投稿元:
レビューを見る
いつわりの平和ボケをしている日本社会に対し、ギリシャ・西洋哲学、日本人の仏教観から深く掘り下げられた論理で、真の幸福とはなんぞやを問いかけた著作である。
プラトンとアリストテレスの言説の違い、ニーチェ、ハイデガーの言わんとしたこと。
法然の宗教革命の覚悟、鈴木大拙の考え方。
すべて、目から鱗でした。
投稿元:
レビューを見る
人は幸福にならなければならないという脅迫観念に異議を唱える。功利主義・権利主義・公共主義から無縁社会を論じ、家族論、宗教論、技術論、政治論を説く。読んでいて、疑問を感じざるを得ないところが多い。この感じ方の差に世代間を感じざるを得ない。
世の人が「利益」「権利」による幸福を目指しているかというと、そうではないと思う。
「利益」「権利」に縛られない幸福というのが、最近流行の「絆(俺はこの言い方嫌いだけど)」であり、社会のつながりを認識することで幸福を感じる人も多いと思う。社会的起業、ボランティア、などなど。
「利益」「権利」にとらわれた前の世代の反動が今の世代なのではないか。世代間の価値観の違いについては島田裕巳「人はひとりで死ぬ」に詳しい。これが一番しっくりくる。
投稿元:
レビューを見る
個人の自由と幸福の追求の帰結が、無縁社会であり、死生観のない人生観。キリスト教の普遍性や、科学技術への信奉のない日本はアメリカよりたちが悪い、というのはそうかもしれない。無常、移ろいゆくもの、えにし、とかの価値をどう再発見すればよいのか
投稿元:
レビューを見る
先日読んだ安冨先生とは逆の学歴の東大卒、京大教授の著作。新潮45に連載されていたものをまとめたもの。同じ事象でも見方が違えば自ずと考え方も異なってくるが、、、個人的にはこちらの方が読みやすく、納得しやすい。
加賀乙彦先生のように、震災のような「無意味さ」から人を救い出すものは、宗教(的なるもの)P176とするのは当然の帰結か?
まさに末梢だが、文の最後に「ですます調」以外が混ざっていて、統一感がないのが気になった。
投稿元:
レビューを見る
五木寛之「下山の思想」の延長線上にある本。
現代日本人の幸福観を宗教、思想から解き明かす。
面白かったのが、「第五章 人間蛆虫の幸福論」。蛆虫と書いて、ウジ虫と読む。これが、あの福沢諭吉のことばだというのだからビックリ。
「宇宙という広大な視点から自らを見れば、人間などは無知無力で見る影もない蛆虫のごときもので、・・・だが、この世に生まれた以上は、蛆虫とはいえそれなりの覚悟が必要である」
あの一万円札のおじさんが自らを蛆虫と称し、蛆虫なりに生きていくことの必要性を説いている。そうか、万券ですら蛆虫なんだ。だったら、オイラは小蝿ぐらいか。何だか気分が楽になるね。小蝿なりに生きればいーじゃないか。
ポジティブシンキングや、他人と比較する幸福の不幸さなど、面白いところはいくつもあるのだが。特に秀逸なのが、先述の第五章。ここだけでも買う価値あり。
投稿元:
レビューを見る
利益と権利の追求というこれまで幸福の素であったものがいまやそうではないという逆説的な反幸福論です。確かに転換期がきていることは自明の理ですが、我々個人が今後何を是とするのか考察・議論が必要です。若い人たちがどう考えているのかも聞きたいところです。
投稿元:
レビューを見る
久しぶりの佐伯さん。読み飛ばしたくないと思いつつ先を急ぐように読んだ。
「人は誰でも幸せになれるしなるべきだ」に異議を唱える。
幸福は有難いこと=滅多にないことであり、プラスである。基準=通常時を幸せな状態ではなく不幸で思うようにならないこの毎日におきなさい、という。
もちろん、お坊さんのような人生訓ではなく、思想史をたどって理屈っぽく言う。ただし、箸で重箱隅ではなく、弓矢で的とでも言おうか、スカッとした理屈なのが楽しい。
本書の元になった連載の最中に東日本大震災があったのだけど、あの震災を挟んでも論旨をまったく変える必要がなく、むしろ、震災後のために前から書かれたと言いたくなるほどの射程の長さブレなさが格好いい。
投稿元:
レビューを見る
これからの日本の行方を考えていく上で、欠かせない一冊。日本人は一度「幸福」というものを考えてみるべきだと思う。
投稿元:
レビューを見る
流して読んだところは宗教、特に仏教のところ。私はニヒリズムみたいなダークな考えで世の中を斜めに見る、ってのも好きだなと思った。震災のことや原発事故についても書いてあって、福沢諭吉のくだりが心に残った。われわれなんて小さな宇宙からしたら一時の存在であることを、時々思い出して心に余裕も作りたい。
投稿元:
レビューを見る
様々な幸福に関する哲学が紹介されているけど、結局何が言いたいのか不明。幸せって何?って考えていく事自体が重要なのかもね。
投稿元:
レビューを見る
「反・幸福論」佐伯啓思
2010年代日本の幸福論。特になし。
最近どこかの書評だか参考文献だかで出てて、気になっていたので読みました。
個人的に、東日本大震災後、「豊かさとは何か」がマイテーマで、何らかの参考を得られないかと。
日本の神々は死んだ。死生観こそ生きる価値観、受け身の処世(「他力本願」の愚者の願い、アリストテレスの云う自然への対峙、技術文明の構造)、などなど。
論というより、どちらかというとエッセイでした。
全体的に回答を与えるのではなく、違う価値観を説く、という感じ。
書いてある内容は共感するんだけど、「で、結局何?」みたいな不完全燃焼が否めないので、☆2つ。(2)
-----
以下メモ
幸せの青い鳥
日本国憲法の幸福追求権?だっけ?
近代経済主義は、幸せを「ここにはないもの」にしてしまった。
どこまでも虚栄の幸せを追いかけていかねばならない、原理的に。
絶対値としての利益の総量ではなくて、対前月対前年の成長する利益こそが幸福だから。
そう考えると「企業は発展しなければならない」って命題は恐ろしいな。
日本の神々を捨て、近代化・都市化に向かった必然が経済成長と幸せの喪失?うーん…
〈ふるさと〉には不幸と幸福が共存し、貼り合わせになっている、ってのは、メモメモ。
引用。“近代化、都市化とは、貼り合わせになった幸福と不幸を切り離し、不幸の方は捨てて、幸福だけを求めようとするものでした。”
→吾唯足るを知る、ためには、足るに対する不足、を知らなければいけないのでは。
嫁さんと結婚してよかったなー、幸せだなーと感じる。
そこに端的な理由はなくて、漠然と出てくる、幸せ、この類のことこそ真の追うべき幸福か?
なぜなら、幸せが追い求めるものでもなく、造り出すものでもなく、比較相対的なものでもないならば、自然と出てくる感情にこそ本当がある気がする。
でもそれって結局不幸感への良い回答にはならなくて、不幸と感じるならそれこそ不幸、ってことになる。
世知辛いやなー。。
福沢諭吉「福翁百話」
やはりしっくり馴染むのは、仏教の崇高さ、大局的なところ、絶対的な信仰などというよりも、もっと泥臭い《観》だな。「それでも」自然はそこにある。「それでも」日常は過ぎて行く。「それでも」衣食住足るを知る。悟りの境地そのものよりも、悟りを開こうともがく人間性にこそ、もっと俗物的に大切なことがある気がする。
p127
他人の幸福を目指すことこそ自分の幸福。
無理無理。イイけど、宗教だよ。日本人には特に無理、そんな求道的な。
投稿元:
レビューを見る
「利益」「権利」の最大化が幸福をである、と考えるとたぶん人は幸せにはなれない、
そのことを「論理」的に語っている本とも言えます。
あと、ポジティブシンキングをボロクソいってます(笑)
イラク戦争はブッシュ元大統領のポジティブシンキングが原因だとも。
あと、喜怒哀楽では「哀」を大切にすべき、というのも共感しました。
「不倫は文化だ」ではないですが、
「哀」がなければ文化は生まれないと僕は思っているので。
連載をまとめたもので、9章にわかれていて、それぞれの章が別な切り口で
深く考えさせられるので、簡単には書評はかけません。
ただ言えることは、この本を読んでなお、僕は人が目指すべきものは「幸せな生」だと思います。
そもそも「幸せ」ってなんだ?ということを考えさせられる本です。
考えさせられる本であって、答えは書いてありません。
投稿元:
レビューを見る
単なる流行りであれば、そのうち廃れるからよいのだが、結構な「世論」になって、皆がそっちへたなびくようなキーワードは、真っ向から戦わないといけない。もし仮に、戦うこと、反旗を翻すことが自分の信念と乖離していたとしても、信念はディベート的にひとまず棚に上げて(つまり主観的な態度は留保して)、反対の立場に立つ役割や力を担保してあげないといけない。Devil's advocateとして、「多事争論」を守る者として。「幸福論」の先に何があるのか。本書はそのことについて、鋭くメスを入れる。意気揚々と、あるいは意気消沈しながら、会社へ向かう新入社員にこそ、手に取っていただきたい1冊だ。
投稿元:
レビューを見る
日本の思想の碩学による東洋西洋の哲学、宗教、歴史認識を踏まえた、なぜ日本人は幸福感を感じられないのか、それは幸福になる「べき」との価値が共有されてしまったことにあると解き明かす、知的刺激溢れる良書。
投稿元:
レビューを見る
日本はイエ、ムラなどの縁をなくす方向に進んで来たのだから、無縁死に行きつくのは当然という主張は切れ味のよさを感じた。