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投稿者:こうしろうの父 - この投稿者のレビュー一覧を見る
中山茂さんの本というので購入しましたが、私には期待はずれでした。紙面の枚数の関係なのか、氏の持つ知識・筆力が十分生かせていません。初めて、氏の本をお読みなら買いかも。中山さんらしさを求めるなら、おやめなさい。でしょうか。他にも彼の良い本があります。ご判断を。
科学とは何か、と考えるということとは?
2011/10/12 23:37
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投稿者:拾得 - この投稿者のレビュー一覧を見る
人文社会系の学問と自然科学の学問とを区別するひとつの手がかりが、「学説史」の位置づけではないだろうか。基本的に決定的な証拠がないともいえる人文社会系の学問において、学説史はその学問分野のアイデンティティをさぐる試みともいえ、重要な位置におかざるをえない。自然科学系でも、「*学史」という分野は確かにある。しかし、科学史と総称されるものに一括することが可能であろう。ところで、人文社会系の各学説史はこのように一括できるだろうか。 「この両者の違いは何なのだろうか?」とふと思ったことがあるが、そうした疑問に明快に応えてくれるのが本書である。
本書は、日本の科学史研究の碩学である著者の「語り下ろし」である。著者が語り、編集部がまとめたものに、さらに赤字を入れていったそうだ。「です・ます」調でなめらかに話が進められており、「語り下ろし」という表現がふさわしい。また、「あとがき」で述べてあるように、「物理帝国主義」というような、「学界俗語」もあえて使ったとしている。そうしたわかりやすさも、語り下ろしの魅力だろう。
先の私の疑問に応えるのであれば、自然科学で学説史がないのは、「パラダイムが変わったから」となる。いいかえれば、アイデンティティの求める先が変わった、ともなる。現在ではパラダイムという表現は一般化しているので、「たいていの学問でもパラダイムは変わったのではないか?」と言われそうだ。しかし、パラダイムという考え方そのものは、科学史研究から生まれ、それは当初は近代科学が生まれる時に使われた一回限り「科学革命」におけるパラダイムの交代という事象をさすものであったのである。
むしろ、人文社会科学研究は、そうした自然科学を模倣して、自然科学的な手法を(部分的に)取り入れて近代化をはかったといってよいだろう。しかし、模倣であったがゆえに、過去の蓄積を否定しきった訳でもないのである。
狭義の「科学史」のみならず、学問のあり方全体を考えるような、そんな刺激を受けながらの読書となった。本書では、人文社会研究に言及している訳ではないが、そうした刺激を得られるような全方位性がある。
通例の概説書では、自らの狭義の専門に近いところの記述が大半となることが多い。本書の著者で言えば、それは天文学史にあたる。しかし、科学史である以上、記述は包括的であり、17世紀以降の科学の歴史を大まかに押さえることができる。何より、天文学や物理から始まった科学革命から、化学、生物・生命科学へとどのように影響を与えていったのかを一書の中で俯瞰できる。さらに、現在進行形のコンピュータを軸とする情報デジタル革命にもふれ、科学や科学史の社会的位置にまで筆を進めていく。本書を「科学史」ではなく、「科学の歴史」としたのは、科学史自身の役割変化を、著者自身も自覚しているからかもしれない。
ふだんの新聞でも、意外に科学の話題は多い。今年の日本は特に多くなることだろう。かといって、科学の知識が増えていったからと言って、適当に考えられるようになるわけではない。科学における「考え方」をたどることが、ふだんの科学報道などを見直す補助線にもなるわけだ。
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「今、まさにパラダイムの変革期」などという言葉を、よく耳にする。しかし、この台詞、いつの時代にも言われてきたような気もする。実際に、いつの時代にも変革は起きているのだろう。問題は、それがどの程度の規模のものなのか、どういった意味を持つのか、その全容を変化の最中に把握しずらいことにある。
これを見据えるための有効な手段として、過去に起きたパラダイムを検証するというやり方がある。今まさに起こっている変化を点として見るのではなく、過去からの時間軸に沿ってプロットすることで、明確になることは多い。本書は科学の歴史を、そんなパラダイムに沿って見つめ直した一冊である。
◆本書の目次
第1章 「科学」と「科学史」をどう読むか
第2章 天動説から地動説へ - コペルニクス、ティコ・ブラーエ、ケプラー、ガリレオ
第3章 「17世紀科学革命」 - ニュートン・パラダイム
第4章 産業革命から化学の時代へ
第5章 19世紀、化学の時代を育んだ大学
第6章 20世紀は物理帝国主義から生物・生命の時代へ
第7章 21世紀を支配するコンピュータ、デジタルのパラダイム
第8章 科学と社会の関係ということ
パラダイムとは、「一定の期間、科学上の問い方と答え方のお手本を与えるような古典的な業績」のことを指す。著者によると、史上最大の科学上のパラダイムはニュートン・パラダイムであるという。その所以は、万有引力の法則というニュートン力学のプラットフォーム上で、数百年もの間、さまざまな研究者たちが学問を推し進めることができたというところにある。たった一つの原理が、天体力学から地上の力学を経て、化学、生物学など諸学の力学化を推し進め、通常科学に無限の進路を与えることとなったのだ。
このニュートン力学に至る前には、機械論というパラダイムがあった。ガリレオに端を発し、デカルトによって結実した機械論とは「すべてのものは神が機械的に創った。そのすべてのものを動かし始めたのは神である。したがって、すべてのものは機械的に動いている」というものである。最終的には原子・分子に還元して、研究すればすべての問題は解決するという「困難は分割せよ」的アプローチは、後の西洋哲学にも大きな影響を与えている。この機械論からニュートン力学へと遷移したパラダイムシフトは、現代における検索エンジンからソーシャルへという流れにも、どこか似ている印象を受ける。
また、ダーウィンの進化論をパラダイムシフトではないと明言しているのも印象的だ。進化論のメカニズムを証明することで、通常科学が広く発展することはないというのが、その理由である。むしろダーウィンの説を人生や社会に応用したソーシャル・ダーウィニズムという思想への影響の方が大きく、科学ではなく歴史と捉えた方が適当であるそうだ。
さて、それらを踏まえ、現在は一体どのようなパラダイムにあるのだろうか?著者によると、現在のコンピュータによるパラダイムは、あまりにも多岐を極めていている印象を受けるそうだ。いろいろなサブ・パラダイムが発生し、およそその初めのパラダイムの示す通常科学の路線とは、離れたものになってしまうという傾向にある。
これを著者は、ポスト通常科学と呼んでいる。その特徴は、科学技術と社会の問題として扱わなければならないということにある。軍事科学技術の問題、遺伝子工学の問題、原子力発電の問題、科学者たちの頭の中だけでは片づけられない問題が実にに多い。科学技術と社会経済の二つが、切り離すことができない不可分な状態になっているというのが、現在のパラダイムなのである。
いかなる社会的な変化も、根底には科学がある。そしてこの変化を、科学ではない方の目で見ることが、いかに重要なことであるか。改めて再認識させられる一冊であった。
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パラダイム;一定の期間、科学の問い方と答え方のお手本を与えるような古典的な業績
パラダイムとは、大発見、大発明、大証明。
科学の発展とは、パラダイムシフトとそれに続く通常科学の進歩・進化により実現される仕組み。
アリストテレス
「フィジカ(自然論)」、「デカエロ(天体論)」
科学とは何か?
科学の定義は、時代や場所により変化する。
「科学とは、伝達できる知識」
科学と技術の関係。
科学者がやるものが科学、技術者がやるものが技術。
伝統的学者とマルクス主義者の論争。
「学者 対 職人」
ニュートン『プリンキピア(自然哲学の数学的原理)』
アインシュタイン『一般相対性理論』
近代とはいつからか?
ルネサンスや宗教改革から始まる?
産業革命から?
西洋史と日本史との違い。
アリストテレスの3科
論理、文法、レトリック(修辞学、説得術)
プラトンの4科
幾何学、数論、天文学、音楽
西洋の学問は、「耳と口」(しゃべり言葉)でやり、東洋の学問は、「目」(読み書き)でやる。
スコラ哲学の限界。士農工商制度。士と工の融合。実学。
学位論文の審査では、攻撃から自分の論理を護ることで取得できる。
「ディフェンス」の能力。
欧米では、オーラルの能力が重視。
中国の三大発明
紙、火薬、羅針盤よりも官僚制。
シンプルという美学。
近代科学は、対象ではなく方法によって分類される。
方法を身につけるかどうかで、理工系かが区別できる。
「ニュートンによる力学的自然観の成立」
天動説から地動説へ。
コペルニクス、ティコ・プラーエ、ケプラー、ガリレオ
グーテンベルク;活版印刷術(1445)
17世紀科学革命
機械論的自然観
ニュートンパラダイム;物理学的な考え方。
産業革命
ニューコメンとワットの蒸気機関の違い
分離凝縮器(復水器)
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読んで本当に勉強になりました。何というか科学も階段型で発展しているんだな〜、人の成長も似ているのかな〜、これからは量子なのかな〜(よく理解していませんが)。