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この本はずっと前から読もう読もうと思って、そのままズルズルと来てしまった本でした。今回の震災を受けて、できることなら被災した現地の方にぜひ読んでいただきたいものです。
この本は前々から読もう読もうとは思っていたんですけれど、それがかなうことのないままに、今の今までズルズルと来てしまったので、今回この機会がすごくよかったものとして一気に読んでしまいました。あらすじの中にある
「いまこそ、人生は苦しみと絶望の連続だと、あきらめることからはじめよう」
や
「傷みや苦痛を敵視して闘うのはよそう。ブッダも親鸞も、究極のマイナス思考から出発したのだ」
という言葉に僕は胸を打たれましてね。特に今、このご時世だからこそ、心に響くものがあると考えます。
僕は元来ひねくれ者で、
「そうだよなぁ、がんばれがんばれっていわれたって、何をどこまでガンバりゃいいのかね?」ということをずっと思いながらページをめくっていると「たゆまぬユーモアは頑健な体をしのぐ」と銘打たれた箇所が出てきましてね。その途中でナチス・ドイツがアウシュヴィッツでやった事が出てくるんですけれど、その中で生き延びたユダヤ人は毎日何かひとつ面白い話を作って、それをお互いに披露しあう。過酷な状況でよくそんなことを考えつくなぁ、と最初は驚いたのですが、
「ユーモアというのは単に暇つぶしのことではなく、本当に人間が人間性を失いかけるような局面の中では人間の魂をささえていくく大事なものだ」
という箇所がダイレクトに心に響いてきました。
前に
「アリサカくん。日頃マッチョイズムを振りかざしている人って、いざって言うときには案外脆いもんなんだよ。」
という言葉を聴いたことがあって、そんなことを考えておりました。いま、テレビを見ていると、しきりにガンバレガンバレといっておりますが、そういう言葉に疲れ果てた人間こそがこういう本を読んで、明日という日を迎えてくれたら…。そんなことを切に願っています。
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プラス思考で前向きに生きることを説く。しかし、人間はなかなかそうもいかない。ブッダも親鸞もマイナス思考から出発した。「歎異抄」の心を説く。
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なぜか小説だと思って借りてきました。
エッセイ集だったのですね~ 知らなかった…
この頃五木氏は親鸞などを出版されているので浄土真宗や仏教に明るい方なのかなあとは思っておりました。でも自分の解釈はちょっと違うかなあと思ったり。
もう少し若いころに読んでおけば違う感想だったかなと思いました。
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ひどく苦悩しているときに読んだ本。
正直、五木寛之さんの著書は独特で苦手意識があった。
この本を深夜に読み始め、明け方に読み終えたが、涙でいっぱいだった。
厳しいけれど自分を肯定できた一冊。
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プラス思考ではなく、「なにも期待しない」というマイナス思考に浸ることで、逆にポジティブな方向に導くという考え方。
哲学や宗教の入門書?的な感じにも読める。
人間は生まれてきて、生きつづけてきて、生きている存在。
そこにまず人間の一番大きな価値がある。
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一昔前に相当売れた本らしいとは知って購入はしていたけど。
なぜかずっと読めずにいたのをようやく読みました。
ポジティブシンキングとかネガティブな言葉を発してはいけないとか。
絶対こうしなきゃいけないみたいな考え方が蔓延する中で。
人生、山あり谷ありなんだから、その場その場の感情を大切にしなさい。
どうしようもなく悲しい時に笑えなんて言わなくていいと。
生きているだけで幸せなんだから、自分の人生をちゃんと歩むべき。
生きることに正面から向き合うために良い本だと思う。
五木さんの優しい語り口と押しつけがましくない言葉選びが好きです。
この本はいろいろな人生の岐路に立つたびに開く本になりそうですね。
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プラス思考でもマイナス思考でもいいじゃないか、良いことも悪いことも人間には大切なことなんだ と言いたい本なんでしょうか。
そういう考え方は嫌いじゃないんですが、しかしなんだかうまいこと言いくるめられているような気持ちになりますし、似たことはたくさんの方が散々仰っていると思います。
あくまでも、過去の本だなと思いました。現在必要な新しい考え方ではない、もう手垢のついた思考回路説明書と言いましょうか。
未来に対する考え方が後ろ向きすぎじゃありませんか。
「つらいとき読んでみろ!」より「いまどきの爺さんはこういうこと考えてるんだ。知っとけ!」と言って勧めたい本です。
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五木さんの本は何冊か読んできたけど、この本は結構冗長に感じた。というより、同じ話を繰り返している感じがして、途中で寝かせていた。
この本、へこんでいる時に読むと確かに温かく包んでもらえている気はするんだけど、あまりにも慈愛に満ち満ちすぎていて、「このままじゃだめだっ」って結局自分が自分を奮い立たせる、、という流れになる。
優しさと甘さの境界線が分かんなくなった本でした。
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プラス思考を推し進める書き方や物言いに共感することが出来ない私。読んだ当時が学生だったから、余計だろう。
でも大河の一滴はそうじゃない。いいことも悪いことも降り注ぐよと。言い切るのではなくやさしく語りかけてくる感。
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生きることとは何か。死ぬこととは何か。五木さんが独自の視点でそのような問いに答えていく作品。
戦後の満州での体験など生きるか死ぬかの世界で生きてきた五木さんの体験を通し語られるそのような話は、一つ一つが生きていて、心に響く。
どんな人も生きていて息詰まって、死にたくなるときがあるはず。そんな時に読むのがオススメ。きっと心が洗われ再び頑張ることができるだろう。
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いしいひさいち「ほんの本棚」に取り上げられていたので、図書館で借りてきて読んだ。
五木寛之は学生のころ、何冊か読んだだけでしたが、自分もトシ取ってきて、体調不良になったり、いろいろと感じることがあったりしているときだったので、1つ1つの文章がとても心に滲みました。
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同じ内容を反復している箇所が多く、話が行きつ戻りつとなっており、読みにくかった。(もう少し編集は何とかならないものか)筆者が仏教に造詣が深いのは分かるが、親鸞の例を急に出されても、一般人にはよくわからない気が。
常にポジティブ思考でいることを否定し、ネガティブ思考となりうることを肯定することは理解できるが、自分自身がネガティブに陥る状況と、社会のネガティブな面を混同して書かれているような気がした。
経済不況や資本主義・物質主義一辺倒の現在を見て嘆く気持ちはわかるが、戦時中は生きているという感覚があったという一点で、過去を美化するのは筋が通らないのでは。そもそも現代がそうゆう時代になるようにしてきたのは、まさに筆者の世代なのでは。
物質的に豊かになると、人間は心を病むと言いたいのか?結局のところ、現代社会はこんなひどい状況だから、ネガティブになってもいいんだよ、という意外のメッセージが伝わってこず、未来への具体的な提言もないなかで、絶望の中にこそ希望があるというような一言だけで片付けられても・・・。全体として、読んでいて気が滅入ったし、言いたいことがよくわからなかったのは私だけだろうか・・・。
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人生は大河の一滴のようであると説く著者の考えに、生きていることの儚さを感じてしまう。所々考え方の違う箇所もあるが、全体として納得できる一冊でした。
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何十年も前に読んだ。
そのときの私にとっては、難しすぎてあまり理解できなった。
今、読めば、少しはわかるのかな~~。
どうも、こういうのは苦手。
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2013年9冊目。
「からからにひび割れ、乾ききった大地だからこそ降りそそぐ一滴の雨水が甘露と感じられるのだ。暗黒のなかだからこそ、一点の遠い灯に心がふるえるのである。(p21)」
悲しみ・マイナス思考・死など、物事の負の局面に光を当てた作品だと思う。
負の局面の中でも、ただ嘆くだけではなく、人間にはできることがある。
そんなメッセージが、多くの引用された物語や著者自身の体験の中から伺える。
「 清らかに澄んでいないことをひとり嘆き、怒っているばかりでは生きていくことはできない。幸いにも水が済んだら自分の大切なものを洗えばよい。(中略)そして水が黄色く濁ったとしても、なにも茫然と立ちすくんで怒り悲しむ必要もないではないか。(中略)たとえ濁った水といえども、その自分の汚れた足を洗うには十分というものだ。(p.63)」
「美しい人間、美しい魂からしか、美しい音楽は生まれない、と信じたいのですけれども、音楽というもの、歌というもの、そのなかにはひょっとしたら不思議な悪魔がひそんでいて、必ずしもそうではないのかもしれない。汚れた手から美しい音楽が紡ぎだされることもある。(p.142)」
「 一般的に喜びは人間の生命力を高めるけれど、悲しみは逆に低下させると考えられがちですが、じつはそうではない。本当に深く悲しむということは、感動することですから、喜ぶのと同じように人間の生命力を活性化し、免疫力を高める。(p.279)」
「 足もとに目を落としたとき、そこにくっきりした濃い黒い影がのびていれば、自分が背後から強い光に照らされているということに気がつくでしょう、上を見ることだけが光を探す手段ではないのです。同じように、胸を張って遠くを見ることだけが希望を見つけることではない。悲しいときやつらいときには、うなだれて肩を落とす。深いため息をつく。そうすることによって、自分を照らす希望の光の存在を影が教えてくれるということもまた、ありうるのではないでしょうか。(p.284)」