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夕張市立総合病院の再生などに取り組んできた「戦う」医師、村上智彦氏による医療論。政治、行政、財界、マスコミ、医師・病院職員、そして「弱者」と捉えられがちな市民(患者)も含めて、あらゆる「敵」を名指しして、例外も生起もなく徹底的に叩くという趣旨で書かれている。
本人が過激すぎるように思うかもしれないというように、論調はかなり厳しいが、言っていることはかなり正論であると感じた。「戦う医療」から「ささえる医療」への転換は、超高齢社会を迎えるこれからの日本にとって必須であろう。予防医療の重要性は言うまでもない。また、市民(患者)自身が、病院依存体質を改め、健康意識を持ち、自らが医療をささえるという意識を持つことが必要だと感じた。
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残念ながら昨年お亡くなりになりましたが、氏の実践してきた地域包括ケア・支える医療は間違いなく、その意志を継ぐ人たちが紡いでいくことでしょう。私もその一員でありたい。
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著者は、医師であり、地域医療の専門家。
財政破綻した夕張市の医療再生にも取り組んだ人物。
著者は、夕張市を数十年先の高齢化が進んだ日本の「縮図」と見る。
悪化した財政に思い医療福祉支出がのしかかる。
その裏側では、日本社会に巣食う甘えとごまかしの構造が元凶となっていると。
「弱者救済」をタテマエに、自らの不摂生を棚に上げて医療にたかる市民、それに乗っかる行政とマスコミ。
自身が夕張などの地域医療に取り組んだ経験から、この国の病理を暴いていく。
特に強調されるのは、保健・医療・福祉の3つの役割を、きちんと分別して包括的にあるべき姿を考えなければならないということ。
保健とは、予防医療のこと。
住民が健康意識を高く持ち、生活習慣を改善して、定期的に検診を受ける。
それができている地域ほど、一人当たり医療費は低くなる。
医療(キュア)と福祉(ケア)の関係。
「治る病気を治療する」のが医療の役割であり、治らない病気と付き合いながらより良き余命を過ごさせるのが福祉の役割。
高齢化社会になると、この両者の境目が曖昧になっていく。
自宅で介護するのを嫌がり、「社会的入院」が増えていく、それが医療費負担の高騰を加速させる。
かつては殆どの人が自宅で最期を迎えていた。
ところが今では8割の人が病院で死ぬ。
人間は必ず死ぬ、病院にいても治らない病気が治るようにはなるわけではない。
チューブや管につながれて生命を維持するのと、自宅で穏やかに死んでいくのと、どちらが幸せなのか。
少々「闘う医師」感が強く打ち出されすぎな印象はある(まあ実際苦労されたのだろうけど)ものの、書かれていることは至極真っ当に感じられる。
というか、ここに書かれていることが「真っ当」と考えられる世の中にならない限り、超高齢化社会は乗り切れないのではないか?
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北海道で生まれ育ち、薬剤師から医師に転身して地域医療の再生に取り組む著者が、40億円もの負債を抱え経営難に陥った市立病院を2007年から引き継いだ体験を元に、医療にたかる「敵」の正体を暴く。日本の医療費が高騰している理由や、手厚い健康保険制度を逆手に取った悪質な「ごまかし」と「甘え」を糾弾し続けたが、残念ながら急性骨髄性白血病にて2017年に56歳の若さで死去、「最強の地域医療」が彼の遺稿となった。
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例外も聖域もなく徹底的に叩きます、と宣言した通り、高齢者や行政、マスコミに対しても容赦なくて痛快。努力もせず権利だけ主張してくる患者については日頃からも経験しているので、(生活習慣病なのに薬飲んでるから大丈夫と言って摂生しない、大した症状でもないのに薬を要求、やたらと検査したがる等)よくぞ言ってくれたという感じ。一般の人の健康志向を高める必要もあると思う。生活習慣病なら、一部遺伝的な要因もあるが健康に対する意識の問題。健康維持や疾病や治療、死について、学校で教え、向き合うべきでは?医療の知識をもっと共有し、身近にすることが必要だと思う。予防医療を進めなければ、日本の保険医療の未来はない。
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2006年に夕張市が財政破綻したのは聞いていましたが、まさかこんな事情だとは思いませんでした。
日本では医療費は3割負担で助かるな、とだけ考えていたのですが、確かに残りは税金で何とかしているんですよね。自分の思慮の浅さに気が付きました。
チームワークは個人がその責任を果たす事。誰かの為にも生活習慣だけでも整えます。