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紙の本
言葉でもって言葉を突き抜けること
2003/07/27 01:25
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投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヤン・ソギルの本は初めて読んだ。梁石日が中上健次をどう批判しているのかを知りたくて、関連しそうな文章にざっと目を通しているうち、思わず読み耽ってしまった。
馳星周が「解説──失われた身体への憧憬」で、「梁石日の書く人物たちに共通した特徴──他者を飲み込んで顧みない情念と、肉体の圧倒的な存在感。このふたつは、日本人がとうに失って久しいものだ。/情念と肉体。このふたつが共存するところに、おそらくは本書のテーマである「アジア的身体」が依ってたつ基がある」と書いている。藤原新也が『全東洋街道』の、たしかトルコの娼婦の写真に添えたキャプションに「人間は肉でしょ。気持ちいっぱいあるでしょ」と書きつけていたのを思い出した。
梁石日が言う「アジア的身体」のなんたるかは、たとえば「アジア的身体について」と題された文章や、岡庭昇との対談「アジア的身体──在日の思想とはなにか」を読めば、わかる。でも、読んでわかることだったら、それは実は最初からわかっていたこと、あるいは言葉のうちにあらかじめ書き込まれていたことにすぎない。言葉でもって言葉を突き抜けてみせるのが、梁石日がこだわる「文学」であるとするならば、本書について言葉で語る前に、まず梁石日の小説を読んでみなければならない。
《差別には必ず身体が介在してきますが、同時に暴力も介在してきます。私たちは暴力を肉体的な行為と見なしがちですが、テロルを孕んだ精神的行為であると考えるべきです。そしてそこには必ず身体が介在している。》(「アジア的身体について」)
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