投稿元:
レビューを見る
面白かったー
訳も読みやすかった。
特に第12章の子育てと第13章(終章)の戦後日本についてがいい。
第12章では西洋人から見れば矛盾している日本人の態度の豹変ぶり(戦時中の愛国精神から戦後の占領統治に従い得ないと予想されていたが、的外れに終わったなど。他にも多々ある。)の謎が解ける。
第13章は戦後日本の平和主義への方向転換に矛盾はないことを本書を通したまとめとして書く。よい。
個人的に、先日まで試験に合格するかしないかでかなり気を揉んでいたのだが、これが日本人的な思考だと論じられて、世界には同じ局面に対峙してもこんなに精神をやられないんだなと、自分が小さく見えたし、気持ちが軽くなった。
投稿元:
レビューを見る
途中で飽きてしまい、最後まで読んでいないのですが笑
戦時中の雰囲気を感じつつ、現地調査ができない中でのベネディクトの鋭い考察には感心した。
戦後から半世紀以上が経って日本人の行動パターンも若者を中心に変化しており(ジェネレーションシフトというやつ?)、私もその世代の一人なので共感できないところも多々。しかし高齢者率が高いことを考えればこの本で述べられている日本の行動パターンを理解するのには意義がある。
日本人は法律や制度、役割を設けて過剰に環境面の秩序を保とうとする。"過剰に"、"環境面の"というのが日本独自のポイントだと思う。秩序を保とうとするのは、どこのどの程度かに差はあれど生存欲求をもつ人類共通のものである。
まず、なぜ日本人は"環境"の秩序なのかというと日本人の世界の認識が、環境→主体だからだ。言語の構造と世界の見方には深い関係性があって日本語は英語と違って周囲から中心に向かう言語だということを最近知り、このように思った。ここらへんは今後学んでいきたいところだが、日本人は主体よりも先に環境を捉えるのだろう。
そしてその環境だけを見つめていると、誰もコントロールできない創造と破壊の世界(無常観)であることに気づく。その流れに身を任せられる勇気があればいいものの、大抵は個を失ってしまうというのではないかと危機感が芽生える。だから自分という存在を見失わないような法律、制度、役割を欲するのである。
運が悪いことに法律や制度というのは権力と相性が良く、歴史上のトップは日本人らしさを悪用して不安を煽り"過剰"なまでにはってしまったのだろう。
環境面の秩序を重んじる日本人らしさはらしさでいい。でもそれが自分や誰かを傷つけるほど過剰なものにならなってはならない。遠くの誰か見えないなにかではなく、目の前の自分と他人に素直でありたい。これからは東洋と西洋の行動パターンをバランスよく取り入れていくことが大事である。
投稿元:
レビューを見る
かつての日本人の生活様式をつぶさに分析した本。様変わりした現代に読んでも情景が浮かぶことに驚嘆するとともに、敵を理解すべくこのような分析を行なっているアメリカ人の恐ろしさをひしひしと感じた。
投稿元:
レビューを見る
日本人が相対的価値観にとらわれる理由
この本は日本人が相対的価値観(世間の目、人からの評判、身分、貧富の差等)に囚われがちであり、だからこそ相対的価値観とは逆の絶対的価値観(自分の軸で生きる)を説いている自己啓発本が人気が出る理由が分かった。
気付き
・恩と愛の違い
恩は返さなければならない、または返したい
愛は見返りを求めない
日本人は恩のほうが強い。これは義務感的な役割も持つ。
・恥の文化
日本人は自分が馬鹿にされたり、けなされたり、恥をかくことを気にする。
これは道徳心が自分の中にあるか、外にあるかが大きな要因。
キリスト教ならば、自分は常に神に見られているので自分の中に道徳を置く
日本は神の教えがないため、世間の目が道徳となる。だから空気を読むとか、同調圧力が一層強い。
評価の基準を外に置くことが多い理由が分かった。
このように本で書かれてしまうと、国民性なので仕方ないとも思える。
ならば、なおさら相対的価値観を持つのではなく、自分の軸で生きていく絶対的価値観で生きていくことの重要性が理解できた。
投稿元:
レビューを見る
【読もうと思った理由】
書籍紹介(主に哲学書や古典思想書など)のYouTuberとして有名なアバタロー氏が、自身のチャンネルで紹介していたのが、そもそもの動機。
また、10年程海外に住んでいた知人が、最近日本に戻ってきた際に、コロナ禍の為、ほとんどの日本人が電車内でマスクをしているのに、本人は「会社以外はマスクはしないよ」と言い、日本の電車内でもマスクは一切していないとのこと。本人が住んでいたヨーロッパの国でも、電車内でほぼ誰もマスクはしていないだとか(2022年12月当時)。元々僕もマスクは嫌いだった為、一度人がそんなに混み合っていない電車で、マスクを取ると周りの視線の冷ややかなこと。その後すぐにマスクをした自分を客観視した際に、自分の主義・主張を後回しにし、周りの視線ばかり気にしてしまうのは、やっぱり国民性なのかなぁと感じた。そんなこともあり、一度海外の人が一切忖度なく書いた、日本人論を読んでみたいと思ったのが理由。
【著者 ルース・ベネディクトについて】
[1887年〜1948年]アメリカの文化人類学者。ニューヨーク市生まれ。3歳頃“はしか“のため片耳の聴力を失う。1914年生化学者のスタンレーと結婚。1921年コロンビア大学の大学院でフランツ・ボアズから人類学を学ぶ。同大学の非常勤講師を経て、1937年准教授になる。1943年戦時情報局に勤務し、1946年『菊と刀』を出版。死の2ヶ月前、正教授に任じられた。主著に『文化の型』など。
【文化人類学って?】
世界各地のさまざまな社会や地域で日常的に行われている文化的な活動を、実際にその社会や地域に入っていき、一緒に生活してみたり、インタビューすることなどを通じて細かく調査し、研究する学問。調査の対象は、伝統的な風習を守る部族社会から、現代的な地域社会まで、非常に多岐にわたる。また、国内の文化も調査の対象として重要である。学問的な特徴としては、文献による研究よりもフィールドワーク(現地調査)に重きを置く傾向がある。
【執筆した背景】
太平洋戦争の終戦が近づいてきた際、アメリカの課題は、アメリカ軍の損害を最小限に食い止めつつ、日本軍を降伏に導く方法を探ることにあった。また天皇の処遇も大きな問題としてあった。そこで外国の文化を研究する専門家として、ベネディクトに白羽の矢がたった。1945年5月〜同年8月までという約3ヶ月間で報告書を書き上げる。そのタイトルが「日本人の行動パターン」である。その後、「日本人の行動パターン」に大幅に加筆・修正を加え、一般読者向けの日本人論として執筆されたのが本書である。
【本書で初めて知った言葉】
・ノーブレス・オブリージュ…19世紀にフランスで生まれた言葉で、「noblesse(貴族)」と「obliger(義務を負わせる)」を合成した言葉。財力、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことをさす。身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会に浸透する基本的な道徳観である。法的義務や責任ではないが、自己の利益を優先することのないような行動を促す、社会の心理的規範となっている。(P.235)
・怯懦(きょうだ)…臆病で気が弱いこと。いくじのないこと。(P.392)
【感想】
今まで何となく感じていた日本人が世間体を気にしすぎる理由を、ベネディクト氏が理路整然と説明してくれ、納得感が得られた。
本書の構成は、13章からなる日本人とは?という、ただ一点だけに特化した、アメリカ人の文化人類学者が執筆した書籍。
なので文体は、報告書ベースから一般読者向けに改編されているとはいえ、500ページに渡る長編なので、結構堅い内容に感じる。(ここ最近読了した数冊が、エンタメ小説ばかりを読んだ為かもしれません。)
事実誤認という欠点があるにも関わらず、執筆されて80年近く経つのに、絶版にならずに今だに売れ続けていることと、日本だけで販売部数が230万部もあるんだから、それ相応の魅力があるのは間違いない。
特にどうしても強調したいのが、文化人類学の最重要手法である現地調査が、戦争中であったため、したくても出来ない状況であった。現地調査ができない中、12章で語られる子育てに関する考察は、文化人類学者としての力量を圧倒的に見せつけられる。
ぜひ気になった方は一読して欲しい。
では実際に現地日本に行かずにどうやって考察したのだろう?→戦時中アメリカには、日本で育った日系人が数多く住んでいた。彼ら日系人から詳細な面談を行うことにより、具体的にどのような事実を体験したのかを、知ることがができたのだ。
では本書の訴える日本人特有の考え方とは一体何であろうか?→それは恩と恥の概念である。欧米人から見ると一見理解しがたい行動も、恩の貸借という概念で説明できると言う。具体的には夏目漱石の「坊ちゃん」を読んだ時にベネディクト氏は閃いたのだそうだ。
(以下、『坊ちゃん』の内容を一部抜粋)
同僚の告げ口を真に受けた坊ちゃんは、勤務先の学校で、唯一まともな教師だと思っていた山嵐との仲が悪くなる。関係が悪化すると、山嵐から以前奢ってもらったわずか一銭五厘の氷水のことが異常に気になる。そしてある日山嵐に一銭五厘を返すことを決意する。日本人なら、まともでない人間から、恩を受けたまま放っておくわけにはいかないからだ。恩にともなう借りを返そうと躍起になる坊ちゃんの心理は病的だ。
そう思った瞬間にベネディクト氏は、恩の貸借関係が日本人の倫理規範の要となっていることに思い至る。アメリカで借金の返済に向けて強制力が働いているのと同様に、日本では恩返し(義理を果たすこと)を促す作用が働いている。日本での強制力とは「恥」である。義理を果たさないと、恥を知らない人間として世間の嘲笑を買う。だから日本人は義理を尽くす。本書の核心部分はそのように要約できると思う。
また日本人がここまで世間体を気にするようになったのは、260年も続いた江戸時代からなんじゃないかなと個人的に思っている。いわゆる村八分問題だ。村八分にされてしまうと、実質生きていくことが、この上なく困難になる。なので村八分に絶対にされない様、周りの目を異常な程気にしすぎる性質は、この時から生まれたんじないかなと。
いわゆる「空気を読む」や「暗黙の了解」とか「阿吽の呼吸」などは、まさに日本人のみが持つ特有の気質だと思う。
なので日本人は、失敗すること、また人から悪く言われた��、拒絶されたりすることに対して特に傷つきやすい。そのため、えてして他人を責めるより自分を責めがちである。
だから日本人は他国に比べて鬱になる人や、自殺者の割合が多いんだろう。
またベネディクト氏が日本人を言い表している箇所で、特に納得感があったのが、以下である。→日本人に特有の倦怠感は、あまりに傷つきやすい国民がかかる病気である。日本人は拒絶されるのではないかという不安を外側にではなく、自分自身に向ける。そして、身動きが取れなくなる。(P.262)
日本人の深層心理をよく表しているなぁと感心した箇所が以下である。
→日本の生活においては、恥が最高の地位を占めている。恥が最高の場を占めているということは、とりもなおさず、誰もが自分の行いに対する世評を注視するということである。世間からどのような判定を下されるのか、それを思い描くだけでも、他人の判定が自分の行動指針となる。(P.357)
また11章(鍛錬)の章では、禅宗の大家、鈴木大拙(だいせつ)の無我の境地を引用している。「それをしているという感覚のない恍惚の境地」、すなわち「力を込めない状態」と説明している。
「死んだつもりになって生きる」ということは、すなわち葛藤から究極的に解放されたということに他ならない。それが意味するのは、次のことである。「活力と注意力を、誰にはばかることもなく、そのまま自分の目的を達成するために注ぐことができる。(P.395)
日本人の哲学によれば、人間は心の奥底では善なのだという。内なる衝動が直接行動となって具現化するとき、行いは善いものになる。しかも、努力も要することもなく。だからこそ日本人は恥という自己検閲を排除することを目的として、達人の域にたどり着くための修練を積むのである。(P.396)
→ここが本書で一番納得感があった部分だ。そう日本人は、行動を起こす前に恥というフィルターを、深層心理では、取り除きたいと思っているんだ。だけど、世間体を気にしすぎてなかなかそれが出来ない。
だから僕が冒頭で書いた、10年ぶりに日本に帰ってきた知人の、周りの目を気にしない自分のポリシーを貫く姿勢を、羨ましいと思ったんだ。
最近特に「悟り」に惹かれている自分のことを、本書を読んで客観視できたのが、今回の収穫だ。
僕のように日本人の特性や、客観的に見た日本人に興味がある方へ、お薦めできる作品です。
【雑感】
本書は日本人を知る上で、自分を客観視できたのはとても良かったのだが、結構、自分の考えを纏めるのに時間が掛かってしまった。なので次読む作品は、気分転換で純粋に楽しめるエンタメ小説にしよう。ブグログで皆さんが絶賛している「テスカトリポカ」を読みます!
投稿元:
レビューを見る
途中話がバラバラしている感じがしたが、最後まで読んだら話の道筋を理解することができた。日本社会のこともアメリカ社会のことも賛美することなく、倫理感覚の違いによるそれぞれの社会構造を説明している。読んでよかった。
投稿元:
レビューを見る
米国の目から日本の心理を考察した本。日本人がどう見えていたか、どうだったかに関する考察は非常に興味深い
投稿元:
レビューを見る
アメリカ人の文化人類学者であるベネディクトが日本人の特性・特徴を研究して著した本。
本著の起因は1945年、太平洋戦争終結後にアメリカ軍が日本を統治するにあたって分析を試みた際、ベネディクトに鉢が回ったことにある。
アメリカ人からすれば当時の日本人は不可解な行動を取る国民であった。
日本人は、攻撃的であるかと思えば、一面では温和であり、軍事を優先する一方で、美も追求する。このような二面性が彼らには理解できなかった。
ベネディクトは、アメリカ人には理解できないこのような不可解さも日本人なりの価値観や論理に基づいた相互に有機的な関係であると考えた。
そこで、日本人捕虜の尋問録、日本の映画、新聞、小説などから分析を行い、日本人の不可解さを説明する幾つかの鍵を見つけた。
それが、「応分の場」「報恩」「義理」「特目」「名」である。
つまり、己の分を知り、自身を抑制することで慎重にこれを弁える。自分が受けた恩には何があっても報いる。受けた義理は、たとえそれが不本意なものであったとしても、必ず返す。自分の評判を輝かしいものにしておくことをなによりも尊び、名誉を回復するためなら誰かを殺すことも自らの命を差し出すことも辞さない。
ベネディクトは、これらの性質を持つのが日本人だとする。
またベネディクトは、日本人に二面性をもたらすのは幼少期における教育の極端なまでの甘さであるとする。日本人の子どもは幼少期、欧米の子どもと比較して遥かな自由を認められる。
しかし、10歳頃になるまでに躾の一環として「コミュニティから仲間外れにされる恐怖」やそれに付随する恥や嘲笑を与えられるため、日本人は壮年期には自分の衝動を抑えることが常となってしまう。
それでも、時折、自由奔放の身であった幼少期の記憶がフラッシュバックする。これが日本人の二面性として表出するというのだ。
本書は80年も前に発表された本だが、深く西洋化された現在の日本にも通ずる内容だと感じる。それほど日本人の本質の部分を的確に捉えている。
高度成長期の日本は敗戦後の荒野から、先を行く欧米諸国にキャッチアップするだけで成長が約束されていた。しかし、それに追いついてしまってバブルが崩壊し、日本経済は底を打った。そしてそこから30年間、遂に浮上することなく今日に至る。
日本経済の復活のためには、官民学のあらゆる領域において抜本的な改革が必要である。経営学のトレンドを追うことや細かな経済施策を考えるだけではなく、より根本的で徹底的な革新が必要だ。
そしてその革新の準備のために、今一度日本人の特徴・資質を見つめ直すべきだと思う。本書はその一助となる古典だ。
投稿元:
レビューを見る
冒頭、異なる文化の人間を理解することは難しい、分析も難しい、真に理解し合うことは困難だ、という言い訳が長々と続く。
次からは日本人に対する分析が始まる。
内容については賛否あると思う。
よく言われる恥の文化というのはピンと来ない。
著者は日本で取材せずにこの本を書いたと聞く。
今で言うコタツ記事。
何かと言うと引き合いに出される本だが、日本人が気にするべき内容ではないのでは?外国人が日本を知ろうとして読むのは自由だが…
投稿元:
レビューを見る
長い。流し読みで気になったところだけ記録。
多くの東洋人と異なって日本人は、文を綴ることによって自分自身をさらけ出そうとする強い衝動をそなえている。
人間は日常生活の中で行動を学習する──。ある人の行動や意見がどれほど異様に見えようと、当人の感じ方や考え方は、経験してきたことと一定の関係を持っているのである。
「世界はひとつ」を唱道する善意の人々は、世界中の人々を自分たちの見方で染めることに期待をかけてきた。
日本は戦争の大義をほかの観点から見ていた。つまり、各国が絶対的な主権を持っている限り、世界の無秩序は一掃されない。日本は国際的な上下関係を確立するために戦う必要がある。そのような階層の頂点に立つのは、もちろん日本である。なぜなら日本だけが、国内において頂上から底辺へと正真正銘の階層を形成し、したがって、「おのおのがその所を得る」必要を理解していたからである。
精神が物質を制する戦いに勝利する。
精神はすべての源泉であり、不滅である。モノはもちろん必要であるが、精神に次ぐものでしかない。しかもいずれ消滅する。
達観せる魂は千年不滅
大きな苦難に襲われたとき、人は進んで機会を設けなければならない」。
アメリカ人は、絶えず挑戦してくる世界に対応するために、生活全体の調子を加減する。また、そのような挑戦を受けて立つ構えができている。ところが日本人は、手順どおりの図式的な生活様式に支えられて初めて安心するのである。そこでは、見えないところからやって来る脅威が最大の脅威と見なされている。
生死にかかわる危険に身をゆだねてこそ潔い。事前に対策を講ずるのは卑劣である。
死はそれ自体、精神の勝利である。アメリカ式の病人の手当ては、爆撃機の安全装置と同じように、捨て身の精神を妨げるものである」
名誉は死ぬまで戦うこと
死以外に何も残されていない日本兵
ちょうど、百姓が搾取されたときと同様に。それは本人にとっては危険なことであったが、公認の行為でもある
日本人の見方によれば、法に従うということは最重要の恩義、すなわち皇恩を返すことに他ならない。このような物の見方ほど、アメリカ人の思考様式との対照性を浮き彫りにするものはないだろう。アメリカ人にとって新規の法律は、赤信号の設置に関する道路交通法から所得税法に至るまで、全国民から忌み嫌われる。なぜならそれによって、自分のことを自分で決める自由を奪われるからである
嘲笑者とは、他人の魂と心を抹殺する者のことである。
「世界中の注視の的となっているというのに」、空襲のあとの瓦礫の始末もできず、電気・ガス・水道などの公共サービスの中にはまだ復旧していないものもある。これは日本の名にとって何という汚点であろうか──。
日本人は、世界の中で尊敬を集めたいという焦慮に駆られている。
四海兄弟論 市井 慰撫 空文化 応分の場 背馳
覚書 因習 纏足 満腔 開闢 容喙 輔弼
投稿元:
レビューを見る
アメリカ人と仕事をすることが多く、自分の行動原理や観念的な素地がそもそも米国人と違うことを日々感じていた。
ただそれを言語化できず認知できていなかった今の自分に必要な本だった。
本稿の中でベネディクトの示す「恩の貸借」の概念はとても納得感があった。
また「日本人の特性を子育てから見る」くだりも、なるほど全く同じではなくとも伝統的に親から受ける教育には戦前戦後共通項があり、それが日本人らしさに還元されているという考えは私たち20代にも共感できる部分があったと思う。
方法論的にもコロンビアのフランツ・ボアズから受け継いだ比較論がとても興味深かった。
国外に向けて仕事をする人は、まず日本をよく知るべきだと思いここ数年は「日本」について考えることが多かったが日本人としての自分の視座は「当たり前」の範疇を客観的に特性として認識できなかった。
だから、ベネディクトの米国人からみた日本人という客観性は非常に有益だと感じた。
訳者があとがきで述べる『アメリカで借金の返済に向けて強制力が作用しているのと同様に、日本では恩返し(義理を果たすこと)を促す力が働いている。その強制力とは「恥」である。義理を果たさないと、恥を知らない人間として世間の嘲笑を買う。だから、日本人は義理を尽くす─』という要約は、端的かつベネディクトの意を簡易的に汲むにはすばらしい要約。
投稿元:
レビューを見る
第二次世界大戦中、米国戦時情報局の依頼により研究された文化人類学者による日本人論。恥の文化、恩と義、応分の場など日本人の特性について述べられ、私はしっくりきた。日本人が日本人を客観的に見ることもでき、古典的名著となっているのも納得。