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極楽 大祭 皇帝 笙野頼子初期作品集 みんなのレビュー

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一般書

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みんなのレビュー2件

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紙の本

憎悪と殺意の文学

2006/01/24 19:27

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る

笙野頼子は非常に希有な存在だと思う。とにかく、こんなものは読んだことがない、という強い感触があるのだ。理由はいろいろ考えられるが、とりあえずここで拾ってみたいのは、「憎悪」や「殺意」を自身の文学の核の一つとしているということだ。フェミニズム的だとかマジックリアリズムだとかその壊乱的な文体とかも確かに特徴的だが、日本の作家で「憎悪」を笙野頼子のように常に意識して書き続けている作家はそうはいないと思う。

その憎悪も、たとえば裏切りだとか殺人だとか大仰なものではなく、きわめて一般的な小市民的な感情に近い。人間関係、家族関係、地縁のなかで醸成されていくという点でとても身近な憎悪、である。その意味で笙野頼子が扱う憎悪の形を知るには、デビュー作である「極楽」よりも第二作「大祭」の方が適していると思う。

この作は少年を主人公としている。「蚕」というその少年は五十年に一度の「大祭」と呼ばれる大きな祭りを待望している。それは、最近祖母を亡くし両親とだけの生活になってから、家庭の中に逃げ場を無くした少年が、世界全てが変化し解放されることを予期しているからだ。自己主張や感情を露わにすることを許さない父親と、行動や言動を穿って受け取り、自分のすることが受け入れられないと「悪鬼と化して怒り狂う」理不尽な母親とに挟まれ、いじめられるため学校にもずっと行っておらず、どこにも自らの居場所が存在しないという少年にとっては、五十年に一度という「大祭」だけが希望になった。

しかし、少年の希望は、学校にも行かない子供を大祭に行かせることはない、という父親の気まぐれによって潰えることになる。すべての逃げ場を奪われた少年は大祭を翌日に控えた夜、鉄アレイを持って両親の寝室に向かい、「これしかない、これしかない」と呟き続ける。

まるで逃げ場のない暗鬱な話だが、例えばこういうような感覚が、笙野の憎悪と殺意の源泉となっているだろうことは以降の作品を見てもわかる。自分は何をしたわけでもないのに、人には嫌われ悪意をむけられ、社会になじめないだけならまだしも、自分という存在そのものを枠にはめがんじがらめにし、その自我を否定しようという世界に対してむけられる憎悪と殺意。

たとえば「極楽」では、主人公は「世の中には何につけても憎しみの対象になりやすい人間がいるのである。檜皮はおそらくそういう人間の一人だったのだろう」と評されている。笙野頼子の小説の登場人物の多くがそうであるように、不器用だったりして周囲の人間と歩調を合わせられず、しかし頑固であったりするためにどんどんまわりとずれていってしまい、結果周囲から悪意をむけられても構わない人間扱いされるというタイプの一人である。そういう人間が抱く殺意や憎悪といったものが、笙野頼子の作品の中で大きなウェイトを占めている事は明らかだ。

この傾向は初期作品においては内向していき、第一長篇「皇帝」での「私」を否定する自己内対話に結実する。憎悪や殺意が外に発散されず観念的になっていくのである。この憎悪と殺意の問題は、近作「S倉迷妄通信」に至り再度全面化して扱われるほど笙野頼子という作家にとっての核である。

面白いのは、こういった悪感情をモチーフにしていながら、この時期の笙野頼子の文体がどことなく冷静で淡々としていることである。冷徹な客観化といってもいい。観念的で硬く、慣れないところも散見される文章だが、ある種の誠実さがある。はじめて読むには薦められない作品集だが、むしろここに書かれたような人間像には男女を問わず共感を覚える人間もいるはず。私自身も当時文庫化された本書で初めて笙野を読み、以降はまってしまった。

「壁の中」から

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2013/08/10 22:00

投稿元:ブクログ

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