投稿元:
レビューを見る
インドネシアでは10万円で家が建つのか。
環境問題はこれから重要になるな。インドネシアでの環境問題、これは課題だ。
投稿元:
レビューを見る
自分にとっては新しい概念「適正技術」と「代替社会」についてよくわかった。
先進国と後進国という概念がそもそも間違った見方、見誤った将来のあり方を示唆しているともいえる。
単純に後進国には適正技術をというのではなく、先進国といわれる国々の今後のあり方などが根本的に問われている。
投稿元:
レビューを見る
田中氏の取り組みがベースの報告で、説得力もあるし、教条主義的でない点に好感がもてると思う。
ただなあ、それこそ80年代に適正技術が言われ出して以降、それが社会全体に取り入れられていけるのか、となると別問題だろう。
投稿元:
レビューを見る
【入手前のコメント】2012/10/4
最近インドネシアに投資する人や会社が多いと話題になっている。BRICSに入っていなかったけど、さらにその後に続く発展途上国ということなのかな?この本は適正技術というのが興味深い話題。
投稿元:
レビューを見る
インドネシアでの実践を例に、途上国での適正技術、あるいは先進国での代替エネルギーなどを論じている。個人的には、研究や専攻の関係から、第4章が琴線に触れる部分が多かった。
①「適正技術を考える」(p38)
現在世界を悩ます社会問題の多くは、先進国の達成してきた発展の仕方がもたらしてきた。そして、その発展を支えてきたのが先進国の近代科学技術である。そのため、先進国を後追いする形で途上国を引き上げようとする従来の発想でいると、途上国も同じような問題を抱えることになる。
新たな発展の在り方として、技術やエネルギーを考えていくべきである。
②適正技術≒中間技術(第1章 インドネシアと日本の落差から)
先進国の技術(1000ポンド技術)は巨額であり、伝統産業を破壊して仕事を奪う。途上国の技術(1ポンド技術)は、金は少ないが豊かになれない。そこで、求められてくるのが100ポンド技術とも言うべき「中間技術」(p30)である。先進国の技術を途上国に持ち込むのではなく、より多くの雇用を生み、貧困を緩和する技術とはどのようなものかを意識しながら、新しい技術開発に臨むべきである。
③先進国と途上国 共通の理想(第4章 代替社会に向けて)
我々は便利な製品を消費することに慣れ、躊躇なくエネルギーを使う。だが、その生活がもたらした豊かさは我々をそれなしではいれないようにし、消費を拡大させる。社会問題を引き起こし、専門性は一般人からさらなる壁を作り出す。途上国に合った適正技術、代替社会を考える機会は、先進国のこれからを見直すことにつながる。これからの途上国の発展は、先進国の消費スタイルではなく、持続可能な、代替社会を目指すべきなのである。
発展途上国の援助に先進国の技術を単に輸入するだけでなく、途上国に合った持続可能な技術を考えていく中で、先進国や地球環境の発展にもつながる。この適正技術や代替社会の話を通して、もう一度、そういったことを先進国は考えるべきであろう。
投稿元:
レビューを見る
先進国と途上国との間に横たわる埋めがたい技術格差。今、求められているのは、先進国の技術を途上国にそのまま移転するというものではなく、近代技術の反省を十分に踏まえた途上国それぞれの条件に応じた開発。著者はインドネシアにおいて嚇々たる実績を残しており、まさに論より証拠を実践している。非西欧社会でありながら高度な科学技術を有する日本の貢献のあり方を問いかける貴重な一冊。
投稿元:
レビューを見る
先進国の技術転換とともに、途上国の状況に適した〈適正技術〉が必要であることを、インドネシアにおける排水処理やバイオマスエネルギー開発の実践をふまえて、今後の望ましい技術のあり方と、それを含む代替社会の方向性を探っている。著者のすごいところは、石油会社に勤務しながら、自分の時間でNGOの活動を始めているところ。相当苦労されている。また、すごいのは、見田宗介をはじめとした社会学者が集まるCCCT研究会で本書のテーマを検討され、本書についてコメントももらっているとのこと。本書の中でも「現代社会の理論」のココアパフの話が引き合いに出されていた。(懐かしい。。。)それはいいとして、どんだけ格好いいサラリーマンなのだろう。
さて、適正技術という概念は、シューマッハーが提唱した「中間技術」により先駆的に打ち出されたといわれている。
「もし、技術のレベルというものを「その設備が生み出す雇用機会あたりの設備費」ということを基準にして考えるならば、典型的な途上国の土着の技術はいわば1ポンド技術であり、一方先進国の技術は1000ポンド技術といえる。(中略)援助を最も必要とする人々に効果的な手助けをするためには、1ポンドと1000ポンドの中間に位置する技術が必要である。われわれは、それを象徴的に100ポンド技術と呼ぼう。」
このような感覚について、「インドネシアでの排水処理技術については、現状の経済や社会状況のさまざまなバランスにおいては、およそ日本の相場の10分の1程度が受け入れ可能なコストの目安になる、というのが、私たちの経験的感覚である」と述べている。
排水処理に携わったのち、著者はバイオマスのプロジェクトに携わることになる。
「インドネシアでは、アブラヤシ廃棄物の処理が問題になっていた。特にアブラヤシの果房から実を取り出したあとの空房と呼ばれる廃棄物が、焼却処理されて煙害を起こしたり、野積み状態で放置されていたりして、処理がうまくいっていないという。…バイオマスエネルギー開発の困難は、原料の収集にある。このアブラヤシ廃棄物の場合、原料がすでに搾油工場に集められ、廃棄物もそこでまとまって発生する、ということが、エネルギー利用の観点からは決定的に有利な条件となる。廃棄物問題を改善しながら、再生可能エネルギーを得る、というのは魅力的な仕事に思えた。」
著者は、現地の普通の機械工場で製作・設置できるような設備を、創意工夫を凝らしてつくり出す手法を取り、初期の設置費用を、日本の小規模ガス化装置の相場に対して約5分の1程度まで落とすことにせいこうした。触媒の粘土も一般的な触媒価格と比べ、桁違いに安価らしい。
社会理論と科学的実践を両立させている著者に心から敬服する。
投稿元:
レビューを見る
石油会社で生成部門などの仕事をしながら、NPO法人でインドネシアでの技術提供に尽力してきた筆者がその体験から、それぞれの社会状況に応じた「あるべき技術」と、持続可能な消費社会の姿を提言する。
「途上国」と言われているインドネシアの人々の生活ぶり、特に「自分で作れるものは自分でなるべく作る」様子に触れることで、先進国の人々が失ったものを再認識させられる。ひとたびインフラが止まれば生活全般がストップしてしまう世の中と、不便(本人達はそう思ってない)な中でもある程度自分達でなんとかできてしまう国を比較し、豊かさの尺度の違いを思う。
SDGs流行りだが、単なるブームや「意識高い」だけの取り組みとは違う次元で、生活に根差した持続可能な社会の一つの理想系を示してくれている。「質素な生活でも心の豊かさ」などと月並みな考えではなく、考え方を替えることで次の世代へ向けた豊かさの形を考えようという気にさせてくれる。