投稿元:
レビューを見る
母親は3階、女優の娘家族3人は同じ江戸川アパートの1階に暮らし、孫の世話も一手に引き受けてくれた母親が、階段で転んで寝付いたのが96歳。それから102歳で看取るまでの6年間の介護録である。母は宝塚第一期生のスターで、寝たきりになってからは鏡で自分の顔を見ることなかったほどプライドの高い女性。40歳の時に誕生した一人娘は、若かったから介護と女優業と家庭が維持できた・・とトンネルの先の見えない介護生活を記述する。介護は親族であるがゆえの精神ストレスと辛さがある。しかし102歳まで寝たきりボケずに生き続けることも大変なことだ。いずれは誰でも行く道であるがなんだか哀しくせつない。
投稿元:
レビューを見る
お母様の介護の記録を綴り、振り返った1冊。
自身の心境だけでなく、周りの方の様子や、金銭面にまで言及したあたりが生々しい。
「母の介護」をしている人だけでなく、「母の介護を見ている者」にも、感じとるものがありました。
投稿元:
レビューを見る
著者、坪内ミキ子さん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。
坪内 ミキ子(つぼうち みきこ、1940年4月12日 - )は、東京府(現:東京都)出身の女優・タレント。本名、桜井美紀子。
父親は演劇評論家・坪内士行(宝塚歌劇団職員・宝塚音楽学校の顧問も歴任した)、母親は宝塚歌劇団1期生の元トップ娘役で宝塚歌劇団卒業生の雲井浪子(本名:坪内操、旧姓:高井)。
で、本作の内容は、次のとおり。(コピペです)
宝塚一期生のスターだった母。あんなにプライドが高く、かくしゃくとしていたのに、寝たきりになったとたん、「わがままな老婆」に成り果ててしまった。際限なく続く夜の拷問、減り続けるお金、家事と仕事のやりくり。すべては一人娘の著者の肩にのしかかってきた。それでも九十六歳の母は「長くない」と思っていたのだが…。先の見えないトンネルの中で過ごした六年の記録。
母の介護ということで、私達夫婦(ともに61歳)が、現在直面している。
私にとっては義母(92歳)が、昨年寝たきりになり、在宅介護をしている。
それから、介護というのは、突然やってくるというのは、当たっている感じがします。
昨日までは、何とかトイレにいけていたのに、今日になって急にいけなくなったりとか。
母の介護というと、私の実母(84歳)のことも、常に頭にありますね。
今のところは、要支援2という状態で、自立度はそれなりですが、いずれは要介護になると思います。
が、現在は実家で一人暮らし。
まあ、今の日本の縮図ですかね。
投稿元:
レビューを見る
宝塚歌劇団第一期生の母を6年介護した女の介護録と思いきや母や著者の回顧録も含む随筆なもの?
・介護,主婦業,職業(女優)の両立.いやはやすごい.
・介護の大変さ,壮絶さ,悔恨がもっと綴られているものと思っていたけど,思っていたよりは柔らかい文体だった.
・病院での介護よりも自宅での介護の方が,被介護者が元気になるというのはちょっと驚き.住み慣れた場所で過ごすからそうでしょと言えるけど,受けられる医療サービス的に前者の方が良いかなと思っていた.
・マクロ的な視点からは日本全体のサステイナブルではない社会保障制度が脳裏をちらついて陰鬱な気分にさせる.若い労働力が老人の世話に充てられ国力は衰退の一途を辿るばかり.これからどんどん厳しくなる.定年退”食”が頭をよぎる.
・とはいえミクロ的な視点に立つとこれまた別の見方をする自分がいる.いざ自分が介護をしないといけない立場になったらどういう心境になるんだろうか.青天井の負担・支出があっても「親の意思だから」という大義名分で受け入れるんじゃないんだろうか.
ーーーーーーーーーーーー
老人の「死にたい」はあいさつのようなもの.
末期患者を告知された人が辿る過程
否認、怒り、取引、悲嘆、受容
「おい、とか、おまえ、とか読んだら分かれます」
汗顔の至り:大変恥いる様子
カタルシス:心理学における、浄化および、排他のこと。 また、無意識的なものを意識化する方法のこと。 無意識の内に抑圧されている、過去の苦痛や恐怖、罪悪感をともなう体験や、そのときの感情などを言葉で外にだすことによって、「たまっていたものを排出し」、心の緊張がほぐれるようになる。
汲々とする:小事に心をとらわれて、あくせくするさま。 また、一つのことに心を傾けて一心につとめるさま。