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「ラストシーンはもう始まっているかもしれない」っていう言葉が頭を離れません。なかなか深い小説ですね。
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もっともらしい理由なんてない。
けど、君に生きていてほしいんだ。
君が大切なんだ。
だから、生きていてほしい。
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レビューはブログにて。
http://tempo.seesaa.net/article/106508907.html
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女子高の教師の話。あと自殺問題とか。長編。
なんかすごく捕らえどころの無い話だった……。日本って、案外宗教にすぐホイホイされる国だと思う。悪いほうの意味で。
あと舞姫通信ってなんか一定してないなと思ったらそういうことか
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「ラストシーンはもう始まっているのかもしれない。」
すべての事柄は不確実であるが、最後に死が訪れることだけは分かっている。ハッピーエンドなんて存在しないのではないだろうか。しかし、それでもなお人間は生きていく。辛いことのほうが、楽しいことよりも圧倒的に多いにもかかわらず。
別段、他の人に生きてほしいとは思わないし、生きる価値のある人生なんてあるのかどうか断定する自信はない。ただ、急がなくったって確実に一歩一歩その日は近付いている。
散る桜 残る桜も 散る桜
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死を目標に生きる人がいたっていいじゃないか。
なんて、どーなの?
って思ったけど、お年寄りになって「だれにも迷惑かけずにころっと死にたいわ」と
そんな風に言うのは確かにあるし、
自分の人生は自分にしか決められないのだから、
自殺をするのが正しいか正しくないかの問題ではなく
自ら死を選びとるという自由、権利は生きている人それぞれに与えられているのではないか。
自殺の是非を問えば、答えを出す個々の数だけ異なる回答が返ってくるかもしれない。
それは全く個人に任された「意見」であり、絶対的な「善」とか「悪」とかに
分けることのできないものだと思う。
今後自分が自殺する可能性はあるかもしれないし、その時はそれを悪だと思わないかもしれない。
自分のことならば、許せてしまう。
それでも、誰かが死んでしまおうと思っていたら、私は絶対に止めると思う。
「死なないでくれ、としか言えないんですよね、人は人に」
この台詞が凄く印象的。
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双子の兄を自殺で亡くし,兄の恋人と微妙な関係を続ける主人公。
彼は女子校の教師として働くことになったが,
そこでは過去の自殺者が秘かに皆の憧れの存在となっていた。
年に何回か誰かが全校生徒に配布する舞姫通信。
兄の恋人がプロデュースした自殺志願を売りにするタレント。
自殺に憧れる若者と自殺を単純に正論で否定する大人との対比。
親友を自殺で亡くした著者が自殺をテーマに描いた作品。
単純な否定ではなく,生と死について淡々と描かれる部分に,
ある意味で答えを突きつけるのではない著者の優しさを感じる。
「なぜ自殺してはいけないのか」との子供の問いに,
自分なりに答えられるように考えておくことが大切かもしれない。
ただ,長編でやや間延びした印象を受けるのが残念。
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重松さんの本なのに、
「人は死ねる。いつ。いつか。いつでも―」
そんなの知ってるし、当たり前じゃんって珍しく反感を持った本。
宏海がかわいそうすぎる。
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主人公は高校教師。その男の家族、生徒の話。自殺志願者のタレントが世間に大きな影響を与える。『ラストシーンは、もう始まっているのかもしれない。』と、教師は書いた。この言葉がすべてだった。「死ぬな」とか、「死んではいけない」という言葉を使わないところがすき。
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■重松清さんの全作品を感想文にしてブログで挑戦中です。
重松清ファン必見!
http://wwjdkan01.blog68.fc2.com/
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「僕たちは、生きてなくちゃいけないんですか?
自殺はなぜいけないんですか?
恋人と一緒にしに損ねた少年の
テレビで発した言葉が社会を動かす。
死んだ彼女に会いたいと、後追い自殺を企てようとする少年。
そして街に溢れ、徘徊する自殺志願者の群れ――。
自殺した生徒を[舞姫]と崇める女子高で、
自らも兄を自殺で失った新任教師もまた、
過去と決別するため熱病のようなひと夏を過ごした!」
『空に踊る舞姫を、私たちは愛します。
地に横たわる舞姫を、私たちは愛します。』
『彼らが話すリクオは、すべて僕だ。いちいち間違いを正していくのも面倒なので放っておくと、その人から話を聞いた別の人まで、僕にまつわるエピソードの主人公をリクオに変えていってしまう。逆はほとんどない。なぜだろう。奪われるのは僕の思い出だけだ。』p162
『僕はリクオが死んでからの五年間で、ずいぶん物分かりがよくなった。納得はしないまでも、あらゆることを受け入れられるようになった。とりあえず生きることが、上手くなったのだろう。
佐智子は、佐智子の道を歩きはじめた。もう、ここにはいない。僕の役目も終わった。リクオに体を明け渡し、鳴らない電話を待ち続けるという役目を、僕はずっと負わされてきて、今日それを終える。待ちぼうけのままで、僕は佐智子の後ろ姿を見送る。恨み言を口にしながらではなく、サイズの合わなくなった服を取り替えるように、佐智子を待つことをやめるのだ。』p206
『 生きることと、”いる”こと。
死ぬことと、”いない”こと。
それは絶対に違う。』p212
『そして、僕はやがて忘れられていく。誰にも語り継がれることなく、僕が生きたことも死んだことも、読み捨てられる新聞のように消えていく。』p248
『誰かが言うかもしれない。五年六ヶ月は晩年だったのだ、と。晩年を待たずに死んだリクオは、同じ顔をした僕と一緒に、死んでからの晩年を生きたのだ。』p248
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ラストシーンは、もう始まっているのかもしれない。人は、誰でも、気づかないうちに人生のラストシーンを始めている。17歳で死んだ<自殺志願者>のタレント城真吾にとっては、16歳は晩年だった。城真吾は教えてくれた。人は死ねる。いつ。いつか。いつでも――。でも、僕は思う。僕の教え子の君たちの「いつか」が、ずっとずっと、遠い日でありますように。教師と、生徒と、生と死の物語。
(裏表紙紹介文より)
***
“自殺”を肯定するか否定するかは個人によりけりだよね。
特に、特定の宗教が根付いているわけではない人にとっては。
私個人としては、自殺はしてもいいと思う。(もちろん推奨はしない)
けど、実際親しい人が自殺したら「なんで自殺なんか」って思うんだろうな。
難しいテーマですね・・・。
討論には答えをだすために行うモノと、答えがでないだろうと誰もが予感していてそれでも自分の想いや考えを他人に伝えたくて行うモノがあると、私は思う。
この本は後者である感じ。
真剣に読み込めば堂々めぐりに陥るが、さらっと読むほど関心がないテーマでもないんだよなー。
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『自殺はなぜいけないんですか?』
親が絶望する!楽しいことが何もないならせめて優しくしてくれた両親に今までもらったのと同じ量の優しさを返すことから始めなさい!
と、言いたいです。
高校生にも大人にも、できたら子供にもわかってほしいです。
等価をエゴで片付けてはいけません。
重松清さんの本は2冊目なんですが、
なんか全部好きそうな予感がします。嬉しい予感です。
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人は、誰でも、気付かないうちに自分の人生のラストシーンを始めている。
人は死ねる。
いつ、いつか、いつでも。
人はいつか死んでしまうし、いつでも死ねる。
「いつか」と「いま」を隔てるものはなんであるのか。僕たちはなぜ、「いつでも」を抱いたまま切れ間なく並ぶ「いま」を順繰りに踏みしめて、「いつか」へ向かうのか。
僕達の「いつか」は、どこにあるのか。
誰も答えられはしない。僕の「いつか」は君の「いつか」とは違うし、君の「いつか」も別の誰かの「いつでも」と同じではない。
だから、すれ違うだけの短い「いま」を君と一緒に過ごした僕は、君に祈るしかない。
君の「いつか」が、ずっと、ずっと、遠い日でありますように。
君の「いつでも」が、逃げ水のように、いつも「いま」よりも少しだけ先にありますように。
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う~~~~~~ん・・・・
途中で何度か、もういいや、と思いながらも、
結局最後まで読みましたが、
やっぱり、イマイチ。
ん~、重松さんの本、結構好きですがこれは、イマイチ。
「自殺」なんでダメですかって言われても、うまく答えられないけど、人は一人で生きてるんじゃないんだから。