資本主義の正体とは?論理簡潔文章平易、経済オンチにもおすすめ
2004/01/27 16:16
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:鳥居くろーん - この投稿者のレビュー一覧を見る
今の日本は豊かだ。借金苦で自殺する人はあっても、飢え死にする人は少ない。
今の日本は豊かだ。普通に生活していて、我慢ならないような不便を感じることはめったにない。
それでも現状は深刻だと人は言う。どう深刻なのか? 何が一番深刻なのか? 毎日のように頭をもたげる些細な不安に立ち往生する前に、資本主義というものが一体どういうものなのかを考えることは、決して解決への遠回りにはならないと思うのだが、どうだろうか。
著者は、「欲望」をキーワードに、資本主義の誕生から産業革命、帝国主義化、さらには大衆社会やバブルといった資本主義の歴史を照らしていき、その根底に潜む思想、あるいは宿命といったものをあぶりだしていく。
資本主義は欲望なしには成り立たない。かつて経済的後進地域であったヨーロッパが世界の覇権を握ったのも、大量の移民が流れ込み混沌の巣でしかなかったアメリカが世界経済を牛耳ったのも、ボロをまとった敗戦後の日本が経済大国の名を勝ち得たのも、すべては欲しいモノを手に入れたいという欲望から始まったのだ。憧れや虚栄心を刺激する広告は欲望を無限に膨らませ、それにともなって資本も無限に膨らんでいく……。
しかし、欲望は無限ではなかったようだ。今、こうして日本は経済発展の袋小路にいる。進歩主義の旗の下、たくさんのものを踏み潰して突き進んできた日本人。大切にしていたものをどこかに置き忘れてきてしまったと今さらのように気づき、オロオロし始めた人が増えている。
欲望というフロンティアがほとんど埋め尽くされかけている今、それでもなお挑戦を続けるか、それとも古くても大切なものを守り続けるか。そのことがフロンティアに追いつけなくなった人々に問われているように思う。
欲望が肯定的に語られる時、人々はそれを夢と呼ぶ。
投稿元:
レビューを見る
とても面白かった。出版されてからもう10近くになりますが、今までの経済の歴史を振り返って、今はどんな状況なのか、筆者の意見が出ています。本当は経済に分類したいのですが、内容的には思想だと思ったので思想に分類しました。
「外に向かう資本主義」「内に向かう資本主義」「ナルシズムの資本主義」の展開はかなり興奮です。
投稿元:
レビューを見る
資本主義は「欲望」によって成り立っている。人間の欲望はとどまるところを知らず、資本主義は欲望のフロンティアを拡張し続けていくというのが本書の内容。非常におもしろい。買ってよかったと思える一冊。
投稿元:
レビューを見る
資本主義とは何だろうか?ここでは、もう一度資本主義を定義し直す。資本主義とは、人々の欲望を拡張し、それに対して物的な形を絶えず与えてゆく運動である、と。フロンティアの拡張運動としての欲望の分析。非常に面白く、マクロな視点が養われる。
投稿元:
レビューを見る
主に資本主義の歴史についてかいてあります。
「資本主義はその成功のために没落する」ってゆう言葉を聞いて思い当たりました。
それで日本こんな不自然なんですね。
あと、投機マネーのせいで石油が高いとかなんとかゆうてますが、
資本主義の恩恵にあやかっている限りそんなことを言う資格はありません。
投稿元:
レビューを見る
(2007.11.02読了)(2007.10.22購入)
副題「終りなき拡張の論理」
人違いで読んでしまいました。今村仁司さんのつもりだったのです。
レビューを書こうとするまで気がつきませんでした。
でも、結構刺激的な本でした。政治・経済方面の本はあまり読まないので、聞きなれない用語があれこれ出てきて、大変でしたが、ものの見方が僕好みのところがあり、楽しく読めました。
●本書の主題(8頁)
今日のこの高度に情報化し、グローバル化した社会で、「資本主義」という概念をどのように理解すればよイの蚊、そしてそれは文明論敵、歴史的に見ればどのような意味を持つのか、それが本書の主題なのである。
●競争とは(56頁)
経済学者は、競争的市場は優れているというのだが、奇妙なことに、「競争」とは何か、ということについては、ほとんどちゃんとした議論をしていないのである。
●市場は一種のゲーム(58頁)
アメリカの考え方からすると、市場は一種のゲームのようなものである。それは、個々人が一定のルールのもとで競争し、自分の能力を発揮し、運を試し、最大限に人生を成功させる可能性を持ったゲームなのである。だからこのゲームは、個人主義を前提にするし、こうした個人の活動の機会の平等をゲームのルールにする。
●マルクスの資本主義(62頁)
マルクスが描いた資本主義とは、端的に言えば、資本家が貨幣を資本として投下し、余剰価値を実現し、再び資本として投下するというプロセスに他ならない。
株式市場の整備と大衆化によって、企業の名目上の所有者である株主と、その実際上の運営に当たる経営者とは、まったく分離してくる。資本家は単なる株主、しかもその多くは労働者も含んだ大衆投資家に過ぎなくなる。(64頁)
二十世紀の資本主義のもう一つの大きな特徴は、消費という概念あるいは消費者というものを無視することができなくなってしまった。(65頁)
●「市場経済」と「資本主義」(72頁)
「市場経済」とは、概して市場のメカニズムに従ってモノやサーヴィスが交換される世界である。だからそこではある程度の競争が作用して価格メカニズムが働く。
「資本主義」とは、とりあえず、企業が、絶えず、新たな利潤を求めて、蓄積した資本を積極的に投資し、しかもそのことが経済社会全体の物質的な富の拡大に決定的な重要性をもっているような活動だと理解しておこう。
●資本主義(80頁)
資本主義とは、無限に拡大を続けるほかない運動なのである。
「過剰」は労働者の過剰、つまり失業という形で現れる。過剰をなくすには、貯蓄を減らすこと、貯蓄を減らすことは消費を増やすことである。
資本主義とは、人間の欲望を開拓し、過剰なモノの形を与えてゆく運動である。
●欲望とは(87頁)
いつでも手に入るものには人は別に「欲望」を感じない。手に入れがたいから「欲望」を感じるのであり、そこに「価値」が発生する。
●資本主義の始まりは海賊(100頁)
ゾンバルトによると、ジェノヴァの貿易を代表するマオナ社はよくできた「海賊団体」であったし、16,17世紀の大商人も、たとえばオランダ西インド会社のように、強奪、略奪から利益を得ていた。
●商業はイスラム圏が先行していた(101頁)
われわれは大規模な商業活動はヨーロッパから始まり、商業の先進地帯ヨーロッパが産業革命を起こしたと考えがちである。
しかし、これは事実に反する。少なくとも中世から近世の初めにかけて、経済の先進性はイスラム圏やインドから東南アジア、中国沿岸にあったのである。
15世紀の後半から、ヨーロッパの商人はイスラム商人を中心とした交易圏に参入をはかった。ヨーロッパの商人たちは、イスラム商人や中国商人たちから利権を奪うために、時として海賊まがいの略奪をすることにもなったし、大遠征のリスクを負わなければならなかった。
●アメリカ人の幸福(152頁)
19世紀の前半にアメリカを視察にやってきたフランスの思想家トクヴィルは、「物質的幸福を追求することが国民すべての気風になっている」ことに襲撃を受けている。
●大衆社会(159頁)
モノによってしか、自分をアイデンティファイできないのが現代の大衆なのである。自動車、ファッション、住宅といったものに託して自分を他人の眼差しにさらし、そのことによって自分を認定してもらう、このようにしてしかセルフ・アイデンティティを確認できないのが大衆社会なのだ。
(現代日本の状況は、「豊かさの精神病理」大平健著、岩波新書、を読むとよく分かります。)
●資本主義はどこへ(190頁)
19世紀の半ば頃、まだイギリスで功利主義と呼ばれる哲学が効力を持っていた頃なら、経済の発展は人間の幸福の総量を増加させるから、と答えることができたかもしれない。しかし、現代人はもうこうした説明では満足できない。人間の幸福が物質的なものの増大によって高まるなどと、現代人はもう簡単に考えるわけにはいかない。
●バブル経済(198頁)
資金を借り入れて短期的に運用して利益を上げるという経済
「金儲けができる機会があるのにそれを見逃すのは愚か者である」フリードマン(204頁)
●資本主義はどこへ(207頁)
資本主義の運動が社会を覆えば覆うほど、社会は伝統破壊的であり、習慣や落ち着いた生活を打ち壊されてゆく。
著者 佐伯 啓思(さえき けいし)
1949年 奈良県生まれ
東京大学大学院経済学研究科博士課程修了
京都大学人間・環境学研究科教授
専攻は社会経済学、経済思想史
1985年、『隠された思考』(筑摩書房、サントリー学芸賞)、
1993年、『「アメリカニズム」の終焉』(TBSブリタニカ、東畑記念賞)、
1996年、『現代日本のリベラリズム』(講談社、読売論壇賞)
(2007年11月5日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
資本主義の駆動力は何なのか。ゆたかさの果て、新たなフロンティアはどこに求められるのか。差異・距離が生み出す人間の「欲望」の観点から、エンドレスな拡張運動の文明論的、歴史的な意味を探る。
投稿元:
レビューを見る
資本主義を「欲望」という観点から捉えて説明している。
社会主義と資本主義の違いというと、「競争があるかないか」の違いだと漠然と考えていた。
だけどそこに「消費者」が入っているかという違いでもある。
社会主義は、国が生産量・価格を決めるもので、そこに消費者の「欲望」は入ってないんだよね…
これに対して資本主義は、消費者の「欲望」がなければ成り立たない。
フォード生産方式と、トヨタのカンバン方式の違い(効率を重視か消費者重視か)、そこからトヨタがマーケティング部門に力を入れるようになったのだとか。
あと「欲望」というと、「無限」のものってイメージがあるけど、この本では逆に「過剰」ってとらえているのも印象的だった!
生き残るための最低限の欲望と、その他不必要(?)な欲望に分けて。
いかにして、「過剰」な欲望を引き出すか。
興味深かった…!!
社会主義・マーケティングについてももっと知りたくなりました
投稿元:
レビューを見る
資本主義シリーズで佐伯つながり
三浦雅士と食い違っていた部分を本書にて確認
資本主義的傾向が本来的に人類史にあったんだろうなという疑問は、分かった。
さて次はどうなる?
投稿元:
レビューを見る
「資本主義はニヒリズムか」の中で紹介されていた本作品を読んでみた。今日のこの高度に情報化し、グローバル化した社会で「資本主義」という概念をどのように理解すればよいのか、そして文明論的に、歴史的にみればどのような意味をもつのかを問う作品である。
第1章が、社会主義はなぜ崩壊したのかということで、「効率的」は自明的なことかを問いながらも、社会主義が欠けていたものを論証している。
第2章は、80年代と日本の成功について、理念なきテクノロジズム、歪んだ資本主義?としながらも、消費資本主義を誕生させたということで総括している。
第3章は資本主義という拡張運動ということで、ブローデルの三層理論、バタイユの発想、ジンメルの欲望論などを参照しながら、その時代時代の資本主義の変遷を語っている。
第4章は、「外」へ向かう資本主義ということで、ゾンバルトの説、産業革命とは何だったのかとして、それ以前のアジア・イスラムの商業活動に言及している。
第5章は「内」へ向かう資本主義として、20世紀アメリカが生み出した資本主義について分析を行った。
第6章はナルシズムの資本主義として、欲望のフロンティアのゆきづまり、浮遊する好奇心、情報資本主義における消費者といういままでになかったタイプの資本主義の到来について語っている。
第7章は、消費資本主義の病理で締めくくっている。ゆたかさの果てに、つまり、「成功するがゆえに没落する」資本主義について、シュンペーター、マルクス、ケインズらの予言を紹介している。
最後に、著者は以下のように締めくくった。
モノはほんらい、技術だけではなく文化の産物でもある。経済活動自体が、ほんらいは広い意味で文化という土壌と不可分なのである。今世紀の産業主義は、それを技術の次元に還元し、文化から切り離そうとした。いま限界にきているのはそうした今世紀の産業主義である。だが、その限界地点で、ようやく、欲望を産業技術のフロンティアの奴隷にすることから解放されようとしているのではないだろうか。欲望を文化的なイマジネーションの世界へ取り戻すことができるようになってきたのではないだろうか。わたしはといえば、やはりこの可能性にかけてみたいのである。
投稿元:
レビューを見る
資本主義の本質を「欲望の拡張」と位置付けた本書。書かれたのが90年代前半だけあって、メディアの役割については「トレンディ」的なものを重視しすぎている感はあるが、70年代までの資本主義については上手く総括しているのではないかと思う。佐伯啓思の新書はどれも非常に読みごたえがあるので、お勧めです。
投稿元:
レビューを見る
1993年発行でそれから17年経つけれども色褪せないのは、欲望を軸においた資本主義論だから。ウォーラースタイン的な世界史観から行くと、水野和夫氏の著書と並べて読むと面白そうだ。
オーソドックスな経済学が構築してきたデカルト的な資本主義の見方から、欲望という人間らしさを軸とした有機的な見方へと、うまく読書を連れて行ってくれる。
また、外への拡張から内への拡張という欲望の話も面白かった。19世紀の帝国主義から20世紀のアメリカ型消費者主導社会へという動き。本書では触れられなかったがその後のアメリカ文化輸出型、ブレトンウッズ体制崩壊後の金融資本主義、という内から外への動きも興味深い。
それが崩壊した今、次なる動きは内向きか?今の流行りで行くと「正義」の消費か?
投稿元:
レビューを見る
[ 内容 ]
資本主義の駆動力は何なのか。
ゆたかさの果て、新たなフロンティアはどに求められるのか。
差異・距離が生み出す人間の「欲望」の観点から、エンドレスな拡張運動の文明論的、歴史的な意味を探る。
[ 目次 ]
●資本主義という拡張運動
過剰の処理としての資本主義
「欲望」についての考察
●「外」へ向かう資本主義
産業革命とは何だったのか
●「内」へ向かう資本主義
20世紀アメリカが生みだした資本主義
●ナルシシズムの資本主義
モノの意味の変容
欲望のフロンティアのゆきづまり
●消費資本主義の病理
「ネオフィリア」の資本主義
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
投稿元:
レビューを見る
資本主義というものが、人間の無限の欲望を前提として形成されて来た歴史について解説した本。著者は資本主義を「人々の欲望を拡張し、それに対して物的なかたちをたえずあたえていく運動」と定義する。
また、著者は資本主義経済においては「過剰」に注目すべきであると説く。以前私は経済学を「有限の資源をいかに効率よく分配するかを考える学問」として「稀少性」に着目すべきだと理解していたが、これまでの人間社会の生産力からして供給過剰になりがちなため(生産物にもよるが)、この説はある意味で正しいだろう。
ミクロ経済学では個人は「効用」の最大化を目指すことを学んだが、本書では今までその効用がどのように形成されて来たのかが無視されがちであったことが指摘されている。その答えとしては、大航海時代以来の貴族の嗜好品や奢侈品への欲望(モノ自体や個人の枠にとどまらない、シンボルの消費)によるものが大きかったことが挙げられる。香辛料、金銀、茶などといったものがその代表例。
資本主義の歴史を語る上で優れた本だと思った。
投稿元:
レビューを見る
資本主義の精神の根源をたどる。
資本主義と欲望の関係を考察。
それらを歴史を絡めて描いていたので読みやすかったが、最後の方が少しずれてる気がしたのは僕だけ???
投稿元:
レビューを見る
資本主義を「欲望」という観点から論じている。第4章「外」へ向かう資本主義における、ヨーロッパの消費革命についての記述が面白かった。また、書籍のテーマである「欲望」についても頷かされることが多い。昨今では、これに類似したテーマが扱われることが多いが、本著は20年以上も前に記されたものである。そのような点からみても一読の価値はあると思いました。