男でも女でも、本場所の土俵には上がってみたいのでは。
2007/01/21 13:45
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投稿者:佐々木 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る
女性初の横綱審議委員である内館牧子氏が日経新聞の夕刊に連載されていた相撲に関する随筆は感心させられるものだった。特に「その通り」と膝を叩いたのはクールビズ姿での総理大臣杯授与を行った官房副長官と相撲協会批判であった。横綱審議委員という立場から協会寄りの発言をされるのかと思いきや、一刀両断のもとに両者を切り捨てた意見は見事であった。その氏の考えがまとまったものを読んでみたいと思っていたので、本書を見たときには迷わず手にした。
クールビズも問題であったが、その前に物議を醸し出したのは女性の官房長官や大阪府知事が優勝力士の表彰式において土俵に上がる、上がらないということで揉めたことである。
ふと、そういえばと考えてみれば、何故、女性が土俵に上がってはいけないのか、その理由はまったくわからなかったし、知らなかった。世間一般でいえば、「女はご不浄もの」ということで片付けてこられたが、男から人が生まれたとは聞いたことは無く、よってご不浄といわれる女から生まれた男もご不浄ものである。
さすれば、土俵に女が上がる、上がらないという問題の論点は別のところにあるのではと思い到る。
優勝力士に優勝杯、友好杯、自治体や企業からの賞品が延々と授与される様がテレビでも放映されるが、かつてパンアメリカン航空極東支配人は外人でありながら紋付き袴、ときには開催場所の方言で表彰状を読み上げて観客を沸かせたものだった。なごやかなものであり、稚気に富むものであった。
推論だが、女性が土俵に上がって優勝杯を渡したいというのはある意味、稚気ではないかと思える。男ですら、一度は本場所の土俵に立って、神妙な面持ちの力士と同等の目線からほんの少し優位に立って杯を授けたいと思う。男性優位社会において力量を発揮した女性も男に勝ちたいとか、より優位に立ちたいというよりも本音は茶目っ気から「やってみたい」というのが本音ではなかろうか。
内館氏は東北大学の大学院で相撲についての研究をされてきたが、その研究の成果の披露にも似た内容が出ている。女と土俵という話題性のある読み始めから徐々に徐々に読み応えのある内容にと変化しており、最終的には自身の考えを述べられているのは論文の結を読んでいるかの如きだったが、感情的にならず、差別と区別を解った上で協会への苦言を呈されたのは良かった。
確かに、表彰式は内館氏が言うところの土俵の結界を解いてから行うべきだろう。そうすれば、聖も俗も関係はなくなり、クールビズだろうが女性だろうが、問題を起こした人物だろうが関係なく土俵にあがることはできる。これは名案と思うが、果たして相撲協会はどう考えるだろうか。
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投稿者:ナカノ - この投稿者のレビュー一覧を見る
千秋楽の表彰式に女性だから土俵に上がれないのは男女差別だという騒ぎがあったのは記憶に新しい。それって何か変と感じたのは私だけでしょうか。けれどその問題に関して日本相撲協会は伝統を掲げて拒否するだけで明確な回答を示せずにいる。
大相撲をこよなく愛する内館さんはそんな世の中の流れに危機感を覚えて、あらためて相撲を研究し直そうと東北大学大学院に入学したのでした。本書はその学位論文をもとに書き直したもの。
内館さんは伝統芸能や祭事における男女別と、女性が社会的に受けている差別は同列ではなく意味が違うのだから、社会情勢が変化したから、男女同権の世の中だからという理由で形を変化させていくのは伝統を殺す行為なのではと述べている。
興行としての大相撲も同様で、長い歴史の中で紆余曲折があったにせよ様々な工夫で今までその形を守ってきた。だがここにきて急速な時代の流れの中でこれからの方向性を確立できていない。先に述べた男女差別云々のほか、数が増えて制御が利かなくなってきている外国人力士をどう相撲の伝統に沿わせていくのかといった問題などもそうだ。
よく横綱審議委員会で内館さんが相撲協会の理事にきびしい意見を突きつけているが、伝統を守るには守る側にもそれを貫く強さが必要と考えているからなのでしょう。
勝負の勝ち負けだけでなく、土俵上での打ち出しの音、呼び出しの声、行司の姿、かちなのり、土俵入りなどそれら一切を含めた様式(伝統)はこれからも存在し続けてほしいと思う。そんなわけでこれからもがんばってほしいとひそかに内館さんを応援している私です。
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「相撲は文化かスポーツか、という問題を、日本相撲協会が土俵に女性が上がることを拒絶している点から浮き彫りにする。2000年に女性初の横綱審議委員に就任した著者が、宗教的儀式としての相撲の歴史を追究し、文化論争を抜きにした男女共同参画に疑問を呈する。」
私も読んでみて、なぜ土俵に女の人が上がれないのかという疑問がわかったが、納得がいくはずもない。日本相撲教会が土俵に女性が上がることを拒絶しているなんて・・・
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[ 内容 ]
相撲は古代の神事から格闘技、そして「国技」へと鮮やかな変貌を遂げながら、一三五〇余年を生き抜いてきた。
日本人の豊かな精神性が凝縮されたこの伝統を、「男女共同参画」や「グローバリズム」などという、現代の価値観で踏みにじっていいのだろうか?
誰よりも相撲を愛し、相撲研究のために大学院にまで飛び込んだ人気脚本家が、「聖域としての土俵」誕生の歴史に迫り、「土俵の女人禁制」論争に終止符を打つ。
[ 目次 ]
第1章 土俵にあがりたがる女たち
第2章 土俵は「異界」である
第3章 相撲の始まりは神の力比べ―土俵成立前史
第4章 土俵という聖域の成立
第5章 土俵を築く
第6章 「神迎え」と「神送り」
第7章 女は穢れた存在か?
第8章 角界が抱える矛盾
終章 伝統を守るということ
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[ 参考となる書評 ]
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最初にことわっておくと、「女はなぜ土俵にあがれないのかっ!!」と怒っている本ではありません。横綱審議委員でもある著者は、それが相撲界のしきたりなら別に女が土俵にあがれなくてもいいじゃん、ってスタンスの人です。とはいえ、「私はあがりたいのよ」って人が現れたとき(過去に何度かありました)の相撲協会の態度にいまいちすっきりしない思いを抱いていたのも事実。ならば、なぜ、いつから土俵が女人禁制となったのか調べてみよう、ということで自ら大学に入学し研究した結果が本書です。相撲の成り立ちとか土俵の作り方とか知らなかったことを知れた点ではよかったけど、「なぜ土俵にあがれないのか」は結局よくわかりませんでした。
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借り物の集まりで、結局本当のところは田辺聖子さんの説の紹介が一番ぴったりしている。
女人禁制の行事は、女性から見れば、かわいい男の姿だという視点。
本書は、田辺聖子さんの視点を紹介してもらえたことで、価値があると思う。
著者も、そこまで割り切ればよかったのにと思う。
なにが、著者をあいまいなところで留めているのかは分からない。
相撲に対する愛着なのか、自身のなにかのプライドなのか。
きっと、本当は愛すべき人なのだろうに。
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チェック項目14箇所。実生活の差別、不平等、人権侵害には断固反対するが、芸能、祭事、文化、儀礼等においては、守ってきた形態を今の時代に合わせて変える必要はないと考える。「土俵は俵で決壊された異空間である。結界内においては、結界内のルールがある。それは結界外の一般社会の法律やルールや風潮とは一致しない場合も多々あるが、差別とは別次元の話であろうと私自身は考えている」。相撲が「国技」になったのは1909年のことである、まだ100年もたっていない。「大相撲」は料金を取って客に見せるものであり、近年に生まれた興行である、一方の「相撲」は『日本書紀』などの文献にも出ている通り、起源とされる頃からのものである。武家時代には、信長、秀吉をはじめとして、相撲好きの大名は数多く、強い相撲人たちは高い禄で大名に召しかかえられた。「醜」には「醜い」という意味があり、人間が神に向かいあう上でへりくだりをしめしたとされる。そこには「改まる」という姿勢が感じられる、まだ土俵はないが、四本柱によって結界された区域は「改まってからあがるべき聖域」であることが、醜名のそんざいによっても浮かびあがる、その点からも、「四股名」ではなく、神に対してへりくだった「醜名」が正しいということがわかろう。当初、横綱とは、吉田司家が免許を出した「資格」の名称であり、最高の「地位」ではなかった、最高の「地位」になったのは、1909年のことである、初代から3代までの横綱が実在したか否か明確ではなく、確かに実在した横綱は第4代の谷風梶之助からではないかという説が根強い、谷風は1789年に横綱免許を得ている。いつから土俵に塩をまくようになったのか、これも定かではない、おそらく「清めの塩」はあ己の心身を清めるより、土俵を清める意味あいが大きいのではないか。「土俵は神が宿る場所だという意識はあります、。機械を使わないのは、神がいる場所だからでしょう」。神を土俵に迎える儀式は、18世紀半ば以降に始まったと言われている。相撲界では神送りを、1957年限りに中止していた、その頃は胴上げされるのは勝負審判の親方であったそうだが、昭和32年に胴上げで親方を落としてしまい、以来、やめていた、ところが迎えた神は送らねばならないという声が、協会の中でも大きくなり、2003年5月場所から復活した。なぜ、女性は土俵にあがってはならないのか、それは、「土俵は俵で結界された聖域」だからである、私はそう結論づけた、つまり、過去、女性は障害物として見られて、結界内に入ることができなかった、それが今に伝わっており、土俵は女人禁制なのである。
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相撲は1350年以上の歴史を持つ日本の国技である。国技館の土俵は女人禁制で優勝者へのトロフィー授与さえ男性が行うという。今やあたりまえとなりつつある男女平等という考え方を、相撲を通して改めて考えさせられる。私は相撲についての知識がほとんどなかったが、その歴史から土俵の作り方(これは目からうろこ!!)まで知ることができておもしろい。
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まず、冒頭の文章の
まあ白痴(汚い言葉ごめんなさい)な
女性方がいることに驚きです。
女性の形をした人間外としか
思えませんでした。
どうか他の惑星にお帰り願いたいところです。
なんというか、
同じ女性として、恥ずかしい発言が
多々見られますね。
うちが女性云々という言葉が
嫌いなのは一種の傾向もあるのですが
どこかその平等という考えには
全て平等にはできないものがあるからです。
相撲もそうだと思いますよ。
そこが神聖な場所で、元から女性を許さない。
だからこそ、立ち入ってはいけないということ。
そこまでして意固地になって
あがりたい人の気持ちが分からない。
それだとしたら、レディースプランとか
女性専用車両が
男性側から「差別だ!!」といわれたら
どう反撃するのやら。
見ものですな(笑)
だからこそ、どこかでの妥協は大事ですよ。
ただし、せめてもですが、
著者がなっているような審議委員や
顔パスで通れる人の権利は
女性にあってもいいと思いますよ。
土俵がダメならばまわりでもせめて。
あと、男性のハレの衣装を
ちゃんとやる!!というのは賛成ですね。
…てかあの知事、上がってたのかよっ。
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なぜ相撲の土俵が女人禁制であるか、1350年の歴史から紐解く根拠に感服。女性である筆者が女人禁制を支持することに、女性からの攻撃を多数受けてきた女性の戦いが面白い。