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ここに至るまでの葛藤の軌跡をもっと知りたい。
「イワン・イリイチの死」は本当にすごい小説だと思った。
死に至るまっすぐな道のりと感情、死の瞬間、開放。
「クロイツェル・ソナタ」は愛についてと罰について。
およそ小説家が書くべきことがこの2編に収まっているという感じを受けました。
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人は普段無意識に死を遠ざけ、自分だけは死ぬはずがないと考えている。
イワン・イリッチもそう考え自らの価値観を保つためだけに生きてきたが、死の間際になり自らの死ぬことを悟り、その生き方が虚構に満ちていたことを悟るに至った。
『人生の短さについて』にもあるように、本当に生きるためには死ぬことを認め、それを真正面から考えなければならない。問題は、それに気づくのが死の間際になってからだということだ。
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一人の死が周りに与える印象,という側面で非常に興味深く読んだ。死後に残されたイメージの重要性を喚起する作品である。
しかし,ラストで宗教的に勢い良く昇華されてゆく部分は正直よくわからず置いて行かれた。
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ストーリーはシンプルで、あってないようなもの。「イワン・イリイチの死」はイワン・イリイチが死ぬだけ。しかし、死に至るまでの心の葛藤がなんともリアルですさまじい。死に直面したときの葛藤や絶望を描くだけでここまで読ませる小説が書けるのか。スゴイ。
自己を欺瞞して生きてきた人間と欺瞞にあふれた世間で生きてきた人間の末路がテーマであるということができると思う。多くの文学作品でも描かれているように、本書でも欺瞞は絶望を呼ぶ。普遍的なテーマを描いた作品のなかでも、ストレートなぶん強烈な読後感が残る一冊。
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幸福の虚妄と言う点で文学の優れた業をみせている。裕福に暮らすロシアの中流階級層の人間が、世俗の欲望を追うこと意外に生きる意味を見出せない時、愛欲、嫉妬、憎悪といった利己心の中で、人間の「幸福」の条件を焼き滅ぼしてしまう、という内容。
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2012.12.10.とりあえず『クロイツェルソナタ』のみ読了。
p204「たとえどんな風に飾り立てられていても、性欲は悪です。恐るべき悪です。それは戦うべき相手であって、われわれの社会人の奨励すべきものではありません。」
元々はノンセクの掲示板で紹介されていたのを見て興味を持ちました。やっと読めた。
『重力ピエロ』で引用されていたのは後で知りました。
性欲について語られた苦悩の行末。
p198-199「ではどうして(中略)どんな風に人類は存続していけばいいんですか?」
「ではいったいなぜ人類が存続しなければならないのですか?」
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訳者よりねだり、奪い去るように手に入れました。
先生、ごめんなさい(汗
岩波の米川訳と比べると、丁寧に読みやすく…と腐心された訳者の姿勢が見えて、大変嬉しく読み進められました。
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「イワン・イリイチの死」では、
重篤な病に倒れたイワン・イリイチが
自らの「死」を確信してから鬼籍に入るまでの様々な葛藤が描かれる。
病に冒されるまで、
イワン・イリイチの人生は法に則り、
そつなく順調に歩まれてきたものだった。
しかし、「死」は自身も周囲も呑みこみ、
あらゆる状況を一変させる。
恐怖、孤独、嘘、軋み、無力、神の不在、生への渇望――。
本作は、自身の死を前にしたトルストイが、
その恐怖を描き出したものだという。
確かな生を送る者には、
死の定めを背負った人間の苦悩を窺い知ることはできない。
死にゆく者と同期することの不可能性。
それを強く認識しながら遡行的に彼らと接すること。
そこにこそ、「虚偽性」からの逸脱が生じうるのかもしれない。
トルストイからの教訓に学び、
多くの死に対して誠実な目を向けたい。
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原書名: Смерть Ивана ильича,Крейцерова соната
著者:レフ・トルストイ(Tolstoi, Lev Nikolaevich, 1828-1910、ロシア)
訳:望月哲男(1951-)
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本当にこの人の本は本を読んだという
思いを私たちにさせてくれます。
ロシア文学は難しいなんて
言われますが、そうではないと思います。
どちらも「死」がテーマとなる作品です。
特に後者は妻殺しをした男の
告白となります。
だけれども、そこまで至る経緯は
ここまで極端ではないものの
誰しもが抱いたことのある
感情ばかり。
結婚前に読むか読まないかでも
だいぶ違いそうな本です。
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なんとなく食わず嫌いだったトルストイ。
「あんまり好きじゃなさそうだな~」と思ってたからなんだけれど、やっぱりというかなんというか、直感もバカにはならない。
まず「イワン・イリイチの死」についてはイワン氏の内心の描写というかもはや説明なんだけれど、ともかく作者は人の心を覗けるというのが前提の文章となっている。
…だけどぼくは何かもうこういうのは受け付けなくなってしまった。「人の心が覗ける」のならそもそも小説なんか読む必要はないと思ってしまう。
「クロイツェル・ソナタ」にしてもポズヌィシェフ氏のひとり語りなので、ほとんど上記の批判がそのまま当てはまる。
小説としての面白みがない。独白やらひとり語りやらで、結局のところ話がストンと垂下的に落ちていく。
というわけで「イワン・イリイチの死」は賭け値なしにつまらん。
「クロイツェル・ソナタ」は冒頭の結婚観、男女観が読ませる。しかしあくまでパンフレット的な意味であって、というかもはやパンフレットでいいじゃないかって思う。
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和訳ですらこれだけの迫力.面白い.
クロイツェル・ソナタでの独白もなぜか妙に説得力を感じる.音楽の力をネガティブに書きつつ高く評価しているようなところには,なるほどと思った.
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ゼミ課題で『イワン・イリイチの死』を読むことになり、苦手なロシア文学と向き合ってる最中です。
イワン・イリイチという男が主人公なのですが、彼が死んだ、という報せが来るところから始まり、視点が入れ替わり時間もすり代わり、一息で読んでもなかなか話が入りにくいなあという印象。
ただ、迫り来る死の当事者と、そうでない人々の温度差が見ていて面白いと思いました。
これからもっともっと詳しく読んでいくところです。
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性と死。トルストイってこんな文章も書けるのか……。
イワン・イリイチの死に様に戦慄、ポズヌィシェフの恋愛・結婚観に共感。世間一般から見ると相当僻んでる部類に入るらしいが。
普段あまり考えたくないことについてはっとした時に、ぜひ。
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終わらない上り坂はない。
山登りやヒルクライムでしんどいときにいいきかせる言葉だ。
もしこの坂が永遠につづくとおもうと、のぼりの苦しさの途中で心折れて足をついてしまうだろう。
一方で来年50をむかえる身としては、上り坂のあとに下り坂がある、ということが現実的になってきた。
下り坂のゴールは「死」であろう。
トルストイによる死についての本である。
イワンクロイツはごく平凡な地方官吏。ふとしたことから死にいたる病になり、病床でそのときを迎える。
その死ぬプロセスの間で、自分はほんとに人生をいきてきたのか?人の期待や世間の相場ばかりにあわせてないか?を自問自答し煩悶する。
自分は何もえてない、なんにもやりたいことをやれててない、と薄れいく意識のなかで煩悶する。
しかし最後の最後で、これ以上、家族を、愛息を苦しませないためにも自分は死を、と、考え方を自分の後悔から他人に何かをあたえるというふうにかえたあとで心に平穏がおとずれ幸せのなかで死んでいく。
与えれば与えるほど得るものはおおきくなる、というネイティブインディアンの言葉があるがそれを重い読後感であった。