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9/23
どちらかというと「日本文化私観」に安吾のすごさがある。
終戦後とはいえ、あんなことよく言えたもんだ。
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坂口安吾は戦中~戦後にかけてユニークな日本国家論を提起した。
「日本文化私観」では、日本文化とは伝統的建造物などではなく、そこにあった人、生活、風俗そのものが日本の文化であるとした。また、「我が人生観」でも文化というものは、過去にもとめるよりも、未来にもとめる建設の方が大切と説いている。
また「堕落論」「続堕落論」では古代から天皇は政治利用される存在であり、神聖にして侵されないけれども、藤原氏を始め、幕府、尊王攘夷派、軍部の不敬なる企みに使われた。そしてその者達が先頭を切って崇拝することにより、やつらは強大な権力を振りかざしたと斬り捨て、東京裁判に雁首揃えて生き恥をさらす将軍達を痛烈に批判している。
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2010年8月20日 読了。
珍しく岩波文庫など。
『桜の森の満開の下』『白痴』などで有名な坂口安吾の随筆集。『堕落論』がおもしろかった、などと後輩が言うものだから読んでみました。
個人的には『堕落論』より『続堕落論』のが好きかな。けっこう頷けたり刺さったり。『青春論』『恋愛論』あたりもなかなか。
言いたいことを遠慮なく言い放つような文章が小気味良くて、本を読んでいるというよりは、お茶でも飲みながら本人の話を傾聴しているような気分。
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堕落論
元来日本人は最も憎悪心の少いまた永続しない国民であり、昨日の敵は今日の友という楽天性が実際の偽らぬ心情であろう。昨日の敵と妥協否肝胆相照らすのは日常茶飯事であり、仇敵なるがゆえにいっそう肝胆相照らし、たちまち二君に仕えたがるし、昨日の敵にも仕えたがる。生きて捕虜の恥を受けるべからず、というが、こういう規定がないと日本人を戦闘にかりたてるのは不可能なので、我々は規約に従順であるが、我々の偽らぬ心情は規約と逆なものである。日本戦史は武士道の戦史よりも権謀術数の戦史であり、歴史の証明にまつよりも自我の本心を見つめることによって歴史のカラクリを知りうるであろう。
(中略)
運命に従順な人間の姿は奇妙に美しいものである。
米人たちは終戦直後の日本人は虚脱し放心していると言ったが、爆撃直後の罹災者たちの行進は虚脱や放心と種類の違った驚くべき充満と重量を持つ無心であり、素直な運命の子供であった。
(中略)
私は戦(おのの)きながら、しかし、惚れ惚れとその美しさに見とれていたのだ。私は考える必要がなかった。そこには美しいものがあるばかりで、人間がなかったからだ。実際、泥棒すらもいなかった。近ごろの東京は暗いというが、戦争中は真の闇で、そのくせどんな深夜でもオイハギなどの心配はなく、暗闇の深夜を歩き、戸締まりなしで眠っていたのだ。戦争中の日本は嘘のような理想郷で、ただ虚しい美しさが咲きあふれていた。それは人間の真実の美しさではない。そしてもし我々が考えることを忘れるなら、これほど気楽なそして壮観な見世物はないだろう。たとえ爆弾の絶えざる恐怖があるにしても、考えることがない限り、人はつねに気楽であり、ただ惚れ惚れと見とれておればよかったのだ。私は一人のばかであった。最も無邪気に戦争と遊び戯れていた。
終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、みずからの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。人間は永遠に自由ではありえない。なぜなら人間は生きており、また死なねばならず、そして人間は考えるからだ。
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安吾の作品について語ろうとすると、どうしても安吾について語ることになってしまう。
私にとって、こういう作家はほかにいない。
安吾の文章は、安吾の血肉なのではないかと思ってしまう。
そう思うくらい、私は彼と彼の作品を区別できない。
「文学のふるさと」「日本文化私観」が好き。
ドライアイス工場を美しいと思う安吾を、私は愛します。
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一言で言えば、小難しい。
何言ってんのか訳分からんしつまらん、てのが正直半分くらいの感想。
でも時々すごく面白いところもある。
これはエッセイ集みたいなもので、
かの名高い「堕落論」はそれ自体は10ページ足らずのもの。
第2次大戦になる前、また突入して、そして終わるという時代背景がある。
多数のエッセイで、似たようなことも書かれているが、個人的には「デカダン文学論」が一番ぐっときたかなぁ。
まぁしかしあれやこれやを書いて書いて書きまくっている。
各方面同時代作家に対する批評がすごい。
特に夏目漱石に対するディスりようが白眉。
そういうあなたもそれ屁理屈こねこねしてるだけじゃないの、と思ったりするけれど、まぁこの人はこの人なりの信念があってそれをぶらさずただひたすらに書き貫いている、ということはわかる。
つまり、生身の人間の本性、欲望、現実生活に即した欲求、それこそ万歳ということ。
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わび・さびか。幽玄か。悟りすましたように文学は終わったというか。笑止――
坂口安吾の随筆集。堕落論、日本文化史観、文学のふるさと等、14編を収録。
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私がもっと幼い頃に読んだなら共感する部分もあったのだろうか。何はともあれ、久しぶりに退屈な本を読んだ。今となっては目新しい主張でもないし、納得できない部分も多々あった。つまり、浅いのだ。すごく、ではなく、少し、浅い。もう一歩踏み込んで考えを深めるべきなのでは、と思う。一体、右を左と書いて何がいけないのだ。事実がそれほど真実であるだろうか。そして、所詮は男の書いたものなのだな、と思わせるようなくだり。こういうものを読むと、小説家は随筆の類を書くべきではないのではないか、と思えてくる。言葉は、伝わらないかもしれない。それでも随筆の類で考えを主張するのではなく、小説家ならば小説によって主張すべきではないのか、と。坂口安吾は随筆が人気だとどこかで聞いた気がするが、それが彼の限界を示しているのかもしれない。
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集英社版の堕落論を読んで、非常に感銘を受けたので他のエッセイも読みたく思いこちらも読んだ。非常に面白く、新たな思想に触れて感銘を受けると同時に、数を重ねる事で彼の思想が立体的に浮き彫りになってきた気がする。非常に首尾一貫した、人間愛者だと感じた。ネガティブなイメージが先行してしまうのかもしれないが、彼の人生に対する態度は、彼が戯作について述べていたような『徹底的な肯定』と通じるものがあり、人生の、人間の汚い面や悪い面なども、全てをぐいと飲み下して肯定してしまう、そう言う奮闘の姿なのだという事がひしひしと伝わってくる。
彼が繰り返し強調する概念の中に見えたのは、肉体性というものをきちんと見据える姿勢だった。教祖の文学の中で、小林秀雄の批判を通して彼が述べていた事は、小林自身が『自分は小説の才能がなく、批評家にしかなれなかった。』と言う言葉と重なる。小林のような徹底的な客観性に基づき、論理と抽象化により、無機質で普遍的な真理を究明していく徹底的な態度と言うものは、事実から肉体性を排除してしまうものであった。坂口安吾は繰り返し、小説とは個別性であり、個人性であると述べ、つまりそれは肉体的な営為であるのだから、この点において、文学者としての坂口安吾と批評家としての小林秀雄が、このような対照をなすと言うのは当然のことなのだろう。私は小林秀雄が非常に好きだが、文学と言うものを考えた時に、坂口安吾の言うような地に足のついた、肉体性に根ざした感覚と言うものを大事にしたいと感じる。
青春論で述べられていた淪落的な生き方もそうなのだが、やはり坂口安吾と言うのはどこまでもまっすぐで、人生に誠実であったのだというのを感じた。死んだら終わり。それまで。そう言う風な考え方を徹底している。勿論、現代の人間においては特にだが、社会的動物としての人間が個人の死によって完全に消滅するかと言う観点から見るとそれは肯定できるものではないが、この言葉をそう言う風に字面どおりに受け取るのは違うと感じた。つまりその言葉は、彼の『生きている時間は少しでも大切にしなければならない』と言う、人生に対する真摯な態度を何より象徴しているのだと思った。彼が作中で述べたように、彼は女性が老いて美を失う事を恐れるような感覚は持っていなかった。老いというものが彼にとってはそう大した問題でなかった。だが、女性のそう言う態度を肯定し、そのような、時間を惜しむ人生と言うものに価値を見出している。だから彼は自分の生命を、女性にとっての美と同値に考え、女性が老いを恐れるように死を恐れようとした。若さに縋るのではなく生命に縋り、生きている時間と言うものをどれだけでも濃密なものにしようとした。そう言う必死でがむしゃらな態度こそ、彼が繰り返し肯定していた、肉体的な生き方であった。芸術は長く、生命は短い。だが、長さは決して価値と同義ではない。どこまでも『自己』を出発点として、ブレずに世界と向き合おうという姿勢には、我々の学ばなければならないものが多分に潜んでいると思う。
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坂口安吾、この人は駄目だな。個人的には全く合わない気がする。
文章が思いつき、というか飛躍が多く、繰り返しも多い。明らかに原稿用紙の升目を埋めるために書いているようなものもあって、そんなものを有難く拝読しなくてはいけないのだろうか?なんだかんだいっても結局最期は「生きることだ」みたいな結論で、説得力がない。
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短編小説の名手といえば、外国なら、
モーパッサン、チェーホフ、S・モーム、O・ヘンリー、ダール、ポー、
あたりがまず頭に浮かんできますね。
特に、ロアルド・ダールが大好きです。
ヒッチコック映画を観ているようでぞくぞくします。
日本で言えば、
森鴎外、永井荷風、芥川龍之介、志賀直哉、稲見一良、山本周五郎、藤沢周平、
江戸川乱歩、星新一、松本清張
あたりでしょうか?
特に、稲見一良「ダック・コール」は絶品ですね。
で、随筆の名手、特に日本人でいうと、まず筆頭にくるのが丸谷才一でしょう。
その他、内田百間、寺田寅彦、柳宗悦、日高敏隆ぐらいがぱっとうかんできます。
特に、丸谷才一の博覧強記ぶりには舌を巻きます。勿論文章はピカイチ!!!
所が、最近、坂口安吾の随筆にはまっています。
恥ずかしながら、彼の小説といえば
「不連続殺人事件」ぐらいしか読んだことありません。
更に恥ずかしい事に、あまりにも登場人物が多くて
犯人が全くわかりませんでした(⌒-⌒;)
その坂口安吾の随筆は小説より面白いと解説文ありますように、
読み始めたら止まらなくなります。明快で読みやすいです。
例えばこうですー
『空にある星を一つ欲しいと思いませんか?思わない?
そんなら、君と話をしない。』(「ピエロの伝道者」)
どうです?おもしろそうでしょ?そう思わない?
そんならあなたと話しない(o^。^o)
ざーと目を通し、今読み返しているところですが、
私にすれば多分にこじつけというか、独断的な部分はありますが、
でも、面白いです、是非おすすめします。
そう読みたくない?そんならあなたとお茶でもしましょう\(^-^)/
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高校生の時からずっと繰り返し読んでいます。坂口安吾のことを勝手に先生と呼んでるくらいに好きです。私たぶん坂口安吾教の教徒なんだと思う(笑)時代を感じさせない独自の切り口と、人生或いは生に対するひたむきな考えがすごくかっこいいなって。過激なことを述べながらも丁寧な言い回し・配慮を怠らない書き方が好きだなあ、と惚れ込んでます(笑)文豪と呼ばれる人々の中で一番好き。
堕落論、日本文化私観などの著名な作品をはじめとした短い作品が収録されています。
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読んでいて、正直難しいと思う部分が多かったです。
しかし全体を通して、筆者の一貫した思いを感じるエッセイでした。強い思いがあって書かれたものだと感じました。だからこそ、書かれた当時から時代は変わっても、変わらず読み継がれ、胸に響く文章なのだと思います。
とにかく、苦しくても悲しくても、もがいて生きよう、という気持ちにさせてくれました。
もう少し内容が理解できるようになった頃に、また読みたいです。
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途切れ途切れで読んだから感想書きにくいけど読みやすかったです。目次も読まずに借りたから「不良少年とキリスト」が入っていてラッキーだと思った。
「不良少年とキリスト」は、太宰治って思ったより「人間失格」そのものの性格してたんだな…って感じ。もっというと人間失格の幼年期がそのまま大きくなったような。
成増図書館 岩波文庫
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甘ったるい偽善的な装飾を嫌い、徹底してものごとの奥底に光る「ホンモノ」を見つけ出そうとした文豪:坂口安吾。その格闘の軌跡。