力した結果として、明治陸軍の指導者から政治家として2度の組閣そして元老として政界への隠然たる影響力を行使していく存在になるが、最後には皇太子時代の昭和天皇の婚約を巡る「宮中某重大事件」による失権を味わうこととなる。
 山県については実に多趣味であり、特にその庭園設計については東京の椿山荘、京都の無鄰菴、小田原の古希庵という名園を世に残しているのだから、功成り名遂げた明治の元勲として自らの名園を眺めて悠々自適の生活を送ることが出来たと思うのだが、そこは維新の志士の生き残りとしての(亡くなった同志達に申し訳が立たないという)使命感と自身の権力欲からできなかったのだろう。
 ただ、「宮中某重大事件」における山県については、文芸春秋社の担当として伊藤氏に本書執筆を勧めている浅見雅男氏の著書を読むと対立した久爾宮も相当なタマ(自分の娘の婚約破棄を断固拒絶しながら、息子は酒井伯爵家令嬢と婚約破棄をしており、自身の素行が原因で貞明皇后から忌避されている)であり、世間から悪役認定されてしまった山県には同情の余地があるが、それも山県自身が人に与えてしまった「悪役イメージ」が招いた結果とも言える。
 それにしても、「俊輔」と「狂介」の間では保たれていたシビリアンコントロールが、「統帥権の独立」を盾に政治介入した昭和陸軍においては制度劣化を強く感じる(日清戦争においては総理である伊藤博文が大本営メンバーになっており、日露戦争では大本営より天皇、閣僚、元老による御前会議が主導している)。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

260年間の経済政策

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

戦国乱世を統一した徳川幕府は260年間という長期にわたる天下泰平をもたらしたが、その経済政策について分かりやすくまとめた新書であり、大石慎三郎氏や藤田覚氏等の近世史の大家の著書からもその見解を取り入れている(藤田覚氏の「江戸時代の勘定奉行」と併読すればより分かりやすい)。
 いくら天下泰平とは言っても、一般庶民の生活の向上がなければ支持も得られないわけであり、簡単に言えば幕府開闢から元禄時代までが経済成長時代であり、その最後を飾る元禄バブルの後は自然災害等による幕府財政の悪化による、改革という名の緊縮財政とその反動としての積極財政が交互に行われ、開国後のハイパーインフレの中で徳川幕府が終焉を迎えることとなる。
 幕府成立当時は当時の国際情勢の中でも高度経済成長を遂げていた日本について「エドノミクス」としてその経済政策を5本の矢としてまとめていて分かりやすいが、コメ本位制とも言える初期の経済体制から、商業資本の成長による貨幣経済の発展がなされながら、幕府の経済政策が対応仕切れなかった印象を受ける。
 その経済政策の遷移を簡単に表現すれば、「改革」=緊縮財政によるデフレーション、田沼意次や水野忠成による積極財政=経済成長が繰り返される中で、日本全体が停滞して行ったということであり、更に実物通貨と名目通貨という概念の中で、荻原重秀に代表される金銀の含有量を低下させる改鋳は通貨の流通量を増やす結果としてインフレーションを招き、新井白石に代表される含有量を増やす改鋳は通貨の流通量を減らすことによりデフレーションを招くという図式となる。
 筆者はこの260年間における経済政策の展開について、第二次世界大戦後の高度成長期以降の日本と重ねながら、説明しているのでとても分かりやすく読めるし、江戸時代の政治家・財政家と現代の政治家・財政家が重なってくる(バブル崩壊を招いた点で新井白石と三重野康元日銀総裁等)し、過去も現在も日本は災害の多い国家だと改めて実感する。
 徳川幕府は天下泰平と経済発展の後のヴィジョンを欠いたが故に、藩政改革に成功した西国諸藩の興隆の前に崩壊したが、戦後日本も先進国並みまで経済発展しながらその後のヴィジョンを欠いて低迷している点で身につまされる。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

紙の本第二次世界大戦軍事録

2022/11/28 09:32

実にマニアック

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

歴史好き・戦史好きにはたまらない第二次世界大戦の日本とドイツの関係者に関する漫画によるエピソード集ですが、同じ著者による「第二次世界大戦紳士録」に比べると、ページに空間も無く、名前にフリガナもあり、解説にも海兵〇期、陸士〇期と書かれていて親切なのと、軍人以外の人々や陸士海兵等軍人生活の比較もあり盛りだくさんな内容です。
 私は沖縄戦第32軍と海兵43期高木惣吉海軍少将の関係から興味を持ったのですが、海兵43期のメンバーについてこれだけ書かれている本は珍しい(第32軍については「紳士録」に余り登場しない長勇参謀長が結構登場してます)。
 軍人以外ではヒトラーの幼馴染、ムッソリーニの愛人、ドイツV2ロケット開発者にしてアメリカアポロ計画の大立者、沖縄戦時の県知事といった面々ですが、島田県知事のところで第32軍の持久戦略に巻き込まれた県民の悲惨さも描かれています。
デフォルメの極致の山本五十六ややけに可愛らしい爺さんの南雲忠一等(2頭身像は全般的に可愛らしい)、人物像が絵として似ているかははっきり言って二の次の感がありますが、実際の写真と比べてみるのもご一興です。
 ホビージャパンのHPでは見ることができるスプルーアンス米国海軍大将が掲載されていなかったのですが、著者としては珍しい米国軍人かつニミッツとハルゼーの陰に隠れて印象が薄いスプルーアンス提督という選択が実にマニアックだったので非常に残念です。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

敗者が語るモンスター

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

私は特別ボクシングに興味がある訳では無く、世界タイトルマッチをTVで観戦することも余り無い爺さんであるが、そのような人間でも井上尚弥が軽量クラスのボクサーとは思えないハードパンチャーであり、数ある日本人世界チャンピオンの中でも「最強」と言われる「モンスター」であることは知っている。
 著者はこの「モンスター」井上尚弥(弟も世界チャンピオンなのでフルネームで書く)と対戦した相手に語らせることにより、その強さを表現しようとしているが、異口同音な感想としては「完璧」であり、攻撃、防御、そして相手の得意とする戦いをさせない頭脳という点からも欠点が見当たらない、つまりレーダー型グラフで言えばいびつな箇所が無く全て満点の図形が出来上がるということとなる。
 また、井上尚弥と対戦した相手ということはその殆どが「敗者」(スパーリング相手の黒田雅之と将来的に対戦するかも知れないナルバエスJr以外だが、ドネアは本人では無くチームの日本人スタッフに対するインタビュー)であり、その人生も語らせることとなって、かえってそちらの方が面白かった。
 井上尚弥との日本ライトフライ級タイトルマッチで判定負けした後、「相手は井上尚弥より弱い。」と井上戦を糧として世界ライトフライ級統一王座まで上り詰めた田口良一や、KO負けを喫しながらその内容を徹底研究することにより活かして世界バンタム級チャンピオンとなったモロニーのように前向きな敗者もいれば、敗北により転落していったエルナンデスや燃え尽きた感のあるカルモナのような敗者もいて本当に人それぞれである。
 井上尚弥と対戦するのは、例えスパーリングであっても命がけなのは長きにわたって相手を務めた黒田雅之が鼻を骨折していたことからも伺えるが、田口良一や河野公平はボクシングジム(二人ともワタナベジム)や家族(河野は妻から「尚弥くんとだけはやめて!」と言われている。)から止められても尚且つ対戦を希望しているのを読めば、ボクサーにとって闘争心が如何に重要なのかも分かる。
 既に2階級で世界統一王座を獲得した井上尚弥が今後のタイトルマッチでKO勝ちを重ねていく程、敗者の価値も上昇していく構図になる。ボクシングジム会長の反対を押し切って井上と戦った結果、日本ライトフライ級王座を失った田口良一には現在「元世界チャンピオン」以外に「井上尚弥と戦ってダウンを奪われなかった」という肩書がついている。彼がそこまで計算していたわけではないし、結果的に彼の選択は間違っていなかったと思うが、いじめられっ子だった少年時代アマチュア実績のないままプロ入りし、井上戦から世界王者となった経歴だけでもノンフィクション本になるし、田口以外の敗者にも言えると感じた。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

電子書籍

最後の版元の生涯

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書の主人公である渡邊庄三郎は浮世絵の流れを汲む「新版画」の版元として、絵師、彫師、摺師による日本の伝統版画を受け継いだ「新版画」を世に出した人物であり、銀座に店を構える渡邊木版美術画舗の創業者でもある(某TV局の鑑定番組に浮世絵版画の鑑定士として登場する渡邊章一郎氏の祖父)。
 江戸時代に隆盛を極めた浮世絵も明治維新後は衰退に向かい、明治の終わりには伝統も絶えようかとしていた頃に新版画が始まっているのは興味深い。浮世絵は現在で言う俳優のブロマイドや観光案内であり、やがては捨てられる存在であったが、新版画は版元、絵師、彫師、摺師という過程は維持しながら、あくまでも版画という美術品として販売しており、海外への輸出も視野に入れた渡邊は外国人絵師も起用している。
 主な新版画の絵師としては、伊東深水、川瀬巴水という歌川国芳の系統に連なる画家、美人画の橋口五葉、風景画の吉田博、役者絵の名取春仙あるいは浮世絵鳥居派五代目鳥居清忠こと鳥居言人や在日フランス人のポールジャクレー等多士済々であるが、渡邊が版元として関係したのは、橋口五葉、伊東深水、吉田博、名取春仙と長きにわたって創作した「昭和の広重」川瀬巴水である。
 国芳の系統に連なると言っても、浮世絵に関係していたのは「最後の浮世絵師」月岡芳年までであり、芳年の弟子である水野敏方以降の鏑木清方はあくまでも日本画家であり、清方の弟子である深水や巴水が浮世絵製作を元々行っていた訳でもなく、プロデューサーである版元が彫師、摺師を確保して成立したのが新版画である。
 渡邊自身は当時ごく普通だった、地方から東京に丁稚奉公に出て働きやがて独立するという経歴の中で貿易に携わることを志しながら、浮世絵の伝統を引く日本版画に目を付けたものであるが、関東大震災で版木を喪失し、更に太平洋戦争でも被害を受けるという苦境の中で新版画を継続し、ついに最後の版元となったがその死により新版画も終焉を迎える。
 ただし、新版画が無ければ日本の伝統版画は維持できなかったし、新版画があったからこそ彫師、摺師の技術も引き継がれて浮世絵復刻も可能となっているという点で彼の功績は大きいと感じる。
 本書にも書かれているが、スティーブジョブズは新版画のコレクターであり、しかも数が少ない関東大震災前の作品を収集していたという、今でこそ新版画も世間に知られるようになってきたが、巴水にしても日本よりも海外での評価が高かったという点に、明治時代に輸出用の日本茶の茶箱の包み紙に使用された浮世絵が海外で評価されたという史実に重なって見えてくる。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

紙の本絢爛たる影絵 小津安二郎

2024/04/22 16:33

それぞれの小津

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著者である高橋治氏は昭和28年に松竹に入社し、松竹ヌーベルバーグと呼ばれた時代に映画監督を勤めた後、舞台演出を経て小説家に転じて直木賞作家になっている。
 入社したその年に撮影中の小津安二郎監督の「東京物語」の助監督として小津組に参加しているが、これは助監督であった今村昌平氏が身内の不幸により離脱した後釜としての参加であり、小津監督と師弟関係にあったものでは無いが、名作が作られる現場に立ち会うことが出来たのは幸運だったと言える。
 前提として本書はかつて助監督あるいは監督として松竹大船撮影所で小津と面識のあった小説家が自らの体験を基に書いた小説である。まあ、高橋氏の小津論に同意できるできないは読む人によって異なる(例えば「東京物語」のラスト近くでの笠智衆と原節子の会話に関する解釈等「何もそこまで勘繰らなくても」と思ったりする)が、貴重なのは高橋氏が本書を書かれた頃には、未だ小津映画の出演者や撮影関係者が多数生存しており、彼らの証言が残されたことだろう。何しろ登場する方々の中で今もご存命な方が少なくなっており、高橋氏自身も鬼籍に入られている。
 また、著者は小津について書くのと同時に、現在では無くなった松竹大船撮影所の現場や、余り語られなくなっている松竹ヌーベルバーグについても書いており、これも中々貴重である。
 2012年に英国のサイト・アンド・サウンド誌による10年に一度の映画監督による投票での史上最高の映画に「東京物語」が選ばれた関係で、2013年の小津安二郎生誕110年没後50年の頃が一種大津本のピークだった感もあるが、本書は小津本の古典であり、最初に読んだ時には文春文庫だったのが現在は岩波文庫になっており、文春文庫版を読んで興味を持った私は佐藤忠男氏やドナルド・リチー氏の小津関係書籍を読み、更に当時まだ営業していた銀座並木座の小津特集での上映や、他の名画座の小津映画3本立て上映とかを見つけては鑑賞したものである。
 今でこそ日本映画の巨匠として海外でも評価されている小津が終戦後「終わった人」として松竹大船を馘になりそうな状況から「晩春」で復活し、「麦秋」「東京物語」の「紀子三部作」でその巨匠としての地位を確立して行く過程、そして衰退に向かう日本映画の中で後進からの批評に敏感に反応した監督会での吉田喜重との対立、そしてその死に至る物語を三部に分けているが、著者からの取材に応じた関係者がそれぞれの小津像を語っており、その人物像が魅力的であったことが、自分が小津映画に興味を持つきっかけになった。
 併録されている「幻のシンガポール」は小津の2回にわたる戦争体験(1回目は日中戦争への従軍)の中で、太平洋戦争中に軍の命令によりインド独立運動チャンドラ・ボースを主導者とするインド国民軍によるインド独立運動を題材とした国策映画の製作するためにシンガポールに渡った小津組のシンガポールでの日々を主題とした短編小説であり、戦況の悪化から撮影を断念して没収されたアメリカ映画鑑賞の日々を送る姿と、日本へ帰還する船へのクジ引きで先に帰れるのに、「俺は後でいいよ。」と譲ったという有名な逸話も入っていて、本編の小津よりも親しみ深い印象を受ける。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

オーナー企業の変遷に見る日本プロ野球史

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著者は阪神タイガースファンとしてちくま新書からタイガースの年代記を出しているが、本書はオーナー企業の変遷という視点から1936年の誕生以降の日本のプロ野球の歴史が書かれている。
 プロ野球が野球というスポーツを興行することにより成立している以上、球団経営は重要となってくるのは当然であり、選手や球場を確保した上での興行となれば多額な費用も発生することから、資金力の無い企業ではオーナーにはなれないのは当然である。
 かくしてオーナー企業には、その当時一番資金力のある企業が名を連ねることとなり、オーナー企業の変遷を辿ることは日本の産業構造の変遷を辿るのと同じになる。戦後を見ても新聞社(読売、毎日、中日、西日本)、鉄道会社(阪神、阪急、南海、近鉄、東急、西武)、映画会社(松竹、大映、東映)からやがて食品会社(日本ハム、ロッテ)、スーパー(ダイエー)、ノンバンク(オリックス)そして球界再編時にはIT企業(楽天、ソフトバンク)とその時代の産業構造を映す鏡となっていると言ってもよい。
 本書の特徴としては選手のことよりオーナー企業の経営者についての記載の方が多いという点でプロ野球本としては特殊である。私としては戦前の創成期のプロ野球球団がどういう企業によって経営されていたのかがよく分かったし、中日のオーナーに大島家(新愛知)と小山家(名古屋新聞)が交互にオーナーになっているのが愛知県の新聞が国家統制により統合して中日新聞となったのに起因しているとか、戦前からの球団でオーナー企業が変わっていないのは阪神だけ(巨人は読売グループの中でオーナー企業が変わっている)とかは初めて知ったが、阪神も村上ファンドの件で阪急阪神ホールディングスの子会社にはなっているものの、保証金の都合上オーナー企業は阪神のままではある(ある意味儲からないブレーブスを売却した阪急が儲かるタイガースに関係しつつある気もする)。
 国税により子会社である球団経営への支援が経費として認められることから、パ・リーグ球団ではオーナー企業による赤字補填に頼って経営努力を怠った結果として2004年のプロ野球再編問題を招くが、それ以前の西武に身売りする前の太平洋クラブやクラウンライターが名義料を支払っていたライオンズ、わずか1年間で身売りした日拓ホームと今となれば懐かしい名前であるし、日本ハムやオリックスは球団経営に金もかかった分宣伝になり、規模拡大を実現している。
 特殊なのは筆頭株主のマツダが創業者一族に引き取らせて経営から手を引くことにより松田家の個人商店となっている広島だろう。
 経営体としてのプロ野球球団を安定させるためには自前の球場あるいは球場管理者に球団がなる必要があり、日本ハムが札幌ドームから撤退して自前の球場を持ったのもその時代の流れからは当然の話であり、「球場を借りて興行すれば良い」という正力松太郎の発送は否定され、甲子園球場を建設した阪神の方が先を読んでいたということとなる。
 産業構造の変化という点で言えば、ニュースが紙媒体からネットに移行している現在、部数減と広告収入減が言われている新聞社がこの先どうなるのかと思うし、最近のオーナー企業の交代で言えばプロ野球というコンテンツを有効活用することなく、経営赤字を垂れ流すだけだったTBSと企業PRという明確な目的を持ったDeNAへの身売りも当然の結果と思えるし、企業として明確な目的と戦略無しに多額な資金を要するプロ野球球団を保有するのは止めておいた方が良い。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

生死の門

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は沖縄学の第一人者であった故外間守善法政大学名誉教授が戦後60年を経て自らの沖縄戦従軍経験を回想した記録である。沖縄師範学校に在学していた外間氏が志願して配属されたのは第24師団配下第32歩兵連隊(通称「霞城連隊」山形県、北海道応召の兵士で編成)の志村陸軍大尉率いる第2大隊である。
 沖縄戦における日米の攻防は、首里戦線から始まるが首里戦線で米軍と戦ったのは第62師団であり、第24師団は島尻の守備に当たっていたが、米軍との血みどろの激戦により第62師団の兵力減少による戦線崩壊を恐れた第32軍司令部は、第24師団の前線投入を決断し、第32連隊は後退した第62師団の大隊と共に戦うこととなるが、外間氏の大隊が投入されたのは、米映画「ハクソーリッジ」の舞台である浦添の前田高地であり、まさに沖縄戦有数の(「ありったけの地獄をひとつにまとめた」と語られる)白兵戦が展開されている。
 昭和20年5月4日・5日に第32軍は大本営からの再三にわたる攻撃の催促に逆らえずにそれまでの戦略持久戦から攻勢に出て失敗し、更に兵力・兵備を消耗する結果に終わった結果、前田高地からの撤退を決定する。撤退に際して第62師団の部隊は無事撤退出来たが、第24師団第32連隊第2大隊は撤退開始に際して米軍からの集中砲火を浴び志村大隊長以下約50名は撤退を断念し、前田高地の洞窟陣地に潜むが、その後第32軍司令部は首里から摩文仁に撤退する中で、前線から取り残される。
 第32軍の組織的戦闘は昭和20年6月22日には終了し、23日には牛島司令官、長参謀長が自決、第24軍師団司令部も玉砕するが、歩兵第32連隊は糸満の国吉丘陵の激戦後付近の洞窟陣地で最後まで組織的抵抗を続け、昭和20年8月15日の終戦後に米軍に降伏し、歩兵第32連隊本隊とようやく連絡がついた第2大隊も本隊降伏後に降伏しているが、終戦時の第2大隊で生き残ったのは30名弱(最初は1大隊約800名程度)だったという。そして外間氏は捕虜収容所での生活の後に沖縄を離れて家族が疎開している本土にわたるが、家族は外間氏の戦死広報を信じて既に葬式も終わっていた。
本書においては師範学校生だった若者が、志願して従軍した沖縄戦有数の激戦地での壮絶な実体験が記されている。前田高地においては、手榴弾の投げ合い合戦も展開されているが、碌な訓練も受けていない学徒兵である外間氏も投げ合いに参加する姿が印象深い。
外間氏の手記の他に、「証言」では第2大隊の元兵士歩兵第32連隊第1大隊長伊東大尉の手記、更には前田高地の戦いに関連した著書からの抜粋が掲載されているが、元兵士の証言については非売品の「連隊史」等の戦記等に収録されている場合が多く、内閣府の沖縄戦関係資料閲覧室でも行かなければお目にかかれないし、元兵士の方々も殆ど亡くなられているので非常に貴重である。
中で深かったのは、外間氏同様に現地志願で同じく歩兵第32連隊第2大隊に配属された兵士が結局沖縄戦で1発も銃を発射せずに終戦を迎えたという証言であり、所詮生死の門は人智の及ぶものでは無いと実感した。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

紙の本深紅

2024/03/27 15:39

小説家と脚本家の間で

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著者である故野沢尚氏は、東京都練馬区で発生した一家殺人事件にヒントを得てこの小説を書かれている。事件自体は競売物件である土地住宅を手に入れた不動産業者が、その住宅から立ち退かなかった前の所有者の娘夫婦一家を殺害しバラバラにした事件であるが、この物語では被害者の父親による詐欺に起因して発生する。
 この事件では、丁度夏休みの林間学校に行って家にいなかった長女だけ助かったのだが、この小説では同様に一家殺人事件で一人だけ生き残った娘の奏子が主人公となっている。小説の中では前半で平凡な人間が一家殺人事件を行うに至った経過が、後半は生き残った奏子が犯人の娘である未歩に接触し、彼女にDVを振るう夫への殺意を増幅させ、完全犯罪を後押しするという物語となっている。
 犯人の裁判での主張は死んだ妻の保険金をだまし取った奏子の父親殺害についての責任能力は認めてるが、家族である奏の母親と弟2人の殺害については心神耗弱を主張するが棄却され死刑が確定する。一方で、奏子も犯人に対する憎しみとは別に父親の死について自業自得という冷めた感情を抱いている。
 本来出会ってはならない二人の出会いが奏子の方が未歩を探して接近することにより実現し、犯罪に流れていくサスペンスの中で、物語の鍵となるのは奏子が長野県の林間学校の宿泊所から病院まで教師とタクシーで向かった「4時間」を悪夢として追体験するようになったことであり、それが未歩との犯行実施時に発生することでクライマックスに達する。
 最終的に奏子は過去に起因する「自傷行為」から解放され、未歩も殺人犯にならないという結末は良いのだが、ある意味奏子の自傷行為に利用された未歩はこれからどうなるのかという疑問が残った(奏子の側からの観点の話だけ書かれていて未歩は知らないまま終わる)。
 余り知られていないが、本書は野沢氏の脚本(こちらの方が本業の感がある)により映画化されており、以前レンタルDVDで鑑賞してみたが、内山理名演じる奏子(少女時代は堀北真希)と水川あさみ演じる未歩との絡みがほぼ原作通りに展開し、若き水川あさみのクールビューティーぶりが際立っていたが(殺人犯となる緒形直人の静かな狂気ぶりも印象深い)、ラストで「ここで原作から変更するのかよ。」と驚いた。野沢氏にとっては本書を書いた際に考えた別な筋書きを映画で実現したのかも知れないし、「後半が弱い」という批評への回答であったかも知れないが或る意味怖い。野沢氏が故人となった現在、その心境は謎であるが、脚本家野沢氏にとって、自身の小説が原作であっても(「あるからこそ」なのかも知れない)変更したくなるのかという感想を抱いたものである。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

紙の本錨のない船 上

2024/03/27 15:38

錨の無い船は太平洋を漂う

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

先に亡くなられた加賀乙彦氏は戦争がらみで本書と「帰らざる夏」という太平洋戦争に関係した小説を残しているが、本書には戦前の外交官である来栖三郎とその一家という実在のモデルが存在している。
来栖三郎は日米開戦直前の和平交渉において、野村吉三郎駐米大使を補助する使命を帯びて米国に赴任し、駐米日本大使館では異例ともいえる2人大使態勢で交渉に臨んでいる。駐米大使館勤務経験があり、かつ米国人女性アリス夫人と結婚している来栖に外務省としても期待していたものらしいが、来栖自身は親英米派でありながら日独伊三国同盟締結に駐独大使であったことから、皮肉なことに米国からは親独派と見られていたことから逆効果になった。
本書の主人公はその来栖三郎の息子である来栖良であり、モデルと同様に小説の中でも陸軍のパイロットという設定となっており、日本が太平洋戦争への道を進む中で、日米両国にルーツを持つ主人公の周辺も暗い影がさしていき、国民感情が反英米に流れていく中で、外交官である父親は滞米戦争回避に奔走するが実らずに開戦後交換船により帰国し、主人公である息子も帝国軍人でありながらその風貌から白い目で見られるようになり、開戦後戦争が不利になっていく中で、その風貌故に命を落とす。
ただし、その死は実際の来栖良は飛行機のプロペラに巻き込まれての死なので、完全に加賀氏によるフィクションであり、終戦後の主人公の姉の再婚も実際には日本人では無く米国軍人である。確かに後書きで加賀氏は本書をフィクションとしているのだが、家族構成も同じで日米ハーフでありながら陸軍のパイロットとなったのも同じなので実際との区別が付きにくくなっており、読者に誤解を与えかねないものである。
本書の題名については、主人公による「何故自分を日本人として育てたのか?」という問いかけにたいする母からの「お前をいかだの無い船にしたく無かった。」という会話によると思うが、それでも主人公は日米両方の間で漂う自分の孤独を感じてしまうのである。
なお、主人公のモデルである来栖良には妻との間に忘れ形見となる一人娘がおり、長じて結婚した相手が元プロ野球選手・監督となった故星野仙一氏である。来栖良の姉と妹は米国に居住している(存命かどうかは分からない)現在、日本在住の来栖三郎の子孫は星野仙一氏の子孫となっている。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

語られなかった室町将軍たち

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書では応仁の乱終了後の足利義尚、義材(義稙)、義澄、義晴、義輝、義栄、義昭の第9代から第15代までの7代の足利将軍達が戦国乱世をどのように生きたのかを主題としている。私たちが応仁の乱以降の足利将軍について抱くイメージと言えば、「下剋上が進む中で将軍の権威は失墜し、細川氏の家臣である三好氏、更にはその家臣である松永久秀達の傀儡となり果てた。」というものである。
 これについて著者は「戦国大名は将軍の権威を認めており、紛争解決を将軍に依頼しており、将軍家にとっても重要な収入源であった。」と説明しているが、確かに権威は認めて利用したが将軍のために働く気は無かったと考える。
 室町幕府の制度的欠陥として、将軍直属兵力が存在しなかったことが挙げられるが、これについては将軍⇒守護という体制の中で、将軍の命令を実行する行政執行官としての守護がいれば良いという考え方という解説である。歴代室町将軍の中で最も権力を行使した三代将軍義満は勢力のある守護(山名氏清、大内義弘)を粛清したが、代わりの守護は任命しているし、山名氏、大内氏の一族自体の存続は許している。
 ただし、将軍による守護大名への介入については、義満の息子の六代将軍義教はやりすぎて嘉吉の乱で赤松満祐に殺害され、義教の息子の八代将軍義政は畠山氏の内紛に中途半端に介入した結果応仁の乱を招いている等諸刃の剣となってしまう面もあった。
 応仁の乱以降でも九代将軍義尚は幕府として六角氏への親征を実行していることから、将軍の守護に対する統制力は失われていなかったわけであり、そういう点では管領細川政元が十代将軍義材を廃立した「明応の政変」が事実上の戦国時代の幕開けという最近の説の方が説得力はある。
 「明応の政変」により政敵畠山政長を葬り、十一代将軍義澄を擁立した細川政元の暗殺後の細川家の内紛により、細川氏が分裂し、廃立された義材が将軍に返り咲いた辺りから混迷が深まっていく感がある。将軍に復帰した義稙(義材)と義澄の息子であり十二代将軍となる義晴、義晴の兄弟でその対抗馬として担がれる義維と足利将軍家も分裂していく。
 著者は本書の中で、足利将軍を国連事務総長に例えているが、確かに戦国大名の領国を国家に見立てた場合、大名間の紛争の調停を依頼される将軍は国連事務総長とも言える存在であり、国連自体が直轄軍を保有せず、軍事的背景を持たない調停のみという構造も似ている。
 三代義満の時代には将軍の名のもとに幕府のために守護大名は戦ったのを、多国籍軍編成による国際秩序維持活動に例えれば、戦国大名は皆自国ファーストで将軍のためには働かないが、他国との紛争解決という自分の利益のために将軍の権威を利用することは忘れなかったということになる。
 最後の足利将軍である十五代義昭は、その政権のパートナーであった織田信長が武田信玄や本願寺との闘いで不利と見るや信長の敵に鞍替えしようとして追放されるが、その辺りは細川高国を見限った結果京都から追い出された十代義稙と重なる。
 そして豊臣政権という軍事力に裏打ちされた統一政権の誕生により、足利将軍は完全に過去の存在となり、義昭死去の頃には忘れられた存在となっていたというのも理解できる。
 最後に、本書において書かれている7人の足利将軍については弑逆された義輝、最後の将軍となった義昭の兄弟以外についてよく知らなかったので、大変興味深く読ませていただいた。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

紙の本ヨイ豊

2024/02/27 16:43

忘れられた豊国

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

江戸後期の浮世絵界を席巻したのは歌川派であり、歌川豊国は歌川派における大名跡であるが、有名ないのは初代と三代となった初代国貞であり、本書の主人公である四代は殆ど忘れられた存在といっても良い感がある。
 私が四代目を知ったのは、一ノ関圭の書いた漫画「茶箱広重」の中で江戸末期の浮世絵界の大御所であった三代豊国死後の話として娘婿である二代国貞が後継者として役不足であり、病気のため「ヨイ豊」(ヨイヨイの豊国)と世間で呼ばれている話であり、著者はその四代目の発病後の呼称を題名としている。
 四代目の履歴としては、最初に二代国政を名乗り、次に岳父の名跡を継いで二代国貞というサラブレットぶりなのだが、何しろ技量が岳父に遠く及ばない真面目が取り柄の人物であることは本人自身が自覚しており、むしろ弟弟子である破天荒な八十八こと後の豊原国周の方が技量では勝っている状況で、役不足の婿殿は幕末と明治という時代の荒波の中で、豊国一門の重鎮として生きていかねばならないという構図である。
 大名跡である豊国の継承を巡る婿殿と八十八との辛辣なやり取り、躊躇っていた名跡を継がねばならなくなった理由等、役不足の婿殿の悪戦苦闘は三代豊国一門の話とは言え、幕末から明治という時代の流れに翻弄され、やがて衰退していく浮世絵界を物語っている印象も受ける。
 名跡を継いだ後に病気に倒れ、利き腕が不自由になった婿殿(ヨイ豊)が何とか絵を描こうとする執念は鬼気迫る感がある。
 ついでながら歌川派と現代日本画との関係については、本流である三代豊国では無く三代と仲の悪かった歌川国芳→月岡芳年→水野年方→鏑木清方→伊東深水の流れで継承されており、三代豊国の流れで無いことも歴史の皮肉とも言える

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

紙の本独ソ戦 絶滅戦争の惨禍

2023/12/06 16:35

全体主義国家間における生存戦争

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

第二次世界大戦における最大の激戦である、ナチスドイツとソ連間の戦争についてドイツ軍人に関する著書の多い大木氏が新書にまとめている。 ナチス政権は、第一次世界大戦の敗戦の結果としてのヴェルサイユ体制の否定として、「大砲もバターも」という政策を実施したが、この政策は世界恐慌に喘いでいた国内経済を復活させたが、必然的に財政赤字を招いた。 普通の政権であればどちらに重点をおくか選択するところだが、ヒトラーは政権を維持するために近隣国へ進出する選択を行った結果、第二次世界大戦を招く結果となった。
 このドイツのバルバロッサ作戦に至る過程を読む限り、検討を重ねた結果というものでも無く、結構杜撰である印象を受けるが、そうでなければ対英戦を行いながら、独ソ線も始めるという選択は採れないだろう。 しかしながら、ソ連の独裁者スターリンはドイツの侵攻を予測する情報を信用しなかった結果、緒戦における大敗を招くが、自らの猜疑心により「赤いナポレオン」トハチェフスキー元帥に代表される赤軍幹部の大粛清を行ったことも影響していると考えれば自業自得と言うべきだろう。
 当初はドイツ優位だった戦況も、ソ連が体制を立て直すにしたがって膠着し、スターリングラード攻防戦におけるドイツの敗戦以降は膠着し、やがて連合国軍のイタリア上陸以降ドイツ軍は戦線維持が精一杯という状況に陥り、最後にはドイツ軍の戦線崩壊に至る。 それにしても、この全体主義国家間における生存戦争は凄まじい、ドイツ国民の生活水準は戦時中も占領地域からの収奪により敗戦間際まで保たれていたという点で、ナチスとドイツ国民は共犯関係にあると大木氏は説明する。 そこら辺が、島国でありながら制海権を奪われて窮乏生活を余儀なくされた日本国民とは趣がことなるが、もし制海権を維持できていれば、東南アジア諸国から収奪していたのだろうか。 一方ソ連側でかの「雪解け」の作者の文学者エレンブルグが兵士にドイツ女性を凌辱するのを奨励するようなプロパガンダを展開していたのは知らなかったが、彼もスターリンの粛清の中を生き抜いた知識人である。
 アメリカとイギリスは、ナチスドイツを潰すためにソ連を支援したが、その結果として全体主義国家であるソ連の東欧支配による東西冷戦を招く結果となったのは歴史上の皮肉である。 ナチス政権は十数年で崩壊したが、ソ連による質の悪いマルクレーニン教はその後半世紀近く継続したのである。
 ところで大木氏はこれまでにロンメルとグデーリアンというドイツ軍人についての著書を出版しているが、独ソ戦のハリコフ攻防戦の「後手の一撃」のマンシュタインについても書いてくれることを今後期待したい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

神君最初の正妻の生涯

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

築山殿は言うまでも無く徳川家康の最初の正妻であるが、戦国時代の女性として御多分に漏れずその生涯はよく分かっていない。 武田信玄正妻の三条殿、北条氏康正妻の瑞渓院やお市の方に関する著作のある黒田教授がそのよく分かっていない築山殿の生涯について、文献を紐解きながら解説してくれている。
 お決まりなのが、我々がTVの時代劇等で見ていた「常識」と古文書によって解読された実際像との乖離であり、その例として、築山殿の出自(今川義元の姪なのか)、桶狭間後の人質(今川家の人質だったのか)、家康独立後の築山殿父関口氏純の存否(自害の有無)等について実際像が指摘される。
 まあ、今川家の人質だった三河の国衆の家康と今川家ご親戚衆の関口家の姫君では、結婚時には築山殿の方が立場は上だったのだろうが、桶狭間以降の今川家の没落と家康の戦国大名化の中で立場が逆転していったのは残酷な現実である。
 ただ、今川家から独立により、築山殿との政略結婚の価値がなくなっても、築山殿は正妻であり続けたという証左として、家康次女の督姫と次男秀康との扱いの差が説明されている。家康がその本拠を岡崎から浜松に移した後も、築山殿は岡崎に居住しているが、自らが女房衆として差配した西郡の局の産んだ督姫は家康の子供として認められ、自らが認めていないお万の方が産んだ秀康は息子として認知されていない(築山殿の死後に認められている)のは、築山殿の意思ということであれば、戦国大名の正妻は中々地位が高い気がする。
 築山殿の最期は信康事件によるが、その前座として岡崎町奉行大岡弥四郎による謀反(武田家への内応)があり、この事件への築山殿への関与が信康妻である徳姫による父信長への告発、そして家康の判断による信康への処分という流れの中で、築山殿はその生涯を閉じている。
 築山殿にとっては自らの子供である信康による徳川家継承が望みであり、そのためには有利と見られた武田と組むことも辞さなかったということ、家康は恐らく築山殿を幽閉するつもりだったが、信康の徳川家継承の望みが無くなり、残りの人生が謀反人としての幽閉となるのを拒否して自害したと推定している。
 元々戦国大名化後の家康と築山殿との夫婦仲については、どこぞの大河ドラマのように麗しくなかったというのは定説化しており、価値の無くなった政略結婚の中で、家康は徳川家の生き残り、築山殿は信康の徳川家継承のために動いていたということであり、そこには毛利元就が亡き妻妙玖を繰り返し偲んだような夫婦間の愛情とかは感じられないし、黒田教授の推定どおり築山殿が自分を廃して信康を武田家配下の徳川家当主としようとしたのを家康が知りながら、徳姫の告発まで処分しなかったのも恐らくは得勘定故だったのだろう。 そして三男秀忠の誕生を待って信康と築山殿の処分を行った家康を見れば、戦国大名としてやはり家の存続が第一だったと納得する。
 築山殿も自分の夫がまさか天下人になるとは夢にも思わなかっただろうが、家康の神格化の中で「悪妻」として歴史に名を残すことになったのも皮肉な話であり、桶狭間さえなければ今川家の親戚衆出身の正妻として丁重に扱われたのだろうと思うとまさに「人生一寸先は闇」である。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

21 件中 1 件~ 15 件を表示
×

hontoからおトクな情報をお届けします!

割引きクーポンや人気の特集ページ、ほしい本の値下げ情報などをプッシュ通知でいち早くお届けします。