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ダダイスト。
太宰は自分のこと嫌いで、嫌いで、結局そんな自分が好きだけど、
安吾はその逆というか、
「堕落は呑んでも呑まれるな」と思いつつ、結局呑まれてしまう感じがする。
そんなダメっぷりが、ちょっとおちゃめ。
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――「死ぬ時は、こうして、二人一緒だよ。怖れるな。そして、俺から離れるな。火も爆弾も忘れて、おい俺達二人の一生の道はな、いつもこの道なのだよ。この道をただまっすぐ見つめて、俺の肩にすがりついてくるがいい。分ったね」女はごくんと頷いた。
力強い台詞。
人々は、生きようとする姿勢の中に美を見つけるのか、戦後の虚脱に影響を与えた。
何時の時代も読む者の心を惹きつける名文である。
同年、エッセイ「堕落論」を発表してる。
【収録作品】
・いずこへ
・白痴
・母の上京
・外套と青空
・私は海を抱いていたい
・戦争と一人の女
・青鬼の褌を洗う女
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『いずこへ』『白痴』『母の上京』
『外套と青空』『私は海を抱きしめていたい』
『戦争と一人の女』『青鬼の褌を洗う女』
の7編を収めた短編集。
時代背景は第二次世界大戦中か直後。
一貫したテーマは「デカダンス」。
表題作『白痴』から引用。
「死ぬ時は、こうして、二人一緒だよ。怖れるな。
そして、俺から離れるな。火も爆弾も忘れて、
おい俺達二人の一生の道はな、いつもこの道なのだよ。
この道をただまっすぐ見つめて、俺の肩にすがりついてくるがいい。
分ったね。」
女はごくんと頷いた。
この瞬間、主人公である伊沢は感動のために狂いそうになる。
なぜなら、白痴の女、それは人間というよりも畜生か肉塊に過ぎず、伊沢の言葉に頷くときまで女はただの一度も何の意志も表さず、ただ女の体だけが目覚めていたから。
その感動の描写が短文ながらも美しくこころに訴えるものがあったので、このような感動を味わえただけで『白痴』を読んだ甲斐があった。
しかし、後半部分で私は肩透かしを食らったような気もした。
それは、私は
「伊沢が白痴の女に愛情のようなものを傾き始めるのではないか」
と思ったのだが、空襲から二人助かり林の中で女と休んでいるとき、伊沢は女に微塵の愛情も感じておらず、置き去りにしたいとすら考えているからだ。
つまり、この男は結局のところ、徹底してデカダンな思考の持ち主なので、私には彼の行動にシンパシーを感じることはできなかった。
それでも、作品中の爆撃機による空襲の描写はすばらしく、当時の戦争の雰囲気が容易にイメージできる上に「破壊の美」すら感じる。
ところで、安吾の描くデカダンな女はまるで貞操観念がない。
しかし、それがふしだらを意味するのではなく、寧ろ清潔な印象を受けた。
ただ、そういった女性に抵抗感がある、そういった女性を男性が描くことに不快感を覚える人は、安吾の作品を読んでも面白味を感じることはできないかも知れない。
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書き出しがキャッチ―な話が多い。
途中忘れたころに最初のつぶやきを思い出させる所に戻ってくる。
「青鬼の褌を洗う女」と「戦争と一人の女」が好きかも。
どちらも女性が主人公。
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作品を読めば読むほど、凄まじく惹きこまれた。久々の感覚。
表題作。メインテーマではない筈の、戦争の描写が肌に迫るようだった。これぞ筆力…!有無を言わさぬ力がある。
どうしようもなく巨大な「死」がまさに目の前にある感覚に触れ、手に汗を握りつつ読んだ。
「白痴」だけでなく、この本におさめられた作品には大抵共通していたことだと思うが、避けられないものを前にただ何も出来ない恐ろしさ。ちっぽけな存在でしかない自己と反対にどんどん膨張する自意識。そしてひとつのもの(白痴の女)に対する感情の移り変わり。
この一見するところの矛盾の羅列は「自然」なのだと感じた。ともに空襲からのがれる時に白痴の女に対して抱いた感動と相反する、助かったのちの空虚。
文学に表されるものも含めて、実は一貫性とは自然なものではないのではないだろうか。
……んーいまいち考えがまとまらんなあ。保留。
しかし「母の上京」には笑ってしまった。こんなオチかよ…!
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白痴面白いよ〜と友人に勧められドフトエスキーの方を読み始めた。面白いって言われたのにどうしても3行で眠くなり、しばらくたって坂口安吾と判明。あっと言う間に読み終えました。
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*ブログ感想あり*
http://blog.livedoor.jp/marine0312/archives/51776528.html
ロマンチスト坂口安吾、すきだ。
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この本は短編集であり、全ての作品に貞操観念の薄い女性が出てくる。全体的に退廃した雰囲気の中の物語で、戦時中である記述も多い。堕落論の主張を小説化したものと云う様な事を聞いていて読んだのだが、それ程関連性が見つけられなかった。この短編集の全体的な主題と云うものは、男女の関係は肉体的なものでしかないのかと云うことであるように思う。作中で貞操観念に乏しい女性が多数登場するが、その人物に対して明確な非難や賞賛と云ったものは見受けられないし、その善悪に対してはあくまで読者の判断に任せると云った感じである。はっきり云ってよく分からない作品で、『堕落論』に感動した自分にとって、物足りない作品だった。
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角川文庫の『白痴・二流の人』は面白かったけど、こっち(新潮文庫)は正直期待外れだった。
男と貞操観念の薄い女との関係を描いた作品がいくつも収録されてて、流石に読んでるうちに飽きがきた。
ゼミの顧問の先生が新潮文庫の安吾を薦めなかったのがよく理解できた。
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太宰治がお好きならばもしや読んでおられるかもしれせんが…安吾の小説は、恋愛ものでさえも冷たくて暗く理屈っぽくて、私が初読の高校生の時はよさが分からなかったのですが、二十歳過ぎて少し現実の塩辛さを知ってからは、こんなに沁み渡る小説はない!と貪り読みました。
安吾文学に出て来る、だらしなくもからっとした女の人が理想です。
(しかし文章が巧い作家だ…)
オススメ:『外套と青空』『青鬼の褌を洗う女』
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坂口安吾の短編集。
『青鬼の褌を洗う女』は面白く読めたけど、それ以外の作品は居心地悪い感じがしました。
読者の目の前には作者によって規定された型枠しか差し出されないような作品。
フィクションにはもっと柔軟・多様な可能性を秘めていてほしいと思う私には、合わない作風でした。
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そして私は、私自身の本当の喜びは何だろうかということに就て、ふと、思いつくようになった。私の本当の喜びは、あるときは鳥となって空をとび、あるときは魚となって沼の水底をくぐり、あるときは獣となって野を走ることではないだろうか。
私の本当の喜びは恋をすることではない。肉欲にふけることではない。ただ、恋につかれ、恋にうみ、肉欲につかれて、肉欲をいむことが常に必要なだけだ。
私は、肉欲自体が私の喜びではないことに気付いたことを、喜ぶべきか、悲しむべきか、信ずべきか、疑うべきか、迷った。
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男女の云々は苦手だけれども、何故かさらりと読めた。文章も古いですが読み難さはない。色気たっぷり、な雰囲気かな。ただちょっと出てくる女性が似た様な人物像なので、収録の仕方が悪いのかな。筆者の本はこれが初めてですが、他にも色々読んでみたいと思います。
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更に読み込む為に再読。なので再読後に感想は譲ります。
2/9 再読、了!感想。
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坂口安吾。1度読み続けて再読。少々時間のかかった再読だったけど、安吾の描く女性の姿は「生(性)」に対する潔さすら感じ、好感もって読み終えました。本は女を痴呆・白痴・淫売として扱うが死を意識せざる得ない局面で、迷いなく「生きる」ことを選ぶ振る舞いにより露わになった女の「命」と真摯に向き合う本態ともいうべき自然を前に、物事を観念的とらえることが「生きる」為にどれだけ意味のあることなんだろうか?と僕はパラダイムシフトに陥らざるをえなかったが、うち1篇「白痴」における男と白痴の女の姿に集約され、この本を象徴する作品であり本のタイトルを「白痴」とするのも納得。個人的に作品の中で「青鬼の褌を洗う女」に終わる後ろ3篇が好みだったりするんだけど、これは小説というフィクションに女を語り手とし男を語るというフィクションを作り上げた安吾の遊びへの共感からだろうと思ったりする。
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まぁ、他人にバカというなら、ここまでバカと言ったほうがよいのかもしれない。物語に緩急はないが、相変わらずの観察眼は健在。なにかとなにかの紙一重さを切に感じる。