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チェリビダッケがベルリンフィルに残らなかった訳を知りました。
はずかしながら、チェリビダッケという名前を初めて読みました。
もっとはずかしながら、フルトヴェングラー も意識したのは初めてです。
ベルリンフィルのまわり、カラヤンのまわりの事柄を知ることができました。
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面白いですね。
ナチス関係の本にも興味があって、でも、読むといつも具合が悪くなるジンクスがあるので困るんですが、今回は大丈夫です。これから後半、チェリビダッケがもっと出てくるのかな?
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世界最高のオーケストラとして名高いベルリン・フィルに、そしてヨーロッパ音楽界に君臨した二人の指揮者、フルトヴェングラーとカラヤン。彼らの紡ぎ出す美しい音楽とは対照的な、どろどろとした人間模様、時代に翻弄される音楽の現実が、生々しく語られます。
ナチスが政権に就いた1933年以降、ドイツの音楽家たちは決断を迫られました。ある者は亡命を選び、ある者はドイツに残り、残った人々にはナチスとの距離をどう取るかという問題が残りました。既にベルリンフィルの主席指揮者であり、ドイツを代表する音楽家でもあったフルトヴェングラーは、ユダヤ人を保護し、新しい音楽を支持することでナチスと対立しつつも、ドイツ音楽の広告塔として利用されていきました。一方、若く野心に満ちたカラヤンも、自らの出世を求める途上で、またフルトヴェングラーの対抗馬として利用されることで、政治に巻き込まれていきます。そしてこのことが、22才も年下のカラヤンに対する、フルトヴェングラーの激しい嫉妬に繋がりました。
そして、敗戦を迎えるドイツ。非ナチ化が済むまで演奏のできない彼らの代わりに、敗戦直後のベルリンフィルの苦境を救ったのは、チェリビダッケというルーマニア出身の青年でした。しかし厳格すぎる彼の態度はやがて、オーケストラとの間に摩擦を増していき、初めは蜜月関係だったフルトヴェングラーとの間にも、微妙な不協和音が響き始めます。一方、なかなか思うような活動ができないカラヤンも、一歩づつ地歩を固めながら躍進の機会を窺っていました。
1954年、フルトヴェングラーは世を去ります。その後、なぜチェリビダッケでなくカラヤンが、ベルリンフィルを手に入れたのか。さまざまな駆け引きと思惑が錯綜する当時の状況を解きほぐしていくあたりが、この本のクライマックスです。
音楽の評価は主観的で、時に感情的になりがちですが、この本では彼らの奏でた音楽には踏み込まず、その人間ドラマの部分にのみ光を当てます。筆致はあくまでも冷静で、資料にあたった「事実」の部分と、彼らがどう考えたかなどについての推測による部分を明確に分けた記述です。
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本書に描かれた20世紀を代表する大指揮者フルトヴェングラー、チェリビダッケ、カラヤンが繰り広げる三つ巴の戦いは、「仁義なき戦い ── ベルリン・フィル編」とでも名づけたくなるほどの生々しさと妄執に満ちている。
ヘーゲルはかつて「悪をも為しえる人間にしてはじめて善をも為すことができる」と述べたが、この3人が見せてくれたようなとてつもない妄執や疑心暗鬼があってはじめて、音楽にデモーニッシュな凄味がうまれてくるのかもしれない。
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カラヤンは超有名なので誰でも知ってますよね。
フルトヴェングラーはベルリン・フィルハーモニック管弦楽団をカラヤンに引き継いだ
史上最大の指揮者ともいわれています。
ナチス政権時代にはすでにして大指揮者であったフルトヴェングラー。
ヒトラーが大のワーグナー・ベートヴェン好きであったためナチ政権の宣伝に利用されかけるのをすんでのところでかわす毎日。
一方、その大指揮者に憧れるカラヤンが如何にしてフルヴェンを嫉妬に狂わすほど成長していったか読み応えがあります。
第三の男として、天才チェリビダッケが登場します。
若くして才能を認められて世に出、戦後BPOの指揮を任されます。
しかしオーケストラの全人事権を求め、老齢の演奏者を一掃としようとしたしたため反感を買い、最後の最後でカラヤンに指揮者を取られます。
個人的にはこのチェリビダッケの政治や権力には無頓着で「純粋な芸術」の音楽を求めている姿が一番共感できます。人付き合いが下手で、求める音を出せない奏者はコテンパンにこき下ろす。スティーブ=ジョブズに似た天才性です。
いずれにせよ、この本で戦中からカラヤン帝国草創期までのことがよくできました。
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少なくとも私の世代のクラシック好きにとって、フルトベングラー、カラヤン、チェリビダッケは大御所中の大御所。知らないものはないだろう。
フルトベングラーは神の様な存在とされるのに対し、カラヤンはステレオと映像時代の寵児、チェリビダッケは仙人(孤高とも言う)として扱われ同じ立ち位置ではなかった様に思う。
3者の確執については漏れ聞いていたが、ここまでのものとは知らなかった。著者はあくまでも自身の推測としながらも、何年何月何日に誰がどこにいた事まで調べ上げての推測には説得力がある。
それにしても神とも崇められる硬派(見た目)フルトベングラーが、実は優柔不断で女好きであった事に自分の中で信じたくないような思いがある。
デュトワの様に、見た目と行動に一致感があれば何の抵抗もないんだけれど(デュトワさんごめんなさい!)
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ベルリンフィルの常任指揮者をめぐる骨肉の争い。芸術にはついてまわる、暗黒面。
この本でチェリビダッケという第三の指揮者がいることを知った。
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キレイな音楽の裏にこんなドロドロした嫌な世界があるのかと思うと、あの音楽は何なんだ?という気になる。
政治に利用される芸術、ドイツはさすが音楽…日本は茶の湯があったか…
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フルトヴェングラーの厚顔なわりに小心な感じと、カラヤンの虎視眈々とした感じが対照的。チェリビダッケも含めて、3人とも尊大なのは変わらないかな。