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ヴァルネラビリティ(人間の側面としての弱さや脆さ)という、日本語としてなじみない概念を解説。どのような人物も不完全であり、その事実を許容する気概、その状態が人として当然であるという意識の大切さが学べる。事例が秀逸で、耳の痛くなるような話が多い。人間関係についても多くのアドバイスをよせている。
P62.裏切りという行為は騙したり味方をしない、ほかの人を選ぶという行為だけではない。関わる意欲の喪失という裏切りはゆっくりと進行するためじわじわと痛みが広がる。さらにその原因を根本的に追及することが難しく、目に見えるような破たんの証拠もない。信頼は時間をかけ少しずつ積み上げるもの。常に互いに気にかけることが大切。
P76.チェンジラボCEOピータン・シーハンの言葉。イノベーションを生み出すことに関して、恥の意識は大きな弊害である。間違える不安、見くびられる不安などが企業の前進に必要なリスクを妨げている。適度なリスクが許容されるべきであり、そのためには上司が弱みを見せることが大切だ。
P94.恥ずかしい体験について告白されたとき、批判は恥を一層重症にする。一方で、共感は恥ずかしい思いをしたのはあなただけではないという承認のメッセージになる。共感は人を立ち直らせる力になる。
P115.自分に厳しい人は他人に厳しくなりやすい。とくに自分自身が恥を感じやすい領域で自分より劣る人を批判する傾向がある。誰かを踏み台にすることで自分の恥から背を向けるためである。
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チェック項目11箇所。欠乏感に対抗できるのは、豊かさではない、むしろ豊かさと欠乏はコインの裏と表だ、「足ることを知らない」欠乏感の対極にあるのは、充足感であり、、「偽りのない心」なのだ、偽りのない心の中心には、ヴァルネラビリティと自己肯定感がある、確実なものがなく、もろさをさらし、感情的リスクを負いながらも、私はこれでよいと思えることである。ヴァルネラビリティとは、「不確実性、リスク、生身をさらすことである」と、私は定義している。人生の大切な感情的側面を取り戻し、情熱と目的意識をふたたび燃え立たせたいのなら、傷つく可能性と向き合い、それにともなう感情を感じられるようになる必要がある。つらい境遇の人に寄り添おうとすることや、責任を引き受けようとすることや、三振の後にバッターボックスに向かうことは弱さの表れではない、そこには真実の響きがあり、勇気を感じさせる、真実や勇気は必ずしも心地よいものではないけれど、弱さとはまったく別物だ。私たちは他人がありのままの真実の姿をさらすことは歓迎するが、自分がそうすることは不安なのだ。信頼は生身をさらすことによって生まれ、時間をかけ、手間をかけ、気にかけ、関わることによって育っていく、信頼は大掛かりなことをやってみせることではなく、ビー玉を1個ずつ貯めていくようなものなのである。私たちは決して自分の力だけでは、生身をさらし勇気をもって歩みだすことはできない、最初の、そして最大の果敢なる挑戦とは、助けを求めることなのかもしれない。勇気ある挑戦をするには、傷つく可能性を受け入れなければならない、だが恥に怯え、人にどう思われるかを気に病んでいては、生身をさらせない。成功するまで何度でもやり直す、熱意ある粘り強い人、革新的で創造的な仕事をする人が、成長する人なのである。女性は、話を聞いてもらえない、認めてもらえないと思ったとき、恥を感じ、批判したり挑発したりする(「どうしていつも、ちゃんとできないの」「ちっとも、わかってくれないんだから」)、一方、男性は無能さを責められたと思うと、恥を感じ、自分の殻にこもるか(すると女性はますますつっついて挑発する)、キレて反撃する。子育てはこの上なく不確実なものなので、確実なものが欲しくなる、だから、ハウツー式の育児法がいかにも魅力的に見えてくるが、それは危険でもある。子どもの自己肯定感をはぐくみたいなら、子どもは家族に所属しており、それには何の条件も必要ないのだということを、しっかりと伝えなくてはならない、私たちは、自分にないものを子どもに与えることはできない。
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・挑戦し続けることが成長を助長する最良の手段となるが、それを促進するには、自身のコンディションはもちろん、環境を巻き込むことも重要。
恥をさらけ出せる環境が作れれば、個人、コミュニティのレベルは早く、飛躍的に上がっていく。
・人は、平凡であることへの不安に弱い。だからこそ頑張れる一方で、不要な差別を産む可能性もはらんでいる。
不安に対し、真っ向から向き合うべき相手は誰か。これが分かればおそらく、問題は良い方向で解決へ向かう。そして、大抵は自身との対峙にほかならない。
・欠乏感は起きた瞬間から生まれる感情。不満への根源がここにある。この欠乏感をもたらす要因はなにか。一つずつ分解し、各々の欠乏感に対策が用意できれば、やがては消えていくものでもある。この、欠乏感を取り除く行動も、ひとつの挑戦と言えると思う。
・挑戦を文化にする。そのためには、誰にとってどんな行動が挑戦なのか、その結果はどのようにフィードバックされるのか。相手をよく知り、高め合う環境作りこそがチームの強さと得たい結果を掴むための近道だと思う。
なので、お互いを客観的に評価し高め合う場を持つようにしたい。
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すべてのものにはひびがあり、
そこから光が差し込んでくる
という言葉を見つけられただけでとても有意義だった
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淡々と語っている。
そうだよ。そのまんまの自分をさらけ出せばいい。傷つきやすくって、涙もろくって。それでいじゃないか。明日の私は、変わっているかもしれないし
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今年1番心に響いた本。
TEDで有名なブレネー・ブラウン。兄に教えてもらい衝撃を受け、本を買って読んだ。
ヴァルネラビリティとは、もろさや傷つく可能性のある状態。
私がずっと鎧、と呼んでいたものは、このヴァルネラビリティを覆い隠すためのものだったのだと気付いた。生身をさらすことは、勇気がいる。
悲しい出来事があると、つい「やはり信頼できるのは自分だけ」という言葉が頭に浮かぶ。生身をさらして人と向き合うことから逃げ、そうして、どんどん鎧を強固にして生きてきた。
鎧によってガードされた自分だけの世界は、それはそれは安全で、周りに干渉されなくて、自由で…そして、ぽっかりがらんどうだ。傷つくリスクがあるとしても、人やモノゴトと正面から向かい合い、喜びも悲しみも共に感じ、人間らしく生きる方がきもちよい。
自分ひとりの殻に閉じこもりそうになったときは、鎧を脱いで、生身をさらして、競技場に立つんだ、と自分に言い聞かせようと思う。
何度でも読み返したい本。
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自分の弱さやもろい部分を認め、傷つく可能性と向き合おうとするかどうかで、どれだけ勇気があるか、どれだけ明確な目的をもっているかがわかる。
完璧で誰にも批判されない自分になってから競技場に立とうと思っていると、結局、人間関係を損ない、チャンスを逃して取り返しのつかない事態を招き、貴重な時間を無駄にし、自分の才能や自分だからこそできる貢献を捨てることになりかねない。
観客席やサイドラインの外側から批判を浴びせ口出しするのではなく、勇気をもって存在を示し、生身の自分をさらすこと。それがヴァルネラビリティであり、果敢なる挑戦なのだ。
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私を愛してくれる人々、私が心から信頼する人々は、私がつまずき転ぶときに、後ろ指を指して批判したりしない。彼らは観客席にいるのではなく、一緒に競技場に立ち、私のために、共に戦ってくれる。私たちは決して自分の力だけでは、生身をさらし勇気をもって歩みだすことはできない。最初の、そして最大の果敢なる挑戦とは、助けを求めることなのかもしれない。
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詳細はブログ
http://taku1907.hatenablog.com/entry/2016/11/14/021056
に譲りますが、
ほんとタイムリーな本でした。
自分の弱さとの向き合い方とか、
弱さの出し方とか、
なんとなく大事そうなのは薄々気づいているけど
どうすればいいかわからないし
どう捉えればいいかわからない
ってことをちゃんと書いてくれている本だった。
自分もそうだったし、この本に救われる人は結構いると思う。
自分の弱さも含めて受け入れていきましょう。
原因と対処の仕方がわかったことで、本当に心が楽になりました。
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TEDでみて、印象的だったブレネー・ブラウン。
前著「ネガティブな感情の魔法」(”The Gifts of Imperfection")につづく本。「本当の勇気は弱さを認めること」("Daring Greatly")
TEDで有名になって、それから生じた自分のなかの葛藤などを紹介しながら、より切実で、自分ごと化した、まさにヴァルナラビリティ(脆弱性、鎧を外し生身でいること)に苦手な自分を開示しつつ、実践していく、そんな本。
TEDの2回目のプレゼンは、ユーモアを交えながらも、しっとりと話す感じだったけど、本のほうでも、同じようなトーンかな?
結局、これって、コーアクティブ・コーチングでいうところのフルフィルメントのことなんだな。
というか、これが、コーアクティブ・コーチングそのものかもしれない。
コーチングは、しばしば、自分のありたい姿をイメージして、現状とのギャップを埋めるための行動を決めて行くもの、と捉えられ勝ちなのだけど、実は、目標を達成することより、そこに向かって進んで行くプロセス、つまり、自分らしく生きることを選択すること、「理想の状態」に達している訳ではないけど、そういう今の自分を不完全なまま、ありのままで受け入れることなんだよね。
(頭のなかで、「そんなことやったて、無駄だよ」とか、「自分にはそんな価値ないよ」みたいな声があってもね)
一見、楽に読めそうなポピュラー心理学という感じだけど、実に深いですよ。
心して、じっくり読む本。
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自分の弱みが書かれてた、的を得た書籍。
自分が知らないことということを他者にさらけ出す勇気こそ、自分の成長への道。
「完璧で誰にも批判されない自分になってから競技場に立とうと思っていると、結局、人間関係を損ない、チャンスを逃して取り返しのつかない事態を招き、貴重な時間を無駄にし、自分の才能や自分だからこそできる貢献を捨てることになりかねい。」←自分が完璧でなくとも、興味のある分野に挑戦するシチュエーションをつくることが一番の自分の目指す場所なのかもしれない。
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非常に勉強になった。図書館で借りて読んだが、自分の人生の指標として、購入してもいいと思った。
というか、これから購入しに行こうと思う。
私も「偽りのない生き方」が出来るように、勇気を持ってヴァルネラビリティの道を進んでいきたい。
そして迷ったときにはまたこの本を手に取りたい。
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不確実性、リスク、生身を晒すこと、それは勇気に近い
そのためには、人に助けを求めることなのかもしれない
恥の撃退法は言語化と自己肯定感。
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私はリーダーとして弱みをさらけ出せるチームの雰囲気を作れているだろうか?
そして子供に対してどれだけ関わっているか、また子供にとって無益な手を差し伸べていないだろうか?
自分の成長を妨げる「恥」にハッと気づかされた部分を何度か読み直しました。
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ヴァルネラビリティや恥について書かれている、ありがちな誤解にも触れていて良い。原題の「Daring Greatly(果敢なる挑戦)」が随所に記載されているし、こちらの方が邦題よりもしっくりくる。もちろん、「まずは弱さを認めることから始める」のが大切で、ほんとそのとおりだし、自己肯定感に条件はいらない。どんな状態の自分も大切な自分なのだ。と改めてしみじみ思う読後。
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全ての人に読んでもらいたい名著of名著。
・ 恥と罪は決定的に違う
・ 恥を感じると挑戦する意欲を失う
・ 戦略的に恥を使ってはいけない
・ 自分らしく、ありのままに、偽りなく生きる
・ 実現可能な目標かどうか
・ 目標に到達する手段がいくつか考えつくか
・ 何よりも自分を愛しているか
・ 自己肯定感と帰属意識
・ 帰属意識は溶け込むことではなく、自分らしくいられるか
激しく同意すると同時に、背筋が伸びる話ばかりであった。
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人によって色んなとらえかたがある本だと思う。
でも私にはとても刺さりました。
とりあえず読んで見てほしい。私は人生観が変わりました。