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日本が開国列強国へと進む中強烈な自制心をもって国に尽くした男の物語。私生活は幸せとは言えずも信念の人、もっと評価されてもいい人だと思う。韓国から見ると暗殺された伊藤博文と並ぶ憎むべき対象だったはず。伊藤は暗殺、小村は壮絶な病死…国に命を捧げた男達だ。安重根も韓国から見れば命を捧げた人物、が、日本には列強に比べてもまったく引けを取らない優秀な人物が多く排出した。一体この小国にどうしてこんな多くのエネルギーが隠されていたのだろう。
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日露戦争の後片付けだとおもったら どうしてどうして、面白いですね。剣を持たない戦争。
小村寿太郎は食えない感じでした。それがいい。
条約締結後の日比谷騒動、伊藤博文暗殺、日韓併合などが流れるようで興味はつきません。
日露から大平洋戦争までの知識をバチっと埋めたいです。
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〜14.4.4条約を結ぶまでが戦争だよ。坂の上の雲では終われない日露戦争の先を詳しく知れる。国の交渉の行われ方も興味深い。妥協点や譲歩、捉え方を変えるなど微妙なやり取りが面白い。
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坂の上の雲に見るような戦争の功労者を英雄視するのは容易いけれど、本当の英雄とは、自らの覚悟と知恵を武器に国の平和と未来を勝ち取った小村寿太郎のような人だと思った。
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日露戦争講話会議全権の外相、小村寿太郎を描いた作品。
彼は日本の存亡を賭して、身を削って講話会議の妥結を勝ち取った。
「 日露戦争でもあきらかなように、資源のかぎられた島国の日本では、軍事力には一定の限界がある。人口五千万の日本人の団結心は強く将兵の士気も高いが、大国と戦争するには人員が少く、物資も枯渇し、長期戦には堪えられない。 」日本の国策上、外交が重要なのは今も昔も変わらない。
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今では日露戦争は、「坂の上の雲」にもあるように、日本が勝利したということになってますが、自分が中学生の時は「負けてはいないけど、勝ってもいない」と先生から教えられていた記憶があり、それが不思議でなりませんでした。
今回その日露戦争後の講和条約(ポーツマス条約)を舞台にしたこの本を読んで、その疑問が解けました。
・日露戦争終結後の講和条約の日本側の全権大使は外務大臣小村寿太郎。ロシア側は蔵相ウィッテ。
・日露戦争における日本の味方は、日英同盟を結んでいた英国と、当時はまだ世界の警察ではなかったアメリカ。ロシアの味方は英国と対立していたフランスとドイツ。
・日露戦争に臨んだ日本は、最初から短期決戦で決着させるために、戦争が有利に展開しているうちに講和を持ちかけようと、アメリカのルーズベルト大統領にその仲介を依頼。世界への影響力を誇示したかったルーズベルトも、再三ロシアのニコライ皇帝に提案したが、ロシア側は最初それをことごとく拒否。
・しかし、203高地で有名な旅順が陥落し、その後奉天大合戦で惨敗し、バルチック艦隊が壊滅し、皇帝に対するレーニンによる共産主義勢力の革命の兆しも出ていて、ついに講和に応じることに。
・日本としては多くの犠牲者と戦費を費やしての勝利であったため、国民は賠償金や領土拡大に大きな期待を持って小村をアメリカに送り出した。しかし、日本軍にはこれ以上戦争を続けるだけの軍隊も、弾薬も、戦費もなく、日本政府としては一刻も早く講和に持ち込みたかった。
・一方のロシアは、海軍は全滅したとはいえ、陸軍はまだまだ精鋭が健在で、続々とシベリア鉄道を使って援軍を送り出している状況で、ニコライ皇帝がウィッテに伝えた講和の条件は「ロシアの一にぎりの土地も、一ルーブルの金も日本に与えてはいけない」。
・こうして始まった講和条件の話し合いは難航。日本が求めた、日本政府の韓国への政治的保護政策の実施や満州鉄道の権益にはロシアも同意したものの、日本への領土分割と戦争賠償金については全く譲歩せず。
・交渉当時のロシアは、戦争継続のための準備を進める一方、国内では革命の機運と同時に戦争反対の機運も高まったいる状態。日本は戦争継続も辞さずという世論が熱を帯びる一方、戦争を継続する戦力が殆どない状態。
・結局このチキンレースは、ロシア皇帝が「樺太の南半分は割譲してもよい」と譲渡し、決裂寸前、戦争再開寸前で講和は成立。
・この結果、賠償金を放棄した日本は「平和を尊ぶ人道国家」として世界で称賛され、この講和を斡旋したルーズベルト大統領はノーベル平和賞を受賞。
・しかし、日本国政府から、戦力がもはやない、ということを知らされていない日本国民(戦力がないことを公表すると、ロシアが一気に攻めてきて、日本軍は壊滅すると政府は予想)は、軟弱な外交交渉を行った政府に反発。全権大使小村寿太郎の自宅は焼き打ちされ、各地で暴動がおこった。また、そんな講和条約を斡旋したアメリカにも強い不信感が生まれた。
・一方、アメリカ国内においても、あの大国ロシア���打ち負かした日本に対して急激な警戒感が生まれ、これが後々、日米を戦争に導く火種となった。
というのが、ポーツマス条約が締結された背景であったようです。全権大使の小村寿太郎は、最初からこうした結論を予想し、国民から激しい非難を受けることを覚悟したが、戦争を終わらせるため、国のためにあえて臨んだということで、こうした人物が日本を救ってきたんだなと、またひとつ納得。
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淡々とした筆致のなかに、日露両国外交団のギリギリの駆け引きが重く伝わってくる。講和成立でハッピーエンドとならず、日比谷騒擾事件の顛末まで叙述されていてとても痛々しい。「坂の上の雲」に加えて読むことができて良かった。
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こんなキーマンがいたからこそ、今の日本がある
「就活のまえに」の中で中沢孝夫さんが取り上げていて、興味を持って読みました。日露戦争の講和条約締結に尽力した小村寿太郎の功績を、詳しく明らかにしている本です。
事実を淡々と描写するような文体は、最後まで読み終えることができるかどうか不安に思わせましたが、緊迫の交渉シーンは迫力があり、一気に読了することができました。いまさらながら、日本近代史を掘り返しては見識を新たにしている今日この頃ですが、学校の授業でこういう話を聞くことができなかったものでしょうか。単純に「日露戦争でも日本は勝利を収めた」なんて習っただけじゃ、話にならないです。凄いんです。
小村寿太郎がポーツマス条約を締結に持っていかなかったら、今の日本はどうなっていたのか。こんなキーマンがいたからこそ、今の日本があることを、我々はもっと知らんといかんです。英語教育も現代ほど浸透していない当時に、これだけの国際的なネゴシエーション力のある人物が日本にいたことを知って、105年経った今の自分達がどれだけ進化したのかというと、結構疑問に思えてしまいます。実は進化したのは移動手段(船から飛行機)と通信手段(電報からインターネット)だけであって、「人間力」そのものは、昔のほうが凄い人は大勢いたのかも知れないです。もちろん、金子らがそれぞれの役割を果たした「組織戦」であったことも、忘れてはならないですけどね。
いやー、頑張らないといけないです!
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日本の危機的状況を救った影のヒーローなのに、当時の国民の理解を全く得られなかった不運の主人公である。
彼の歴史的成果や苦労が手に取るように分かる良書なので、坂の上の雲とセットで読むべきだと思う。
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薄氷を踏んできた日露戦争の終幕を飾る外交戦。
その事実を隠蔽してきた付けが日比谷焼き討ち事件(東京騒擾)につながり、それを糊塗するための方策が後の15年戦争の種となってしまった。そんな感慨が残る小説である。
なお、今後、日露戦中から在米し、米国世論に対する日本への好意的目線の扶植に努力してきた金子堅太郎に注目すべきだろう。そして、彼らその役割を付与した意味も。
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日露戦争の経緯と講和交渉時点の国情の無駄なく十分な描写の後に、アメリカはポーツマスにて日本の全権大使小村寿太郎がロシアの全権ウィッテと息詰まる講和交渉を展開するストーリー。決して報われることの無い仕事と分かっていながら日本にとってほぼ最善と思われる手を尽くし、精根尽き果て条約締結後数年で小村が病気に蝕まれ果てていく様は、日露戦争の危うい勝利を頂点として破局へと転落していく戦前日本の国家と民衆のその後の暗い行く末を暗示しているよう。そうした後の事情を抜きにしても、ポーツマスでの日本とロシアとの極限の交渉についての史実に基づく詳細な描写は、外交官はもちろん厳しい国際環境の下で働くビジネスマンにとっても読んで損は無い内容であろうと感じた。
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・小村は部屋の重苦しい空気も気にならぬらしく、平然としていた。ルーズベルトの質問にも適切な言葉で答え、表情になんの感情も現れていない。随員の竹下中佐は、その折の小村の態度について、「露国一行ハ大ニ畏敬ノ念ヲ生ジタル如ク見ヘタリ」と日記に記し、ロシア側の主席随員コロストヴェッツもその日誌に、「日本側の態度は謙虚で、分別と節度があり、立派であった」と述べている
・(講和条約妥結後)コロストヴェッツの日誌には「日本側は、何も特別なことが起こったわけではないように、泰然自若としていた」と、その折の小村らの印象が記され、本会議ははじまってからも、ウイッテが興奮を抑えきれぬように紙をしきりにちぎっている前で、「日本側は誰も彼も表情一つ変えず、何を考えているのか全く分からなかった」とつづられている
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外交は当初から落としどころを決めて始める。
最近の米国やEU、その他日韓関係などの緊張具合の現在進行形を体感する限り、その様子は見えない。
この書籍当時の時代の外相は、胆が太い。
いい意味で官僚じゃないからなのと、個人が日本を背負っていたんだろうと思う。
日本を守ろうとするんじゃない。
日本を創ろうと、救おうとする気概が、ただただ、そうさせてたのかも。
「日本人は金銭よりも名誉を尊ぶ」
講和成立時、小村寿太郎の言葉は重い。
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講和条約締結に臨んでの日露それぞれの国情、駆け引きがリアルに伝わってきた。日清戦争と並べることが多いが後世への位置付けが大きく異なることも改めて認識できた。2019.8.2
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吉村作品は本当に面白い!解説にもあるが単なる小説ではなく今後の厳しい国際社会での死活を賭した交渉の実物教育の書。