紙の本
おいしい文章
2012/04/27 09:35
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
料理の味を文章で表現できる人はうらやましい。
味覚が十分に肥えていないと無理だし、文章にする力もなければなるまい。
料理とは食してその優劣が決するものだが、それを文章にするとなるとどれくらいの形容詞を出馬させても読者の食欲まで迫るかどうかは怪しい。
少なくとも料理に関しては、おもわず唾を飲み込むほどの香り、歯ごたえ、味覚、見た目が文章に感じられないといけない。
平松洋子さんはフードエッセイストとしても一級の文章力をもっている人だ。この人が食し、そして文章にした食べ物のおいしいことといったら。
そして、それは食に関することだけでなく、実は文章も一級品だというのが、このエッセイ集を読むとよくわかる。
つまりは、食に対しても、文章に対しても、貪欲なのだろう。あるいは、生きるということについても。
このエッセイ集は、生活エッセイとも呼べる作品が収められている。
生活エッセイであるから、食に関することだけでなく住まいも着るものも、季節も日常も、思い出も現在(いま)も、すべて含まれている。
例えば、「霜柱を踏む」という、わずか2ページのエッセイ。久しぶりに見つけた霜柱を踏むその瞬間。
以下、平松さんの文章からの引用。「ざくり。足の裏で霜が崩れる音が響く。ざくざく。真冬が鳴る」。
このおいしそうな文章ったら、ない。
「ざくり」、「ざくざく」という音の響きが足に伝わる感触まで伝えてくるではないか。おそらくこれは冬の野菜、白菜を料理する音にも似ている。
ざくり、ざくざく。
そうか、食には音も欠かせないのだ。肉が焼ける音、醤油がはじける音、包丁を刻む音、水が流れる音、氷が砕ける音。
そのいずれもが、過去を現在(いま)を、季節を連れてくる。
平松さんの文章はそういった食に鍛えられ、今や一級の文章家になったといえるだろう。
とにかく彼女の文章は、それが日常の一コマを著したものであれ、おいしくてたまらない。
紙の本
翻弄され、魅了される平松洋子さんの文章
2012/12/12 18:00
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:佐々木 なおこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
平松洋子さんのエッセイ、読むたびに彼女の文章に惚れ込んでしまいます。
毎週日曜日の新聞連載も楽しみで楽しみで、まずはさらっと読んで、それからじっくり読んで、たまに音読したりして…。
そうこうするうちに、今日はなにがなんでも平松洋子さんがしじゅう作り続けているというシンプル卵蒸しを作らねば…という気持ちがむくむく湧いてくる。
これって一体なんなんでしょ。
さて、「なつかしいひと」の話をしましょう。
まずは表紙の写真がなんともいい!木村伊兵衛さんの「浅草」です。この一枚でもうぐぐっときています。
あの冬の匂い、(が漂ってくるんです。)
雨音にもっていかれる、(んですよ。)
日暮れの稽古、(あの日のことです。)
競馬新聞の中身、(たいそう気になりますよね。)
乾いた水中花、(あなたは不思議そうに眺めていました。)
夜を支配する声、(あなたも聞こえてくるでしょう。)
川沿いの古いビルで、(何が起こったのか、もちろんあなたは知ってますよね。)
とまらなくなるので、やめておきますが、目次だけでも何かをせずにはいられません。かっこ内の言葉は私が勝手に続けてみました。
とにかくどこからでもいいので、このエッセイを読んでみてください。ほんとうにオススメです。
「それまで会ったこともないのにわけもわからずなつかしいと思い、ほかに言葉を見つけようとしても、やっぱりなつかしさとしか名づけようのない情調を醸しているひと。そんなひとに出逢ったとき、甘やかな感情の波に押し流されてみたい、足もとの砂がさらわれるにまかせて翻弄されてみたい、危なげな衝動に魅了される。」(「絵空事」)
まさに私は平松洋子さんの文章に翻弄され、魅了されています。しみじみ。
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平松さんの文章は、情景が詩的に頭に浮かぶからすごい。それも静かな凛とした雰囲気のものが多い。
この本も同様、場面場面が現実味をおびて浮かびあがってくる。
街で会った見知らぬ人から、恋人であろう人、家族など、色々な人、場所が登場する。余韻を残す終わり方が、1話1話、続きを想像させる、いい本だと思う。
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ちょっとした香りや景色や誰かの表情、佇まいから
一瞬にして懐かしさが溢れ出す。
遠い記憶なのに、やけに近く、実感を持って蘇ってくる。
他人の記憶なのに、自分の記憶とも結びつき
深く広く延々と広がってゆく。
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怒涛のような数で迫ってくるエッセイだが,どれも情景が目に浮かび膝を打つようなものばかりだ.このような文章をさらりと大量に書けるのは素晴らしい.
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この人のエッセイを読むと、無性に料理がしたくなる。食べることは生きること。食を支える仕事はたとえ自分のご飯を作るだけでも大切な仕事。
食欲は全ての意欲に通じるらしい。つまり生きる意欲につながっている。
だから仕事だろーが何だろーが、家族のご飯も自分のご飯も頑張って作るのだ。
大変なんだけども。
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多分、筆者は梨木果歩と同世代。この世代の人たちは、日常の家事や自然から感じる美を写し取るのがうまい。背筋がきちんと延びてる感じ。梨木果歩との違いは、家族やペットと共に生活しているが故の温かみ。
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そうだった、平松さんのエッセイを読むと、表現力を磨きたいなあと思うのだった。
「好き」というのを、平松さんだったら、違う言葉で表現する。
真似できない。けど、少しでもいいから近づきたいなあ。
あと、平松さんが使う日本語は、美しい。
読んでいて、背筋がシャンとするよう。
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平松洋子のエッセイ集。普段の生活の出来事を、彼女の鋭敏な感性と豊富な語彙で表現している。なにげない事象にどう感じたか、普通の人なら(私ならといった方がいいのかもしれないが)何かを感じたとしてもそれを「ことば」としてうまく表現出来なかったり、表現するまで記憶にとどめておけなかったりすることを鋭い観察眼と言葉で表現する。
私と年齢が近いこともあるのだろうか、子どもの頃の記憶の風景に共感を覚える。
また現在の家族構成もにており、その中で感じることも似ている。著者は「今までどうしてもほしいと収集してきた李朝の器等をあまり買わなくなった。手持ちのものを繰り返し味わいつくそうと思うようになった」という。少し違うかもしれないが、私も手持ちの好きな器を「大切に特別なときだけ」と思っていたのを「これからいったい何回使えるだろう。もっと味わい毎日でも愛でるいたい」と思うようになった。これは大人になったのか、歳をとったのか・・・
最後に記されていることもあるからだろうか、「風景になる」は今の私の心情と重なり印象深い。
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時々なんとはなしに読みはするものの、個人的に著者のエッセイを読んで「いいな」と思うことが少ない。たくさんの著書を出し人気のある方なので、単なる相性の問題ですね。
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平松さんの文章、だんだんと渋い味が出てきた気がします。
もの静かに日常を見つめ、ひっそりと切り取る、それだけで美しい作品になる…そんなかけらの数々。
物を書く、特にエッセイを書かれる方は皆そうだけど、どうして昔のことを良く覚えているのだろう。
その、一つ一つが、素敵な文章になる。
普通の人が、目にとめることをせずに見逃してしまう事を、そっと引き出しにしまっておく注意深さが、小さい頃から備わっていたのだろうか。
そうだとしたら、もしも全く同じ人生を歩んだとしても、一生が違った意味になって行くのかもしれないなあ…
「いろいろなことが楽しく思い出される一生だった」とほほ笑むのと、「何も変ったことが無かった、ちっぽけでつまらない一生だった」と思うのとでは、やはり幸福感が違う。
しかし…
読もうと思って買っておいた「青い壺」…
あれほど深く読み込まれてしまっては、その解釈に引きずられてしまうかもしれない…
忘れた頃に読もう…っと。
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伊藤肇さんが「人間的魅力の研究」で、人間に大切なのは「懐かしさ」と仰ってますが、確かに、思い浮かべて懐かしく感じる人たちはみんな魅力のある人ばかりですw。一方、平松洋子さんの「なつかしいひと」(2012.2)は、なつかしいひと、季節のあわい、なじむということ の3章で仕切られた珠玉のエッセイ集です。あわいは「間」、季節の合間とても解せましょうか・・・。どれも心に響くエッセイですが、特に、「猫の音」「23歳の猫の夢」の愛猫に対する著者の思いに心を強く動かされました!
緑萌ゆる若木の季節があった。今は老衰して脚は弱り、排泄場所もいろいろ・・・。持ち上げれば張り子ではないかと思うほど軽い。ガラス戸越しに野良猫、母猫仔猫5匹の隊列が1m近くを通っても、朝の日溜りの中で、目を閉じて惰眠をむさぼる。そんな風に泰然自若している23歳の愛猫へのまなざしがとことん優しい! 平松洋子「なつかしいひと」、2012.2発行、再読。
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つくづく平松さんのエッセイは大人の女性の文章で、一歩引いた目線で静かに物事を捉えておられるな、と感心する。
今回も気になる文章が多数。
「ほんとうにだいじなものは、記憶のなかにこそ静かに潜んでいるのかもしれない」
「現在を支えているのは、おびただしい過去の堆積である。だからこそ、たったいまを生き抜けば現在は更新され、明日へ連なってゆく」等々。
真夏の暑い日に平松さんが作られた、刻んだトマトの入った冷たい茶碗むしをつるんと食べてみたい。
私の地元を「雲の美しい土地」と書いておられて、なんだか嬉しい。
風と共に何処からか雲が低く湧き広がっていく様子が目に浮かぶ。
平松さんのように空を見上げて雲の在りかや風のみちすじをなぞってみたい。
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平松さんは鉄子なんだろか?
いや違うだろうな、"そうだ平戸いこう"を読んでこんな旅してみたいけどやらないだろうなと思った。
レンタカーを見知ら駅の近くに止めて電車に乗り換え海岸線の風景を楽しんでまた車を止めた駅まで戻るなんて贅沢な時間の使い方をしている。
このエッセイの中でまた色々と興味深い本を紹介している。
また次の沼にはまりそうだ、いやはまる予定だ。今図書館に居る。