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【アダム・スミス】
17・・・自然法思想とは「人類の存続と繁栄を促進する普遍的で完全な法の存在を認め、それを探求するとともに、自然法にもとづいて現実の人間や社会を批判的に検討する思想」のこと、でアダム・スミスの先生がこの流れに与していた。ハチスンによればそれは「道徳感覚」であるとしている
18・・・ヒュームの思想を受け継いでもいる。ヒュームは改革は必要であるが、社会契約論のような秩序を破壊することに対して、また啓蒙に対しての傲慢さを見抜いていた。経験と慣習によって徐々に積み重なったものを重視。
25・・・道徳感情論の目的は「社会秩序を導き出す人間の本性は何か」ということ、人間のどのような本質が法を作らせ守らせるのか。
30・・・「同感」というものがある。当事者に対して起こった出来事により当事者に引き起こされる感情や行動の変化に対して、観察者の身分から適切性を判断すること⇒逆の立場もありうるので、人間は常に自分の感情が他人からはかられていることを考え、是認されたい、否認されたくない、と思う。これが個人の最大級の欲求。これを個人に潜む「公平な観察者」に認めてもらいたい
37・・・公平な観察者を持った後は、他人の行為を「自分の中の公平な観察者を通して」適切性をはかる。殺人を「自分もするかも」としながら否認するのはそのため。
42・・・間接的同感と直接的同感が両方適切であれば、その行為者に対して「称賛」を与え、不適切であれば「非難」を与える。しかしこれらは不規則性を持つ。動機よりも結果を重視するからである。
52・・・世間の評価と公平な観察者の意見が不一致の場合、賢人は公平な観察者(第二審)を優先し、弱い人は世間の評価(第一審)を重視する。冤罪の場合、賢人であっても動揺する。一般人は賢人的な部分と弱い部分を合わせ持ち、自己欺瞞的に振舞う
56・・・これらを経て人間は一般的諸規則を形成する。一つは公平な観察者が非難する行動を避ける、一つは公平な観察者が称賛することを推進する、の二つ。これに従って生活することで秩序だった社会が形成される
64・・・一般的諸規則は正義と慈恵を促進する。正義には一般的諸規則に基づき、慈恵にはそれを超えて求める。これにより正義は法制化され、慈恵はされなかった。正義は土台であり慈恵は装飾であるから
74・・・人間は富を持つと心地よく感じる。それは「虚栄」を持つからで、それを理由に個人間の競争が始まる。虚栄の根源は他人の評価が公平な観察者より高い状態でありたいということ
79・・・しかし幸福は富や地位で決まるものではない。むしろそれに参加しないほうが良い。幸福とは「平静」と「享楽」にある。「平静」に必要なものは、健康、負債なし、疚しいことがない、そしてそれを維持できる程度の「最低限の富」があればよい。裏を返せばそれが無ければ「貧困」であり、貧困が苦しいのは「他人から軽蔑されるから、同感を得られないから」という精神的な理由がある。従って経済発展は「最低水準の富を得られる人」を増やすことにある。虚栄心⇒野心的⇒勤勉⇒節約⇒発展⇒文化水準の向上。個人での動きがそれと意図せず社会���発展へ。
98・・・良い野心の状況は「徳の道」と「財の道」を両立させること。しばしば中流下流の人は両立させられる。しかし、上級階級の人は踏み外し易い。これを両立させるのは「フェア・プレー」の精神にある時のみ、で、同時に公平な観察者も是認する状況。
110・・・公平な観察者の判断基準はその人の属する社会の慣習が影響する。慣習とは一つのものがあるともう一方のものが出てくる状況のこと。服にある取れかけたボタン。
156・・・国を豊かにする要素として、分業と蓄積がある。分業は国を豊かにする重要な要素の2つである、生産性と労働量のうちより重要な「生産性」を向上させる。そして分業が発生する理由は人間の持つ「交換性向」にあると述べている。これを踏まえると、市場は競争の場ではなく互恵の場
175・・・そして交換を促すために「貨幣としての金や銀」が生まれた。しかし、「弱い人」達が富や地位を求めるために、名目上の貿易黒字=商業政策を追うことになる。真の豊かさに気付かせるために国富論が書かれてある
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国富論の章まで読むことができなかったが、道徳感情論を読むだけでも、スミスの考え方が理解できる。
ずっと、自由放任主義=なんでも自由と考えてきた私は、スミスに対して否定的な考えをしていたが、そうではなかった。むしろ、道徳心を否定するような自由主義経済に対しては否定的だった。おそらくスミスの考えがうまく浸透せずに、ブルジョアは権力と結びつきとめどない自由となってしまったのだろう。
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ある事象に対して、自身の心中における「公平な観察者(客観性)」と「世間の評価」との兼ね合い、均衡を保ちつつ、前者を優先する「一般的諸規則」を重要視する、と説く一冊。
スミスが述べる社会秩序は
1.自然の摂理(種としての保存と繁栄)
2.人間の諸感情
3.一般的諸規則からの逸脱
とある。
この中で、富、つまり人と人とを繋ぐものが重要になってくる。
しかし、必ずしも富を得ることが幸福に直結するのではない。
「真の幸福とは、心が平静であることだ」
とあるように、何に足りて、満足するか?
この目的を達するための行動の取捨選択が肝要になる。
富に対する見解、またこうした考えがどうした時代背景から生まれたのか。
幸福=心の平静と説く、アダムの聡明さを確認させられる一冊。
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アダム・スミスの代表的な著書『道徳感情論』と『国富論』について、その概略の説明と両著作の全体的な論理関係の再構築を試みるということが本書の主題である。
『国富論』の邦訳しか読んだことはないが、概説部分は非常にわかりやすく理解が深まった。
一方で、もう一つのテーマである二つの著作の論理の再構築は、もう少しスペースを割いて、丁寧に取り上げて欲しかったというのが正直な感想。
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今までイメージしていたスミスとは全く違う内容に衝撃を受けた。
スミスの人間に対する深い洞察力と、当時の社会情勢に関する冷静な分析、そして社会をより良いものにしようとする静かな情熱に心を打たれた。
スミスの著作が時代を越えて読み継がれる理由がよく理解できた。一方、いくら時代が経って物質的には豊かになっても人間の本質は全く変わっていないということが改めて認識できた。
One of the best books I've ever read!
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アダム・スミスの著書『道徳感情論』と『国富論』を分かりやすく解説した本。引用も多くかなり詳しく解説してあるため後半は退屈した。いきなりの原書はハードルが高かったのでいい踏み台になると思います。
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Sun, 21 Sep 2008
アダム・スミス!
この前読んだ「リベラリズムの再構築」
で紹介されていたアダム・スミスの思想がすごく気になったので,あらためてこんな本を読んでいました.
時代背景を含めアダム・スミスの二大著作,「道徳的感情論」と「国富論」について解説してありました.
かなり強い感銘をうけました.
アダム・スミス賢いデス!
アダム・スミスというと「神のみえざる手」という話ばかりが一人歩きしている感がありますが,
本人は特にその言葉をフィーチャーしているわけではないんですね.
「道徳的感情論」という言葉を聞くと,道徳の話かとおもうんですが,違います経済システムの話です.
アダム・スミスは個人の「同感」(いまの日本語では共感にちかい)という人間の心理からボトムアップに交換活動,
経済発展を説明していくのです.
アダム・スミスの面白いところは,嫉妬や虚栄心という,道徳家ならば「悪」と見なしてしまうようなところを,
結局はそれが財の配分に寄与して,社会全体の発展を促しているということを指摘しているところでしょう.その冷静な思考.
さらに,重要なのは,そのようにある種,悪とみられる行動を,正当化しているにもかかわらず,
独占やルール違反などについては社会悪として断じて許さないという考えがあるところ.
それもアダム・スミスの筋の通った理論の中で説明されています.
資本の蓄積を阻害するので,国家の浪費は悪だと説いています.
さて,もちろんアメリカ独立戦争のころの人なので,アダム・スミスの言説が全て今に当てはまる訳ではないのですが,アダム・
スミスは論理の飛躍を押さえつつ,上にも書いたように,あくまで「人間ダモノ~」
的な個々人の心理からボトムアップに理論をくみ上げているので,時代を経ても色あせない部分が多いのだと思います.
ただ,アダム・スミスの仮定で現代社会でなりたたなくなりつつあるんじゃないか?と思うのは
「分業が生産性を向上させる」
というところではないかと思う.
様々な職種による分業がすすみ,個々人の専門化がコミュニティの崩壊やディスコミュニケーション,
専門家のやることを顧客が理解しきれないために起こるプリンシパル・エージェント問題など負の外部効果が顕在化してきているご時世,
分業を極限まで高度化させる事の難しさが出てきているように思う.
また,地球規模の分業は現在の食の不安みたいな事もおこしているわけで.
しかし,本書にはなかったけど,「リベラリズムの再構築」曰く,
アダム・スミスはそういうところにも警鐘をならしていたりもするそうで,もうちょっと知ってみたい気がするのでした.
とはいうものの,急激にアダム・スミスが私の尊敬すべき過去の偉人ランキング上位に入ってきました.
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「戦後以来の大改革」が始まった。金融緩和や財政出動と違って即効性は期待できない。安定政権のもと、息の長い取り組みになるだろう。改革に終わりはない。
経済成長が鈍化しはじめ全体のパイが増えにくくなり、また厳しい財政状況も反映し、多数の集団が多様な利害を表明するようになった。
人は確実な成果を目にしない限り、新しい制度を信用しない。改革派は半信半疑のもと改革に取り掛かるが、反対派は全力で邪魔をする。これを力でねじ伏せるわけにはいかない。外部からの圧力による改革は表面的な変化に終わってしまう危険性が高いし、痛みを無視した急進的な改革は社会の秩序を混乱させ有効な効果を生まない。スミスは急進的な規制緩和論者だったわけではない。
「小さな政府と自立した国民」には賛成だが、やみくもに小さな政府を求めるのは国家を危うくする。国民一人ひとりに温かいまなざしを失った国には人は国民としての責任を感じようとしないからだ。そういう国民が増えれば国の基盤が揺らぐ。人びとの感情を無視した急進的な改革は挫折し 社会秩序を不安定にする危険性を持つ。したがって改革は人びとの感情を配慮しながら「徐々に」進めなければならない。
とはいえ、国に過剰に期待する有様はいまや限界に来ている。そこで国民に直接利益を提供することから、雇用改革により国民が多様な働き方を通じて利益を得る機会を増やし、そのための環境を整備することへ転換を図ることはどうだろう。限定された人間関係をベースにしたタテ割り分業でなく、あたらしい分業の掛け合わせを進める。新しい血を入れることにより、既存の組織は活性化する。「チャレンジ オープン イノベーション」である。
「分業」によって社会的役割を得て人は自信と責任を持つようになり、お互いに相手を必要とし合う感情が生まれ共同性の回復が図れる。
人間は社会的な存在であるから、富の循環は不信感を払拭しながら人と人をつないでいく。
スミスは統治にはある種の合理性を超えた価値も配慮しなければならないと考えた。
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良書である。古書店にて値段の安さから珍しく衝動買いした本書、『道徳感情論』は素より『国富論』すら未読の経済学ビギナーというか完全に門外漢の自分にも、平易かつ丹念な記述でアダム・スミスの思想を判りやすく教えてくれる。アダム・スミスといえば『国富論』の「神の見えざる手」が有名だが、もう一つの著作『道徳感情論』で展開される「同感」「胸中の公平な観察者」等のタームを知ることで、競争の必要性を論じつつも急進的な変化を〈反感を招く〉として嫌い、心の平静を第一とした堅実な〈観察者〉としての姿が浮き彫りになる。
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自由主義市場経済の父と称されるアダム・スミスの思想を、生涯の二つの著書『国富論』と『道徳感情論』から再構築した、サントリー学芸賞受賞作(2008年)。
最近のアダム・スミス研究では、『道徳感情論』を『国富論』の思想的基礎として重視する解釈が主流となりつつあるが、本書では、二つの著書を「社会の秩序と繁栄」という観点から、論理一貫した思想体系として捉えている。
著者は、スミスは、『道徳感情論』で、人間本性の中には「同感=sympathy」(他人の感情を自分の心の中に写し取り、それと同じ感情を自分の中に起こそうとする能力)があり、この能力によって社会の秩序と繁栄が導かれることを示し、『国富論』で、このような人間観と社会観に立って、社会の繁栄を促進する二つの一般原理、分業と資本蓄積を考察したと言う。即ち、スミスは確かに、『国富論』において、個人の利己心に基づいた経済行動が社会全体の利益をもたらす(=「見えざる手」)と論じたが、そこで想定される個人は、社会から切り離された孤立的存在ではなく、他人に同感し、他人から同感されることを求める社会的存在としての個人なのである。
そして、著者は終章で、スミスが到達した境地を、「スミスは、真の幸福は心が平静であることだと信じた。・・・諸個人の間に配分される幸運と不運は、人間の力の及ぶ事柄ではない。私たちは、受けるに値しない幸運と受けるに値しない不運を受け取るしかない存在なのだ。そうであるならば、私たちは、幸運の中で傲慢になることなく、また不運の中で絶望することなく、自分を平静な状態に引き戻してくれる強さが自分の中にあることを信じて生きていかなければならない。」と記している。
経済学の解説を超えた著作として読むことができる。
(2009年2月了)
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アダム・スミスに対する既存のイメージである、「国富論」の主張である「規制を撤廃し、利己心に基づいた競争を促進することで高い成長を実現し、豊かで強い国を作るべきだという考え」、一方で「道徳感情論」では「人間にとって最も重要なのは心の平静を保つこと」「真に幸福を得る手段は手近に用意されていること」「正義・慈恵・利他」が必要と説いている。これは現代社会にも必要(ただし、十分ではない)なことであり、起業、経営、社会の運営等の基本となる考え方を学ぶことができた。
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本書が出るまで、一般に日本においてスミスは損な役回りを担ってきました。新自由主義の古典や源流として、反対する立場から冷たい目でみられ、かといって推進する立場からは特に擁護もされず。
今や、新自由主義の賛否両陣営にとって様々なパラダイムシフトが必要になりました。推進の立場にとっては、見えざる手が有効であるための土台である、共感やフェアな競争とは何なのか改めて検討する必要があります。また反対の立場からは、フェアな競争が存在しうるのか改めて検討する必要があります。スミスは装いを新たにしたのです。
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周囲が持つイメージでアダムスミスを捉えてしまっていたことがよくわかった一冊。
ここに書かれているのは、ストア派をベースにした人間についての深い洞察と、理想的な「秩序と繁栄を謳歌する経済」の姿でした。フロイトの超自我にも通じる「公平な観察者」や、硬直した考えを持つ人物を「体系の人」と読んでみたり、人の本性を鋭く捉えた感覚がよく伝わってきた。
ちなみに「人は合理的に行動する」とは書かれていなかった。それどころか、非合理的な判断をすると読めるのだけど。
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「道徳感情論」読破に向けた登攀準備。
自己の利益追求をする市場参加者が自分の意図を超えて、市場が調整してくれる、という資本主義というか、市場経済のマニフェストと目されるアダム・スミスだが、そんな感じでもないんじゃないのということで、最近、注目されているのが「道徳感情論」。
実は、ポスト資本主義の社会にもういるんだろうけど、メンタルモデルはまだまだ資本主義にどっぷり浸かっている私たちの道徳的基盤を整理するのにいいかな?
「道徳感情論」と「国富論」が矛盾なく繋がっているところが、うつくしい。
「道徳感情論」は、最近の脳科学や心理学の研究結果とも合致する。そして、「神の見えざる手」って、要するに「自己組織化」だったんだね。
アダム・スミスは、複雑系の思想家だったのかも。。。
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道徳感情論と国富論を並べて見せる本です。
アダム・スミスの射程の深さを知りました。ミクロ経済学だけでなく、行動経済学まで含むのだな、と思いました。