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第一に読みやすさを意図した本になっていて看板に偽りなしといったところ。「感性」に対して「悟性」(本書では「理性」)とか、基本概念をおさえておけばすいすい読め、その整理も、訳者が訳注でしてくれているので言うことないです。より深く正確な理解は、たくさん読んでからでもいいかなと思える。
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名著・名作と呼ばれる本の中で一番人に薦めやすい、そんな一冊。とにかく読みやすい。これを若い内に読めないのは不幸だし、先に解説書や他人の説明から入ってしまうなら更に不幸だ。
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私はこの著作においてカントが人間と自然の関係を影響される者としての人間、影響するものとしての自然と捉えていると考える。その上で、まずカントが自然をどのように定義しているかを述べ、それから人間と自然の関係が影響するものされるものであると考える根拠を明らかにし、最後に自然が人間に働きかける理由について述べていきたい。
まず、カントが自然をどう定義しているかである。「永遠平和を保証するのは、偉大な芸術家である自然、すなわち<諸物を巧みに創造する自然>である」(P.191)では、カントは自然を「諸物を巧みに創造する」ものとしている。また、「自然がみずからの目的のために、動物の一つの類である人間に行ってきたこと」(P.203)ともあるように、カントは自然が意思を持ち、その為に自らの創造する力を駆使しているとしているのだ。
次に、人間と自然をカントが影響するものされるものと定義していると私が考える根拠についてである。「自然が登場して、実践的には無力であるが、普遍的で理性に基づく高貴な意志に援助を与えてくれる」(P.205)とある。また、前文の「人間は利己的な傾向のために、このような崇高な体制には向かないというわけだ」(P.205)と後文の「しかもその利己的な傾向を通じて援助してくれるのである」(P.205)から、この文における自然に援助を与えられる対象が人間であることが分かる。カントが自然を意志とその意志を遂行する能力があるものとしていると私は述べたが、P.205より、その意志の向かう先が人間であることがわかる。ここから私は、カントが人間と自然の関係が影響するものされるものであると考えるのである。
最後に、自然が人間に働きかける理由についてである。この著作の題名にもあるように、カントがこの文章のなかで明らかにしたいことは「永遠平和」をどのように獲得するかである。「ともに暮らす人間たちのうちで永遠平和は自然状態ではない」(P.163)とした上で、「平和状態は新たに創出すべきものである」(P.163)とカントは述べる。カントは人間がただ自然の中にいるだけでは永遠平和は訪れず、永遠平和を創出するために人間は変わっていく必要があるとする。だが、「戦争そのものにはいかなる特別な動因も必要ではない。戦争はあたかも人間の本性に接ぎ木されたかのようである」(P.202)とあるように、人間は本性として永遠平和とは程遠い。そこでカントは、永遠平和を望み人間に働きかけるものが自然であると考えたのである。「自然は人間が大きな舞台で活動するための準備をしていること、そしてそれによって自然が平和を保証することは必然である」(P.197)からも、人間を内包するものでありながら、永遠平和という目的のために人工の環境を創りだすように働きかける自然の姿が覗える。神の創りし世界を否定しつつも、ユートピアに導こうとしている意志を世界に持たせることで、神を肯定しようとするカントの姿が見えてくる。
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個々の人間がいかにして国際的な連帯を築くことが可能なのか。この本に治められた一連の著作を通じて、カントの政治哲学と歴史哲学を一望することができる。「啓蒙」の持つ可能性に絶対的信頼を寄せているあたりに時代の雰囲気も感じるのだが、カントが決して楽観的に「永遠平和」を唱えているのではなく、人間性がかかえる「非社交的な社交性」を冷徹に見つめ、それを与えた「自然」によって人間達が国際的な連帯へと導かれていくと考えるロジックが面白かった。中山元の解説にも大いに助けられ、カント入門には良い一冊。カントってとても真摯に人間の限界と可能性を見つめ、現実に向き合い、その改良を目指した思想家なのだと好感を持った。
それにしてもホッブズ、ロック、スミス、そしてこのカントら啓蒙思想家の著作を読むと、彼らがみな人間の本性をしっかり見つめ、そこから人間の連帯(共同体)の成立について論じていくことにある種の感銘を受ける。人間とは何か、という問いが、全ての根底にあるのだなあ。
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カントの入門書としてはお勧めです。
③批判書がちょっと…という方にもこの本であればカント思想のエッセンスを味わうことが出来ると思います。
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古典の思想書読んでると、それは本当に「そうならざるを得ない」の?ただの恣意的な断定じゃないの?ってところが多くて非常にあれな事が多い気がする。「人類の歴史の憶測的な起源」のせいか特にそういう感じが強くて途中でめんどくさくなって投げてしまった。「啓蒙とは何か」と解説だけ読んでぽいとかでいいような気がしてしまう
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『啓蒙とは何か』。フリードリヒ大王(啓蒙専制君主と言われる)時代1784年に書かれた短い論文。フリードリヒ大王は国王に服従することを条件として議論の自由を許し、啓蒙主義的改革を実行したプロイセン国王である。カントによるこの文章は、啓蒙を「人間が、みずから招いた未成年の状態から抜け出ること」と定義し時代の空気を論じた文章ではないかと、私には感じられた。
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啓蒙とは、ごくごく簡単にいえば「自分の頭で考え、行動する。」ことである。
理性の公的な使用と、理性の私的な利用の違いは、私的なことは「生きるために働いてることについては、当然のように従うべき。」であり、公的なことは「その働いてることについて、自分のことで考え、批判し、世の中に対して問うこと。」である。
以下は、訳者の中山元氏の解説を元に記述する。
そのことをカントが実行する上で重視する政体は、「共和政」である。市民は常に戦争を求めることはないだろうし、実行することが理性に叶うことはないだろう・・・とする。ただしカントは、革命が起きて新しい政体が起きたとしても、新たな秩序で以て強権的な支配が行われるのであれば、意味が無いのだ。その意味では、国民投票ばかり行って政権の座についたヒトラーやナポレオンは、およそカントの肯定しないところであろう。「共和国」の名を借りながら、戦争が起きた。
ではどうすればいいのか?彼は立法と行政が分離している状況を、理想とする。共和政の反対は専制であるとカントは云うが、古代ギリシャの国家の分類法は「君主制・貴族制・民主制」であるが、それぞれが堕落した形が「僭主政治・寡頭政治・衆愚政治」である。カントは「共和政が実行できるのは、君主制と貴族制だけだ。」という。民主制は立法しそれを行うのが一緒であるから、カントは、共和政とはその2つが分離しているのが理想であるからだ。
なんとも逆説的である。カントは伝統的な為政者の人数に依らない分類法を採用している。むしろカントは、「行政」と「立法」が分離している政体が理想であり、その意味では「大統領制」がより理想に近いのかもしれない。国民が理性で選んだ国家は(議会があることが前提)、戦争のような大博奕はしないだろう、という発想のもとである。その意味では今の日本は、とりあえず戦争は起きていない。これから、「自分の頭で考えない国民」が増えると、戦争への萌芽が起きるのかもしれないが・・・・。その意味では、司法府の機能が重要であろう。
ちなみにヒトラーが共和政体から独裁が発生したのは、当時の憲法は国政の収拾がつかなくなったときに大統領に「非常大権」が大きく認められていたことがその理由であるともされる。やはり「民意」を得るだけでは、独裁への道が開かれていることの証左でもある。
当たり前のことをつらつらと書いているようにも見えるが、その理性の使用が許される「自由」も当然の前提とされる。民主制で共和政であるわけだから、その「行政」と「立法」が分離している体制であれば、何でもいいと言えるのであろう。もちろん代議制が必要であるとするから、そもそも「民主制」が最善であると云わざるをえないのも、また当然である。
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難解といわれるカントの文章だけれど、光文社の新訳でとても読みやすくなった一冊。
本書は、カントの政治哲学、歴史哲学に関する著作5編が収められている。それらを通じて語られるのは、人が自立し理性的であることの重要性。そしてそれを実現させるための自由が社会にあることの重要性。人間は本来、平穏で安楽な生活を営みたい本能がある一方で、社会を形成して生きていかざるを得ず、そのため他社との競争が必然的に生まれる。そのことこそが、人間の成長、そして長い目でみると人類の進歩につながる。
これだけでカントの思想の全体像を語ることは到底できないだろうけど、単なる宗教を超え、かつ人類としての運命論的な宿命を超えて、個々人の理性の重要性を説くカントの思想の一端に触れ、元気をもらえる一冊だと思います。
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カントは、「啓蒙とは何か。それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜け出ることだ。未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということである。」「ほとんどに人間は、死ぬまで他人の指示を仰ぎたいと思っているのである。未成年の状態にとどまっているのは、なんとも楽なことだからである。」と述べている。また、解説によると、この文章はカントが発言の自由という一点に焦点をしぼって、自律した思考の重要性を考察したものである。他のカントの提示した自律した思考の原則は、「自分自身で考えること」「独断論に陥らずに、他者の思考を柔軟にうけとめて、自分の思考の正しさと妥当性を再検討すること」「思考が自己矛盾しないように配慮すること」とある。
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「啓蒙とは、みずから招いた未成年の状態から抜け出ること」
「未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということ」
本書で印象に残った言葉。
近年、自分の頭で考えろという類の本が多く出てる中、そのことは何百年も前から言われてたことなんだなと認識した。
自分の理性を使う勇気がない人は未成年か。
なんか納得した。
自分はまだまだ「成年」になりきれてないな。
そう気づかせてくれた本。
あとは難しくてあまり理解できなかった。
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・啓蒙とは何か
・世界市民という視点からみた普遍史の理念
・人類の歴史の憶測的な起源
・万物の終焉
・永遠平和のために
本書には、これら5つの論文が収録されています。そして巻末には、カント年譜や訳者中山元氏による100ページにもおよぶ解説が収められています。
訳文は読みやすく、丁寧な解説も付いていますので、なんとなく難しそうだからという理由でカントの著書を敬遠していた人は、ぜひ本書を手にとってみてほしいです。
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表題作2作含む5編入り。「啓蒙とは何か」は最近読んだオルテガの大衆の定義を思い出す。教えられたことを覚えてそれに囲まれているだけじゃなく、ちゃんと考えろってことなんだけど。学ぶのは哲学ではなく哲学的に考えることが哲学です、みたいなこと。
「永遠平和のために」は平和条約は単なる休戦に過ぎない、真に平和な世界になるために、「国際法」「世界市民法」「公法」の成立する条件などを道徳的な政治と政治的な道徳を軸に掘り下げた論文。
「万物の終焉」が私にはとてもおもしろく感じた。
どこを切ってもカントだなあという感じ。
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啓蒙とは何か、だけ。
政治哲学がつまらないのか。カントがつまらないのか。はたまた己の心が貧しいだけなのか。
…理性の絶対信仰 って雰囲気は味わえたから、よしとしよう。笑
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時間かかった……。読んでる最中ふと頭をよぎったのがウィキリークスの功罪。カントならなんと言うだろう。