本書を読んで思ったのは「げに怖ろしきは人事の恨み。結局官僚にとって最大の関心事は昇格とポスト」ということである。まず人事上の不満があって、それを正当化するために理屈は後から付いてくる。
2012/02/20 14:16
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投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「永田鉄山、大日本帝国陸軍の逸材。彼がもし生きていたら、帝国陸軍はあのような無謀な戦争に邁進することなく、別の道を歩んだであろう」。こんな話ばかりを私は聞かされてきた気がする。しかし、本書を読んで、こうした「日本陸軍が生んだ逸材としての永田鉄山」というイメージが大きく変わった。むしろ「永田鉄山が構想した戦争計画は、あたかもドイツ帝国を滅亡に導いた参謀総長シュリーフェンによる戦争計画シュリーフェン・プランに似て、それが日本を滅ぼした」と思えるようになってきた。つまり「日本を滅ぼした張本人は永田鉄山その人である」と。
本書は同じ著者による2書、『浜口雄幸と永田鉄山』 、『満州事変と政党政治』を再構成したような内容となっているが、本書の方が、永田鉄山という自分を軸にまとめてあるだけに、前掲の2書より読みやすい。話は長州閥が人事を壟断する帝国陸軍の改革を唱える中堅将校が「人事の刷新」を唱えて結束する1920年代に始まる。陸士15期から18期の若手青年将校が集まって結成した二葉会(中心人物は永田で、メンバーには岡村寧次、小畑敏四郎のほか、東條英機、山下奉文らもいる)と陸士21期から24期の少壮将校が集まって結成した木曜会(メンバーには鈴木貞一、石原莞爾らがいる)が合流し一夕会なる会合が組織される。彼らは第一次大戦を目の当たりにして「来る大戦は国家による総力戦となる」という、ある意味しごく当り前な軍事観を持ち、旧態依然たる組織を維持しようとする帝国陸軍の刷新、更には大日本帝国という国家組織そのものを刷新しようと構想する。しかし、彼らが具体的な行動として実行に移したのは「長州支配の打破」という目先のチマチマとした人事の話で、この辺りが、如何にも軍人といえども官僚らしい、品の下がる下世話な話になってくる。そもそも「国家総力戦に備えて軍隊を改革する」ということでは、宇垣軍縮を断行した宇垣一成陸軍大将率いる宇垣派と一夕会は共通する部分が多かったはずである。宇垣軍縮とは、一言でいえば水膨れした陸軍人員をカットして、浮いた金で兵器を買い弾薬を買うという話で、この結果、大量の軍人が路頭に迷ったという。ところが「陸軍きっての逸材」であるはずの永田は。ここでは「広い意味での世界戦略観の共有」という意味で宇垣派と結ぶことなく、あくまで反長州を貫き、反宇垣の立場を優先する。ここで奇妙なことが起きる。宇垣派で無かったが故に、宇垣体制の下で冷遇された「人の良いおじいさん」荒木貞夫と「根暗で権力欲の塊じいさん」真崎甚三郎と永田との奇妙な連合が成立するのである。荒木・真崎と永田らが率いる一夕会グループの唯一の共通点は「反宇垣・反長州閥」という一点のみ。永田ら中堅将校の強い押しで、荒木・真崎が陸軍のトップに上り詰め、根暗な爺さん真崎甚三郎が権力を掌握する。ここで、一夕会内で内紛が起きる。これが後に統制派と皇道派の抗争と言われるものだが、これも著者が展開する記述は従来のものと少し異なる。発端は二葉会の中心メンバー、小畑敏四郎と永田鉄山の対ソ戦略を巡る対立だ。ロシア通でもあった小畑は、満州を、日本をソ連の攻撃から守るため、ソ連一撃論を主張する。革命後の混乱で極東ソ連の軍備が整わない今のうちにソ連に痛烈な一撃を加え、日本にあだなすことがないように先制攻撃を加えようというわけだ。これに永田は猛反発する。永田は「次に日ソ間で戦争が起きた時は、国家の存亡をかけた総力戦になる。その為の準備が整うまではソ連との戦端を開いてはならない」という。そして日本は長期持久戦に備えるだけの資源に乏しいので、その欠陥を補うべく、満州はもちろん北支並びに中支までを日本は確保すべきだ、しなければならないと永田は主張する。この主張こそが、後に日本が支那からの全面撤退をためらい、アメリカのハルノート受諾を拒否することになった最大の理由であり、この永田の構想こそが日本を滅亡に追いやるのだが、そのことは後述する。
さてここで著者は皇道派と「皇道派青年将校」を明確に区別する。皇道派とは、あくまで小畑を筆頭とする「ソ連一撃論」を唱える一夕会内の一派で人事の都合から、この永田小畑の反目を利用して漁夫の利を得た真崎らがこれに加わったグループ。これに対し、「皇道派青年将校」とは、「娘の身売り」に象徴される出身地農村の窮状に悲憤慷慨し、北一輝らの影響を受けマルクス主義的農村改造を含む国家改造計画に賛同する連中で、真崎ら「皇道派」は北ら「アカの思想」を何よりも憎んでいたので、皇道派と皇道派青年将校は氷炭相容れないグループだと著者は両者を区別する。一方、エリート将校主導による整然たる統率の元に軍主導で国家改造を目論む永田らも、これら皇道派青年将校らによるクーデター計画を「軍の統制を乱す行為」として忌避する。そして2.26事件が勃発すると、永田ら統制派は反乱分子の鎮圧に乗り出し、真崎荒木らを今度は追放してしまう。これに憤った相沢なる狂信的軍人が陸軍軍務局長室で抜刀し永田を斬殺。ここに「陸軍の逸材・永田」の人生は終わる。
しかし、永田の死後も永田の戦争計画は生き残る。日本が将来臨むであろう戦争は、国家の命運をかけた大戦争で、その為には北支・中支の資源を確保することが日本の生存にとっては絶対条件で、だから満洲のみならず支那を占領し支配するのは日本にとって絶対に必要という永田構想は、永田後を継いだ陸軍エリートの間でも絶対修正不可の不磨の大典として生き残るのである。そして、この永田構想こそが日本を滅亡へと追いやる。北支の資源確保は日本の生存のために絶対に必要だが、ナショナリズムに目覚めた生意気な支那はこれに抵抗する。なぜ支那は日本の北支支配を認めないかと言えば、背後にアメリカの影があるからで、このアメリカの影を吹き払うには西太平洋上において帝国海軍は米海軍に対し圧倒的優位を確保する必要があるという発想が出てくる。ロンドン海軍軍縮条約時には加藤友三郎のように「戦をするにはおカネがいる。日本におカネを貸せるのは世界ひろしといえども米国だけ。アメリカからおカネを借りつつアメリカと戦争なんか出来るわけがない。つまり日本はアメリカとは戦争なんか出来ない」と喝破する常識人がまだいた。しかし、こうした先立つものから逆算するという柔軟な発想は陸軍の逸材永田にはない。とにかく生死をかけた最終戦争は必定という歴史観がまずあって、その生存戦争に勝つには北支の資源が絶対に必要で、その北支の資源確保を邪魔する勢力は蒋介石、張学良、アメリカ、イギリス、みんな排除すると、こういう風に永田的論理は展開するのである。陸士陸大の成績で永田神話に及ばない武藤章や田中新一は最後まで永田構想を否定できない。乗り越えられない。
満洲事変は石原・板垣ら関東軍参謀の独走というのも神話で、実は止めようとしたのは宇垣派に属する陸軍省と参謀本部のトップのみで、永田ら中堅将校は石原莞爾らと呼応する形で満洲占領を積極的に支援したというのも新しい発見だった。
戦争に至った経緯が良く分かった
2015/08/25 13:24
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投稿者:アトリエ - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本とアメリカが戦争をしたのはイギリスをめぐる戦いであったというのが本の趣旨でなるほどと思った。
日本の戦争指導者が皆アメリカとの戦争を避けたがっていたというのも意外であったしきちんとした計画を持っていたことも初めて知った。
今まで知らなかった戦争へ至る経緯が分かる良書である。
構想の破綻―軍官僚たちはどこで誤ったのか
2012/10/08 01:07
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yjisan - この投稿者のレビュー一覧を見る
満州事変から太平洋戦争に至るまで、日本の進路を決定づけた最大の政治勢力は昭和陸軍であった。一般的に昭和陸軍は、確たる見通しもなく功名心から野放図に戦線を拡大して日本を滅亡に追いやった猪突猛進の単細胞集団、という印象が強い。不毛に映る幾多の派閥抗争も彼らのイメージを悪くしている。しかし彼らには、次期世界大戦の勃発に備えて総力戦体制を構築するという明確な戦略目標があり、それを実現するための遠大かつ「合理的」な構想を用意していた。石原莞爾の世界最終戦論は有名だが、永田鉄山や武藤章、そして短慮無謀の典型と評されることの多い田中新一でさえ、次期大戦から日本を守ることを意図して、それなりに筋の通った構想を抱いていたという事実には意外の観がある。
満州事変における陸軍中枢=宇垣系(不拡大派)と中間幕僚=一夕会(拡大派)の対立、皇道派・小畑敏四郎(対ソ戦優先)と統制派・永田鉄山(対支戦優先)の対立、支那事変における石原莞爾作戦部長(不拡大派)と武藤章作戦課長(拡大派)の対立、日米交渉における武藤章軍務局長(交渉継続)と田中新一作戦部長(開戦決意)の対立。これらは単なる陸軍の内輪もめ(人事に起因する感情的対立)ではなく、各々が独自の構想を抱いていたがゆえの政策的対立であった。本書はこの点を具体的に明らかにした労作と言えよう。
ただし、著者は昭和陸軍を主導した代表的軍官僚たちのグランドデザインを復元することに重点を置いていて、彼らの“一見すると”理路整然とした構想のどこに問題があったのかを詳しく説明してくれていないので、昭和史に一定の知識がないと本書を十分に理解することは難しいと思う。彼らの構想は短期的・局所的には「合理的」でも、全体として見ると御都合主義に陥っているのである。以下に昭和陸軍の構想の主な問題点を挙げる。
1.米英との対立の可能性を想定して軍需資源の自給自足を目論むが、そのための大陸への軍事的進出(侵略)が米英との対立を招き寄せるという本末転倒(軍事重視・外交軽視の「国防自主権」論)、2.中国のナショナリズム昂揚への甘い見通しに基づく楽観論(対支一撃論)、3.ドイツがイギリス、ソ連に勝利するという希望的観測を前提に戦略を立てるという他力本願(ドイツに対する過大評価)、4.日独伊軍事同盟+日ソ中立条約によってアメリカが対日戦を諦めるだろうという誤解(アメリカに対する過小評価)。
対米開戦決定の際に企画院総裁として御前会議に参加し、資源確保の観点から開戦を主張した鈴木貞一は、戦後になって「もし永田鉄山ありせば太平洋戦争は起きなかった」と語ったという。しかし、事実はむしろ逆ではないか。昭和陸軍が「アメリカとの政治的対立を回避しつつ大陸に日本の自給圏を作る」という永田構想に最後まで縛られたことこそ、太平洋戦争が起きた最大の原因であろう。日米友好と大陸進出。この互いに相容れない命題を両立可能と考えたところに彼らの最大の錯誤があったのである。
部分最適を追究することで全体の視野を見失った彼らの過ちを、日本は「ガラパゴス化」という形で再び繰り返そうとしている。モノ作りのモジュール化が進み、世界最適調達が求められる現代において、「日の丸半導体」にこだわり救済したものの結局はエルピーダを破綻させてしまった経済産業省の産業(保護)政策は、昭和陸軍のコストを無視した自給戦略に重なる。
官僚の「もっともらしい作文」に振り回される悲劇を根絶するためにも、日本政治における「官僚主導」の排除は不可欠だ。それこそが、我々が昭和陸軍の失敗から得るべき最大の教訓だろう。
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昭和十年八月十二日、一人の軍人が執務室で斬殺された。陸軍軍務局長永田鉄山。中堅幕僚時代、陸軍は組織として政治を動かすべきだとして「一夕会」を結成した人物である。彼の抱いた政策構想は、同志であった石原莞爾、武藤章、田中新一らにどう受け継がれ、分岐していったのか。満蒙の領有をめぐる中ソとの軋轢、南洋の資源をめぐる英米との対立、また緊張する欧州情勢を背景に、満州事変から敗戦まで昭和陸軍の興亡を描く。
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太平洋戦争は、陸軍、特に統帥部が暴走し、海軍やその他の省庁がひっぱられて、戦争に突入したという常識がある。
しかし、この本は、丁寧に昭和陸軍の人物の思想、具体的には、永田鉄山、石原完爾、武藤章、田中新一の考えをおって、極めて冷静に現状を分析しつつ、戦争に追い込まれていく状況を明らかにしている。
個別の事項で認識を新たにした点と、教訓がある。
(1)上記4軍人に共通しているものとして、すばらしい構想力を持っているが、組織の指示、指揮権に従わすに、組織的判断を停滞させるという、陸軍に対する欠陥をつくりだした。
今の役人と同じく、局長、部長、課長という職種のものが、大臣の意向、あるいは、部長が局長に従わないといった行動が、実は、統一的な行動をとらせなかった原因ではないか。
自分も役人として上司の意向にあわないことはあるが、組織の長として、最終的には従わなければいけない、自分で単独でこれに反した行動はとらないと決意している。このような決意がなくなった組織は暴走することがよくわかる。
(2)先日読んだ『スターリン』では、日本が早々に対ソ戦を断念したため、極東軍をソ連が対独戦にまわせたという記述を読んだが、日本陸軍は、冬に入るのぎりぎりまで、むしろ極東軍の移送状況を分析して、30%しか、対独戦にまわされなかったことから、対ソ戦をあきらめたとしている。(p253)
こちらの方が確かに説得力がある。ソ連も日本を十分に牽制して、日本が攻撃にでないと判断した後に軍隊を移送したのだろう。
(3)開戦時の陸軍省の軍務局長の武藤章は、対米戦開戦をできるだけ避ける努力をしていたが、参謀本部の作戦部長の田中新一は開戦やむなしと早期に判断していた。(p263)
対米戦になれば物量等で圧倒的に不利になるとわかっていて、陸軍の枢要な地位のある軍人でも対米戦を避ける努力をしていた。
(4)武藤軍務局長は、海軍に戦争に自信ないのなら海軍からそう発言すれば陸軍内を押さえるといっていたのにかかわらず、及川海軍大臣は自分で責任をとらず、近衛総理に一任すると発言した。(p292)
責任のあるものが、悪い予測であっても、責任をもって発言しないことがどういう悲劇を招くかがよくわかる。責任者はえばるだけでなく、まさに責任をとる必要がある。
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陸軍の優秀なエリートたちが、どうして戦争に日本を突入させてしまったのかについて、という、読み応えのある本です。あんまり簡単な内容ではないですが……昭和陸軍のこと知らないけど、という人は、もうちょっと読みやすい本から入っていったほうがいいでしょう。
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本書は、1931年(昭和6年)の満州事変から1945年(昭和20年)の太平洋戦争の敗戦まで日本の針路を主導・壟断した日本陸軍の内実を詳細に調査・解明した興味深い書であると思った。
わが国の「昭和の戦争」について、つねづねその国力差から、負けることがわかりきったアメリカとの戦争になぜ突っ込んでいったのかという疑問は、誰もがあるのではないかと思う。本書を読むと、当時の日本に世界戦略がなかったわけではないことがわかる。
「日本陸軍省軍務局」。この日本陸軍の一機関が当時の日本の国家戦略を策定して日本を動かしていたとは、当時の日本の国家構造に疑問を抱いた。本来、国家戦略を練るべき政治家や外務省は何をしていたのだろうか。よく、当時の日本陸軍が当時の日本国家を誤導・壟断したと言われるが、その実態が本書を読んでよくわかった思いがした。
本書を読むと、世界戦略を策定できるような人間はそうは多くない。1930年(昭和5年)に陸軍省軍務課長となった永田鉄山。1937年(昭和12年)陸軍参謀本部作戦課長となった石原莞爾。1939年(昭和14年)陸軍省軍務局長となった武藤章。1940年(昭和15年)参謀本部作戦部長となった田中新一。彼らが国家戦略をいかにして策定し、それを現実のものとしていったのかの経過が本書では詳細に研究されていると感じた。
それらの国家戦略を、現在の目から見た場合、どうだろうか。歴史を後から決め付けるおろかさかもしれないが、当時のソ連との戦争を展望して、自給自足経済を目指し、そのためには、満蒙と東南アジアの資源が不可欠とした判断や、中国と満蒙を分離できるとした判断。中国が武力の一撃で屈服すると見た判断。ドイツがヨーロッパで勝利すると見た判断。これらの当時の国家戦略の内容には、多くの疑問が付きまとうし、これらの国家戦略が当時の日本国内で広く議論・共有されたことはなかったように思える。ただ、その内容は妥当ではなかったかもしれないが、当時の日本がはっきりした国家戦略の下に動いていたことが本書でわかった。
しかし、軍人というものは武力を持って戦争で勝利するための独自の教育システムで育てられているものだと思う。その軍人が国家戦略を策定し、政治を引っ張る当時の国家像には、やはり強烈な違和感を感じた。、国家の進路を決めるために必要な知識と価値観は、軍人の価値観とはちょっと違うのではないのかと思った。
また本書では、戦争ヘ向かう種々の意思決定の過程も詳細に追跡している。そこで感じるのは「縦割り組織の弊害」である。本書では、昭和の戦争にいたる様々なレベルの国家意思の決定の過程を詳細に追いかけているが、日本の政治システムには、下部のそれぞれの機関の主張を上部で判断し選択するシステムが確立されていないと感じた。結果、下部機関の派閥抗争となり、その力関係で政策が決定されてきたのではないのかと思った。この国家システムは、ひょっとしたら、現在の日本でもあまりかわっていないのかもしれないとの危惧さえ持った。
しかし、日本には、この力を持った陸軍省軍務局のみではなく、海軍軍令部もあったはずだし、アメリカとの戦争の決定には海軍の発言も大きな力を持っていたはずである。そちらの研究も是非読んでみたいと思ったし、本来ならば外交・戦争の判断は、外務省が主人公だろうと思う。その研究も知りたいと思った。
本書は、新書のわりにはページ数も多いが、飽きずに読める良書であると思った。
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近年のこういった分野を扱うものとしては抜群におもしろかった。
対米戦争については一般的には軍部、それも陸軍が無定見、無計画に突っ込んでいったというのが定説のような気がする。
しかし、永田鉄山から発するいわゆる「統制派」の流れは、まったくそうでなく、満蒙問題を解決し中国国内に資源を求め自主自衛の体制を整えてから、最終的な世界大戦に備えるというものだった。
それにむけて特に陸軍要職に「統制派」幹部を就かせるという人事をもって、その「構想」の実現に向かっていた。
その人事の強引さからか、永田は軍務局長の要職にありながら惨殺される。
そして、その衣鉢をついだ石原莞爾や武藤章がその思想を変容させながら突き進んでいく。
永田生きざれば対米戦争は行われたであろうか。
また、東京裁判の「共同謀議」というものが仮に当てはまるとすれば、この「統制派」流れが筆頭であることも指摘しておきたい。
今までの常識を覆す好著である。
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昭和の日本陸軍の思想の系譜をたどる。
永田鉄山の構想では、第一次世界大戦を経て総力戦に突入する状況や米英仏等、ブロック経済に移行する中において、日本が生き残るために、満州や華北を含めた自給圏域をつくることになった。
その後石原完爾が華北に進出するよりは、どんどん国力を増しているソ連に対して、国力が増す前に戦い、北方の脅威を取り除くべきだと主張していく。
永田鉄山は惨殺され、石原は日中戦争に伴い主流から外れているなかで、永田の構想を引き継いでいったのが、武藤章、田中新一。
日中戦争が拡大し、泥沼化していく中で軍務局長となった武藤の構想は、永田の構想である満州、華北を含めた勢力圏の確保のほか、南方への進出についても勢力圏にするべく移行している。ただし、武藤は、米国との戦争は避けるべきと考えており、米国も含めた戦争をするべきとする田中との対立につながっていく。
対米戦までの日米交渉等における政府のやりとり、陸軍内部における考え方の相違と激しいやりとり等、コンパクトにまとめられ、一気に読むことができた。
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この本、ちょっと新鮮な視点でございました・・・
戦前の日本軍、特に陸軍は何の戦略、見通しもなく、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と暴走し、泥沼にハマって国を滅ぼした・・・
いやいや意外にそうでもないですよ、と・・・
本書を読むとわかる・・・
や、別に大日本帝国礼賛の本じゃないですよ・・・
念のため・・・
陸軍首脳は・・・
太平洋戦争開戦をどのように決意したのか?
何であんな無謀と言われる戦争を起こしたのか?
っちゅーのを、戦前の昭和を主導してきた陸軍の・・・
さらにその陸軍を主導していった永田鉄山、石原莞爾、武藤章、田中新一らの構想を辿って紐解いていく・・・
永田鉄山っていう、カリスマ性があって、頭のハイパーイイ軍人の・・・
資源が超少ない日本が・・・
いずれ必ず起こるであろう世界大戦・・・
それも長期に渡る、経済競争も含めた国家の存亡を(勝手に)賭けた総力戦・・・
その国家総力戦に生き残る、いや勝ち残るためにはどうすべきか?
そのための構想がすべての軸・・・
満州事変から始まる、永田のその構想がのちの大東亜共栄圏など、昭和陸軍の源流となる・・・
永田自身は陸軍内の永田率いる統制派と皇道派の激しい派閥争いの中、斬殺される・・・
けども・・・
その永田の亡き後を主導していく石原莞爾もまた、永田が属していた一夕会のメンバー・・・
ただ石原は永田に劣らずデカい構想(最終戦争論)があって、いずれ起こるであろう、アメリカとの世界の行方を賭けた最後の決戦へ向けて陸軍、ひいては日本を主導していく・・・
いや、いこうとしたんだけど・・・
永田ほどの人望は無かったんですかねぇ・・・
中国を巡る考えで・・・
自分の部下なんだけど永田の影響をモロ受けている武藤章たちに激しく抵抗され・・・
結局、途中で陸軍中央を去っていくという・・・
石原を追い出した武藤章や田中新一は永田の構想を強く引き継ぎ、かつ各自拡大し、彼らが陸軍を主導していくことに・・・
そして対米戦争開戦時の首相、東条英機は永田の弟分的存在だったけども・・・
構想や戦略は永田に遥かに及ばず、その武藤や田中に頼る形だったので・・・
開戦後、武藤や田中が次々と東条と決別した後は・・・
もはやナァナァ(というには忍びないけど)という有様に・・・
一気に戦略性が蒸発していくことに・・・
永田鉄山の構想が源流にあったけども・・・
それに固執するだけで・・・
状況が変わっても方向転換できず・・・
皆、永田ほどの構想を新たに作れず・・・
皆、永田ほどのカリスマ性、もしくはリーダーシップが無いので・・・
対中、対独、対ソ、対米と、事あるごとにそれぞれの考えが対立し・・・
毎回その時々の強硬派に掻き乱され、引っ張られ・・・
ズルズルと悪いほうへ悪いほうへ向かって行く・・・
そんな流れが見て取れます・・・
結構明快に見て取れます・・・
これがヤバイ・・・
知��といて損はない・・・
なのでゼーヒーでオススメ
永田が死ななければ、とも考えられるけども・・・
その永田にしたって主導権争いで殺されているのでアレですね・・・
ちなみに太平洋戦争は何故起きたか・・・
中国を巡る日米の対立によるものではなく・・・
それは欧州戦線にて、ドイツに劣勢なイギリスを崩壊させないため、という・・・
いつもと違った話が展開されております・・・
詳しくは読んでみてちょ・・・
最後に・・・
この著者・・・
読んでて何だかスゲー説得力を感じさせる文章をカマしやがるぜ・・・
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年表だけ見ると1930年代は柳条湖事件・満州国成立・停戦協定・盧溝橋事件とどこかで区切りにできなかったのかと思うときがある。しかし陸軍が意思や法則性に則って活動を行うことを本書で知るとき、区切りはあまり関係の無いことを感じた。
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満州事変から日米開戦へ至るまでの
陸軍における主要人物の構想と人間模様を描く。
日中戦争の深みにはまるまでの石原と武藤のやりとり、
日米開戦を回避しようともがく武藤と田中とやりとりが実に面白い。
従来とは異なる目線から開戦の経緯を知れ、非常に勉強になった。
実際はこれに加え、政界人や民間人の活躍もあった訳であり、
さらに知見を深めたいと感じさせる一冊。
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第一次世界大戦における、国家総力戦が日本に如何なる影響を与えたか?
大正十年、ドイツ南部のバーデン・バーデンにおいて永田鉄山、小畑敏四郎、岡村寧次の三人が落ち合い、将来の国家総動員態勢実現に向けて話し合ったところからはじまる。
昭和史を読み解くにあたって、もっとも重要なひとつにおける「一夕会」。
本書はタイトルにも示されているように、永田鉄山を中心に、昭和陸軍の軌跡に迫った一冊である。
中堅クラスのエリートであった永田ら一夕会メンバーが、如何にして軍の中枢を握り、自らの理想のために軍を動かしていったかが丁寧な筆致で語られている。
大東亜戦争における、原因のひとつといえる中堅エリートたちの暗躍があったというのは重要なポイントだ。
この一夕会が後の統制派と皇道派をうみだす契機になったということからも、日本史におけるターニングポイントであった。
本書では、統制派と皇道派の対立を、戦略上の相違に基づく対立と位置づけ、それぞれの戦略を丁寧に解説している。
また、国際関係における、永田と北一輝・大川周明との相違点なども興味深く、北一輝の説く「国家改造」と永田のスタンスの違いなど、明確に整理してあるあたりは非常に参考になった。
本書では、永田暗殺後の515事件、226事件、さらには永田の後継者であった東条英機・武藤章・田中新一らが、日米開戦をどのように決断し、敗戦を迎えたかまでが描かれている。
ただ、近衛文麿に関しては著者の専門ではないらしく、記述が曖昧であったのが残念では合った。
統制派・皇道派・近衛、そして昭和天皇とその側近たちがどのようなパワーバランスの上になりたっていたかを知るには、他の研究所で補完する必要があると思う。
昭和陸軍における入門書としては、オススメの良書です。
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満州事変から終戦までの政治的キーパーソンがどのような考えで戦争を進めていったのかを、陸軍を中心として描く。
主なキーパーソンは永田鉄山、石原莞爾、武藤章、田中新一である。
彼らは単なる官僚であるにもかかわらず、国家指導者のように政治闘争し、戦略を練り、戦争を指揮した。
厳しい国際情勢の中で、優秀な頭脳を持った軍部官僚が必死で考えたが、結果は何百万人もの日本人が死んだ。
本書は日本がどのように戦争したのかを軍部の視点から知りたい人にお勧めで、特定の立場に肩入れせず、極めて客観的な立場から書かれた優れた歴史書である。
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15年戦争の経緯をわかりやすく説明してくれた良本。今の時代から回顧すれば、100%無理だと感じる太平洋戦争になぜ陸軍は向かっていったのか。そもそも満州事変は何を狙い、日中戦争はどのような戦略のもと行われたのか。それを解き明かしていく。陸軍の流れは、山形有朋の長州閥→一夕会の永田鉄山による総力戦準備のための資源確保のための北支領有→対ソをめぐり主戦派の皇道派と時期尚早説の統制派の対立→統制派の勝利後永田暗殺と二二六事件で皇道派の失墜→石原莞爾の反拡大派→武藤の満蒙確保→日中戦争行き詰まりで武藤の非拡大と田中の対米戦不可避の対立という流れがわかる。