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カシアス内藤という実在するボクサーの再起を描いたノンフィクションの後編。
ノンフィクションというだけあって、純然たる創作よりも都合良く話はすすまない。王道的な物語展開を期待しているならこの作品は読まない方がいいと思う。筆者自身が、ボクサーとしての正しいあり方を最後の最後になってひっくり返したところは、私的にポイント高かった。それとやはり某隣国汚い。汚いなさすが某隣国汚い。
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大のボクシングファンなので期待して読んだが、期待に応える内容だった。ボクサーの生活や試合を興業として行うまでの過程のリアリティーが素晴らしい。そしてすべてが終わった後の締めくくり方も秀逸で本当に引き込まれた。
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人生の中で凝縮された時間
「優しさ」はボクサーにとってはマイナス
人生にとっては必要なことかも・・・
最終章のリアでなんか救われた・・・
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纏わりつくような粘度の高い人間ドラマ。次から次に起こる問題はノンフィクションを疑わせるほどだが、そこにある結末は残酷であり一抹の希望を感じさせるものである。
決意と現実に揺れる内藤、柳戦をマッチメイクするためのハードな交渉を担う沢木、内藤とエディとの強い信頼関係の裏にある極度に脆い緊張状態。すべては何のための闘いなのか。そこ先に何があるのか。目指した「いつか」は見つかったのか。
読む人にとっては内藤たちの格闘は大いなる敗北に映るかもしれない。朴戦に至るまでの1年の行跡は無駄足に映るかもしれない。しかし理亜ちゃんを膝の上に乗せて思い出した沢木氏の本心と、理亜ちゃんの笑顔は、不要なことはない偶然と必然と積み重ねを感じさせる。
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ボクサー、カシアス内藤の復活にまつわる人間ドラマ。一度破れた、韓国のボクサー柳に対戦を申し込み、リベンジに挑戦する。
上巻とかなり話が変わってくる下巻。というのも、作者自身が試合のマッチングやそのための金策をする話が多く、そこでスポーツに関係のない、人間の嫌な部分が、これでもかというくらいに描かれる。
不謹慎ながら、そこが一番面白かったのは、冷静な筆致ながら、かなり感情が顕になっていたからであろう。
試合結果は結局ダメで、ダメなりのハッピーエンドというのは予想していたが、グーッと上下2巻で引っ張って、割とあっさりなのは、個人的には好感を持った。こういう作品だと、試合こそ全て、という具合に、パンチ一つ一つを事細かに描く物が多いわけで、その点、この本は異質なのではないかと思う。
最終的に、何も背景を知らずに、小説として読んでも、そこそこ面白いという1冊だが、ちょっとボリュームが有るのが難点か。
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ついに生活が逼迫し、仕事を始めてしまう。
そして練習時間が取れなくなり、体に肉が付く。
万全では無い状態でリングに上がらざるを得なくなる。
そして敗北。
ボクシングとは本当に厳しい世界だと思う。
実力だけではなく、お金、周りの人の協力、特にひいきにしてくれる力のある人物などが、この世界で成功するためには必要なのだ。
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再起第一戦を勝利で飾り、続く第二戦にもKO勝ちをおさめた
カシアス内藤。そして、次に狙うは東洋ミドル級チャンピオンで
ある柳済斗との試合だ。
それは、内藤が望んだ「オトシマエ」だった。「クレイになれな
かった男」で敗れた相手ともう一度闘いたい。その思いが、
内藤をトレーニングに駆り立てた。
しかし、事は順調には運ばない。韓国のプロモーターとの
交渉、契約に際しての駆け引き。ルポライターであるはず
の著者は、いつの間にか内藤の為に、試合のマッチメイク
に奔走する。
度重なる試合の延期と、難航する契約。その中で、1年を
かけて作り上げて来た内藤の肉体と生活に変化が現れ、
同じ夢に向かって走っていたはずの人々の間には徐々に
亀裂が入って行く。
1979年8月22日、韓国・ソウル。この日の為に疾走して来た。
運命の日。分かっていて、読めなかった。最後の50ページ
弱が、どうしても読めなくて丸1日、本を開くことが出来な
かった。
小説なら大団円で終わっているのだろう。だが、これは現実
に起こった話だ。夢は、ソウルの夏の夜にあっけなく散った。
「リングに上がって……初めて、足が震えなかったのに……
生まれて初めて、怖くなかったのに……」
生来の気の優しさから臆病とも評されることもあった内藤が、
持てる力を掛けた時は終わった。
そこへ辿り着くまでには、同じ時に、同じ夢に向かって、走り
続けた男たちがいた。
物悲しい結末だが、最終章の「リア」で救われる。一瞬の夏
に、夢は終わった。だが、夢の終わりから、また違う夢が
始まるのだ。
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ノンフィクションというのだから、小説とは違い、かなりの部分が事実というところか。
正直なところ、長すぎる作品だが、読後感は良い。
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偶然によって出会ったいくつかの情熱が、一つの目的に向かって疾走する。東洋タイトル戦の実現に奔走する“私。だが、生活のためにはトレーニングを犠牲にしなければならないボクサー、対立する老トレーナー。絶望と亀裂を乗り越えて、最後に彼らの見たものは……。一つの夢をともにした男たちの情熱と苦闘のドラマを“私ノンフィクション"の手法で描く第一回新田次郎文学賞受賞作。 "
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思えば、ボクシングというのは独特なスポーツである。選手には過酷なまでのトレーニングと節制が求められる一方で、リングの下では大金が動き、怪しげな人士が跋扈する。試合と興行という言葉が矛盾なく同居する唯一の競技でもあるだろう。
いまからおよそ四十年ほども前、そんなボクシング世界の片隅に一瞬去来した光芒を、優れたルポライターが拾い上げて書いた。本書をごくかいつまめばそのようなものになるのだが。
実のところ、筆者自身はまるでボクシングというものに知識がない。本書に書かれる不世出の天才ボクサー、カシアス内藤という名前も初めて知ったていどである。混血のボクサーであり、かつては天才として一世を風靡するものの凋落も早く、事実上の引退のような恰好であったところが、数年にわたるブランクを経て三十歳を目前に突然のカムバックを果たす。そこからの挑戦を本書は描いている。
率直に言って、この設定だけでおよそのストーリーが予想できてしまうというものではある。ボクシングにまるで知識の無い自分ですら、カシアス内藤という名前がモハメドアリだのマイクタイソンだの具志堅用高だのといった名前に比されないことは知っているので、そうだとすればこのカムバックはそれなりの成果しか生まなかったことは想像できる。歴史小説もそうだが、ルポルタージュというものにはそういう弱みがある。史実に反する華々しさは付け加えられないのである。
もっとも、本書はさすがに優れたルポライターの手によるものだけのことはあった。「私」と一貫して書かれる書き手の視点を通し、カシアス内藤のカムバックから苦悩から周囲の人間模様に至るまでを活写してゆく。これは本当にすばらしい筆致で、とりわけ、カシアス内藤という人物のボクサー以外の部分を丹念に解きほぐしていくもので、それを辿っていけば確かに、この心柔らかな天才がどうして天下を取ることができなかったか、そのこともおよそ想像ができるのである。
もっとも、そのこともまたある予想ができることではあった。当然のことだが、フィジカル面で恵まれた天賦を持っていれば、それが活かされない理由もまた存在するだろう。運か、環境か、心理かというあたりで、カシアス内藤の弱み……というか、ある種の欲のなさみたいなものがその優れた資質を存分に活かさないままで終わってしまった、そんなことも容易に想像はできた。
なので、本書の後半、実のところこのカシアス内藤というボクサーについての興味を自分は半分ぐらい失っていた。むしろその周辺にいる、名トレーナーのエディさんとか金子ジムの社長とか、何よりも韓国ボクシング界の怪しげなプロモーター、崔といった人物のほうがよほど生臭くてしちめんどくさいものを感じ、興味をかき立てられていたのである。対大戸戦のところで一瞬出てきた自称マネージャーもとことんまでうさんくさくく、かえって心に残った。
しかし、そのようにカシアス内藤の周辺人物を眺めていて、ふと、一人大切な人物を、もっとも謎めいている人物の存在を忘れていたことに気付く。他ならぬ、「私」である。
一般的にルポルタージュは三人称か、��き手の視点を取る一人称で描かれることが多い。前者であれば書き手は黒子に徹し、極力個人的な情感を拝して客観的に描くことが多いだろう。後者であっても、それはある意味カメラ・アイのように無機質なラインまで撤退し、観察の対象に積極的に容喙していくことは必ずしも多くはないだろう。
その点が、本書では際だって異なっている。本書における「私」は、カシアス内藤という半ば忘れられていたボクサーに終始密着するばかりではなく、しだいに厄介な試合のセッティングを肩代わりし、面倒な人士との交渉をこなし、数度にわたり韓国にまで出向き、あげく数百万円という金額を肩代わりしさえする。思えば、すごいことである。
なにしろこの「私」とはカシアス内藤の縁者でもなければジムの正式な関係者でもない。実のところ、一貫してその立場が曖昧なままのルポライターに過ぎないのである。そういう人物がこれほどの大立ち回りをして国際試合までをセッティングしてしまったとなっては、率直に言ってこれを客観的に第三者視点から描くならば、この「私」とは、他のだれにも負けないぐらいにアヤシゲで奇妙な人物に映るのではなかろうか。
なので、自分が本書を読み終えて感じた一番の感想は、まさにその点だったのである。
この「私」とは、だれなのだ?
もちろん、本書の筆者は沢木耕太郎である。史実に則った内容である以上、本書に書かれる内容はかなりの部分が真実なのだろう。書き手はウソをつくものだということは、筆者も書き手のハシクレである以上理解はしているが、そうであっても本書における「私」の描写がかなりの部分で現実の沢木耕太郎の行動に即しているには違いあるまい。
そうだとすると、やはりこの「私」の、いささか常軌を逸した情熱には驚かずにはいられない。もちろん書き手である以上、このカシアス内藤という人物が「ネタ」になるという勘所は働いただろう。それはまったく問題ではない。むしろ、そう判断した上でなお、これほどの情熱を傾けたことに驚かずにはいられないのである。作中で「私」は率直にその感情を露わにするが、しかし、ここまで手を掛けておきながらカシアス内藤がトンズラこいたらどうしようと言ったような、メタ的な逡巡は当然ながら描写されない。あくまで「私」は、カシアス内藤の復帰と成功のために身を賭している。少なくとも本書では、そのように描写されている。それはたしかに素晴らしいことで、そして同時に、やはりとても奇妙に感じられることだ。
聞くに、沢木耕太郎という人は決して自分自身のことを語らない人だそうだ。代表作と目されるであろう「深夜特急」などでもそうだが、あれほど自分というものを題材にした作品を書きながら能動的にプライヴェートなことを書こうとしないというのは奇妙な矛盾のようだが、やはり終始一貫しているのだろうと思う。ただ、それが、本書のような、自分の周辺のことを題材にしたときに、どうにも謎めいた奇妙な謎として浮かび上がってしまうだけのことなのだろう。例えば本作などは文庫本上下巻、六百ページ以上に及ぶ大部でありながら、「私」がどこに住んでいるのか、そんなことすら明らかにはならないのだ。
作者当人は、本作を「私ノンフィクション」と位置づけていたようである。その試みは確かに成功したと思う。頓珍漢な感想を書いてきて言うのも恐縮だが、本書は極めて優れたルポルタージュである。
その上で、本書を読み終えていちばん心に残った謎というのは、カシアス内藤ではなく、「私」だったのである。
その意味でも、大変面白い読書体験だった。
2020/10/30
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ノンフィクションだけに、展開がドラマチックというわけにはいかない。
全てがもどがしい。
小説ならば、この後はこうなるのに、という感触が残る。
生の人間とはこういうものなのか。
当たり前のことだけれど、そういう感想を持った。
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ラーメン二郎と同じく、定期的(半年~1年周期)に読みたくなる、著者のキザな文章。そのような期間に入った頃、偶々図書館の目立つところに置かれていたため、読んだ一冊。
上巻は、私が求めていたようなキザな文章の連続。2ページに一度ぐらいは、背中がかゆくなって仕方がない文が登場し、私の心は満足感で満たされた。
但し上巻の終わりごろから少しテイストが変わってきた。勿論キザで硬派な文章はそのまま出てくるのだが、沢木氏自身が取材対象であるカシアス内藤氏のマッチメークにのめり込み、それを2人の目標として、気持ちが前面に出てくる。
こんなに気持ちを前面に出してくるんだという、氏の新たな一面を見た作品だった。
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障害物だらけの人生の中、
どこまで本気で向き合えるか、
自分の人生をここぞという時に賭けれるか。
カシアス内藤と沢木さんの話。
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元東洋チャンピオン・カシアス内藤と東洋チャンピオン・柳済斗との再戦の実現に向けて、動き出す。
柳サイドとの交渉に奔走する『私』。
柳とのタイトル戦が何度も延期となり、生活のために、トレーニングを犠牲にして、働くカシアス内藤。
そんなカシアス内藤に苛立つエディ・タウンゼント。
柳済斗との再戦へのそれぞれの想いにずれが生じ始める…
『オトシマエ』をつけることはできるのか…
ノンフィクションだから、ドラマティックなものを求めるべきではないのか…
なんだかもどかしい…
何かもの足りない…
カシアス内藤に何か共感できないものがある…
もっとやれるだろって、感じる…
何かどこかで逃げているような…
何かもの足りない…
小説の主人公にはなり得ないんだろう。
ボクシングで本当に生活できるのはほんの一握りなんだと。
東洋チャンピオンになったにもかかわらず、生活が苦しいなんて…
結局、カシアス内藤は負けて、内藤純一として、夫として、父親として、生きることが1番よかったのだろう。
ディスコの店長が言ったように。
『負けた方がお前のためにはいいかも』
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沢木耕太郎の一瞬の夏を読みました。
ノンフィクションで落ちぶれてしまったボクサーを、もう一度チャンピオンにするために援助して頑張るのですが、最後はタイトル通りと言う感じです。
淡々と話が流れる感じで、後半盛り上がり中々面白かったです。