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灰汁が強いので方法序説よりは☆を一つ減らしました。個人的には結構好きです。
ふんふん、え〜、そう?とか自由に思いながら読むといいかと思います。
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一言で言うと、かなり灰汁の強い本(笑)
精神的に大らかで余裕がある人でなければ、許せない発言もあるかもしれない。でも、個人的には、非常に面白くて好み。この畳み掛けるような毒舌具合が、ある意味、著者らしくて良いのではなかろうか?
まあ、訳者の資質もかなり加味されてあるのかもしれないが(笑)
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我が心の師たるニーチェの一冊。
善悪の彼岸ってなに?なにが善悪の彼岸なの?
それは
愛によってなされること。
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恥ずかしながらの初ニーチェ。善と悪というキリスト教的道徳に基づく価値基準に徹底的に反発し、民主主義的「平等」思想も「近代理念」も奴隷たることの心地よさに甘んじる畜群的な在り方だと糾弾するニーチェ、「自然」はむしろ高貴と卑俗との区別を持つものであり、まやかしの平等によってスポイルされつつあるヨーロッパ世界を“善悪の彼岸”に秩序を見出す新たな哲学によって変革していくべしと説く。牧師の息子として生まれながら信仰を捨て、ワーグナーに心酔してのち決別し、絶望と希望のはざまで既成概念と戦い続けるニーチェらしい、批判的でありながら厭世的になりきれない熱意は、その鋭さゆえに強さよりむしろ健気さを感じられる部分もある。当時においても革新的な思想だったと思うが、相変わらずキリスト教的・民主主義的平等が重んじられている現代世界に生きる人間にとっても、ニーチェの言葉の苛烈さは(共感するしないの次元を超えて)十分突き刺さる。
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目の前の絶望に蓋をし、まるでそれを見ないように遊戯し続ける状況は、現在でもある事。現在の悪い所は、目の前の絶望に蓋をし、更に唾を吐き捨て、踏みにじっている事だろうと思う。目の前の絶望に対して、逃げずにしっかり地に脚付けて見つめる事、こうした事が出来ないままでは、現状も、これからも変化はあり得ないし、それよりかは、悪い病気に、どんどん罹患して行くのだろう。
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ニーチェは語る。道徳は思考停止であり、平等は群畜化である。自己のみを畏敬し、力への意志によって進み、新しい、絶対的な価値を見出すものの到来が待たれる、と。
そしてそれは今日到来しなかった。しなかったまま、個、主体、そういったものが解体してしまったのだ。それは、誰も、ニーチェの語る高みへと上ることができなかったからだ。
ニーチェは、その意味では最後の希望であった。或る一人の人間が往くことのできる最も遠いところを彼は示したのだ。
我々はこの本を読み、ニーチェの批判するところのものを知り、ニーチェの望むところを知り、そのどちらでもない地平にある我々を知らなければならない。
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ニーチェさんかっこいい。キリスト教関係の著者や著作に価値のあるものなんてタダの一冊もあるわけ無いけど、ニーチェさんは別。
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生きているということは実はとんでもないことだったんだと思った。と言っても罪の意識なんかはまるで感じないのだが…
道徳には二種類あって、高貴な者の道徳と、奴隷の道徳。
高貴な者は強く、比類なき能力があり、自ら是とするものを「よい」こととなす。彼そのものが価値の創造者である。
奴隷は高貴な者に奉仕するために存在し、命令され、過酷で悲惨な生活を強いられる。彼らは、強いものを恐怖する。彼らにとって恐怖させるものが「悪」である。その反対である彼ら自ら弱いものが「善」となる。
ニーチェさんの時代、種々の要因から高貴な者の道徳が廃れ、奴隷的な人間が増大したため、危機感を抱いてこの書物を書いたそうである。
時代は下って、現在ではさらに奴隷だらけになっているような気がする。もちろん、わたしも奴隷なんだが、やっぱりそれじゃ嫌だ。高貴な者は生まれながらにしてしかこの世に現れないのだから仕方ないとして、奴隷が奴隷を自覚しながら、生の耐え難さや隷属に抵抗して生きることはできないものなのか?そんなことを考えた。
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「利他的なことは善いことだ」的な道徳とかキリスト教は、他人の成功に対する嫉妬と、その他人が自分にその成功を分け与えてくれないということに対する不満、つまり弱者によるルサンチマンにすぎない。そのような道徳は、平等主義、民主主義、功利主義などの、人間を凡庸化し畜群化するものでしかない。人間がより高い存在へと進むためには、孤独に逃れ、己が評価者となって、利己的になることによって新たな価値を創造しましょうみたいな感じ
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とにかくニーチェの女嫌いと女のこき下ろしがスゴい(笑)
こんな本が今出版されたら、問題ありでしょう。
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なんで持ってるのか、なんで読んだのか、自分でもよく分からんけどとにかく読んだ。
内容はまるで理解できてません。
時代背景、その他の思想家の思想を表面的にでも知らないとわけわからんでしょ、こういうの。まあ理解できないだろうなって分かってて力技で読み切ったんだけど。
んと、とりあえずキリスト教と民主主義とデカルトをディスってるってことでいいの? カントもディスられてんの? イギリス人もディスられてた? でワーグナーとショーペンハウアーを持ち上げてたのかな?
こう、陸続きでいろんな国があるヨーロッパのひと特有なんかなって思うよ、「フランス人は」とか「ドイツ人は」とかって語るの。
平等主義で画一的な社会になることを恐れていたというか、厭うていた、みたいな印象を受けた。
そもそもストア派ってなんだっけ、スコラ哲学ってなんだっけ、って首傾げる人間が読んでいいもんじゃねぇな。読むけどな。
言い回しとかは中二病的で面白かったよ。
抜粋。第2章自由な精神より。
優にやさしい事件でも、それを粗暴で覆って分からなくする方がよいこともある。愛や極端に寛大な行為でも、その後で棍棒を取って目撃者をさんざんに殴るに越したことがないこともある。
どんな場合だよそれ。
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自分以前の全ヨーロッパを敵に回したニーチェが来るべき新しい哲学者に向けて紡いだ雨ニモマケズ。
しかしそれすらもまた「あらゆる哲学はさらにひとつの哲学を隠している。あらゆる意見もまたひとつの隠れ場であり、あらゆる言葉もまたひとつの仮面である」
次は『道徳の系譜学』だ。
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人が信じているからと言ってそれが何になるのか?
独りよがりはよくないが、もっと広い心を持ちたいと思った。
自己正当化は何も産まないので、現実を見て行動しよう。
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初めのうちは難しいなりにも読んでいられるけど、後半に進むに連れて批判調が濃くなる。あるいは選民意識? 違うかもしれないけど、そんな風に読み取れた。