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仏の教えとは寛容だなーと思いました。
ナンマイダブと唱えれば善悪に関係なく阿弥陀様が救ってくれる…このユルさが現代でも受け容れられている所以なんでしょうか。
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日々ありとあらゆるものに悩みぐらぐらふらふら迷っている自分だけど、この本を読んで、そんな自分でもいいのかなぁと思うことができた。
自業自得という言葉があるけど、この本の中ではそんなものはなんら関係なく掬い上げる「アミダはん」の存在を諭していて、親鸞が語った様々な話に触れていくうちに、自分のどうしようもなさやあさましさを思い、こんな自分に関わってくれている周りのヒトモノセカイそしてそこから生ずる縁、全てに有り難いなという気持ちが湧いてきた。
仏教の今生における目標は心の平安であるとしたら、この有り難いと思う心の状態というのは、とてもそれに近い気がする。
愚かな自分を認めた先にそれをも大きく包んでくれている大きなもの(=アミダはん)に手をあわせたくなる気持ち(その気持ちを言葉であらわしたものが「ナムアミダブツ」なのかな)をただ持って生きればよいというシンプルな親鸞の教えは、文字が読めないなど当時の社会で強くない立場にいた人々にとって大きな救いとなったと想像できる。
どんな苦しい状況でもアミダはんの本願の力に心から感謝をして、有り難い、有り難いと生きれば、死をも怖くはなくなる、というのもなんとなくわかる。
幸せになるにはどうしたらいいのか?という率直な疑問に、難しいことは抜きで一直接にコミットした教えが他力本願なのかな。
当時の農村の人々の目線で話を聴いているような、素朴な気持ちになれる読書時間でした。また苦しい時に再読していきたい。
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【読もうと思った理由】
数々の著名人が、歎異抄が素晴らしいと言葉を残している為、死ぬまでには絶対読もうと思っていた。
具体的なエピソードとして、歴史小説家として有名な司馬遼太郎氏は、「無人島に1冊の本を持っていくとしたら歎異抄だ」との名言はあまりに有名。また日本を代表する哲学者として有名な、西田幾多郎氏が残した言葉は、(第二次世界大戦末期、空襲の火災を前に)「いっさいの書物を焼失しても『歎異抄』が残れば我慢できる。」とか。
また「存在と時間」で世界的に著名な哲学者ハイデガー氏も、「もし十年前にこんな素晴らしい書籍が東洋にあったことを知ったら、自分はギリシャ・ラテン語の勉強もしなかった。日本語を学び聖者の話を聞いて、世界中に拡めることを生きがいにしたであろう」など。
【感想】
最近好んで読んでいた、光文社古典新訳文庫で歎異抄を読了。
この書籍で光文社がかなり挑戦的なことをしており、新訳の部分を全て関西弁で記載!なおかつ、その関西弁が、かなりコテコテの関西弁なので、関西人としては、これだけでこの本を買った価値があると思ってしまう!どれぐらいコテコテかと言うと、本の最初の導入部分が、「ひとに聞かせられへんアホなことばかり考えているワテ(唯円)ですけど、・・・」と始まる。原文と解説以外は最後までコテコテ度合いが続く。関西人としては、問題なく読めたが、それ以外の地域の方は、多分読みにくいんだろうなぁと。
ここから真面目な話。関西弁は話し言葉であれば問題ないが、文章だと正直なかなか内容まで頭に入ってこない。また今回の訳者がどうも仏教専門学者などではないようだ。
歎異抄は18章からなり、原文や解説を含めないと50ページほどなので、すぐに読めてしまうが、内容を理解するのは本当に難解だ。解釈が各書籍によってかなり違うらしい。また歎異抄の研究者もいるんだとか。そもそも、一冊読んだだけで理解できるほど、簡単な書籍ではないことが分かっただけでも、一歩前進としよう。ということで、次に読む歎異抄として、歎異抄 (著者:梅原猛、講談社学術文庫)か五木寛之氏の私訳 歎異抄(たんにしょう) (PHP文庫)かで悩み中。
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「南無阿弥陀仏」
哲学の次は仏教です
どこを目指してるんでしょう?w
答え:どこも目指していません
はい、うち思いっきり真言宗なんですが、まぁいいでしょう
唯円さんとは同郷なんであまいいでしょう
甲子園で自分とこの県代表応援するのと同じ気持ちで読みました
って嘘!絶対嘘!!
でも、大丈夫どんな気持ちで読んでも最後「南無阿弥陀仏」っ言っときゃオールオッケーです
え?そういうことじゃない?
いやいやそういうことでしょうよ!
気持ちでしょうよ!
そう…なの?(知らんわ)
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『方丈記』に続き、徳を積む参考書として読んでみたけど、「ナンマンダブ」という魔法の言葉を唱えれば往生できるという。。聖人への道は多種多様だなと。
『方丈記』を読んで、道端に酔っ払って寝ている人達の額に『阿』の字を書いて回りたいと思ってたところへ、まさかの簡単な方法が紹介されるという結末。
他には、読み進めるとキリスト教に共通する教えもあり、まだまだ勉強する事が沢山あり、友達とワイワイ仮説の会話をしたい本の一つとなりましたと、云々
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一周回って「無思想」に辿り着いた親鸞さん。親鸞さんと唯円さんの対話があまりにも衝撃的な内容すぎて、『歎異抄』を書き写した蓮如さんも、「むやみにこれを読ませることを許してはならない」と最後に注釈を入れるほど。でも読んじゃダメって言われるほど、もっと読みたくなるものなんじゃないか。
修行や勉強なんてしなくても、南無阿弥陀仏の魔法の言葉でみんな天国行けるから、アミダはんに全部任せちゃいなさいということだった。
徳の積み方は千差万別なんだな、と目から鱗。
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8年前に梅原猛訳で一度読んでいるのだが、好きな「光文社古典新訳文庫」で「関西弁訳」があると知り読んでみた。
原典は現代の日本人からすると十分に格調高い古典的な硬い文章に見えるのだが、当時の親鸞はわかりやすい平易な言葉で説いたらしく、その雰囲気を醸すために、『何となく分かる』スタイルの関西弁風翻訳としたそう。その試みは当たっているような、そうでないような。関西に計15年程住んだ者にとっては分かりやすく感じた。二度目だからかもしれない。
悪人正機説(善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや)が誤解されないように諭した部分の例え話は秀逸だ。
十三
原典
くすりあればとて、毒をこのむべからず
とあそばれてさふらふは、かの邪執をやめんがためなり。
関西弁訳
「薬があるというたからとて、毒を好むちゅうのはおかしなことや」とはっきりいわはったのは、そないなよこしまな考え(=邪執)をやめさせようとしはったためや。
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宗教を過度に否定する風潮が今の世の中にはありますが、歴史上何億、何十億単位で人を救ってきたのもまた宗教な訳で、そこに縋るのは人間として何も不思議じゃないんですよ。とりわけ『歎異抄』には「お前が持ってる荷物全部オレが持ってやるから貸しな」的な空気があって愛しています。
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現代語訳が、今どきここまでコテコテな人は居ないって…というレベルのコテコテの関西弁で、訳者はこの古典新訳のシリーズで『梁塵秘抄』を歌謡曲風に訳している人でもある。
唯円が師の親鸞から伝え聞いた事を記述する、というスタイル(とくに前半部)なので、究極の話し言葉であるコテコテ関西弁をチョイスしたのは正解な気がする。黙読より、音読してみると良いと思う。
昨年浄土真宗のお寺での葬儀に参加する機会があり。参列者は基本的に要所で「南無阿弥陀仏」とつぶやくのみで、結構な田舎で通夜の後に不寝番して線香を…的な地域なんだけど、お坊さんは「無理せず。真宗ではそれは必ずしも必要ではない」のようなことをおっしゃり。そういうことがあったので、こんなにシンプルなもんなのか?と疑問が湧いて本書を手に取ったのだが、なるほど確かに、本当にシンプルなんだなぁと実感した。