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近年「縄文時代」が見直されてきている。弥生時代に比べて圧倒的に長いこの時代は、教科書では弥生人に取って代わられた、劣った時代であったとされているが、どうもそうではないらしい。思ったよりも文化的で、現代の日本の文化に繋がる様々な風習がこの時代にすでに生まれていた形跡があるようだ。少々我田引水的で強引な説も見受けられるが、読み物として読んでいて楽しい。アメリカ先住民、アイヌなどに共通するその文化は、なにしろ1万年以上も続いたというからすごいものだ。
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自然体の縄文人は母系社会
採集狩猟生活はシェアを基本として
奪い合いの諍いを起こさない
自分と相手の個性をつなぐことで視野を広くする
不安恐怖を作り出して
安全地帯を追い掛けるようなムダをしない
腐ってしまうだけの余剰生産物と権利欲を作り出す
農耕や牧畜などしない
依存による搾取に怯えて物質主義の奴隷にならない
やるべきことでやりたいことを自分で選択して
今現在を愉しく冒険して暮らす
権利や競争に明け暮れる成長型の父系社会と違い
縄文社会は母系社会で持続型である
父系原理社会は物質優先の縦社会で
文明的進歩の行き着く先は依存支配と分離と破壊
墓制原理社会は意識環境優先のトーラス型で
意識の成長が目指すものは自律と調和と共生関係
少し気になったのは
同じ医者の安田徳太郎さんの研究を取り上げていないこと
かなりツッコンだ「古代日本人の謎」と言う本を
素通りしていること
子育ての特徴である「オンブ」に触れていないのも気掛かり
イロコイ族を引き合いに出して入るけれども
現在持続中のホピ族に触れていないのも気になる
母系制を貫いた彼らは侵略者と全面戦争したのだろうか?
呑み込まれることで同化するとともに
地に足のついた継続を果たしてきたのではないだろうか?
名を捨て身をとったのではないか?
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長年、町家を中心に「日本人のすまい」を研究してきた著者が、万博の仕事で、岡本太郎氏と出会ったのを機に縄文時代に嵌ってしまった。
それから、沖縄の続縄文時代との出逢いなどがあり、建築畑の人間が感動した縄文人の暮らしぶり。
現代日本人とも深いつながりがあることも詳細に書かれている。
歴史学者、考古学者の狭い範疇に収まってる考え方だけでは、1万2千年も続いた縄文文化の本質にせまることはできない。
想像力を駆使し、色んな学問分野の合わせ技をますます期待したいところです。
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母性社会と父性社会の切り口による縄文人は改めて面白い。圧倒的に長期に栄えた縄文時代、自然観測民族が故に長く栄えたとは納得した。勾玉等の装飾が弥生以降に見られなかった理由にも言及。その理由は説得力があるかもしれない。
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縄文時代の人間は「棍棒を持って獲物を追いかける野蛮な人種」というイメージを持たれがちだが、実際は芸術を嗜むこともあり(縄文土器のアート性)、食べるものも素材としては現代人とさほど変わらない物が多かったりしていて、彼らの文化に学ぶところは多い、という研究をした本。イザナキ、イザナミ、アマテラスといった神話の話も数多く登場する。
自然と共に生きるが故の価値観や習慣が面白い。家畜よりも野生動物の肉を好んで食べたのは「動物の生命力ごと採り入れる」ためだとか、この時期は女が「家」の全てを取り仕切る母系社会であり、男は「通い婿」だったとか。また、人間同士で殺し合いや戦争はこの頃はなく、農耕文化が根付いた弥生時代以降から発生したのだとか。財産や領地の概念の登場が、人間を本質的に変えてしまったのだろうか。
豊かさと便利さを追及し続けて、行き着いた先が逆に時間と情報に追われるようになった現代人と「何が本当の幸福か」を比較してみるのに適した本だ。