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川上弘美、田口ランディ、坂東眞砂子あたりの得意なジャンルだと思うが、なかなか良かったです!
日常描写が角田光代らしくて良かった。
ホラーは苦手だけど、そんなに後味悪いものは無かった。
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おみちゆき
和尚様が人身御供となっている。その確認を目の良くない母と共におこなう征夫。
和尚様は、征夫が学校に上がらないころに米や野菜を食べることをやめ、木の皮や水の代わりに漆を飲んでいると言う噂があった。痩せ衰えたのち、知るはずがないことを知っているように話すようになった。どこぞの嫁様に亭主が怪我をして帰ってくるからお医者様を呼んでおきなさいだとか、じきに稲妻が落ちるから家から出ない方が良いだとか。そうしたら本当にその事柄が起き、みなが和尚様に一心に祈るようになった。
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角田光代氏の作品とは思えないような、本であった。
8話からなるのだが、どれも、不気味さ、異様な雰囲気を加味し出すような物語である。
戦争前では、このようなことがありえたのだろうか?
僧侶の即身成仏の話のような「おみちゆき」。
遊びで、友人が、スーツケースに入ったまま放置して、親に告げずに去ったことで、その友人は死に至った事件の同級生たちの苦悩を表した「同窓会」。
「闇の階段」「道理」 意味不明な言葉や、明確な言葉を厳格に使用する女に追い詰められていく様。
「前世」と「わたしとわたしでない女」時間の空間が、相互に入れ替わり、何が真実なのか?と、思ってしまう。
「かなたの子」「巡る」--「くけど(潜戸)」島根県に、本当にこの場所が、あるのだと、知った。
生と死の堺が、あるように、光があれば、影もある。
泉鏡花文学賞受賞と書かれていたが、余り好きな作品ではなかった。
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全部怖かった!…(T_T)
目次のところが 二つづつにわかれていて 内容が少しにている話どうしだった。
最後の「巡る」が一番角田光代さんらしくて好きでした。「道理」はめちゃくちゃ怖かった!
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いのちに関わる短編8編。全てもやもやしたまま終わる土着の物語風あり、ホラー映画風あり。命の話は突飛な話でなく日常の中でこそ重く伝わる、と考える。しかし色んな作風のある人だ。
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短編集。
ホラー?なんだろう、全体的に怖い。
昔の話が多い。
単純にあんまり短編が好きじゃないのと、こういう部類の本が好きじゃない。
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出会うべき大事なものを探し求めて彷徨うこと、そしてそれをせずにはいられない本能のようなものを感じた。
生きている自分と、今までに生きて死んでいった数々の命が繋がる。ひとりきりで生きて死ぬのではないのかもしれないと思えてくる。幾度となく繰り返され繋がれてきた命のサイクルの中に、私たちは永遠に生きている。
最後は、あなたを誰も責めはしないと言われているようで、大きく包まれるような安堵を覚えた。
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ホラー短編集のようでいて、独特の情緒が溢れている作品集。
表題『かなたの子』は失った子を追い求める女の柔らかな狂気が描かれていますが、どの物語にも生死の微妙な境目のようなものが根底にあるようです。
少しずつ狂っていく人々が淡々と描かれているから怖い。
どのタイミングで世界がズレたのかが分からないのが怖いのです。
静かに消されていく真実、心の中から自ら消していく真実。それらは全く消えたのではなく、背後から少しずつ忍び寄ってくる。
その確かな罪の意識に、人々は耐えることができない、そんな物語。
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「前世」、なんて酷い物語。安藤礼二は「人々の間に昔から伝わる物語は、残酷で不気味で恐ろしい。しかし、そこには常に人間が背負わなければならない真実が語られている。それゆえ、悲しく美しい。物語を聞いた人々に、すぐには言葉にできないような感動をもたらしてくれる」と言う。オイラにはその真実はわからないし、知りたいと思わない。人殺しだ、しかも子殺しだ。時代、貧困とかオイラにはわからない真実があるのかもしない。子殺しをしてまで守らなければならないもの、生きていかなくてはならない訳……。そこに美しさなんてあるの。オイラは悲しいだけだ。「私」に笑う日が来ることが想像できない。
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最近、長編の読残しを片付けようと思って探していたので、予約したこの本が短編集だったので少し気落ちした。
短編はすぐに読めるし、よく似た長編を読むと印象が紛れてしまって忘れそうになる。
でもこの本は、テーマも、スタイルも工夫があって、とても面白かった。
* * *
・おみちゆき
おみちゆき という土俗的な風習のある村での話。和尚さんが即身成仏するために穴に入った。持ち回りであるが、母の代わりに様子を見に行くことになった。
夜のあやしげな音の中を穴まで行き、地下に伸びた竹を伝わってくる気配に耳を澄ます。
和尚がなくなって久しく、子どもたちと帰省したお祭り小屋で、遺骸と再会する。宗教的な話ではなく仏門に入った人の最後が、子どものころの妖しい思い出になっている。
・同窓会
小学校の同窓会だけは、毎年行われて、世話役は律儀に連絡をよこす。そのころ仲がよかったメンバーは、どうしても集まらなくてはならない秘密があった、みんな小学生だったころのあのことが胸の中にしこりになっていた。
・闇の梯子
静かで近所付き合いの煩わしさもない、うっそうと茂った木に囲まれた家に移った。妻と二人の暮らし。仕事を終え家の近くまで来たとき何かの黒い群れが家にぞろぞろと入っていくのを見た。
・道理
付き合った女は、話を全て「道理」という言葉ではかっていた。生きる柱は道理にかなったものでなくては、という。
結婚した妻もいつの間にか「道理」を説くようになった。ある日散歩の途中でガーデンパーティーのような集会に入ると、そこは道理で話し、それで仕切られたひとびとが集まっていた。自分は・・・。
・前世
前世を見るという女に会う。何度も夢見る母との夢。
私はとついで子を生んだ、飢饉の年だった、子が泣くと外に出される、吐く息は白く冷たい。手を引いて川のほうに歩いて丸い石をさがす、夢のように。
・わたしとわたしではない女
いつもその女は私の傍にいた。私だけに見える女は、私が子を産むときも傍にいた。
・かなたの子
死んだ子に名前をつけてはいけない。死んだ子は鬼に食べられる。そういわれていた。だが文江は死んだ子に如月という名前をつけた。如月はかわいらしく育っていった。次に身ごもった文江に、如月は「海べりのくけどにいる」といった。文江は電車を乗り継ぎ、淋しい海べにある「くけど」まで如月を探しに行く。
・巡る
私はパーワースポット巡りに参加して山の頂めざして上っている。倒れて頭を打ったが、みんなで介抱をしてくれて、上り続けている。
私は結婚をして浮気をされて離婚をして、シングルマザーで子育てをしてきた。今子どもはいない、どうしたのか、頭を打ったせいかはっきりしないことばかり。
頂上に着いた、白い朝の光に包まれていく。
* * *
SFでもないホラーというのでもない。日常の中にある、現実と非現実の境、もやのような、こころの中の不明瞭な部分が人を覆い隠してくる。覆われた人、蝕まれてしまった人はそれを日常だと錯覚するのだろうか。
不思議な生と死の境目やそれらが重なる部分を味のある表現で書いた面白い作品で、どれもこころのうちにある異常さがうっすらと滲んで少しずつ生き方が逸れて来る。角田さんはこういうのをうまく書く人だと思う。
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ひたひたと恐ろしい。
素晴らしい本だが、怖い話は好きではないので☆4
最後の安藤礼二氏の解説が秀逸。
土俗的な即身成仏伝説や輪廻転生、子どもの霊などが出てきたり、現代人の悩み?のような、人の弱さを描いたような話
2話ずつまとめた形式で面白い。
静かな怖さはさすがの角田光代氏!
『同窓会』が想像できるシチュエーションすぎて、リアルに怖かった。
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交通網が発達して、日本各地を移動する物理的な距離感が随分と縮まった現代。しかし、都会にはないその土地ならではの言い伝えや伝承というものは地方にはまだまだ存在するように思います。私が泊まった北関東のある旅館では、夕食後に女将が、その土地に伝わる言い伝えを昔話風に語ってくれるという催しが好評を博していました。そして、そんな言い伝えや伝承というものには、何故か”ねばならない”、”してはいけない”という不思議な決まり事が多いように思います。昔々には何かしらの理由があってそんな風に禁忌とされた事ごと。その先には何か得体の知れない闇の世界が広がっているようにも感じられます。『日本の闇は、なにかじっとり身体にまとわりつくようなじめじめした湿度の高いもののように思います』と語る角田光代さん。この作品は、この国の各地に残る『都会ではなかなか見えにくくなった日本の闇』に光を当てる物語、あなたを異界へと誘う、あなたの背筋をゾクゾクとさせる物語です。
八つの短編から構成されたこの作品。いずれも『闇』の世界に足を踏み入れていく作品ばかり。そう書くと”ホラー?”という印象が先立ちますが、読めば読むほどに、そのような分類の次元を超えた、奥深い本物の『闇』の世界を垣間見ることになる作品が並んでいるように思います。ただし、人によってはトラウマになってしまいそうなそんな物語も存在するこの作品。もしかすると人によっては手にすること自体、注意が必要な作品なのかもしれません。
そんな注意を要する代表格の一つが最初の短編〈おみちゆき〉。その冒頭から読者の全神経を鷲掴みにして『闇』の世界へと一気に連れ去っていきます。
『おみちゆきは毎晩、村が寝静まったころに行わなければならない。集落の家々が、もちまわりで行う。昔は男にしか許されていなかったらしい』という村に伝わるその伝承。『一度いけば千日命を延ばしてもらえる』という言い伝えがあるものの『いきたいわけではない、そんなものは気味が悪くておそろしいだけ』と考えるのは主人公の征夫。しかし、『暗闇のなか、「今日はあんたがぐるごどはないけれど、いっしょにいぐかい」』と問う母に『うんいぐよと返事をし、自分のはんてんに急いで腕を通した』征夫は『息を殺して母親のあとを』ついていきます。『ひいいいいい、ひいいいいい、と風が遠くでうなり続けている』闇の夜。『お寺のちょうど裏手』にあるという『和尚さまのお墓』へと辿り着いた二人。『土から地上へと竹の筒が飛び出している』というその場所。『いつものとおり筒の前にひざまずいて祈り、腰をかがめて筒に顔を近づける』母親。『女の泣く声のような風の音が、征夫の耳のすぐ近くで聞こえる。聞こえるはずもないのに、鈴の音がそのなかに混じっているような気がする』という緊迫の場面。しかし母親はそのまま戻ってきます。『筒に白い布を結ばなかったということは、和尚さまはまだ生きている』というその意味合い。『月光和尚さまがお墓に入られたのは夏の終わりだったから、もうふた月も前のことになる』というその起点。『生きたままお墓に入ることも、お墓から体を取り出すことも、もう何十年も前に法律で禁止されてい��』ため、夜半に行われたその作業。『和尚さまはお棺にお入りになり、男たちが石と土で埋めた』という夏の終わり。以降『和尚さまが生きながらお墓に入ったことは他言無用』という日々を送る村人。そんな和尚さまの話をする子どもたち。『和尚さまはいづまで生ぎられるんだべ』と呟く友人の きみ子。『和尚さまはひょっとしたら、出してけろって言っているがもしれないね』と続ける きみ子に『んなごどあるわけねえべ』と返す征夫。そして再び征夫の家に当番の日が訪れます。『月の障り』となり『すまないが征夫、ひとりでいってけねが』と言う母親。やむなくひとり家を出て墓へと向かう征夫。『卒塔婆や頭のない地蔵を通りすぎ、そろそろと和尚さまのお墓に近づ』いて『地中からのびる筒の前に立つ』征夫。『和尚さま。呼びかけようとするが声が出ない』征夫。『口だけぱくぱくと動かして』、筒へと顔を近づけた征夫、そして…というこの短編。村人から慕われていた月光和尚が即身仏になるために生きながらにして墓に埋められたという衝撃的な内容と、その墓を幼くして訪れた主人公の姿が描かれていきます。ただし、結末にある意味でさらなる衝撃が待ち受けている、読者の想像の遥か上をいくこの作品。読後、即身仏について思わず調べずにはいられなくなった私。そんな私の脳裏に、恐らく一生消えないであろう強烈な印象を残した作品でした。
そんな最初の短編の興奮冷めやらぬ中、二編目の〈同窓会〉は、一気に時代が現代へと飛びます。小学校の同窓会に参加し続けるという主人公が『だれも一言も触れないが、このなかの数人は、こうして集まることで確認し合っているのだ。あのことを忘れてはいないよな、と。あのことを口外してはいないよな、と』という彼らが併せ持つ過去。そんな過去にあったある衝撃的な出来事を『事故か、あれは事故だったのかよ』と同窓会を続ける理由へと重ね合わせていく、こちらもトラウマになりそうな衝撃度の高い短編でした。
そんな衝撃的な作品が二つ続いた後、この作品は後半に向かって本来の色を出していきます。それは人の『いのち』に焦点を当てていく物語です。上記二編が主に物理的なインパクトで読者をトラウマにする物語でしたが、後半は精神世界の物語が中心となって、読者に違う角度からのインパクトを与えていきます。そんな中でも書名ともなっている〈かなたの子〉はそんな精神世界を強く感じさせる物語です。
『生まれるより先に死んでしまった子に名前などつけてはぜったいにいけない』という『その付近での了解ごと』。『生まれなかった子は次に生まれてくる』というその考え方。しかし『死んだ子と、次に生まれてくる子は別な子なのに違いない』と思う主人公の文江。『だからこっそり、如月、と名づけた』というその秘密。『男か女か教えてもらえなかったが、その月に生まれるはずだったから』というその理由。『真一の先祖が眠る墓に埋められた』子ども。『彼方の世界にいけないから』、『菓子も、玩具もそなえてはいけない』と言う真一の母。しかし『こっそり墓に寄』り、『しゃがんで手を合わせ、如月、如月、と呼びかける』文江。『それから一年しても次の子はできなかった』という現実。それが『墓に供え物をしていることがばれて、文江は義母に���っぴどく叱られた』という展開。そして、『寺の裏に足を運ばなくなって三月目』という運命の時、『文江は身ごもった』と、その先の未来が訪れるも、違和感が消えない文江。そんな文江の『夢に如月があらわれた』という運命の機会が訪れます。そして如月が夢の中で残した言葉のその先に不思議世界が語られるこの作品は、極度の不安感を読者に与え、物語の不安定さを残したまま静かに幕を降ろします。〈前世〉〈巡る〉という他の短編もそうですが、『いのち』というものはその人がひとり生まれ、ひとり死んでいくという単純なものではなく、前世や来世といったものとの繋がりの中に存在するもの、そういった精神世界が角田さんらしい独特な雰囲気感の中で描かれていく、まさに異界を感じる物語でした。
『押し入れのなかの薄暗い感じは日本人の原風景のひとつ』と語る角田さんが描く八つの短編には、まさしく日本ならではの『闇』が絶妙な温度感で描かれていました。インパクトの大きなその内容が心を鷲掴みにして離さない八つの作品。そんな八つの作品が共鳴し合い、溶け合い、そして時空を超えた異界へと読者を誘う、そんな独特な雰囲気満載の個性あふれる作品でした。
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伝承された土俗的な話はホラーに近いゾワゾワ感があって面白い。
昔の地区ごとの閉塞的な生活を彼等なりに、時には訳の分からない理屈を付けて平穏な生活を守ってきたのかもしれない。
1人の命より集落の存続。怖っ。
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角田光代の短編集。ホラーかと思ったらそんなことはなく、世界観は違うのだけどすべて「繋がっている」というほかない作品集だった。
「前世」で語られるフレーズ、「私は母で、子で、だれかによって生かされただれかでもあったのか」がとても好きで、これまでふわっと考えてきたことがギュッとまとまっていて、ずっと反芻している。
私の父や母、祖父母、その前の前の前のずっと前に生きていて私が血を受け継いだ人たちの誰か1人欠けても私はここにいなかったし、子供も生まれなかった。とんでもなく果てしなく、世界は全て繋がって巡っているのだという気持ちになる。
赤ちゃんの頃の子供に会いたくなる作品だった。
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表題作を含む8編からなる短編集です。現実世界から地続きで不思議な世界に迷い込んでしまったような錯覚に襲われます。どれも深い話で珠玉の短編集だと思いますが、熱に浮かされて悪い夢を見ているような気分になります。