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いやあ久し振りです。片岡さんの日本語と英語に関する本は洞察に満ちている。私もカードしています。電子カードになっちゃってるけど、また、紙に戻しますかね。英語を拾い易いように。
それは内省の時
応援も大きかった
電話ではちょっと
というのが大きいですね
などなど楽しむ読物です。
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著者が持っているインデックス・カードから抜き出された日/英のさまざまなフレーズ。なんか英語になりづらいと思っていた言葉が、おさまりのいい英語になって紹介されている。(そもそも英語から、日本語をあてた文章も多い)
ちょっとした学習書よりも勉強になった。このレベルで英語と日本語の間を行き来できる片岡義男にも感心した。
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片岡義男が日系2世の父を持つということをこの本で始めて知った。日本で育ったが、子どもの頃から日系1世の祖父と身近に接し、バイリンガルのような生活だったのだろう。普通の日本人が習得するような形で英語、日本語を習得していないぶん、それぞれに特殊な語学感覚を持っている。それがこの本が生まれた背景にある。
日本語には主語がない文章が多いが、そこには動詞(行動を表すことば)がなく、ある状態を表している、そしてそれは責任を曖昧にする事にもなると筆者は言う。なるほどと思った。以前読んだ「選択の科学」の中に「選択」という行為はアメリカ人にとってたとえば朝起きてからのすべての行動ーーたとえば、歯を磨く、食事をする等でさえーーが選択だというのだ。これは主語を必要とする文章を言語としているアメリカ人にとっては当然と言えるのだろう。
言語が人を構成していくのか、そういう文化の中で生活しているから英語のような言語が出来上がったのか、どちらが先かはわからないが日本語と英語とは全く違う文化背景を持った言語だ。従って、翻訳、通訳といってもことばを置き換えればそれで良いのかというとそうはいかないということは歴然。最後の章で筆者は「源氏物語」等の古典の英語訳と原文との差異を紹介している。英語で読むとさらりとわかる内容は原文では日本人である我々さえ理解することが難しい。ことばを置き換えるばかりでなく、そこに書かれた「気持ち」「雰囲気」をも表現することの難しさを感じた。
この本はことばを職業とする片岡義男だからこそ出来上がったものだろう。
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なんともストレートな題名だが、ごくありふれた様々な表現を通して両者の違いを興味深く提示している。かつてドライな文体とクールなタイトルを持った魅力的な作品で楽しませてくれた著者ならではの身近な日米比較文化論でもある。
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片岡義男さんの最新本「日本語と英語」を読む。面白し。Iもyouもない日本語。母語を二つ、あるいは一つの母語をもてなかった作家ならではの深い考察。以前読み散らかしていた氏の大作「日本語の外へ」をよみなおそう。
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いつのまにこんな堅苦しいことを書く小説家になったのか。オートバイ小説を中心に書き散らしていた80年代が懐かしい。そう言えば、高校の頃、Aに進められて読み始めたんだよな。若かったな自分も作者も。だけど、そう考えると単なる流行作家ではなかったということか。うまく枯れたということか。本書に書かれているようなこだわりが最初の頃からあったのだろう。まえがき参照。
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日本語の得意技が、話者のひとりひとりが持つ状況の具体性に密着したものの言いかたであり、英語の得意技が動詞表現と名詞表現を巧みに使え分けながら言っていることの抽象度をたかめることである。なんとなく納得。
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言語というのは、思考の表れ。
日本語には主語がない文章が多い、誰かが何かをするのではなく、そういう状況であるということを述べる文章が多い、という指摘が面白い。「私」と「あなた」が明確であるか、自分が他者に働きかける、もしくは働きかけられているのは他ならぬ私である、という当事者意識があるかないか、そこが日本語と英語では決定的に違うという。
そういう思考様式の違いの自覚なしに、英語を習得しようとしても難しいのかもしれない。少なくとも、グローバル教育では、そこの自覚が必要なんだろうと思う。
あるいは、そういう言葉をしゃべるうちに、そういう思考形式を身につけるということもあるんだろうか。
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著者がこれまで読んだもの、見た映画などから、英語らしさを感じさせるフレーズをめぐるエッセイ。
英語の論理では、動詞が中心となるということ。また、Iとyouがなくてはならないこと。
この辺りは、今までの私の読書経験からも、納得できる。
正直、この本を読まなくてもそう思うかもしれない。
ただ、この人の感じる、それ以外の英語らしさ、文法に由来するものらしいけれど、それが掴み切れなかった気がする。
忙しい時に読んだのがいけなかったのか…。
それから、こういう英語を主題とする本には、横書きをしてほしい。
NHK新書でも、横書きの本はある。
英文の所へ来るたびに、とても読みにくい思いをする。
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何か英語を使う時の根本的なピント合わせに繋がるようなヒントを期待していたのだが、残念ながらその手のヒントはあまり得られなかった。 ただ、日本語は状態を描き、英語は行動を描くというイメージは、今後時間と共にその感覚が掴めれば大きな助けになりそうな気がする。
本書を本で何より感じたのが、ひとつの確固たるマザータングを持たないことの哀愁。 言語は世界の捉え方を代表するものであり、バイリンガルであることは異なる認識世界をより自由に行き来することを可能にしてくれる。 それはそれで素敵なことだ。 ただ、おそらく世界中の多くの人が無意識に享受している「共有の喜び」の中には、マザータングに基づくあるひとつの認識世界を深く深く、それ以外の認識世界がまるで不自然に思えるほど深く身に染み込ませることでしか生まれないものもある気がするのだ。 言語に限った話じゃない。 マルチカルチャーの環境で育つことで失ってしまうものは、たぶん間違いなくある。 でも、それと引き換えに得られたものに目を向けて生きてゆくしかないんだよなぁ。
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この言葉、訳すにはどうしたらいいだろう?どう言えば伝わるだろう? このニュアンスは伝わるだろうか? の軌跡。違う言語の違う感じがどういうところにあるのか色々と手元のメモを読み解く形で書かれてある。断片化しているので読みやすい。様々なニュアンスの違いがあり英語の勉強をこれから始める人に発想の点てそもそも違いがあることがよくわかるかもしれない。
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英語を学習する人に参考になる本。日本語ユーザーによる英語解説。覚えておくと役に立つフレーズが沢山ある。
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片岡義男さんが、ほとんど英語ネイティブだったとは知らなかった。(ハワイ出身の日系二世の父と日本人の母)
本書は、片岡さんが気になった長年インデックスカードに書き留めてきた、英語表現、日本語表現を紹介したもの。英語は主語、動詞がきっちりしているのに対し、日本語はそこが曖昧で、状況を表現することを優先しているようだ、などの視点は面白い。ただ、本当にカードに記載されている表現の断片的な紹介だけで、本としてまとまった内容ではないのが残念ではある。
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片岡義男は常に真面目に考察を続ける。この本でも、「日本語と英語」の相違と共通点が極めて大真面目に論じられる。故にユーモアがないところが気になるのだが、しかし視点はユニークでこうしたシリアスさの中に遊び心を読むのがまっとうな読み方かもしれない。私なりに「いやそれは違うんじゃないか」と思うところはあるにせよ、マニアックに堕ちすぎない着眼点の鋭さとそこから理知的にマクロな相違を引き出そうとする力は侮れない。私もまた自分なりに「日本語と英語」の相違並びに共通点を考えて、自分なりのインデックスカードを作ろうかと思う