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すごく不思議なタイトルだ。でも読み進めると、このタイトルになった意味合いとその深さが分かってくる。
「スコーレNo.4」が希望に溢れるストーリーだったのに比べ、「イナツマ」(辻村深月解説より)は、諦めてしまった惰性の日々という感じである。
しかし、主人公・梨々子は気づく。10年かかったけど。そんな彼女を私たちは笑うことはできない。何故なら、まだ私たちは気づいていないかもしれないからだ。
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【ゆるやかに変わってゆく。私も家族も。】田舎行きに戸惑い、夫とすれ違い、子育てに迷い、恋に胸を騒がせる。じんわりと胸にしみてゆく、愛おしい「普通の私」の物語。
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妻として悟りを開くまでの記…みたいだ。
××ちゃんのお母さん…と呼ばれたくない、みたいな話題はしばらく婦人雑誌をにぎわせた。
しかし、それを青臭いと言う、10年めの梨々子。
私も、それを“青臭い”とまでは思わなくても、自分という物があれば、呼び名なんかにこだわらなくてもいいじゃない、あるいは、それは、その付き合い関係における役名でしかない、と思う。
子供が給食を食べない、些細に思えることで親を呼びつける先生、妻の話なんか聞かない夫。
自分的にあるあるすぎて、いろいろ思い出す。
しかも、その描き方が秀逸だ。
過激な事件なんて何も起こらないのに、細やかに描きこまれた心情や日常だけで、読み応えがあり過ぎる。
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かなり個性的なタイトルなので、先入観を持たないよう裏表紙の解説文すら見ずに読んでみた。
結果は、、、
う〜ん。梨々子のような自己顕示欲とプライドが高い女性の一人称作品はかなり苦手。知人や家族に対してすら上から目線としか思えない評価を下し、そして己の現状を他人の所為にして自己憐憫に耽る。
自分が男性だからなのか、または単なる好き嫌いなのか、読んで得るものがない一冊でした。
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梨々子さんは孤独だ。一人立っている。
主婦だというのに。
夫や子供2人と一緒に暮らしているのに。
夫の鬱病を期に、東京から田舎に引っ越し、そこで暮らす梨々子さん。
彼女はちょっと綺麗で愛想が良く、そして少しだけ我慢をするひと。
ここまで書いて全く面白くなさそうな小説が、どうしてここまで面白いのか。日常っていうのはこんなにきらきらしてるのか(生活は地味です)。
社会の中で、何かを達成しなければならないと感じる事が多いけれど、本当は、ただ生きていくというのは、エキサイティングなのかもしれない。
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母になって人との距離のとり方が変化していくの、よくわかる。
私は○○のお母さんって呼ばれるのが大好きだしママ友にも恵まれたから
喪失感やストレスとは無縁の育児時代だったけれど(笑)
でも、お母さんでない自分、妻でない自分、について意識することはあるよね。
「お母さん」という名の役柄ではないけれど、こどもの前ではお母さんスイッチ入るし、母である自分はキライじゃない。
でも、そうでない自分の時間を大切にしたいと思う。
ちっぽけでも、ひとりよがりでも。
あらためて、そんな気持ちを再確認した作品。
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梨々子さんのひとりの人間として、2人の子どもの母として、妻として、悩みながら生活しているお話。「普通」であることとか、「平凡」であることとか、自分が何者であるのか、何者かである必要があるのかをぐるぐる考える。何が光なのかがよくわからなくて、読み進めるのが苦しかった。きっと、私の中にも間違いなくある見たくない部分なのだろうな。
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本屋大賞を取った作家のだったので買ってみた
途中はあんまりだったけど読み進めると面白かった じんわりとした面白さ
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タイトルと表紙に惹かれて
衝動買いしてみたら
2016年本屋大賞作家の本だった。
羊と鋼の森は文庫になったら
真っ先に買おうと思っている。
この本は 映像化されたら
真っ先に観に行きたい。
ほとんどの物語は梨々子の胸の中。
この映像化は難しそうだが
梨々子のつぶやきの一つ一つが
暮らす環境も性別も超えて
こんなにもしっくりと肌に馴染むとは。
チクチクと編み続ける編み物を
誰もが編み続けているんだ。
もうその言葉だけで
幸せだとか生きがいだとかの
誰にもわからないものになど
目を向けなくてすみそうだ。
上質の小説でした。
宮下奈都さんの綴る梨々子の内面の
言葉たちは本当にすぐれもの。
私も使いこなせるようになりたいな。
こんな言葉 うちのあたりにもあるのかな。
「あ?」
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たんたんと語られる、梨々子の日常。
東京から、田舎へ行くことになり、母として、妻として、全然ちゃんとではなく、でも決して投げ出さず、日常をこなしていく感じ。
旦那はかつて一目惚れしたはずなのに、
でも、嫌いではない感じの
あーー、そういうのあるかも…的な。
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人の感情を顕微鏡でみるような繊細な描写。人はひとりだけど、誰かのひとりでもある。その誰かとの関係のなかで、自分自身を見つけていくのかな。
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作家の宮下奈都さんは、「全国書店員が選んだ いちばん!売りたい本 2016年本屋大賞」を取っている。
本屋大賞になった本って、けっこう面白いんだよね。
という事で、大賞を取った本(『羊と鋼の森』)ではないけど、同じ作家さんの作品を読んでみたいなと思って。
で、これは(私にとって)大当たり。
もちろん、好き嫌いは個人差があるので、これをつまらないと思う人もたくさんいると思う。
ストーリー展開が大きくある訳じゃなく、一人の女性の10年間を淡々とつづっているだけなので、ページをめくるのがワクワクしてたまらないという訳でもない。
何も無いのだが、私はこの主人公に凄く共感してしまった。
鬱になってしまった夫。
それがもとで、会社をやめ都会から田舎に引っ越すことになる。
その田舎の、洋服屋のチラシのモデルになる時もある夫。
すなわち、ある程度カッコいいわけだ。
息子二人も、人見知りでコミュニケーションが取れないとか、発達障害があるとか。
小学校に何度も呼び出されても、強い信念をもっている主人公。
最初は、なんで私がこんな田舎で生活しなければならないの?
こんなハズじゃなかったとか、いろいろ揺れるんだけど、様々なちょっとした出来事の積み重ねでだんだんとその生活に溶け込んでいき、幸せを感じるようになる。
読了感が、なかなか良かったです。
この作家さんの作品は、他にも読んでみたいなと思いました。
なかなか、そういう作品に出合えないですけどね。
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学生時代はクラスの中でも美貌で注目され、恋も思うままにできた梨々子。
結婚し、二人の子供が生まれるが、子育ては期待通りにはいかない。
その上、かつては輝いて見えた夫、達郎は、鬱病に罹り、東京の暮らしから「脱落」する。
夫とは心が通じていないことにもがき、自分が「誰でもない者」だと突きつけられるつらさが、丁寧に描かれ、読んでいるこちらまで息詰まるようだった。
「ダロウェイ夫人」を引用しながら、主婦の飢餓感を描いた「巡り合う時間たち」のように。
その梨々子が、少しずつ変わっていく。
「自分は一人である」こと、「自分が誰でもない」ことを受け入れるようになっていくのだ。
それは、本当の意味で大人になったということだと、私は思った。
梨々子の二十代終わりから三十代終わりまでが描かれる。
地味な作品とも言えるけれど、実はかなり骨太な成長小説なのではないか、と思っている。
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図書館で。
この作者さんの本を読むのがこの本が最初だったらほかの作品を読もうとは思わなかっただろうなぁ…。出会い方って大事だな。
ものすごい自己顕示欲が強いというか見栄っ張りなヒロインがグダグダと私悪くないし、私頑張ってるしと主張しているようなお話で疲れました。なんていうのか主婦の妄想小説みたいというか。特にアサヒ君の件あたりはもう、都合の良い妄想としか思えない。
鬱とは言え家事にも育児にも非協力的でしかも独りよがりに物事を決断しちゃうなんてひどい旦那だと思うけど…この本の語り部は奥さんだけだもんなぁ。旦那側から見たらまるで違う話になるのかもしれないな、なんてぼんやり思いました。
独身の自分には結婚して夫婦になって子供まで居るのにこの二人はここまで分かり合えないのか、それでも繋がっていたいのか、という驚きのような感想を持ちます。もちろん子供もいるし簡単に別れてしまえとかそういうことを言っているわけではなくなんでもっと腹を割って話し合わないんだろうと不思議に思うのです。夫婦なのに。
話し合っても分かり合えないと思ってるのであればもう仕方ないのでしょうが…。孤独だ、一人だというのはわかるしある程度その通りだと思うけれども、だからこそ人間は言葉を使って思いを伝え合うんじゃないのかなぁ。
しかも家族で夫婦なんだし。いや、世の夫婦なんてみんなそうだよ、分かり合ってないよと言われればまあそれまでなんでしょうが。でも分かり合いたくて、誰よりもつながりを持ちたくて結婚したのではないのか?そのあたりよくワカランというか。(そんなロマンチストな事言ってるから独身なんだって話もあるかもしれませんが)
というわけであまり心に響かなかったです。
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一瞬、官能小説かと思ってしまいそうなタイトルですが、宮下奈都ですからちがいます(笑)。彼女が書く主人公はたいていが女性、学生とかOLとか。そして彼女の作品を読むといつもふんわりと幸せな気持ちになります。読後感の非常にいい作家さん。
今回の主人公は学生でもOLでもない、専業主婦・梨々子。昔から、学校一の美人ではないけれど、クラスで1番か2番。いつもにっこり穏やかであることを心がけ(計算し)、好かれる存在であると自負していた梨々子は、会社の役員にも気に入られます。その役員が梨々子に会わせようと連れてきたのは、海外営業部のホープ・達郎。一目惚れした梨々子は、あまりその気のなさそうな達郎に猛烈にアタック、落として結婚。潤と歩人という可愛い息子ふたりにも恵まれる。ところが達郎が鬱病に。会社を辞めた彼は、実家のある田舎に引っ越したいと言う。呆然としつつも達郎について行くしかなく、東京から田舎へと移る、その年が0(ゼロ)年。それから2年ごとに10年目まで、梨々子の目線で語られます。
一目惚れしたころとは変わり果て、15kgは太ったであろう夫なのに、田舎の紳士服店のチラシのモデルを頼まれたと嬉しそう。周囲からさんざんモデルみたいと言われてきた梨々子にはそんな話は来ず。悶々とする0年は、何をするのも馬鹿馬鹿しい。そんなそぶりは少しも見せずに微笑む梨々子ですが、隣りの住人には見透かされていたりもします。「自分が主役でありつづけたい人」だと。子育てに悩み、不倫に走りかけ、自治会の役員になり、最後には一人前の田舎の主婦になる梨々子。方言を見事に話せるようになった梨々子に、0年の彼女とはまったくちがう印象を受けます。これもやっぱり読後感のいい1冊。