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オランダの共生教育 みんなのレビュー

    一般書

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    みんなのレビュー5件

    みんなの評価3.4

    評価内訳

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    紙の本

    オランダへの、ひいき目

    2010/10/25 13:37

    5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

    投稿者:ホキー - この投稿者のレビュー一覧を見る

     1・3・4章などに、日本でも参考にできる制度がいくつか見つけられた。
     しかし、以下のような問題点により、副題にあるほどには「学校が〈公共心〉を育て」ていることが伝わらない。
     第1に、本書が、そのテーマである共生のための教育の基盤に位置付けている、アメリカの哲学者・教育学者ジョン・デューイの理論の消化が不十分である。それに伴って第2に、オランダの授業や教育制度を記述する切り口がぼやけている。一方で第3に、日本の学校教育の、悪い側面を強調しすぎている。以下でその3点を論じる。

    ■デューイは、自分自身の生活の意味付けにもとづいて他者や外界と関わり、現在の価値体系を編み直す行為を、日常会話での用法とは異なるが、「遊び」と言う。「遊び」による、価値体系の編み直しが、文化や社会に方向づけられたとき、それは「学習」となる。「学習」による、文化や社会に方向づけられた価値創造が、他者との互恵的関係や共同における自律と責任を伴ったとき、それは「仕事」となる。つまり、デューイにおける「学習」とは、「学習=遊び」であり、「仕事」とは「仕事=学習=遊び」である(『民主主義と教育』15章「教育課程における遊戯と労働」に詳しい)。
     そこで、本書p.51、「サークル対話・仕事(学習)・遊び・催し」に「分かれている」というイエナプラン校の時間割は、それ自体の良し悪しは別として、デューイの学習論とは区別されるべきであろう。また、同じ節での、「ゲームで遊ぶ」といった「遊び」と、デューイの「遊び」は意味が異なる。
     p.58では「仮定を」することは、経験による学びに対立するニュアンスがある。しかし、デューイの理論で「推測的予測」は、「経験」の構成要素である(『民主主義と教育』11章が詳しい)。
     「遊び」とは、活動の種類ではなく、自分の生活の意味付けにもとづいている性質である。「仮定」ができるのは、仮定に先立つ目的意識や必要感があるからである。とどのつまり、本書では、そのデューイが重視した「経験」の、前提としての、現在の価値体系とそれにもとづく目的意識や必要感という視点が抜けているのである。

    ■本書には、オランダの授業場面での、教師と子どもの対話や体験的学習の様子が多数紹介されている。しかし、上記問題点と連動して、学習活動に至るまでの、子どもの動機が見えてこない。
     pp.103-105やpp.120-123の対話場面をみると、その内容は、あらかじめ決められた手順で教条主義的な結論を教師が下しているように見える。教材(プログラム)を、教師でなく教育産業の企業が開発して普及させているという点と併せて、「画一的」である印象を受ける。もちろん、実際の授業が、もしかすると学級内で生じた問題に即して機を捉えて行われていた可能性もある。それが文中から判断できない書き方にとどまるのが、結局、分析視点が未消化である表れであろう。

     また、オランダの学校教育を、3・4章のごく一部を除いて、批判的に分析していない点にも問題がある。逐一あげるときりがないので、いくつかだけ述べておく。
     p.26の、 “「子どもの権利の代弁者としての親の権利が、制度的にとても尊重されている」ことを表す”とされているエピソードは、むしろ、学校と保護者の意思疎通がうまくいっていず、子の教育に支障を来している状況に見える。
     p.30~の、生徒発達モニターシステムは、業者テストや偏差値のように機能していないかを疑うべきではないか。
     p.55以降頻繁に登場する、多様な教具を自分で選んで学習する「活動コーナー」は、もちろん本書のような利点がある一方で、学習経験の質が偏る・得意な教具の存在が逃げ場となって、新しい経験に挑戦しないといった弊害も含み置くべきである。
     p.173では、保護者が学校を選び、学校は教育方針に合わない家庭に転校を勧められるという関係が、保護者と学校の協力体制の前提であるかのように言われている。しかし、本書の論理の裏返しの、危険な側面もある。すなわち、ある程度多数の保護者の好みに合わない学校は経営が成り立たないから、俗的な要求に合わせた、見栄えの良い教育を売り物にする学校が増える。一方、転校プレッシャーのため、保護者が学校の労働に不本意な動員を迫られる。このような構図は、日本の私立幼稚園が、全部でないにしろいい例である。

    ■オランダへの甘口評価に対置され、辛口に批判される日本の学校教育については、著者はどれだけの知識があるか疑問である。
     日本でも目新しくはないのに、オランダ特有の長所であるかのように紹介されている事柄が多い。例えば、
     1.障害児の進学で、普通校か特殊教育校かを選ぶ最終的な責任は保護者にある(p.33)点
     2.“教師は全能で子どもは無能力である”という前提に疑問を向ける議論(p.46)が存在する点
     3.学校や教師が、時間割を柔軟に変更できる(p.60)点
     4.ポートフォリオ評価(p.73~)の導入
     5.学習の質に応じて、少人数でのグループ学習が適宜取り入れられる点 である。

     この5番目の点に関連して、“日本の授業形態は全て一斉授業であり、かつ、一斉授業は教師からの一方的な情報の伝達で子どもには無益である”という前提があるようである。それを表すのが、「画一一斉授業」(p.12に初出)なる言葉である。
     この前提は、2つの問題を孕んでいる。第一に、一斉授業の中でも、一人一人の思考を深めたり、他者との交流で自分の価値観が突き崩されたりするような学習の実践が、数多く存在している。第二に、小学校低学年で、遊びのもつ体験的な要素を学習に取り入れることをねらった「生活科」や、中学年以上・高校生までで児童生徒自身の問題意識にもとづいて問題解決的な学習を行う「総合的な学習の時間」の存在を見落としている。
     このように、日本の学校教育を一面化して捉えた上で、日本の社会を「一見して価値観が一様に見える日本」(p.101)と評している。

     本書のテーマである、共生のための教育の理想像では、大ざっぱに言って、各人の立場の違いが尊重された上での対話による、民主的な合意形成がめざされるはずである。学校教育も、合意形成の訓練の場と位置づくはずであるが、前述のように、その合意に至る過程が見えてこない。保護者や、学校を取り巻く社会の状況についても、ある制度が実現した背景について“オランダでは伝統的にそのような風潮であった”“そのような合意がすでに出来ている”と合意形成の過程についてはスル―されている。
     これを読むと、(移民を除く)全オランダ人は一枚岩であるかのような印象を受けるが、まさか実際そうではなかろう。人それぞれ違う考え方をもつ、というのは、本書の出発点でもあったはずである。

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    2010/11/18 13:00

    投稿元:ブクログ

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    2012/01/17 01:26

    投稿元:ブクログ

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    2013/03/06 23:59

    投稿元:ブクログ

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    2013/10/23 22:25

    投稿元:ブクログ

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