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(2008.09.22読了)(2008.02.01購入)
イギリス艦隊がやってくるのに備えて、鹿児島では、台場を整備し、軍事訓練を繰り返して待っていた。
6月28日、イギリス艦隊が現れた。薩摩藩から使者が送られた。
イギリス代理公使ニールから使者に国書が渡され、30時間以内に回答するように求められた。国書の内容は、リチャードソンを殺害した加害者を死刑に処すこと、リチャードソンの遺族に2万5千ポンド支払うこと、の2条件であった。
薩摩藩が、この条件を承諾しない場合は、戦闘行動を開始する。(18頁)
薩摩藩の回答は、「わが国法によって全国諸藩は、何事をなすにも幕府の命令に従っている。賠償金の支払いの件は、幕府から何の指示も受けていない。」また、「わが国には、旅をする大名の行列に非礼をしてはならぬという定めがある。行列を乱すような無礼者は斬り捨ててよい。」であった。
話し合いは、決裂した。
7月2日、明け方、イギリス艦隊は薩摩藩の「天祐丸」「白鳳丸」「青鷹丸」の3隻の蒸気船を拿捕した。交渉を有利にしようとしたのである。天候は急激に悪化し豪雨となり、風は東南風になり吹きつのった。
薩摩藩は、宣戦布告と受け取り、台場から一斉に砲撃が開始された。
イギリス艦隊は、薩摩藩からの攻撃は予想しておらず、反撃の準備に時間をとられたのと、天候のため、艦隊に損傷を受けた。
それでも、砲撃で台場は全部破壊し、薩摩藩の3隻の蒸気船は焼却し、鹿児島城下には、火箭を放って火災を起こし、引き上げていった。
7月9日、横浜にイギリス艦隊が帰ってきた。イギリス艦隊に同行した新聞記者が、観戦記を新聞に掲載した。イギリス側の戦死者は13名、負傷者は50名。艦隊の被った損害は大きかった。
鹿児島では、イギリス艦隊が再度来襲すると考え、防衛力の強化を開始した。長崎のイギリス商人グラバーに依頼し、新型の大砲を斡旋してもらった。マカオにあるアメリカ製鋳鉄砲89門、ロシア製鋳鉄砲42門。火縄銃も、ミニエー銃に変えることにし、グラバーに5千挺依頼した。
長州藩は、尊王攘夷を主張し、それの同調する公卿を動かし、天皇自ら兵をしたがえて、政党の途にのぼり、幕府を壊滅させるべきだと主唱し、京で活動していた。
孝明天皇は、公武合体を望み、攘夷親征論に危機感を抱き久光に上洛を求めた。
イギリスと戦闘状態では、久光は上洛できない。
実際にイギリスと戦って、兵器の力の差を実感し、攘夷は無謀であり、和議を結ぶことにする。ただし、和議を申し入れるのではなく、自然に気運を醸成し和議に持ち込む形が望ましいとした。
8月10日、薩摩藩の和議のための使者が、横浜に到着した。
和議に持ち込むには、幕府を間に立てるのが妥当と判断し、幕府に「薩摩藩の所有する蒸気船三隻を宣戦布告せずに拿捕したのは、不法な行為である」と訴えた。(108頁)
8月13日、朝廷が攘夷親征の議を確定して公布。
8月18日、攘夷親征の中止。薩摩藩と会津藩により長州藩が京都から締め出された。
9月28日、イギリスと薩摩藩との談判が開始された。和議を結ぶことに双方異議はなかった。談判を繰り返し、11月1日、賠償金を支払い決着した。(148頁)
1月24日、イギリス公使オールコックが横浜に戻り、代理公使のニールが上海経由で帰国した。
4月25日、イギリス、フランス、オランダ、アメリカの代表が横浜に集まり、会議を開き長州藩の不法行為に対して懲罰のため痛撃を与えることを決議した。
長州は、抵抗をしたが惨敗し、和議を結んだ。伊藤俊輔(博文)と井上聞多(馨)が間に立って奔走した。
この後は、薩摩と長州が手を組んで、討幕へと進むことになる。
この本の面白さは、折衝の駆け引きにあるといえる。交渉の場に立つ人の駆け引きが実に面白い。
作者が、この本で描きたかったのは、生麦事件でイギリスと戦った薩摩藩とアメリカ、フランス、オランダと戦った長州藩が日本を変えることになったことのようである。
(2008年9月26日・記)
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生麦事件を中心に、その後の薩英戦争~戊辰戦争までの流れを舞台にした小説。
特にどの人物に主眼を置いた訳でもなく、特に後半は淡々と、主に薩長における事実を述べるだけに見えたのが若干残念。
ただ、当時来日していた欧米列強の軍人・公使達の思惑や人物像を少し知ることが出来たのはためになったと思う。
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生麦事件から明治維新まで、わずか6年。その間に、薩英戦争があり、長州征伐があり、鳥羽伏見の戦いがある。同じ「尊王攘夷」を唱えながら、生麦事件をきっかけに、薩摩、長州の考え方、対応が大きく変化していくのが実によくわかる。
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生麦事件から薩英戦争、倒幕へと流れていった。
とすると、薩長をのさばらせることになったこの事件の意味は大きい。というか腹立たしい。
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一つだけ参考になるのは、末期に差し掛かった幕府の無能ぶり…
これだけ無為に引き伸ばされたら、さすがに当時のイギリス人も腹に据えかねたでしょうが、しつこく交渉する姿勢に、英国の底深さを感じました。
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幕府崩壊、明治維新への流れを作った一太刀。生麦村で起こった事件が、藩や幕府、国を巻き込む大騒動の発端となり、日本は結果として大きな一歩を踏んだ。つぶさに歴史を読み取ることで、ひとつひとつの大きな流れの発端が見えてくるから面白い。史実としてだけでなく、物語としても魅力的に描き切る吉村昭の力にはただただ驚嘆するしかない。
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生麦事件により薩摩藩とイギリスの戦争に発展し、その最中、長州藩とフランスも戦争となる。その後、さらに長州藩と英米仏蘭各国連合軍との戦争が勃発する。そして薩摩と長州は幕府とともに戦後処理に苦慮を重ねた。これだけでは話は終わらない。蛤御門の変、長州征伐、大政奉還、鳥羽伏見の戦いと幕末の一連の出来事が分かりやすく描かれていました。アメリカの南北戦争が、幕末の日本に少なからず関わっていたことを知りました。
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☆☆☆2016年1月☆☆☆
薩英戦争だけでなく、長州による赤間関を通過する外国艦隊への砲撃なども扱われている。
★★★2019年3月★★★
あまり知られていないが、薩英戦争後の交渉にあたった重野厚ノ丞という人物は立派だと思う。薩摩藩のメンツはつぶさず、戦争を終結させるという離れ業をやってのけた。まず、幕府に言われたからやむなく和議を結ぶという形に持って行ったこと。賠償金の支払いなど譲るべきところは譲るが、きちんと自分の主張もすること。
戦争開始前に薩摩藩の軍艦を拿捕したことについて激しく責めるというのも、主張すべきことは言うという明快さがある。武器の斡旋を依頼することで薩摩と英国の今後の付き合いを深めるきっかけを作ったのも、交渉術として見事だ。
幕末の歴史を大きく揺るがした生麦村。この街道沿いの小さな村を駿河に落ちていく徳川家の行列。さらに官軍の華やかな行列が過ぎてゆく。
そのような描写でこの長い物語は終わる。
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朝廷は無知蒙昧な攘夷派の公卿と長州藩に牛耳られ、孝明天皇を悩ませていた。朝廷内ではついには天皇親征による攘夷論まで飛び出した。危機感を募らせた会津、薩摩を中心とした佐幕派は攘夷派の公卿と長州藩の朝廷からの駆逐をはかり成功する。しかし翌年、失地挽回をはかる長州藩過激派が京で挙兵し、朝廷警護の薩摩・会津との戦闘に及ぶ。「禁門の変」だ。その際、長州軍は御所に発砲するという暴挙にでる。これにより長州藩は賊軍となった。
下巻では維新の中心となる長州藩のことが主に書かれている。
長州藩も攘夷実行のため軍備の増強に努めていたが、それは薩摩のものより数段劣った。血気盛んなだけで、西洋の軍備に詳しい分別者が「こんな砲と台場では戦にならん!」と叫んだら、暗殺してしまうくらいだから、この時点では理想論だけ振りかざすただの世間知らずだ。
しかし下関戦争による諸外国との戦闘で、軍備の遅れを痛感した長州藩は薩摩藩と同様に攘夷をあっさりと捨てる。
この辺りは頭の硬直した幕府にはできない変わり身の早さだ。長州では若い藩士が自由に活躍できる風土があるのか、あまり藩主の意見がどうとか家老がどうのこうのという記述がない。暴走もするが謙虚なところもある。進取の気象に富んだ藩であることは間違いないのだろう。
その後、第一次長州征伐の後始末のときに西郷隆盛が幕府の意向に縛られず、寛大な処置をしたことなどもあり、長州と薩摩は急接近する。薩摩経由で外国から武器を購入し軍備増強を推し進め、討幕の中心へと躍り出る。
本書の最後は、江戸を明け渡した敗軍の将である徳川慶喜が、駿府の地へ都落ちする際に生麦村を通る描写で終わっている。
明治維新は生麦事件からはじまった。
余談だが、現在の生麦村(横浜市鶴見区)には石碑が建っている。国道1号線に面し車の交通量は多いが、人はあまり通らないし、目立たない。石碑の後方にはキリンビールの横浜工場がドーンと構えている。キリンビールは儲かっているし、麦つながりで、もうちょっとましな碑が建たないだろうか。
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生麦事件が冒頭に始まり、その余波を描いていくストーリー。
途中タイトルは薩英戦争のほうがいいのではと思ったが、発端は生麦事件にあるだろうなと。
教科書では字面しか出てこないが、重要であった。
薩摩の徹底的な抵抗姿勢がなければ日本は中国のようになり、植民地になっていたのはたしか。
賛否両論はあるが、日本に薩摩のような藩があってよかった。
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上巻に続いて読了。
歴史の教科書では一瞬で通り過ぎてしまう「生麦事件」というひとつのできごとが、幕末動乱の(明治維新という革命的な体制変更の)きっかけである、という立場から、精緻な取材に裏付けられた作品だと感じました。
特に、p.94にある「(薩英戦争の際に英国艦隊が鹿児島の街を焼いたことについて)イギリスの新聞は、大英帝国の名誉を傷つけるものだという記事をのせ、遂には国会でも取り上げられることになった。下院議員のバクストンは、市街を焼いた行為は戦争の慣行にそむくもので、甚だ遺憾である、という動議を議会に提出した」というイギリス側の反応については今まで知りませんでしたし、p.130から描かれている薩摩とイギリスの和平交渉の場での薩摩藩士の外交姿勢は理路整然と自らの主張を明示しており、とても魅力的に感じました。
特定の個人にフォーカスした作品ではなく、薩摩・長州・英国(+幕府・朝廷)といったそれぞれの立場から、何を目指して行動したのか、という点も含めて描かれており、読みごたえがあります。
一方で、特定の人物を中心的に取り上げていないからこそ、感情移入して作品世界に入り込む、という形の読書体験にはなりませんでした。
「ストーリー」のある大河ドラマとして歴史小説を読みたい人には少し物足りないかもしれませんが、単純に「歴史(日本史/幕末)」が好きな人にとっては、興味深く読める作品だと思います。
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薩英戦争に下関砲撃。雄藩と列強。勝ったものと負けたもの。けんかして仲直りして、親交を深める。思想と武器。古いものを捨て、新しいものを取り入れる。変化を受け入れるもの、拒否するもの。物語は倒幕まで続く。記録を掘り起こすような淡々とした文体の中に臨場感を見出す。西郷隆盛、大久保利通、大村益次郎、木戸孝允、高杉晋作、そして、坂本龍馬。ヒーローたちが登場するが長くは叙述されない。歴史の主役は一人ではない。愚かさあり、英断ありで時代は明治へと移り変わる。そして今へと続く。ありがちな歴史ドラマとは違う世界観を味わう。