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金融マン必読。
本のタイトル通り「金融の世界史」について非常に具体的かつ分かりやすく書かれている良書。
短期的な証券マン思考を改めるには、このような「金融史」を学ぶ方が良いと思う。
日々の株価推移、為替推移などのチャートのみを追うだけでは、歴史の一部分を切り取ってみているに過ぎず、なぜ現在の金融経済の世界が出来上がっているのか?という連続性を改めて認識できる本。
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科学力や技術力は一見すると進化したように見えるが、貨幣という概念を生み出して数千年、モノの価値を測るモノサシを得た代償として、その次元に拘束されてしまい、退化の一途を辿っているようにも感じる。この次元から超越することを考えていかないといけないな。
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初級者、中級者には大変分かりやすく、面白く読める本だと思います。いたずらに、大仰な言葉で読者を脅したりすることはなく、実はそれでいて、金融の大変な危険性、リスクを冷静に説明してくれる好著です。
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金融の世界ほど歴史を知ることが重要な分野は少ない。大まかに歴史は分かったものの、もう一歩踏み込んで知りたかった。
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最初のほうは
お金や金融商品のなりたちが描かれ
また読みやすくておもしろかったが
徐々にわからなくなっていって
自分に残念
きちんと読めると面白いだろうと
思える本
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経済に全く疎い自分でも、一応金融史を俯瞰することができた。
先のことはわからないということですね。
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金融の観点から書かれた世界史の通史です。金融にかかわる部分については、当然、日本に関する記述もあります。古代において貨幣の考え方がすでに出来上がっていたのも興味深かったのですが、株式会社が歴史に登場してきた大航海時代辺りの解説が一番面白かったです。
イギリスがまだ新興国だった時代、スペインから独立したばかりのオランダが実力をつけて、アムステルダムとロンドンの関係が、ニューヨークと上海・インド辺りの関係だったころのイメージが私の中ではダブりました。江戸幕府がオランダとのみ交易したのは、つい最近までアメリカとメインに貿易していたのと重なりますね。
国債や紙幣がなぜ発行されてきたか、その背景には多くの商人が発行元である王様を信じていて裏切られて破産した歴史があることもおぼろげながら分かりました。
今起きていることには、必ず背景があることは、どの世界でも同じなのだなという思いを強くした本でした。
以下は気になったポイントです。
・戦国時代を描いた歴史小説で出てくる銭1貫は、銭1000枚のこと(p38)
・フランスはNY連銀に預かってもらっている手持ち資金(ゴールド)を売却したが、実際には移送することなく、保管してあったゴールドの一部を別の棚に移し替えた(ラベルの付け替え)のみ(p42)
・中世の地中海交易では、コショウと並んで奴隷が主要製品、奴隷貿易は1807年にイギリスが最初に禁止、1863年にオランダが最後に禁止にするまで続けられた。キリスト教では「肉体を束縛することは精神の救済に役立つ」と折り合いをつけた(p55)
・ユダヤ教でも「外国人からは利息を取っても良いが、同胞からはいけない」と旧約聖書にある(p55)
・アラビア数字は、数学者の間ではセンセーションとなったが、金融分野ではなかなか使用されなかった、アラビア数字は改竄されやすかった、グーテンベルクが印刷金を発明(1445頃)して活字ができてから(p62)
・1672年に英国王チャールズは債務不履行をおこし、債務を引き受けた金匠は破綻した、しかし国債引受に参加できなかった小規模な業者は公証人銀行とともに生き残り、個人向け銀行の母体となった(p70)
・胡椒が腐った肉に使われたというのは間違い、コショウを買える身分の高い人は腐った肉は食べない、あくまで肉を美味しくする調味料、おいしさへの欲求が胡椒貿易へのこだわりを生んだ(p71)
・大航海時代に先立つ鄭和の大船団が7度、インド洋を横断したのはスケールが大きい、137メートルの巨漢を中心に62隻、乗組員2.78万人、コロンブスサンタマリア号は18メートル、ペリー旗艦で78メートル、この事業を止めたのは、万里の長城建設のため(p75)
・スペイン人コルテスが600人でアステカ王国を滅亡させたか、いろいろ理由はあるが、持ち込んだ伝染病が先住民を壊滅させたことによる、1500年に5000万人いた人口(移住した欧州人含む)が、1650年には400万人になった(p76)
・イギリスは重商主義(金や銀貨の海外流出を制限)だったので、当時のアメリカではポンド通貨は不足してため、��キシコドルが広く使われた(p80)
・12世紀に設立されたコーポレーション・オブ・ロンドンは、シティの4分の1の土地を所有、なので、ロンドンには、自治体首長の大ロンドン市長と、その会社の「ロンドン市長」がいる(p91)
・イギリスの東インド会社は、後のインド植民地経営によって存在感が大きくなるが、当初では、オランダン東インド会社の10分の1の規模(p94)
・1600年頃の一人当たり実質GDPは、オランダ:2175、イギリス:1440、最強のスペイン:1370、ポルトガル:1175ドルであった(p94)
・オランダは当時利幅の大きかった胡椒貿易に固執したので、1667年の第二次英蘭戦争において、東インド会社のナツメグ山地でしかないルン島と、NYのマンハッタン島を交換した(p95)
・イギリスでは株式ブローカーはマナーが悪く、王立取引所には入れてもらえなかったので、近くのコーヒーショップ(後のロンドン証券取引所)に集まった(p98)
・オランダチューリップの球根価格が上昇した季節は、球根が土の中にある時期、受け渡しの時期に暴騰した、かわりに先物が取引され、決済は差金決済、暴落が始まったのは3月に現物が入って受け渡しが始まるから(p101)
・オプション、先物取引は世界各地に見られるが、整備された制度をもつ市場としては、堂島米相場会所は世界初であろう(p129)
・17,18世紀のイギリスおよび欧州政府のファイナンスは、アムステルダム市場に依存していた、イギリスは対外債務国であったから(p133)
・英蘭戦争と、フランス革命戦争によるフランス軍の侵入(1795)により、オランダはフランスの衛星国(バタヴィア共和国)となってアムステルダムは衰退、そしてユダヤ商人はロンドンへ移住した(p134)
・戦費に困ったナポレオンは、1803年にフランス領ルイジアナを1500万ドルで売却した、その広さは、現在の領土の23%に相当する(p135)
・米国政府の代理人であったベアリング商会は、アメリカ領土購入のための連邦債を販売してナポレオンのために現金化、フランスの戦後賠償資金もフランス国債を発行した、これらを通じてロンドン金融市場を支配した(p136)
・1837年にコネチカット州において、株式会社設立に法律を作らずに、登記のみですむようにした、大規模な資金を必要とする鉄道事業のため(p144)
・1861年にリンカーンが大統領に就任すると、5日後には、南部連合議会は、北部とは別の財務証券と独自通貨を発行した、これが南北戦争のはじまり(p149)
・日露戦争後の利払い費と借換費の合計である国債費は、国家予算の3割、これは第一次世界大戦の特需により返済した、債務を重ねたロシアは革命によってデフォルト(p158)
・1兆紙幣マルクが1金マルクトナッタ時点で、金貨値を基準とする臨時通貨(レンテンマルク)が発行された、それは、1ポンド20.429マルクであった、国債保有者は額面の40分の1の価値で新国債と交換した、1兆分の1にはできなかった、この損失分がインフレ税(p166)
・1904年当時の東京株式取引所の主要銘柄は、日本郵船、鐘紡、���斯、電灯を除くと殆どが鉄道株、ロンドンもニューヨークも同様(p179)
・円は1871年(明治4)により、金1.5グラムを1円とした、金換算すると1ドル=1.003円となる。これは、幕末に流通していた万延2分金(1両の半分)の金換算の延長で、1両=1円とされる(p182)
・1882年に兌換紙幣が発行されたが、兌換対象は1円銀貨、日本は新貨条例で金を基準に円を決めたにもかかわらず、金銀複本位制をとった、日清戦争後に金本位制になったときには、1ドル=2円で固定された(p183)
・1943年に、軍需省を設置、民間会社に対して「軍需会社法」が制定され、重要産業を「軍需会社」に指定し、企業代表者には公務員資格与え、従業員は徴用扱い、法的に勝手に会社を辞めたりできなくなってしまった(p189)
・新円の引出しは厳しく制限されていたが、株を買って売却すれば簡単に「新円」の現金を手にすることができた(p196)
・50-70年代にかけての日本の輸出はGNPの11%程度であり、欧州先進国の半分以下であった(p212)
・戦前に販売した投資信託は、1950年5末に全て償還を終えた(p213)
・レーガン大統領の大きな決断は、航空管制官ストライキに参加した公務員は解雇、再雇用まで禁止、これによりアメリカにおける労働組合主義の敗北となった、これにより公務員解雇は普通に行われるよういんあった(p224)
・ニューヨークダウ平均が正規分布であると仮定すると、2.98万日のうち、マイナス5%以下の日が発生する確率は、実は0.22日しかない。またブラックマンデーのマイナス22.61%という下げ確率は、10の80乗日の確率になる(p250)
2013年9月29日作成
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金融の世界史的イベントと発展について、シンプルにエピソードを積み重ねる形で記述している。著者はヘッジファンドマネージャーのようだが、特にバイアスのかかった感じがないのがこの手の本では珍しい。
イギリスの海賊の略奪が民間資本の蓄積に貢献した、ジョン・ローは私腹を肥やさなかった、アムステルダムの東インド会社証券を取引するための都市引き所はロンドンに先駆けること170年前だった、ロンバード街はイタリアのロンバルディア出身のものが多かったから、名誉革命から債券は国王ではなく議会により発行が決議された、
など。
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メソポタミアで農耕が始まった頃に原始的な徴税のしくみが生まれた。穀物の再分配のためには記録が必要になりシュメールの粘度板には在庫管理だけでなく不動産取引も記録され所有権移転のしくみがあった。ハムラビ法典には銀や穀物の貸し借りに対する利子の規則が定められている。ちなみにまだ貨幣は発明されていない。小麦であれば順調にいけば1年後には当時のメソポタミアでは20倍以上に増える。1年後の小麦が貸した方から借りた方に移転していると考えれば返す時には量を増やして返すのは当然のように思える。これが利子の発明だったのかもしれないのだ。
コインの発明は金、銀を一定の比率で同じ重さに切り分けたものから。原料費と額面の差額が発行者の利益になった。紙幣の場合は素材には価値が無く信用が元になっている。宋の時代には手形が発達しこの証書が貨幣の変わりとして使われたことから紙幣が使われる下地になった。政権の権威が凋落すると紙幣は流通できなくなり金貨や銀貨が復活する。ミクロネシアで使われた大きな石の貨幣も信用が元になっており現物の引き渡しは無くてもよかった。有る時には先祖が削りだした石を持ち帰る時に船ごと沈没したが証言者がいたため貨幣として認められた例もあるらしい。島に来たドイツ人は石にX印をつけ返して欲しければ道路整備のために働けと脅した。島民は破産を怖れて一生懸命働いたそうだ。道路完成後にはX印は消され島民は金を取り戻した。笑い話の様だが同じことは先進国でも起こっている。大恐慌の直後にフランスはニューヨーク連銀にある手持ちのドルを金に換えた。金本位制の停止を怖れたのだが金はそのまま連銀に預けて帰った。ラベルを張り替えただけなので石にX印をつけるのと変わらない。アメリカでは金が国外に流出していると騒ぎになった。
金融派生商品デリバティブの歴史も古い。世界最初のオプション取引はギリシャ時代にアリストテレスから世界初の哲学者と紹介されたタレスがやったものだ。タレスはある年のオリーブが豊作だと予測しあらかじめオリーブオイルの搾油機の使用権を買い占めた。予定通り豊作になるとタレスは搾油機の権利を売り大もうけした。手付金をオプション料と考えればいろんなものが取引できる。
銀行、為替、株式、保険などいろいろなものが大きく発展を始めたのは大航海時代からだ。複式簿記、減価償却などもこのころにはできて来ている。グーテンベルクの印刷機は書類の偽造を困難にしヴェネチアに銀行が生まれた。それまでも現物の貨幣の両替は行われていたが、帳簿と手形だけで決済や資金の移動ができるようになったのだ。一方で信用の創造は17世紀のロンドン、預かった金に対する預かり証が貨幣の代わりに使われ、ゴールドスミス(金の保管業者)は預かった金以上の貸し出しが可能なことに気づいた。新大陸で発見された大量の銀はメキシコ・ドルとして世界中で流通した。イギリスの海賊フランシス・ドレイクがペルーからパナマ経由で大量の銀を持ち帰り次いで太平洋横断から世界1周公開を企画した。これに投資したエリザベス1世は大儲けし対外債務を全て返済しさらに余った金で東部地中海のイスラエル辺りを開発するレヴァント会社に出資した。この会社が儲けた金で作られたのが東インド会社だ。東インド会社を首になった中には有名な海賊ジャック・スパローもいる。イギリスの東インド会社は1航海1事業とした特許会社で出資者が無限責任を持つ共同事業体だった。これに対してオランダの東インド会社は出資者の責任は出資金の範囲の有限責任であり、21年間の全ての航海を一つの事業とした。また株式は誰でも買える近代的な株式会社でアムステルダム証券取引所で株の取引が行われた。
国債の誕生はイギリスの名誉革命から。それまでは戦費を国王の個人的な借金でまかない、たびたびデフォルトしたり、貨幣の作り替えでインフレにして借金を返済したりしていたが、権利の賞典により王の権限が制限され主権が議会に移った。これにより借金の主体は王個人ではなく国家に変わった。保険の歴史も古いが1678年にロンドンのロイズ・コーヒーハウスでは海上保険が売買されるようになった。投資家は航海が無事に終われば分け前がもらえる変わりに損失が出れば無限責任を負う。
ナポレオン戦争でも資金調達は争点になっている。オランダを支配下に置いたナポレオンは金融業者を追い出し、アムステルダムに変わってロンドンが金融の中心になった。戦費調達に困ったナポレオンは1803年フランス領ルイジアナをアメリカに1500万ドルで売った。アメリカ中部15州をまたぎ現在のアメリカの23%の面積を締める。1867年日本では坂本龍馬が暗殺され大政奉還があり、マルクスが資本論を書いた年に世界で初めての国際通貨会議が開かれた。ナポレオン戦争の復興資金は金本位制のロンドンでのポンド建て公債として調達されており、フランスを始めとする国は金本位制を導入し世界的な通貨同盟を支持した。しかし肝心の金の現物なしでは話にならず、銀を売って金を買ったこのため金と銀の交換比率は15倍からアメリカが金本位制を採用した1900年代後半には30倍を超えるようになている。日本は日清戦争での賠償金を元に金本位制を導入し、また日露戦争の戦費調達は金本位制だからこそ可能だった。後に第二次世界大戦に突入する原因となったのは資源の確保が原因だが、これはドル建てであり日本は絹のストッキングをアメリカに輸出してドルを稼いでいた。しかしナイロンの発明とともにいずれは無くなる運命だったことが1996年に機密解除になった外交文書に書かれている。高橋是清の積極財政が始まるまで1ドル2円ほどだったのが金本位制からの離脱により一気に4.7円への急激な円安が進行している。1941年7月以降アメリカの預金封鎖により決済資金のドルは上海などで闇で入手するしか無くなったがこのレートは1ドル8〜9円だった。売るものは無く円安のため資源は高騰と資金面で首が絞まっている。ここだけ見ると今の北朝鮮のような状況に置かれていた様だ。その後は東南アジアに侵攻し自給自足を目指し更なる経済封鎖を受け、例え金を持っていてもドルとは交換できなくなった。東京株式市場は大本営発表を受けて1943年半ばまで上昇を続けたがダウ・ジョーンズ工業指数の底は1942年の4月が底でまだ日本が勝ち続けている時に反転している。
戦後のターニングポイントは1971年のニクソンショック。このころ日本���一人当たり実質GDPはイギリスに追いついた。ニクソンショックから生まれたのがシカゴの先物市場、為替やモーゲージ債、原油など値のつくものは何でも商品になるのはここからが。そして76年には金利先物が生まれ81年に適法になる。現物決済が不要な商品が生まれたことでマネーの受け皿ができてしまい後のサブプライムローン問題につながっていく。そして85年のプラザ合意で円高が進むとともに政府の低金利政策は続きバブルが生まれた。ドル建てで日経平均を見るとニクソンショックから89年の最高値まで年率30%で上がり続けた。
現代史では市場は効率的かそれともそれとも投資家がインデックス投資に勝てるのかの議論が興味深い。1896年から2012年までのNYダウの日時収益率をデーターに取ると中心部はきれいなベルカーブを描きランダムウォークをしているように見える。しかし、正規分布であれば合計29850日のデーターのうち5%以上の上下をする確率は0.22日分しか無いはずなのに現実にはブラックスワンは97日も存在していた年に1度は異常値がでることになる。それでもインデックスに勝ち続けるのはウォーレン・バフェットなどの1部の投資家だけのようだ。バフェットも重視している時価総額/GDPという値を見るとバブル崩壊後は60〜100%で推移しており2013年はおよそ90%になっている。
100年後の金融史にアベノミクスと各国の通貨切り下げ競争はどう評価されるのだろうか。弱い通貨のインフレは既に起こっている。
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◼︎2014/08/17 読了
◼︎金融に関する歴史を概観できる。
◼︎特に55話以降は現在にもつながる歴史であり、読み応え十分。
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この分野は特に巷に乱雑な本が溢れているので、日本人の書いたものを読もうという気はあまりしていなかった。しかし、これはなかなかよい本で、脱線しない程度によく調べてあるという印象を受けた。
どの本からの引用かというのがわかりやすいので、概要を掴むのに良い。特に国内の事象については海外の本だとあまり言及がないので、そういう意味でも理解が深まってよかった。
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金融とは何か。デフレ、インフレ、バブルが繰り返される。人間の欲が生んだ悪弊か、叡智の営みか。金融を考えるきっかけになる。
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世界史の中で金融に関する話を抜き出した本。
前半はお金の成り立ちから始まって中世、近代と流れる中で大きな出来事を取り上げてる内容。
中盤で戦争と絡む部分は日本に関する話が多くなり、一般的な話と違った世界観を感じ、また、戦争と金融の密接な関係が描かれている。
最終章は投資理論の展開となっており、複雑怪奇になった現代の金融の理論的背景の解説となっている。
雑誌に連載、寄稿したものを基にしてるので、全体的に小話の集まりといった印象。
小話として容量が膨らまない話は取り上げられていないようで前半部分は金融の世界史と言うには物足りないが、副題にもある通り戦争と株式市場を巡る話はかなり具体的に書かれててとても興味深かった。
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金融の歴史を概観。全体の流れがあるというよりは細かいトピックに分けているので気楽に読める。金融関係者であればどこかで聞いたことのある話でサクサク進む。
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13章以降、金融の基礎知識がないため挫折気味。しかし、前半の大航海時代などの話は胸踊る楽しさだった。金融の世界史
世界史をお金の観点から考える本。自分自身来年から金融業界で働くことに決まったので、金融の起源に興味をもって読んだ。大航海時代が、いまでいうベンチャー投資のような時代であったという話が面白い。航海を志す人々が、資金力のある王家にプレゼンをして、資金援助をもらい、航海が成功した場合に香辛料などの売買で生まれた富を配当金として受け取るという仕組みであったという。コロンブスはインドへの計画を様々な王家にプレゼンテーションをして何とか資金援助を受けて航海に出ていった。そうした歴史的航海の数々がほんの5年ほどの間におこり、いわゆる大航海時代がスタートし、最終的に多くの植民地を持ちえたために産業革命に成功し、西洋がその後の世界の覇権を握るという流れがある。ここで面白いのが、当時の中国において鄭和の大船団がアフリカまで到達していたということ。そしてその船というのが当時の西洋とは比べ物にならないほどの技術力と規模を誇っていたという事実。しかし、結果としてモンゴル帝国の拡大による国防費の増大により、鄭和の航海計画は志半ばとなった。筆者は東西の権力の在り方について語り、東洋はおうおうにして意思決定機関がとても限定されていて、統率力がある反面、一人のトップの判断で歴史が変わってしまう。一方西洋は、意思決定機関が複数あり、コロンブスの様なベンチャー青年がほかに断られても結果的に航海に繰り出せるという点で、統率力こそないが一か八かで大発見や大成功が起こるという見解を述べている。歴史にIFは禁物というが、鄭和の大艦隊が喜望峰を回り、ヨーロッパ、さらには大西洋を渡りアメリカ大陸まで到達していたらと思うと、なんだか面白い。その他、歴史的事件をお金の側面から描く本作は、歴史好きにとってはとても面白い読み物だろう。ただ、自分は金融に関する用語や経済学について無知であったゆえに現代になるにつれて理解度が加速度的に低下してしまったのが悲しい。いずれ読み直した時には、現代の金融史を楽しめるようになりたい。