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この本は、多くの人に多かれ少なかれ似たようなことを行なっていることを気付かされる。かつてはミツのような純真な心を持っていた乙女もいるのだろうけれど、その多くは生きていくうちに太々しい女性に変わっていくのだから、ミツと結婚していたとしても果たして幸せになっていたとは限らない。
ただ、純真な女性をボロ切れのように棄てるような生き方をしても幸せにはなれない
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ミッちゃんの素直も、吉岡のあざとさも、どちらも心を抉ってきた。
私にとってこの物語は、ずっと独りぽっちだったミッちゃんが、最後に愛に溢れた居場所を見つけることができたハッピーエンドの物語でした。
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ただただ、ミツの愛に生きる姿に対して理解に苦しんだ。これが隣人愛ってものなの?この物語で出てきた、「人生をたった一度でも横切るものは、そこに消すことのできぬ痕跡を残す。」というメッセージはずっしりきた。重い。
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■美しい魂が宿す悲しい運命が切ない。■
疑うことを知らず、馬鹿がつくほど正直でお人好し、母性の塊のような女ミツ。彼女は誰かの不幸せが自分のことのように悲しく、自分を犠牲にしてまで助けてしまう。彼女はその美徳ゆえの悲しい性を背負って生きていくしかないのか。
一方の吉岡は、勉強して大学に入り、背伸びしてちょっと世間を知ったつもりの男子学生。若者にありがちな見栄、傲慢さ、無責任さ、そして抑えがたい性欲を持つ。根っからの悪人というわけではない。
誰しも(もちろん僕にも)思い出すのも恥ずかしくなるようなほろ苦い経験や深い悔恨がある。若気の至りってやつだ。
吉岡はミツの性格を利用し、遊んだ後はボロ雑巾のように捨ててしまう。
その後、それぞれの運命がたどる軌跡が対照的でやるせない。
人と人の人生が交差するとき、残した痕跡は消えることがないという。
確かに、人が僕の中に残していった痕跡は、僕の人生に確実に影響を与えている。
では、僕が人の中に残した痕跡は、その人の人生をどう狂わせたのだろうか。
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困っている人を見ると助けずにはいられないミツと、自分の幸福のためなら他人を利用することを厭わない吉岡の視点が双方向から描かれていて面白かった。
ぼくは完全に吉岡側の人間だけど、ミツのような人に憧れを抱くこともある。ミツは修道女や患者にとって忘れられることがないと思う。
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友達が読んでた本をその直後にたまたま見つけたので買った。少し読んで、そのあとしばらく読んでなかったけど、一度読み始めたら、思ったより面白くて一気に読んでしまった。
遠藤周作って難しい話を書く人だと思ってたから、この本も主人公についてだったり考えがツラツラと続いていく感じかな、と思ってたら、物語も転がるし、色んな人が絡まってくるし、どんどん読み進められた。
どこかで交錯した人の痕跡はどこかに残っている、そうなんだろうなあ。それにしてもミツは切ない。
昔の本を気まぐれに読んでみるのもいいな。
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職場の先輩が読んだというので、手に取ってみた作品。
「人間は他人の人生に痕跡を残さずに交わることはできない」は刺さる言葉。
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少し前にテレビで紹介されていて、興味を持ったので読んだ本。
切なくて辛くて、でもほっこりするような話だった。
いい本だなと思った。
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とても読みやすい。
私は男だが、作品の吉岡と少なくとも同じ経験をした事があるのでは。
遠藤周作はやはり面白い。
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遠藤といえば、『沈黙』というかもしれない。
それに異論はないが、
個人的には『女の一生・キクの場合』と本著が遠藤の隠れた名著ではないかと思っている。
『私が棄てた女』
この本を手にしたのは大学時代だった。
もう所在も連絡先もわからないが、法学科に友人がいた。
彼女の感性は、独特だった。
そんな友人からある時、本をおすすめされる。
それがこの『私が棄てた女』。
最初は、ページを捲れど、鬱蒼とした大学生活に
共感が続く。何をして過ごせばよいのやら、やたらに長い夏休みへのうんざり感を本著に重ねて、非常に低いテンションでありながらも心持ち良く読み進めていた。
そこで登場する圧倒的主人公「森田ミツ」。
湿り気と臭気溢れる展開に、最初の心持ちはすっかり憂いとミツに支配されてゆく。
聖母「ミツ」とサイコ「吉岡」。
聖性というのは、その神聖さをもって人に魔法をかけるかのように心を満たし潤す性質を持っている。
その一方で、自分の状態と一致しなければ、
聖性というのは一気に「鬱陶しく野暮ったい」
ものに成り下がる。
ミツにはその両方が描かれていた。
三つ編みの鈍臭いミツに、「母性に近い優しさ」を感じつつも、そこまで尽くす必要はないじゃないかと「邪険に突き飛ばしたくなる」瞬間が読者側に充てられる。
実際、読者と同じ思いでいた吉岡も
ミツを石ころ同然、無碍に扱う。
ミツのような子は、現実存在するし、多くの読者の過去に心当たりがあるのではないだろうか。
前半では、このように鈍臭く、その聖性を汚い人間たちに利用されまくりのミツだが、
後半はミツ挽回のターンに入る。
見下していた存在が「聖なる存在」に変わる瞬間である。
これは、パウロとイエス(キリスト教)の関係性にも重ねることができる。
吉岡はどことなくパウロっぽくもある。
最近はミツを馬鹿にし、ミツの人生そのものまでめちゃくちゃにしておきながら、あとでその存在いから「救われる」のだから。
吉岡も、『キクの場合』の伊藤もなかなかの畜生で、特に伊藤に関しては救いようがない。
しかし、これはどちらも「人間の本質」を描いているとしか思えない。
この薄汚い連中どもめと、やや上から読んでしまうのは危険で、こうした連中にこそ、「私」が描かれていると自戒する必要があるだろう。
イエスも悟っていたように、人は「裏切る」し、「自分が一番可愛い」。
でも、イエスはそれを責めなかった。そうした人間の全てを愛し、罪を負った。
その全てを一身に背負って、赦したことに「贖罪」の本質があると思っている。
こうしてみると、ミツは聖母でもありイエスでもある。
読了して残り続けたもの。
それは「ミツ」という人間だった。
ミツの最後はある意味「贖罪」でもあるかもしれない。
そう思うと、より一層「ミツを探したい」という衝動に駆られるのである。
吉岡のように。
この本をこれからも手に取って、「ミツ」
の存在を人生に取り込んでゆきたいと思う。
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僕らの人生をたった一度でも横切るものは、そこに消すことのできぬ痕跡を残す。
神はそうした痕跡を通して僕らに話しかける。
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主人公吉岡の生き方を批判はしないし、かといってミツのような女性が素晴らしいのかどうかもわからないけれど、ただただひとりの男を愛し
平等に人間を愛し、孤独と戦いながら死んでいったミツは哀しい女性だなぁ、という印象。
現代では「重い女」と排除されてしまいそうな一途さだけれど、他に拠り所のない人生において何かにすがりたい想いはわからなくもない。
せつない。
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昔読んだのでね
なんだろうね、遠藤周作って表現が秀逸とかそこまでじゃないんだけど読みやすくてリズムがよくて読んだあと不思議な気持ちになるんよね
戻ってくるのはいつもここなんかね
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2023/03/09/Thu.(図書館で借りる)
2023/03/12/Sun.〜04/08/Sat.(貸出延長手続きして読了)
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ネタバレ知っちゃってから読んだけどそれでも最後は泣く。世の中にはいろんな人がいるしいろんな人生がある。そしてそのいろんなことを選び取ることができる。選び取ることができるものが狭くならないためにも、エゴを捨てて、いろんなものを見て感じていきたいと思った。わたしの人生讃歌をいつも遠藤周作はしてくれる。好き!
私たちの信じている神は、だれよりも幼児のようになることを命じられました。単純に、素直に幸福や悦ぶこと、単純に、素直に悲しみに泣くこと、そして単純に、素直に愛の行為ができる人、それを幼児のごときと言うのでしょう。