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え?この人は遅咲きじゃないでしょ?って人もいますが、それはご愛嬌ww
その方々の人生を追い、人生の前半も含め、一体何をしたのか?
どんな貢献をし、何を追い求め、何を目指して生きたのかが分かる本
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著者は日本全国の人物記念館を訪ねるのが趣味のようで、実際に訪問して感じた印象と評伝などのからの引用を巧みにミックスして、計19人の日本人のユニークな評伝を著した。「遅咲き」の範疇に入れるのには意外な人物も含まれているが、読んでみるとなるほどと納得する。四十路まぢかの自分には励みになった。
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松本清張が中島敦と同い年とは驚き。活躍した年代を考えるとまさに遅咲き。
平櫛田中の「やってやってやり通せ」が熱い。
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著者は人物記念館を400館近く巡っている。
遅咲きの人は世に出るまでの修行の期間が長く、じっくりと成熟しているため、長く仕事をしている人が多い。したがって、影響力の総量は早咲きの人に比べて勝っている。
関心を持った人物は、牧野富太郎、本居宣長、宮脇俊三、森鴎外、武者小路実篤、新田次郎、寺山修司。
・本居宣長は医者という生業を持ちながら、34歳でライフワークへの取り組みを開始し、34年という長い時間を費やして「古事記伝」全44巻を完成した。その後、初学者のための勉強の方法と心構えをまとめた「宇比山踏」という入門書を書いた。日記は自分の生まれた日までさかのぼって書き、亡くなる2週間前まで、自分の身のまわりの出来事、世の中の動きなど、あらゆる事象を書き続けた。
・宣長は、学問において最も重要なことは継続であり、そのためには生活の安定が大事だと考えた。昼は町医者として働き、夜は門人への講釈、書斎での学問は深夜におよんだ。時間管理を行い、支出を省いて書物を買った。学問する環境をいかに整え、日常生活をいかに効率的に過ごすかという膨大なマニュアルが残っている。
・宮脇俊三は、会社勤めをしながら趣味を楽しみ、51歳から徹底的にその趣味の中に埋没し、優れた作品を40冊以上上梓した。
読み応えがあり過ぎて自分には吸収しきれない。改めて読み直したい。