紙の本
古典の力を、科学の力が説く幸福論
2011/01/19 18:07
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:きゃべつちょうちょ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「赤毛のアン」と茂木健一郎。この意外な組み合わせ。
著者自身、「アン」が愛読書だったことを
長年告白できずにいたのだという。
アン・シャーリーのまっすぐさは、あまりにも眩しい。
抱きしめたくなるほどいとおしいのか、
照れくさくて居心地が悪くなるのか、
人によってそれぞれ分かれるのだろう。
序章は、著者とアン・シャーリーとのなれ初めから始まる。
十一歳のとき、図書館で「アン」をみつけてから
海外への憧れを膨らませていた著者は
高校生になると、カナダの地へ旅行する。
このときの旅行資金は、
「アン」のことを書いて応募した懸賞論文で自ら稼いだもの。
そしてこのはじめての海外旅行で受けたカルチャーショックが
著者の、科学者の道へのはじまりでもあった。
わかりやすい文章を用いながら
脳科学的、民俗学的、心理学的、と多岐にわたる分野から
「アン」が読み解かれていくなかで
読者はいくつもの気づきを受け取ることになる。
たとえば3章。
人間の脳はタイムマシーンのようなところがあって
過去何百年もの昔の社会の在り様で、現在の思考が決まっている。
個人それぞれの脳に蓄積されているこの履歴にしたがい、
行動を起こす傾向があるのだという。
計り知れない遺産が、この頭の中にあったとは驚きである。
つづく4章では最も感銘をうけた。
成長とともに洗練を身につけて、美しくなっていくアン。
彼女は(狭義としての)女性の幸せを手に入れていくわけだが
同時にあるものをうしなっている。
それは子どものときの、奇妙なまでにぶっとんだ想像力。
アンのいちばんの個性であり、最も輝いていた部分でもあったはずだ。
ある意味でこれは、「喪失」の物語もあるのだと。
最終章へすすむにつれて、内容はどんどん深みを増していくが
5章では、「赤毛のアン」を貫いているキリスト教的世界観について。
欧米の一神教の絶対的価値観と八百万の神の国日本の相対的価値観。
それらの比較を述べたうえで、
「赤毛のアン」を表層的でなく深く理解するためには
バックボーンにあるこの宗教の世界観を知ることが重要であると。
(ちなみに、著者はクリスチャンではない)
6章ではこの本のエッセンス(「アン」を読んで幸福になる術)が
抽出されているので、とりあえずここから読んで、
興味のある章へ進むのもいいかもしれない。
最終章では、少し暴走している感じがなくもないのだが
これからの日本の表現者のありかた、著者の理想が語られる。
いつも脳で脳のことを考えている茂木健一郎。
さぞかし疲れるのではないかと思うが
脳それ自体に、限界はないらしい。
限界はじぶんの思い込みがつくってしまうものなのだと。
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連続テレビ小説「花子とアン」がスタートしますね
2014/03/21 22:24
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:佐々木 なおこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
この春、スタートする連続テレビ小説「花子とアン」。
主人公は「赤毛のアン」の翻訳者である村岡花子さんです。
そこで、11歳の時に「赤毛のアン」と衝撃的な出会いをしたという茂木健一郎さんのこの本を選んでみました。
脳科学者の茂木さんがアンのどんなところに惹かれたのか、
アンからどんなことを学んだのか、すごく興味がありますよね。
平凡な日々もアンの魔法をかけてみれば、きっと違った景色に見えるはず!
「セレンディピティ」って素敵な言葉が印象的でした。
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また「赤毛のアン」を読み返したくなります
2013/03/10 15:14
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:わこう - この投稿者のレビュー一覧を見る
茂木さんと「赤毛のアン」!?
と思ったのですが、本当に好きな本なんだなと伝わってきます。
茂木さんの本を読むのは初めてなのですが、読みやすく、この本を読んで親近感がわきました。
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著者と同年代の私も著者同様「赤毛のアン」が大好きで、シリーズは全て読みました。でも、なかなか「赤毛のアン」が好きとは、中年のおじさんとしては言い難いものです。でも、本書を読むと何故「赤毛のアン」が好きだったのか、共感をもって振り返えれるような気がします。結局ここには幸せの原型が書かれているんですね。人生に迷ったら「赤毛のアン」にひととき帰ってくるのもいいのかもしれません。
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同じことを何度も繰り返して刷り込む感じ。よくある啓発書とはちょっと違う。赤毛のアンを読んだことがある人はもっと楽しめると思う。
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ん〜茂木さん仕事しすぎ!のひと言ですよ。
この本は、著者にとっては娯楽的なもの、筆休めのようなものだったのではないか。
といっても、適当に書いたりしているわけではなく、「赤毛のアン」の魅力を自信の体験と研究事項などを使って上手く紹介している。
僕も、いまだに未読なので、現在読みたいリスト(心の中にある。)上位に浮上した。
想像力がいかに人を幸せにするのか。それに対して、不幸にすることもある。
現代人にとって、幸、不幸とは?いろんな視点で語られています。
個人的には、卒業論文の体裁と似ていて親近感をもてた。あと、茂木さんってやっぱり天才肌のひとで、嫉妬しているだけかもしれないけど、ところどころ鼻につく体験談があったりする。
全体の雰囲気は、どこか小林秀雄のようであり、ニーチェとかゲーテのような感じもある。いっぱい本を読んでいる人なんだな、と感心しきり。
この人を、これ以上文学の世界に引きずりこんで欲しくないというのは、僕の勝手な願い。外側から、文学を支援して欲しいな。
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「赤毛のアン」の原書を読むというNHKの語学番組に、松坂慶子と一緒に茂木さんが出ていて驚いたけど、ついでにこんな本も書いていたとは…。
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昔から『赤毛のアン』は大好きでした。
プリンスエドワード島にも憧れていたし、
アンの個性的な所も大好きでした。
そんなアンに学ぶ幸福になる方法という
題名の本。
「読んだ本の高さだけ、人は成長できる」
という言葉があるのですが、それを信じて
本を楽しみたいと思いました。
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茂木さんの主観によるものが多いかな。
特に宗教観に関して、少し気になるところはありましたが、全体の感想としては、良かったです。
そんなに好きだってカミングアウトするのに恥ずかしがらなくていいですよね(笑)。胸張っていいと思うけどなぁ・・・。
好きなポイントが似てたので、嬉しかったです。
金子みすずさんの詩をひきあいに出してくる辺り、すごく好みでした。どちらも世界への視線が暖かい。
あたりまえに存在するものに、自分を取り巻いているものに、感謝と感動を感じることさえできれば、人は誰でも幸せになれるのです。
太陽は、どんな人にも分け隔てなく降り注いでいるのですから。
私も、「赤毛のアン」はこれ一冊で完結すべきだった、に一票!
あの時期の凝縮された時間だからこそ、アンは魅力的なのです。“相呼ぶ魂”として存在する彼女が魅力的なのです。
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2009年5月8日読了。
著者が小学校5年生のとき、学校の図書室で『赤毛のアン』という一冊の本と出会います。とても衝撃を受け、すっかり魅せられてしまった。でもこれは男の子が読むような本じゃないだろうと思い、ごく最近までこの作品が好きだということを公言できなかったそうです。
茂木さんは、テレビでよくお見かけしますが、著書を読んだりしたことはありませんでした。読んでみようかと思ったことはありますが、難しそうなので敬遠していました。でもこれは、書店でパラパラ見てみるととても易しい表現で書いてあるし、アンはわたしも昔から好きだったし、何より茂木さんがアンをどのように語っているのか興味があったので買ってみました。
本当に好きなんだなぁ、というのがよく伝わってきます。茂木さんにとって『赤毛のアン』とは、たくさんの「初めて」をもたらした作品のようです。初めて<原書にチャレンジ>した作品であり、<初めての生身の西洋文化との出会い>をもたらした本であり、それが初めて海外に行くきっかけとなって、そして海外で通用する科学者になろうと思ったのもこのことがきっかけ。つまり今の茂木さんを作ったのは『赤毛のアン』なんですね。
偶然、先日(13日)の読売新聞夕刊に、吉野万理子さんによる、本書の書評が載っていたので切り抜いてあるんですが、吉野さんも『赤毛のアン』が大好きなんだそうです。<負けないもんね、愛読レベルは自分のほうがきっと上だもんね>とライバル心を燃やしつつ本書を読み始めたそうですが、<抵抗したくなる箇所>もあるけど<うむ、たしかに>と思う部分もあって、最後には茂木さんを<「心の友」>だとおっしゃっています。
『赤毛のアン』というのは名作の中でもけっこう特殊で、本作のファンだという人はハンパなくファンなんですよね。わたしもアンは大好きで、世界名作劇場のアニメを見ていたし、今でもアンのフィギュアがいくつか家の窓辺に置いてあったりますが、「ファン」だという人たちほどこの作品を深く考えたことはなく、ただアンの魅力や風景の素晴らしさを楽しんでいただけでした。そして今回本書を読んでみて、この作品の深い魅力を知り、大人になった今あらためて読んでみたらまた違う感じ方をするかもしれないと思いました。昨年、『赤毛のアン』出版100周年ということで新装版となった新潮文庫のアンシリーズを全巻買い揃えたので、折を見て読んでいこうと思います。
また、カナダや欧米では、モンゴメリーの別のシリーズ、エミリー三部作のエミリーの方がアンよりも人気があるそうなので、そちらのシリーズも追々読みたいです。
あと聖書。本書を読んで、アンを含めて欧米の作品を芯から理解するためには、やっぱりキリスト教の知識と理解が不可欠だと改めてわかったので、以前読み始めたまま中断しっぱなしの聖書読書もぼちぼち再開しなくちゃと思いました。一冊本を読むとさらに読みたいものが増えるということを実感しております。
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2009年8月29日読了
小さい頃に世界名作劇場が好きだった。
小公女セーラ、少女ポリアンナ、若草物語、足長おじさん・・・。
おてんばエリザベス、すてきなケティ・・・。
そんな中で、私が赤毛のアンを読んだのはかなり遅い時期。中学にあがってから。
中学に入ってから、友達に「可愛いエミリー」のシリーズをすすめられ、アンシリーズも読破。
この本はそんな私も抱いていた、なぜ赤毛のアンが好きなんだろうか(もっとも私はアンシリーズ
だけではなく、他の海外作品も好きなので)・・・という長年の謎を解いてくれる。
今を生きる、ひたむきに。運命を積極的に受け入れる、幸せはそうすれば掴める。
そういうことだと共感した。
茂木さんってこういう考えかたができる人なのかぁ、と親近感UP。
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赤毛のアンのファンだったとは!
小学校5年の時に読んで強い印象を受け、まわりの男の子には隠していたそう。
なぜそれほど魅力を感じるのかははっきりわからないまま、最近まで課題だったとか。
高校では原書を読破、海外留学したくて懸賞に応募した時にも赤毛のアンのことを書いた。
大学院の時にはプリンスエドワード島にも行ったそうです。
西洋に負けた、というようなショックで強い憧れを抱いたとか。
かって赤毛のアンが日本で紹介されたのは戦後の復興期、西洋を目指した時代でしたね。
けっこう変わり者の老人などが多く出てくるのも、親しみを感じさせた原因でしょうか。
海外ではむしろエミリーの方が人気があるそうで、その違いなども考察。
エミリーの方がダークで文学的。モンゴメリの実人生の苦闘も反映しているのでしょう。
一瞬にして過ぎ去る子供時代の輝き、ひたむきさがアンの魅力。
ひねくれることなく、不真面目さがない。
子供の頃は想像力豊かなのがアンバランスで暴走気味で、それが笑いを生むが自分のことのようで気恥ずかしくもある。
若さ故のぎこちなさやみっともなさ。
だがそれが成長し、幸せになるに連れて静かになり、何かを得ると共に失い、16歳にして就職運動や親の介護まで見通す。
郷里で落ち着くあたりも、日本人には受け入れられやすかったのかも。
マシューの話が出ると、泣けます。
専門分野を生かして縦横に話が飛ぶ西洋談義も面白いですが〜
想像の余地のある人生、変えるべき家がある、運命の相手に会う、大人になる、運命を受け入れる、幸せの花を見つけるという章立て。
ポジティヴなところが幸福を呼ぶっていうことですね。
文学は得てして不幸について書かれていて、太宰の作品は不幸になる方法が書かれているようなものというのには笑いました。
赤毛のアンには幸せになる方法が書かれている!
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254 何か新しいことに出会ったとき、すぐに拒否反応を示すのではなく、とりあえず自分の胎内に取り入れてみる。育ててみる。
その姿勢が、幸運に気づく能力「セレンディピティ」を鍛える、ひとつの重要な要素だと思います。
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プリンシプルのない日本に、私も生きづらさを感じてます。著者のひたむきな姿勢には共感を覚えます。赤毛のアンは未読なので、読んでみようとおもいます。
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茂木さんの本ははじめてだけど読みやすかった。
赤毛のアン大好きな私としては書店で目にしてからずーっと気になってた本。
なんか物足りない感じもしたけど
奇蹟から幸せを感じる
空白が幸福を呼ぶ
という6章の内容は面白く読めた(^^)
卒論の参考にしようと思ってたけどそれは難しいかもしれないなあ
「赤毛のアン」再読と、原文に挑戦の夢が生まれました♪