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個人が何を持って幸せと感じるか。他人には計り知れない。読者は騙される。泉は自分以外が幸せならそれでいい健気な子だと。けれど終盤、そう貂のような人と会う直前の泉、段ボール部屋でこっそり泣いてた泉、やっぱり悔しくて切なくてという「当たり前」の感情をひとりむき出しにしていた泣いている泉を目の当たりしてやっと分かるのだ。普通の子が虐げられてきた故感情を偽っていたのだと。この話は寓話だという。けれど私は泉みたいな子がいて、一生懸命生きていることを感じている。泉のように幸せを見つけられるといい。自分で決めた幸せを。
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読み終わってから2日が経ちました。
この本はなんだか、読んでからの方が心に来る本だなぁ。と思いました。
ドキュメンタリータッチで描かれている事もあって、盛り上がりや先が気になる!という風には読めないのですが、生き方について考えさせられる…ふと、夜眠る前にこんな生き方が出来たらいいなぁ。でも、やっぱり自分には無理かなぁ。などと、心地よく考えさせられる本だなぁと思いました。
小口のお酒についての考え方と言い回しも素敵でした。
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初めての姫野作品。泉の3つ目の願いを知って予想してたことなのになぜか号泣した。清洌な泉の生き方に憧れるが、もし現実に私にそばにいたら、煩悩多い私は、ちょっと鬱陶しく思ってしまうだろうな。
図書館で借りて読んだが、自分のそばに置いておきたくて、アマゾンで購入した。
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作者がTBSラジオ『安住紳一郎の日曜天国』をよく聴いていて、番組アシスタントの中澤有美子さんをモデルにして書いた小説とのこと。私も中澤さんが大好きなので読んでみました。
『リアル・シンデレラ』というタイトルから受ける印象とはかなり違っていましたが、文庫版あとがきで作者もそのことについて書いていました。「リアル」や「シンデレラ」に持たせた意味の認識の違いが大きかったみたいだと。明治大正昭和をまたぐ女性の一代記などでは全くないと。気になる方は、まずはあとがきから読んでみてください。
その上で、幸せな人生とはどんなものか、自分はどんなふうに生きて、どんなふうに幸せになりたいかを考えさせられる小説でした。
幸せとは何かと問われたら、自分が心地よくいられることだと答える人は多いと思います。私もそうです。
そうではない幸せの形が、この小説の中にあります。
こんな人生を歩んだ人のモデルになった中澤有美子さん、ラジオで声を聞いたことしかありませんが、とても素敵な女性です。ラジオもぜひ聴いてみてほしいです。
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不遇に生まれて幸せに生きるとは。幸せは環境、他者によってもたらされるものなのか、はたまた自分が自分のまま、人を蹴落とさず自分の靴を履いて今あるものを教授するのか。泉のように生きられたらと思わなくないけど、スタンダードな幸せから価値観ズレた泉が悪意ある噂でエンタメとしてコンテンツ化されるくだりはとても怖かったです。
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ずっと静かに圧倒されてしまった…。
泉のことを可哀想と言ってしまいそうになるけれど、可哀想と思うのは他人である私であって泉本人ではなく、自分のその感性の乏しさこそ可哀想なのかもしれないと思った。
『彼女は頭が悪いから』もそうだったけど、こういう、人間の醜くて単純で純粋な本質的部分を文字で描写するのがすごく上手い、すごい。
うまく言えないけど、現状の自分から生まれる選択肢の範疇で、理解できるものごとと理解できないものごとを選別しようとするのってとてもナンセンスだなと思いました。
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一読後、胸の中に美しく青い星空が広がるような気がしました。そして、その星々を映すこれまた美しい湖。湖に浮かぶ一艘の小舟。小舟の中には………
倉島泉(せん)というリアル・シンデレラのお話です。泉ちゃんは、ちゃんと両親揃っていて、可愛い妹もいて、傍目には何不自由なく暮らしています。けど、母親は今でいう毒親で、その暮らしは童話のシンデレラ同様、辛いものでした。傍目にわかりにくいだけ、シンデレラより悲惨だったのかも、です。
毒親の心ない言葉に、もう死んでしまいたい、自分なんていない方がいいんだ、と思いつめていた泉ちゃん。十二の冬、そんな泉ちゃんに魔法使いがやってきます。
「死はすぐそこにあるゆえ、あわて死にするべからず」
「生きてるあいだは生きてるあいだをたのしく過ごすざんす」
「あなた、あなたの靴で生きてるあいだ歩きなさい」
さらば、あさにけにかたときさらず。
魔法使いは3つのお願いを叶えてくれると言いました。泉ちゃんの願ったねがいは
1、妹が丈夫になりますように
2、大きくなったら、お父さんとお母さんと離れて暮らせますように
3つめのお願いは、物語の最後まで明かされません。
傍目には、毒親に虐げられ、可愛い妹の引き立て役で、実家の旅館を再建した功労者なのに掃除婦、雑役婦のように見られ、何もいいことのない、不幸な女にしか見えない泉ちゃん。でも、彼女は実に賢く美しい、本物の姫で、自らの王国をきっちり繁栄させました。自分の靴で自分の人生を歩いた。誰も必要とせずに。
泉ちゃんの願った3つ目のお願いは
3、自分の周りにいる自分じゃない人にいいことがあったら、
自分もうれしくなれるようにしてください
うん、羨んだり妬んだりをパワーにするのもアリだけど。他人の幸せも自分の幸せ、幸せが2倍。すごく豊かだよね。
泉ちゃんは途方もなく幸せなのでした。そして、馬車に乗って消えてしまう。
けれど永遠に、人々の記憶に存在し続けるのです。
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約10年ぶりに再読。
やはり名作。
2021年34冊目。
以下は過去のレビューのコピペ。
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たまらなく、よかったです。
倉本泉という、田舎に生まれ育った女性について取材することになった筆者。
彼女の周囲にいた人間の視点で語られる彼女と、彼らから聞いた話を元に、筆者が書いた文章。
泉本人の主観は、一度も描かれません。
広く一般的に知られている「シンデレラ」は主人公が受動的過ぎて、その他の登場人物の個性が際立っている。
シンデレラは、自分がされたことを、その他の登場人物にし返しているだけ。
果たしてシンデレラは、本当に幸せになれるのか。
泉は、真に幸せな、本当のシンデレラだと思います。
決して着飾ることもなく、人から美しいと言われることもなく、自分を見て欲しいと訴えることもなく、弁解をせず、人を責めず、ただ、人の長所を素晴らしいと感じる。ただ、人の幸せを喜ぶ。
そんな彼女の美しさに気付いた、ある人から、泉はシンデレラにしてもらい、舞踏会に連れていってもらえます。
真の純粋さ、真の美しさに触れる事ができます。
なので、色々な種類の涙が出る一冊です。
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あとからじわじわくる。切なくていとおしくて泣ける。でも逆立ちしてもどうしたって自分はそんな願いを言える人間になれそうにない。
倉島泉さんが同級生だったら、友達になれたかどうか、独特の受け答えや笑いかたをちゃんと理解し、共感しあえる仲にしてもらえるのか、自分自身になげかけたくなる。
奥底にある清らかすぎる善とか美とか判断できるのかを試されても、きっと私もミニ世界のスタンダードなガールやぽちゃぽちゃした女と同様、見抜けないだろうし、無力すぎて救いだすなんてこともできそうにない。
あの表紙の神々しい姿は、小口さんが見た温泉から上がってきた泉ちゃんなんだろうと思って読んでました。
もしかして倉島泉は〈暮らしません〉なのか?
がっかりして人知れず涙を流してたり、ハシバミの粉で存在を消してる泉ちゃんという宝石を見つけられるように貂に願いたくなります。
そんなことも考えてしまう素敵すぎる本でした。
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うーん、辛い。主人公は幸せになれなかったのではないだろうか?
同時並行で読んでいた「世界は贈与でできている」には、「贈与は受けたことのない人からは始まらない」ということが書いてあった。
聖人君子や神様ではないのだから、こんな人生を歩むのは私は辛いと感じた。
与えられていない者は、与えられない、と思う。
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ノンフィクション。一般人、倉島泉さんの物語。
親に愛されない子供として育つのが切ないけど、作者はそんな状況でも、アイデアと本人の前向きさで、幸せに過ごしたことを書いてる物語。
最後の最後に行方不明になるのが、気になって、終わる。
作者の親が毒親だったと、だから、こういうことへのシンパシーが強いのだなと思う。