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農業経済学者神門善久氏の2012年9月発行の新刊。
日本農業の本来の強みは、技能集約型農業にあるが、農地利用の乱れという「川上問題」、消費者の舌の愚鈍化という「川下問題」そして放射能汚染問題の三つが原因となって、農業者が耕作技能の習熟に専念できず、肝心の耕作技能は消失の危機にある、というのが本書の骨格となる主張。
学校の先生に例えながら、よい農家になるためには、長年の独自の勉強・師事・経験が必要であること、農地総体のメッセージを聞き、分析を行いながら、臨機応変に対応しながら農業生産を行っている熟練農家の存在の重要性を説く。斉藤修氏の論考に依拠しながら、「技能集約型農業」「マニュアル依存型農業」という区分を農業に適用しており、スーパーのパック寿司と板前寿司の例えを用いて、双方が補完的な役割をも果たすことに触れながらも、技能集約型農業が瀕死の危機にあることを憂えている。
「たぶん、消費者は、自分の舌で農産物の良しあしを見分けられなくなったのだろう。だから、能書きや顔写真で、自分自身を納得させようとしているのだろう。」という消費者批判には、共感と危機意識とを覚えた。
農業論議における三つの罠として、識者の罠、ノスタルジーの罠、経済学の罠を挙げているのもわかりやすかった。
「農業=成長産業論」への批判、農業版「消えた年金問題」と、既刊「さよならニッポン農業」と重複する内容があったり、また第6章など本論と若干外れる制度批判、農協の弱体化を説く章もみられ、また、結局のところ技能伝承のための方策についての論考が甘いとも感じたが。
「さよならニッポン農業」と異なり、全国の農業者と交流をもつ筆者の姿や、マスコミ・識者批判、終章のおわりにあるように「人間社会の愚かさを、自分自身の嗚咽を搾り出すようにして書いた次第だ。」と感情的な表現も多い。
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日本の農業のこれからの姿、とは?
食料自給率の維持向上のためには国内農業の振興が不可欠。しかし、今の日本農業はプロ農家が消滅しつつあり、美味しい作物を地味を守りながら作り続けるというやり方が風前のともしびに。
逆に増加しているのはマニュアル農業で土地に負担をかけ、食味の悪い、えぐみの残る野菜しかできない。
農地規制が実質しり抜けになっていること、農家をがっちり組織し指導してきたJAの力が急激に弱くなっていることなど日本の農業の今を浮き彫りにします。
「もう日本の農業を振興するのは不可能かもしれない」、と。
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日本農業の崩壊の一因に「味覚の劣化」をあげている点には非常な違和感を覚えるが、基本的には著者の悲憤慷慨と対策案については賛成。
「昔の野菜は美味しかった」とか「現代人は味覚が劣化している」とかは嘘だと思う。以前の日本で美味しい野菜を食べたり味覚を追求できるような食事をしていた人はほんの一握りだし、品種改良や冷蔵配送技術の向上で平均的な水準はあがり美味しい野菜と食事を楽しめてる人の絶対数は増えていると思う。ひと昔前の群馬や長野の食事なんて塩分過剰で現代人には食べられたものでは無いという話もあるし。ずいぶん上の水準か季節限定の旬の時期の農村の話じゃないかね。
あと技能向上が農業の肝だと言われても、実際問題として対策が難しい気がする。
農家の実質所得は都市住人と比べて高いという現実認識とWTOルールに則った補助金政策の転換、情報公開を活かした農地保全の転用規制が両輪な気がします。
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農業が身近ではない都会の人にとって、今の農業の現状が都会の人にとって、また農家の人にとってそれぞれ如何なるものであるかを丁寧に説明している。更にその上で政治家やメディアによる偏見問題やJAの役割不足などの問題を洗い出している。
中でも一般人による現状の農業への考え方が、WWⅡにおける満州への対応と非常に似ているという論は面白かった。
個人的には読めば読むほど農業での可能性が考えられるため、日本農業への正しい絶望法と銘を打っておきながら、どんどん希望がわくという不思議な本。
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「野良」を見つめ続けた筆者による、農政の現場に立つ人ならではの細かい観察、展望が書かれている。
筆者の今後どうあるべきかの意見には賛同できないものの、日本の農業が今後どのようにダメになっていくか読んでいて納得する。TPP後の真の競争相手はアメリカ、オーストラリアではなく東南アジアにある。
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技術と伝統にの間にある「技能」
過去・現在・未来において試行錯誤し、われわれの好奇心をかき立ててきたものそのものが「技能」
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絶望することで、希望が生まれると哲学者が言った。そうだ、正しい絶望こそ、希望となるのだ。
ただ、この本を読んで、絶望と言っているのは、単なるボヤキでしかない。
ファーマーコンプレックスの自虐型学者先生のぼやき。そして、たわごとのオンパレード。
これだけぼやけるのも、清々しい。
神門善久先生は言う「いまの日本の農業は、よい農産物をつくるという魂を失い,宣伝と演出で誤摩化すハリポて農業になりつつある」
ふーむ。どうも、そこから、出発しているので,神門善久先生はその視点からしか見れないようだ。
視野狭窄という世界観の中でボヤいてみせる。
「よい農産物をつくるという魂を失った」ということと、「宣伝や演出」をする農業がなぜハリポテ?次元の違うレベルのことをくっつけ、ばっさりやって、どこに今の農業の進むべきを指し示すのだろう。
神門善久先生は「名人は宣伝や演出はしないものだ」という。
あほかないな。その単純な名人論。あきれてモノが言えない。今は情報化時代。何を古臭いことを。
名人にたいする神門善久先生の憧憬みたいなものでいろどられている。
農業の牧歌的なノスタルジアでしかないところがある。名人が物語として登場するがそれが現実の農業をどう打開するのかということは、神門善久先生もよくわからないのである。
実際農業を経験せず,農業政策を研究すると言うジレンマの中で神門善久先生は いわゆる「ファーマーコンプレックス」に陥っているにすぎない。
そして,神門善久先生は、マニュアル農業もしくはチェックリスト農業といって、批判して 農業技能が低下していると断じる。農業技能をどう培うかは よくわからないので,「耕作技能の回復は不可能ではないか」耕作技能の「崩壊のメカニズムを記しておくことだ」と言ってボヤく。
あれあれ、あんたはレポーターかい。
「日本の農業は,耕作技能を失い,マニュアルに依存するばかりのへたくそ農業に席巻されつつある」というのが、この本のいいたいことだったらしい。マニュアルで農業ができたら,ハッピイだ。
それにしても農業に意見を言う『識者』に反吐を吐きながら、自分がその『識者』にはいっていないのが実に奇妙でもある。神門善久先生の自覚症状がないのは困ったもんだ。
消費者の舌が衰え、味覚が鈍感になっていることに対しては鍛えるしかないという精神論でのりきろうとする。それも、けったないな話である。
堆肥作りについて語ろうとするが堆肥が、窒素過剰であると指摘しているが『堆肥の場合は窒素分が固定されていて窒素分の供給を目的としていない』といっているが、窒素分を固定するという意味が分かんない。おい。おい。何を言いたいのだ。
『堆肥もどき』とレッテルを貼るが、それは具体的にどんなことなのだ。堆肥は C/N比というのがあるのだが,そのことも述べられていない。窒素過剰は有機栽培だから慣行法だからではなく
キチンと土壌分析をして対応すれば問題がないことだが。あくまでも科学的根拠がいる。
「尿素系の肥料は化学肥料に分類されているが、内容物は有機物だ」と言っているがめちゃめちゃ���白い。有機物ってなんだかわかっているのだろうか。
どちらにしても学者先生の上から目線で自分の経験を最大限の論証とし、主観的に日本の農業に絶望する様はあわれなファーマーコンプレックスの成れの果てと言えそうだ。
勝手に、絶望=ぼやいていろ。ファーマーコンプレックスの自虐型学者先生のぼやき。
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企業参入が進み、有機栽培がもてはやされ、農業は成長産業と言われているが、実際には技能をもった農業者が減り、マニュアル通りにしか作れない素人農業者が増えているため、日本の農業は衰退しているという話。農業も製造業と同様分業化・機械化が進んでいること、および消費者の舌が鈍化していることがその原因とのこと。内容には極めて同意。品質で勝負できなくなると、日本産の作物は、労働力の安いアジア地域産とどう差別化するのか。日本の売りは、農業・工業ともに技能だ。それは日本人の誇りだ。それが失われつつある。日本が生きていく術について本気で考えていかなくてはいけない。
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今まで有機栽培に対しての懐疑や、生産者の顔写真についての疑問はあったが、基本的に企業の農業参入や農作物の増産については肯定的に見ていた。
しかし、この本を読んで効率化による増産や企業の参入ではどうにもならない日本農業の問題が理解できたと思う。
それは日本中どこへ言っても変わらない、無秩序な風景と繋がっている。
自分たちの住む地域をどうしたいのか?地域の土地をどう利用するか?という将来を見据えた計画を立てることを、していない事が農地の問題でより深刻に浮き彫りにされている気がする。
私有財産としての土地と地域社会という公共の財産としての土地の概念のすり合わせを、将来を見据えてしていくことが、農業に限らずこれからの日本にとって必要なことだと考えます。
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読み取れたこと
日本の農業の問題点は継承者不足や食料自給率など、しばし提起される”見かけ上の”問題にあるのではない。農地転用や技能の未継承などに表れているように、農業をやる環境がどこにもないことが問題だ。
感想
実例と数字がすくないのでちょっと薄い。
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本書では、農業技術を「技能」と「技術」に分けて論じている。
「技能」と「技術」の違いを一口で言えば、「マニュアル化できるか」ということらしい。
譬えるならば、「専門店で板前が握る寿司」と「スーパーで売っているパート労働者が作るパック寿司」の違いということである。
また本書の中では、「名人」と呼ばれるような農家が持つ技術を「技能」と呼び、過去のデータからの分析や、農学等の科学的な手法、演出や宣伝といった小手先のマーケティングを「技術」と呼び、区別している。
本書で「どちらか一方が正しくて他方が間違っているなぞという極論をしようとしているのではない」とあるとおり、本来であれば農業には「技能」と「技術」の両方が必要なのであるが、率直な感想で言うと、本書の論調は「技能」に偏りすぎている感じがした。
「技能」は確かに「マニュアル化できない」ものなのであるが、「技能」と「技術」の切り分けができていないために、マニュアル化できる技術、マニュアル化すべき技術まで、マニュアル化できない「技能」であると分類してしまっているところにも問題があるのではないか。
「技能」と「技術」の問題は、農業だけではなく、製造業など他の業界でも同様の問題が起きている。
製造業ではまさに、技術伝承の放置が問題となっている。
製造業の現場の全てがオートメーション化されているというのは誤りで、実際には、特に設計・開発の工程や、鉄鋼やゴムなど素材産業の製造現場では、技術者の暗黙知に頼りきりになっている場合が多い。
本書でいう「技能集約型農業」が必要なのは分かるが、「専門店で板前が握る寿司」が滅多に食べられないのと同じように、「技能集約型農業」により作った作物を、一般家庭で毎日食べるのは現実的ではない気がする。
それよりも、「技能」のうちマニュアル化できるものはマニュアル化して、「スーパーで売っているパック寿司」を作る「パート労働者」の「技能」を高めて、「マニュアル依存型農業」の品質を高めていくことのほうが現実的な気がする。
批判する気持ちは分からなくはないが、批判の先に何があるのか。
絶望したとして、絶望の先に何があるのか。
何もなくてもよいが、少なくとも本書は「正しい」絶望法ではないのではないだろうか。
近年の農業について、「「大東亜共栄圏」だの「神国日本」だの「神風」だの、虚偽の繁栄論がマスコミと「識者」によって流布された」というのは、確かにあったのかもしれない。
過度な期待は持つべきではないが、過度に絶望する必要もない。
ほどほどに期待して、ほどほどに絶望するのが、日本農業に対する「正しい」態度なのではないだろうか。
TPPなど外部環境の変化もあり、農業に注目が集まる今だからこそ、過度な期待も絶望せずに、ありのままの中立的な視点で農業を見るために、読んでおくべき一冊。
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農業に対する著者の熱い思いがほとばしり出ている好著だ.刺激的な語句が多い.名ばかり有機栽培、慣行栽培などなど.マニュアル依存型農業の流行に歯止めをかけ、技能集約型農業を目指すことが、日本の農業の生きる道だが、そうなってきていないことを嘆きながら、様々な提案をしている強かさに感動した.実際例を各所に織り込んでいることも良い.
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日本農業の問題の本質は、農業者の耕作技能の衰退にあると主張し、その原因として、農地利用の無秩序化という「川上問題」と消費者の舌の愚鈍化という「川下問題」を指摘している。また、マスコミや「識者」は耕作技能の消失という問題の本質を直視せず、現実逃避的に日本農業を美化するばかりで、耕作技能の低下を助長していると批判している。「有機栽培」や顔写真を表示して売るといった農家の宣伝や演出、植物工場、企業の農業進出、6次産業化などにも批判的な目を向けている。そして、日本の農業の生き残る道は技能主役型農業だとしている。
本書は、全体的に、客観的なデータの裏付けに乏しく、著者の主観的な感想をだらだらと述べているだけという印象で、説得力をあまり感じなかった。耕作技能の低下、消費者の舌の愚鈍化と言われても、「ほんまかいな」という感じである。戦前は労働の「商品化」が農業に及んでいなかったので耕作技能が高かったというような話も書いてあったが、戦前の農産物の品質なんてどうやってわかるのかという疑問があり、非常に怪しい。様々な農政改革への批判も印象論にすぎないようなことが多いと感じた。
著者の主張について検討すると、耕作技能が、農業にとって大切な要素であることは確かだと思うが、それだけでは日本の農業が産業として存続するのに不十分であると思う。どれだけ美味しい農産物でも、それを消費者に知らせる努力をしなければ、誰にも知られないまま終わっていくだけだろう。その点で、著者が批判する農家の宣伝や演出などの営業努力は、今後の日本農業にとって必要なものだと思う。
一方で、農地利用の無秩序化は確かに大きな問題だと感じた。「担い手育成事業」と銘打った公共事業が逆に農地の転用を促すことにつながるというエピソードは心胆を寒からしめるものがあった。行政がもっと農地の適正利用に向けて本気になる必要があると感じた。
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すごく説得力のある文章と構成。実家で農家をやっている身からすれば最近のメディアが流す農業の姿と現実とのギャップは明らかだしそういった現実をも直視したうえで本当に良くしていくには(本書ではもう手遅れかもしれないとあるが)どうすればよいのか生産者、我々消費者、報道を行うもの、政治家、官僚といったあらゆるステークホルダーの立場に立って必要な行動をも示しているのが本書。ただ農業という点だけでなく日本の民主主義のとらえ方の問題など考える要素は多かった。
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南側の山がどんどん削られて平地に、新しい分譲か?と思ったら何と農地、ウルグアイラウンド対策事業だ。今は、外部の者立ち入り禁止の耕作放棄に近い状態。