ネットがここまで生活に食い込んで来ると、必要になる知恵
2016/11/28 04:15
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投稿者:オカメ八目 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ネットがここまで生活に食い込んで来ると、必要に成って来る知恵が、色々と書かれてる。 その意味では、むしろネットと、どう向き合うか、どう「間」を取るかを考えて行くのには、よいガイドブックだ。
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いやー、目からウロコになる本。FacebookやTwitterが社会コミュニケーションの基盤となっている現代において、あえてつながらないことを選択することで見えてくる世界や価値について書かれている。もちろん、ネット上から降ってくる情報はあくまで情報でしかなく、そこに価値が存在するか否かはそれを受け取る人次第なのだろう。しかし、昨今ではそこに人のつながりが深く介在するようになって、その価値が見えづらくなっているのも事実だし、人が挟まることで人との関係が複雑になっていることも然りだろう。この著書では、そこを人や物事との関係に悩むというのは現代だけでなく、古くはソクラテスの時代からある哲学的な問題だと示唆し、哲学者・有識者7人を取り上げて、ネット時代の今をどう生きていくかを深く掘り下げているところが、そんじょそこらのネットはどうかと書かれている本とは違うと思う。
しかし、ネット否定はするがネットがあったからこその恩恵や人のつながりといった部分をどう生かすかがやや浅いのも事実(全く触れられていないわけではない)。核家族、独居老人などの孤立していく日本の世帯社会、ネットに毒される若者世代にとって、どう生きていくかを日本流に考えるものいいだろうと思い始めてきた。
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外部からの情報を遮断して内省に耽りたい。表面上忙しいふりして、本当の責任から逃れようとしてるだけかも知れない。
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東京マラソンを見ていても、走っている最中に、携帯電話をしていたり、
ツイッターをしている人がけっこういる。元来、マラソンというのは孤独なスポーツではなかったのかと思うのだが。ネット経由で、励ましをうけ、練習状況をつぶやくことも、モチベーションに寄与するし、それは、それでいいと思うが、マラソンのもついい意味での孤高なる精神が失われると思う。
本書を読むと、多くの人とつながっていると意識が外に向かい、つながりが少なくなると内向きになり深く物を考えらると説く。
それは、決してネットが誕生して発生したことではなく、古い昔から問題であることを、ソクラテス、グーテンベルグ、シェークスピアなどの歴史から学ぶ。筆者は週末はモデムのスイッチを切ることにより、「つながらない生活」をしているそうだ。
ネット中毒になっている人にお勧め。
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自分自身の身体性を取り戻すことが大切。
ネットにつなぐことは 「Have to」ではない。
単に「Want to」 であり、「able to do」にすぎない。
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たまたま梅田丸善で見つけて購入。
もともと関心ある話題だっただけに、本書は自分の中でモヤモヤと考えていたことを整理してくれた。
デジタルツールは現代を生きていくうえで必須であり、何より便利です。
しかしながら、あくまでそれらは情報処理ツール、コミュニケーションツール。
そこから得た情報もろもろから何を自分の糧とするか、何を生み出すかは、静かな場所で、落ち着いて、ひとつのことに集中して、自分の心と対話しながら考える・掘り下げる必要がある。
しかしながら、絶え間なく新着メールが届き、魅力的な宣伝リンクが目に入ってくる状況でそれは難しい。
それを克服するにはどんな環境を作り出せばいいか、どんな生活の儀式が有効か。
本書では問題提起・問題分析が主であり、解決策についてはそこまで触れられていない・・・というか著者も模索中のよう。
本書の良いところは多くの参考文献を残してくれているところ。
そこから先は、自分にあったやり方を、自分で考えなければならない。
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図書館にリクエストして読みました。《7賢人に学ぶ、「適度につながらない」ための知恵》とのことで、読むと七賢人についての教養も勉強できて楽しそうだが、「どのように心がけるべきか」よりも「どのように振る舞うべきか」に興味があったので、熟読せずに返却する予定です。
しかし、具体的でない本書は数年後に読んでも意味がある本かもしれません。
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つながり至上主義の現代で生きるにあたって。プラトン、セネカ、グーテンベルク、シェイクスピア、フランクリン、ソロー、マクルーハンらの言葉を解説。もうちょっと噛み砕いた文章だとありがたいんだけどな…。内容は興味深かったけど。あとがきのどこかに書かれていた、「孤立と孤独は違う」あたりも良かった。
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どうにかツナガリを利用してモノを売りたいと思ってる身にはつまる内容。でも個人的には確かに、デジタル断食が時には必要だと思う。
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素晴らしい本です。
ネットは
検索があっと言う間にできて
目的のあるときは確かに便利だけど、
いつの間にか、それがクセになって
あてどなく情報を求めて探し回ってしまうことがある。
でも、そうやって
探しまわってるときの空しさって
きっと誰でも経験しているはず。
「もっともっと!
どこかにもっと刺激的なものはない?」
と心はどんどん迷子になっていく。
集中力を失っていけば、そこに残るのは
すっからかんの自分だけ。
自分の内側に眠る、深くて静かなもの
とのつながりを取り戻そう。
充実感を味わおう。
そのための簡単かつ具体的な方法が
この本にはしっかり書かれていると思う。
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テクノロジーの発展により、様々な情報を手に入れることができるようになったし、自ら発信できるようにもなった。
その反面、自らの内面と向き合う時間は減り、他人の哲学を模倣し他人の人生を生きている気がする。
テクノロジーの発展は生活をより便利にしたが、生活の質の向上や内面の豊かさを育むことに寄与しているのだろうか。
自分も少しでも時間が空けば、SNSをチェックせずにはいられない。
テクノロジーを使いこなしているとは言えず、テクノロジーに使われている状況である。
その場を全力で楽しむ、あるいは感じるためには携帯などのスクリーンから目を離し、目の前のもの(人や体験)に向き合う必要がある。
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メールを常時取得、ネットにつながる環境にあることで生産性が下がっているのではないかという気がして、手に取った本。
ほかのメールやメッセージに気をそらしてから、元の仕事に集中するためには、時間がかかるという下りを読んで納得しました。
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名著。日々疑問に思っていることがど真ん中で書かれており、気持ちよさすら感じた。
もちろんネット社会を否定するつもりはないし、それによって受けている恩恵ははかりしれない。ただ、どこまでを享受するかは真剣に考えないといけない。休日にさえ仕事のメールを確認し、常にFacebookやTwitterを確認する必要はあるのか。また自分のそういう権利は守りつつ、他人にプライベートの時間に即返信しろと強要していないか。もちろん時と場合にもよるが。
今目の前にいるのは誰か。家族かもしれないし、友人かもしれない。その大事な人が目の前にいるのに、離れた人々と関わる意味はあるのか。
若干携帯依存症になっている自分も、重々気をつけないといけない。自覚しているかしていないかは雲泥の差。この本を読めてよかった。
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つながる環境にあり、スマートフォン、iPad、ノートPCがあればいつでもネットにアクセスできる便利な時代。画面を指でシュッツ、シュッツとすればいろいろな情報が検索できてよいこともあるが、その一方で、見に覚えもないあて先からのジャンクメールの大群に襲われたり、軽い気持ちでクリックしたら、金を払わないと画面は消えないぞと瀬戸際外交が得意なあの国のようなあくどいことをするサイトもあり、現実社会同様、善悪入り乱れている。
著書でも言及しているが、企業の中には「メール禁止デー」を設けて乳離れならぬ、スクリーン離れを薦めるところがある。しかし、スクリーンチルドレンにとっては苦行になる。スクリーンを見る楽しみや習慣はそう簡単に断ち切れるものではない。誘惑が頭の中を駆け巡る。
パートⅡでは、古代から現代の思想家が接していた当時の「ツール」に対する考え方から、現代人が日頃感じている疑問について考察するというなかなか面白い試みをしている。あのプラトンや、セネカからこの本のテーマとのつながりが浮かんでくるとは、著者はかなり柔らか頭の持ち主に違いない。
パートⅢでは、無理のない「つながり断ち」7つのヒントと、インターネット安息日と称して、ネットといかにうまく付き合っていくか、ネットに使われない生活について論じている。ネットは使いようによって便利が不便に変身してしまう今日この頃だ。
著者のサイト(英語)
http://www.williampowers.com/
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僕ら、ネットで繋がりすぎ。つながる喜びとプレッシャーに毎日囲まれている。
すぐに調べなくたって困りゃしないし、つながったところで、何を食ったとか飲んだとかに紛れて大切な情報はなかなか見つからない。
目の前の人や出来事のほうが大切、あるいは自分一人の時間がどれだけ大切か。
偉人にならい、さまざまなコミュニケーションの変革があげられています。
話し言葉から文字にうつりゆく伝達で、どんな問題が起きたか。印刷の発明に怒りの声をあげた人々。「魔法のような」機器を手にしてこんなになってしまった僕らは、誰に怒ればいいのだろう。
著者は週末は電源を切ってしまうことにしたけれど、別にどうってことない、という例をあげます。
そう、どうってことないはず。なのに、まるで禁酒のようにむずかしい。