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「山路を登りながら、こう考えた」と始まる非人情の旅物語。
非人情とは世間的な人情を放棄して住みにくいこの世を離れた気分になること。人間の感情で溢れかえる住みにくい都会を離れ、非人情を求めて田舎への旅に出た画工。
当時の西洋化の流れで登場した「芸術」という観念で括られるようになった様々な表現活動。絵画と詩の対比がよく登場する。はじめは手応えがなくとも休むことなく続けるものだという詩作りと葛湯作りの比較がいい。
「菓子箱の上に銭が散らばり、呼べど待たれど人は来ず」
田舎で垣間見られる20世紀らしからぬ非人情の世界。
おばあちゃんが店番したままうたた寝していた近所の駄菓子屋さんのようなシーン。
旅先で出会った不思議な女性、那美さん。画工が彼女を見る目は俗人情そのものともいえるのだが、私を描いてほしいと言われ、非人情の立場から絵に描こうとする。しかし彼女には「憐」が足りない。
「汽車の見える所を現実社会という」
「汽車ほど20世紀の文明を代表するものはあるまい」
この小説のラストシーンはその汽車の行き交うステーション。
そこで昔の夫と視線を交わす那美さんに表れた「憐」を見た画工が小さく叫ぶ。「それだ、それだ、それが出れば画になりますよ」
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難しくて理解できなかった本は久しぶりである。
非人情の旅を目指し放浪する画工の話。
旅先で出会うミステリアスな女性那美さん。彼女がこの物語のトリックスターであるのは間違いないが、あまりにミステリアスすぎる。
ラストの爽やかさは名状しがたい、二三度読むか、あるいはもう少し成長してから読むべき作品だったかもしれない。
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実家から出られず母親の古い古い本をあさり読んで。
*
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりも猶住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、くつろげて、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世をのどかにし、人の心を豊かにするが故に尊い。
*
以上が文庫1ページ目の、草枕です。
漱石すごいよね面白いよねと言いつつ、何が面白く何が楽しいかを説明するのは至極難しい。
『硝子戸の中』などは随筆だけに滋味あって読みやすく、幼少期のエピソードなどもあって読み物としても、自然に笑みの浮かぶようなものだった。
『虞美人草』は結末が唐突に思えてさほど好きではないが、お話としてまとまって疾走感のある物語だった。
教科書的に解釈やら何やらをせられた思い出もあるけれど、『こころ』も事件性があり、時代背景が書き込まれてあり、読み応えがある。
が、しかし暗い。
暗さでいえば『門』や『道草』の閉塞感こそ。
みたいな話を母親としていたけど、wikipedia先生に尋ねたらもっと全然作品数あるのですもの。
読もうかなー、と思うのは、暗かろうが何だろうがあまりにも読みやすい文章のためな気がする。
結局は読みやすくて、暗くても構わないが不快になるものは嫌いというだけの趣味傾向でしょうが。
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洋画家を自称しながら本文中では一枚も絵を描かない主人公が、山あいの鄙びた町の温泉宿に泊まる。
温泉宿と行ってもそこは温泉街ではなく、町に一軒、裕福な主人の隠居所のような家で客が来たら泊めるというようなところ。
日露戦争中のことで他に客もなく、主人公は、宿の娘で傾いた嫁ぎ先から出戻ったという那美と話すようになる。
那美は、嫁ぎ先が「傾いた」というだけの理由で出戻ったことや、種々の奇行から村のひとの一部には「きの字」と言われている。
けれど、(絵も描かないで)非人情を語る主人公とのあいだに物語的な展開は起こらない。
ある日に那美の傾いた嫁ぎ先の夫が那美を訪ねて来、那美が夫に金銭を渡して呆気なく別れるのを主人公が目にする。
金を包んだ包み渡し、受け取る仕草に画題としての美しさを見る一方、那美が自分の絵を描くよう頼むと主人公は那美の顔は描けないといって断る。
那美のいとこが日露戦争に行くのを見送りに来た駅で、ひとり満州に出稼ぎに向かう夫の姿を見つけた那美の表情を見て、
その「憐れ」が出た表情をもって主人公の胸中で那美の画が成就する。
*
詩人/画家の立場としての「非人情」と、画題としての(構図の美しさ、西洋と異なる日本の空気を描く色の必要なども語りつつ)「憐れ」と呼ぶ人情味について語った漱石の芸術論。
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いつにもまして美文。
いつにもまして何も起こらない。
そんな小説。
非人情な読み方を求めているのかしら。
春のうららかな陽の下で読みたい。
漱石の物の見方が地の文にありありと表れていて興味深かった。
読後感を一言で表すと、
「ああ、とても美しかった。」
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漱石の中でも割に好きな方。
汚れた世を避けるが稀に俗っぽさを見せる画工と、妙な脱俗感を醸し出す那美さんの感じが面白い。
水死の美しさに関する描写が印象的だった。
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最初は随筆かと思った。
世故の話が紛れ込んでこない限り、美を追求し酔いしれていられるので、現実逃避にぴったり。
文学と言うより美学という感じ。
ところどころに入る、主人公の都会に対する辟易とした雑感が、現代にそのままあてはまり、驚いた。…これだから漱石は。
睡眠薬代わりに読んだので、再読したい。
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他の作品と同様、リズミカルな日本語が読んでいてとても小気味好い。凄すぎますね、一つ一つの言葉選び。正に文豪。
自分という人間を、芸術家という存在を、こうも深遠に描くことができるのは本当に圧倒されるし引き込まれる。分かりたい、と思いながら読むことができる。
私の未熟な読む力ゆえ分量の割に時間がかかったが、時間をかけるべき作品だった。それは間違いなくそう思う。
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…よく分からん!夏目漱石の本気を見た気分。とりあえず、古本屋のご主人にこれが熊本、河内らへんの話と聞いてビックリ。
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こいつはいい。最後の言葉がいい。無責任な写真家のような。グレン・グールドはどこが好きだったのだろうか?主人公の様な生活できたらいいな。
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草枕は眺めるように読む小説である。
主人公は日常の生活圏から逃げ、自己に沈静しながら、現れてくる世界をただ眺めようとする。それは「おのれの感じから一歩退く」ためである。漱石自身が苦しみに対処するためにそれが必要だった。
草枕は漱石が「自分の屍骸を、自分で解剖して、その病状を天下に発表」した小説である。余と那美さんは二人とも漱石の分身だ。漱石は自分の屍骸を美しい言葉で綴る。それが彼が苦しみから逃れるための方法だった。
読者はそれを眺める。しかし、漱石の言葉が美しすぎるがために、読者は自分が読んでいるものが彼の死骸だとは思わないのである。
漱石の病跡には諸説あるようだが、この小説に現れた病状は分裂病的だと思った。探偵に付け狙われ、屁をひったと言われ続けるという描写は、まるで精神医学の教科書に載っても遜色がない。
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「世間には拙を守るという人がある。この人が来世に生まれ変わるときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい。」
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【本の内容】
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ、情に棹させば流される。
―美しい春の情景が美しい那美さんをめぐって展開され、非人情の世界より帰るのを忘れさせる。
「唯一種の感じ美しい感じが読者の頭に残ればよい」という意図で書かれた漱石のロマンティシズムの極致を示す名篇。
明治39年作。
[ 目次 ]
[ POP ]
『国家の品格』いわく文学・哲学・歴史・芸術・科学といった、何の役にも立たないような教養をたっぷりと身につけていることが真のエリートの条件の一つという。
ならば、役に立たない教養を身につけているだけではなく、役に立つことはしない百けんは超エリートではないだろうか。
その師にあたるのが、漢文に詳しく英国留学の経験がある明治のインテリで、日本を代表する文豪・夏目漱石。
『草枕』は、その文章芸を堪能できる1冊だ。
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ
。とかくに人の世は住みにくい。
という冒頭が有名だが、遠くに見える山桜、雲雀の声、雨の糸など、自然描写が印象に残る。
日常会話では役に立たないけれども、美しい言葉がたくさん出てきて、読んでいるだけで楽しい。
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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有名な書き出しは聞いたことがあるものの、それ以上の知識は全く無いまま、若い時に読み損なった本。
父の本棚にあったので、眠れない夜に読了。
はっきり言って何を漱石が訴えたいのかよくわからなかったが、妙にファンタジックで色っぽい印象を受けた。
あらすじを読む本ではなく、漱石の頭の中の連想を疑似体験するような本なのだろうか。
巷では傑作という評価だが私にはよくわからない。
作中に登場する旅館や女性にモデルがいるというのを読み終えてから知ったが、そう思うとかえってファンタジーが薄れるような気もする。
諸星大二郎あたりが自分なりに気ままに漫画にすると面白いかもしれない。「余」が稗田礼二郎、女性が「闇の鶯」のヒロインのようなイメージがある。
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大変有名な冒頭で始まる作品。
「非人情」を掲げて主人公が田舎へ旅をする物語である。
確かにそのテーマ通りに物語が進んでいく様に思われるが、正直私には意味が理解出来ないところが多すぎ、読むのには少し早かったかなと思った。笑
ただ、所々私の普段考えていることを、的確に表している。また夥しい程の比喩には流石夏目漱石。
一つ、nice表現!と思ったものを上げる。
「元来何しに世の中に、顔を晒しているか、解しかねる奴がいる。(多少、違っているかも笑)」普段からその様に思う事があったのだが、今後はこの様に表現しようと思った。笑
もう少し年をとってから、読み直そうと思った作品です。
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「草枕」が、能や詩と関連しているという指摘(正月の新聞:金子兜太×ドナルドキーン対談)で、難解のため読みさし途中だったのを再開。冒頭の有名な人生訓に比べ、全部を読んでいる方は多くないと思う。芸術とは何か、小説とは何か、人生とは何かを、こういうふうに描いた文章は後にも先にも初めての気がする。
漱石39歳、その5ヶ月前に「坊ちゃん」発表。