紙の本
二人の本当の関係は?
2019/01/27 21:02
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
太っちゃんが私に持ち掛けたのは「どちらかが先に死んだら、パソコンのHDDを破壊する」ということだった。そして、太っちゃんがどうしても消したかったのは下手糞なポエムだった。「私」のような早稲田の政経でている総合職の女が同僚にいたと仮定したら、私はびびって恋愛の対象からは外してしまうかもしれない。太っちゃんは「私」を同士または「戦友」と捉えているのか、ひょっとしたら、その下手なポエムから想像すると、「私」のことを本当は好きだったのかもしれないと思えた。仕事に熱くなれた20代のことが懐かしくも恥ずかしくも思えた
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第134回芥川賞受賞作品
2018/05/04 07:26
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
住宅機器メーカーに同期で入社した、ふたりの男女の関係が印象深いです。仕事で力を合わせながらも、お互いへのプライベートに踏み込まない微妙な距離感が心地良かったです。
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はじめての会社の同期は性別をこえた絆でつながってるかもしれない。
そんな同期が死んだとき、果たさなければいけない約束があった。
短編「勤労感謝の日」「みなみのしまのぶんたろう」(ぜんぶひらがなで読みにくい)を併録。
きもちのいい本だった。 さとこ
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あたしの事、いつ見てたの?!
って思う女性が少なくないはず。
なんだかあまりに手に取るようにわかりすぎて
胃痛を通り越して背中が痛くなった(笑)
同世代の私はうんざりする思い出を掘り起こされて
げんなりしたり、鼻先で笑ったり・・・
決してキライな話じゃない。
でもなあ・・・短編すぎるよー(笑)
じゃなかったらあと数篇付録が欲しい。
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「俺は沖で待つ
小さな船でおまえがやってくるのを
俺は大船だ
なにも怖くないぞ」
まずこの詩がおもしろすぎたし、「大船かよ」っていう及川の突っ込みもおもしろすぎたし、何より「同期」という言葉の響きが不思議で、何度か読み返してしまった。おもしろい、すごい、と思いながら読んでいるとあっという間。
ユーモアというか、日常会話の妙というものを心得ている人だなぁと思う。
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はいはい、女子ね。と思って読み始めたら、大勘違いだった。平謝り。バブル期に総合職として働いてきた女子の、男気というか、人間味というか。ああ、こういう女性になりたい(かった)。なんてほんとうで当たり前なんだろう。
その人間性にひっぱられて小説自体がどうこうと思えないのだが。。。そう、この作家自信の魅力でひっぱっている。でもでも、作家自身の魅力でひっぱろうとして、たいして魅力的じゃないひとがたくさんいる。
すっかり好きになってしまった。
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表題作の他、「勤労感謝の日」「みなみのしまのぶんたろう」の2作が併録されている。
「勤労感謝の日」の主人公、鳥飼恭子は、近所の長谷川さんに見合い話を持ちかけられ、断り切れずに承諾する。
かくしてやってきた、見合いに始まる恭子の1日が、淡々と描かれる。
元々の短気な性格に加えて失業中という状況が続きやさぐれている恭子は、見合い相手の野辺山清や、後輩の水谷だけでなく、クリスマスやバスの運転手や渋谷など、あらゆる物事に対していちいち苛立ち、不平不満を並べ立てる。
そのいちいちさ加減や、失業中の人間の心情や女性総合職の現実はそれなりに読み応えがある。
ただし、この作品の見所は、最後の7ページ、恭子が水谷と別れ、近所の飲み屋に行く場面である。
「気分の悪い日に愛用している」というその飲み屋でのマスターとのやり取りや、その合間に描かれる恭子の心情、そしてダメ押しのように描かれているトイレのシーンは、それまでの野辺山や水谷とのやり取りの場面と似ているようで、全くもって異なっている。
恭子はそれを、「ああ、夜だなあ、と思う。……私はこの店に夜を買いに来るのだ。真っ暗で静かで狭い夜一丁」と表現しているが、まさに、昼の喧騒や苛立ちとはかけ離れた、静謐で寒々とした夜がそこには横たわっている。
昼の喧騒や苛立ちが多くのページを割いて描かれているだけに、そのわずか7ページがあたかも夜風に当たっているように心地よくもさらりと流れていくのである。
表題作は、住宅機器メーカーに就職し、福岡の営業所で働くことになった主人公及川の、同期の牧原太、通称太っちゃんを始めとする同僚達に囲まれた日常を描いた作品である。
文末が「だ・である」調ではなく「です・ます」調で統一されている点を含め、及川が自分の言葉で仕事や同僚について語っているかのような文章表現が(恐らく意識的に)使用されていて、エッセイや自伝、日記を読んでいるかのようだ。
この作品では、及川と太っちゃんの「同期」という間柄故の絆が、最大のキーポイントになっている。
太っちゃんが及川に「協約」を持ちかけたのも、及川がその「協約」を果たし、そしてその後は再び忙しなくも淡々と過ぎていく仕事生活に戻っていったのも、「同期」という間柄故のことだろう。
残念なのは、読者である自分自身に仕事をした経験がないために、(「勤労感謝の日」にしてもそうだが)この作品で描かれている及川の日常のリアリティや、太っちゃんとの絆の特殊性を、恐らくは感じ切れていないということである。
いつか仕事に就いた時に、あるいはその5年後、10年後に、この作品を読み返せば、きっとその魅力を余すところなく感じられるのだろう。
「みなみのしまのぶんたろう」は、平仮名と片仮名のみを使用して書かれた、童話のような異色の作品である。
文章表現も、あえて殊更に平易なものが使用されている。
絲山秋子という作家の作品は、小難しい表現が排除され、その分行間を読ませる点や、作品毎にテイストが全く異なる点が魅力だと思うのだが、この作品でもそれらの魅力が存分に発揮されている。
もしもこの作品が、漢字を用いて書かれていたら、全く稚拙な作品に思えてしまったかもしれない。
登場人物や世界観に最も適合した文体や言葉を選び、使い分けられるという、「見せ方の巧さ」が、絲山秋子という作家のすごい所だと改めて感じた。
また、絲山秋子の作品では、「移動する」「生活の拠点が変わる」ということが重要な要素となることが多いのだが、この作品もまた然りである。
作中に、主人公しいはらぶんたろうが海の魚達に「うらしまたろう」の話をしてやる場面があるが、ここで「うらしまたろう」が登場したのはあながち偶然とも思えない。
ぶんたろうが住んでいるみなみのしまに、ぶんたろうの家族達がやってくる場面で作品は結末を迎えるのだが、これをハッピーエンドと呼んでいいのか否か、この後にどのような展開が待ち受けているのか、想像したくなるところである。
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イトヤマ節が今回も炸裂しておるにはおったが、ちょっと物足りない感じ。
この作品で芥川かあ……もっと別の作品があったと思うのだが。ふむ。
でも表題作は特に、イトヤマさんが書いたんじゃなきゃ、絶対に手に取らなかった。
他の人が書いたら、不自然にドラマチックになるか、ただの平坦な日常小説か、エッセイにしかならんとおもた。
<ネタバレを含みます>
表題作は友情を描いた作品。
だがそれは普通の友情とはちょっと種類が違って、学生時代のそれではない、社会人として同じ時期、同じ苦しみを知った戦友とでもいうべきそれだ。
そんな友情を育んでいた男友達と主人公の女性はある約束を交わす。
それは「死んだらお互いの秘密を消しあう」ということだった、みたいな。
秘密抹消をお互い約束し合うシーンはとてもリアルで自然で、すごく好きだ。
二人の間柄だからできたことで、だからこそ罪深くもあり、だが主人公にとって自分への救済にも繋がっていたのかなと思う。
そいで太っちゃんの詩「沖で待つ」には不覚にも素直にジーンとかきてしまった。いやはや。
表題作のほかには「勤労感謝の日」と「みなみのしまのぶんたろう」が収録されている。
「勤労〜」はイトヤマさんの暴力的で、でもすっげ身近な感情の吐露が炸裂していて、電車の中で読んでいたら笑ってしまった。
そうそう、こんなもんだよね、友達との会話って。好きだ。
でも何か頭から離れないのは「みなみの〜」の方。
すごく懐かしい感じがして、ついつい行間を読みすぎたり、ミステリーを読みすぎて最後までぶんたろうが騙されたり裏切られたりする場面を想像していたが、思いの外するすると終わって、自分の腐りきった読書を恥じた(笑)
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久し振りに、これだけ痛快な小説を読んだ。
文章が生きていて、最高に面白い。
日常の生活をベースとしているところも、なんだかホッとできる。
元気をもらえた。
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芥川賞受賞作である表題作を含む短編が3つ。
著者が実際に会社勤めをしていた時の経験がふんだんに生かされているようだ。
表題作は、「私」と会社の同期である太っちゃんの仕事を通じて育まれた友情を描いた話。地方の営業所に2人で行かされて、社内外の人たちと関わり合いながら社会人として成長していく二人。普通の友人や恋人にはない、「同期」という信頼感。タイトルにもなっている「沖で待つ」という言葉は短いながらも、何だかじんわり沁みる。
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絲山 秋子さんの作品は、昨年10月に「ラジ&ピース」を読みました。
この作品は芥川賞受賞作品です。
「勤労感謝の日」と2編収録です。
短くて、短時間で読みました。
どちらも読後感はよかったです。
「勤労感謝の日」は、36歳の無職の独身女性が主人公の話です。
勤労感謝の日にお見合いをします。
見合い相手は「会社大好き人間です」「仕事が趣味です」と自分を語り、「負け犬論をどう思いますか」と主人公に訊いてきます。
主人公は会社勤めをしていた頃、午前2時3時まで働き、早く仕事が終わった日は終電で飲みに行っていたといいます。
正規雇用と非正規雇用の問題がありますが、正社員も大変なんだということが、30代の若者の視点で描かれています。
「沖で待つ」は、住宅設備機器メーカーに勤める女性の主人公が、福岡に赴任する話です。
福岡の地名がたくさん出てきて親近感を覚えます。
大博通り、天神、宗像、鐘崎、地下鉄七隈線、天神コア、キャナルシティなどです。
作者はどうも福岡に住んでいて、似たような経験をしているようです。
死んだ後、パソコンのハードを破壊して欲しいというのは、日記を焼き捨てて欲しいというのと似ています。
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絲山秋子さんの書き出す“関係性”みたいなものが、毎回「うまいなぁ」と思います。
人と人の距離感というか。
この「沖で待つ」では、同期の男女の友情が書かれています。
決して恋愛にはならない、だけど特別な関係。
私には同期がいないので、これを読んで「へぇ〜」と思いました。
確かに先輩方が同期の話をするときって独特の感じ(空気というか)がするなと思っていましたが、こんな感じなのかぁ、と。
同時収録されている「勤労感謝の日」。
主人公の心の声が、口汚さといい突っ込みっぷりといい、なんだかシンパシーを感じます。というか、身につまされます。という感じかな。
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文庫のタイトル(沖で待つ)と、装丁を見事に裏切る冒頭の「勤労感謝の日」。
中身を全く知らずに読み始めたので、私が勝手にイメージしてただけなんですが、
好きだわ、こういうヒト。
「沖で待つ」
仕事に打ち込み、同期や仲間とがんばった記憶がよみがえります。
新入社員として配属された地が福岡だったので、福岡出身の私は単純にウレシイ・・。
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芥川賞受賞作。
わりにガチガチのサラリーマン小説。
サラリーマンなら共感できることが多い。
熱くなりすぎない適度な温度感。
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芥川賞受賞作。
一作目「勤労感謝の日」は、働きづめに働いてきたキャリアウーマン・恭子が、上司を殴って首に。
翻訳の仕事で娘を養う母との暮らし。
36では就職も難しく、見合い話を持ち込まれて断り切れないが、これがまたイヤな相手で…
ずばずばとした語り口で、リアル。
表題作の二作目は、会社の同期の男女を越えた仲間意識というテーマ。
及川は東京の大学を出て住宅設備機器メーカーに就職、いきなり福岡へ赴任。
同じ立場の太っちゃんこと牧原太と、死んだら互いのパソコンの中を人に見られないように密かに破壊すると約束し合う。
それなりに秘密があるのね〜。
星形ドライバーを使ってHDDを破壊するのか…
変わったタイトルの響きとその意味がなかなか面白い。
2006年2月単行本発行。