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「キリストを超えた!」なんちゅう大袈裟なタイトルが話題になり、私もその過剰さが気になりつい手にとり、購入しちゃったw
キリストとあっちゃんのとりまく状況に類似性があるのは分かったが、あっちゃんがキリストのような存在になれるのか、また超えることができるかについては結局分かんねーな。著者による「キリストを超えることができるのか」についての推測も、おもしろかったけど納得できるほど説得力はなかったかな。
それよりも読んでいて、著者が実際にAKB48にハマっていく過程を追体験できる部分の方がおもしろかった。AKBに興味がない人はなんで特別かわいくも歌もうまくない小娘におっさんがハマっていくのか理解できんだろうが、この本でファン心理が少し分かるかもしれない。また、著者がイベントで見た小さな軌跡とも言えるエピソードの数々はおもしろかった。
タイトル負けしてると思うけど、
このタイトルじゃないとオレは手にとってないと思うので、結果OK!
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3年生のゼミでAKBの話しがあったので、手に取って読んでみました。とても興味深い。著者の前田敦子がキリストを超えたとする論、なるほどと思う所もあるし、ふ〜んって思う所もあったけど、もう少しこの手の本を読みたくなりました。
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この一年で最後まで読めなかった本は、石原慎太郎の「新・堕落論」と東京大学の「震災後の工学は何をめざすのか」ぐらいしか思い出せない。けれど、この本は前書きで断念してしまった。
僕はAKB信者じゃないけれど、それなりの知識はあるしカラオケで歌っちゃうこともある。そのぐらいではこの本を読む資格はなかったのか。
否。僕にとってはどうでもいいことなのに、著者にとってはどうでもよくなかったのだろう。キリストを超えた、なんて言葉は僕にはゆめゆめ使えないけれど、それを使う人の著書を読む覚悟が出来ていなかった。前田敦子か、キリストの、どっちかに、僕は立ち向かえなかった。
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ざくざく読む用に図書館で借りて読んだ。
哲学の知識持ってたり、古典との比較をすらすら出来る人はなんでも武器に出来るんだなあと思って感心した。ウェーバーを読みたくなった。
前半は結構しっかり読み込んだ。
アンチの受け皿としてのセンター、似非贖罪の象徴、ゴルダの丘としてのセンター、のあたりの話がおもしろかった。
後半は流して読んだ。ぱるるさんはぐぐって拝見しましたが、かわいいですね。
なんか「AKBのなんとか論」みたいな本書けば出版してくれる気がしてきた。
ぼ、坊主騒動とかがある前に借りてきてたんだからね!
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内容としては、なぜAKBファン(オタ)になるのか。AKBがファンを虜にする仕組みと関係性について書かれた内容になっている。
筆者の更なる言及と、もっと幅広いメンバーについて、新書以外で読んでみたい気もしますね。
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思想的なことは難しくてわからないが、単なるヲタとしての生き様はところどころ笑わせてくれたところは★★★。
だが、本書を読んだのはちょうど、AKB48メンバー峯岸みなみさんの丸坊主騒動後のAKBバッシング時期。
自身でAKB48の持つ「宗教」性を強調していたにも関わらず、ネットや実社会でのAKBに対する猛烈な批判やバッシング--「迫害」--に対する言論による反論--「殉教」--が見られなかった。
本書の持つ説得力も薄れるというものだ…ということで大甘で★★に減。
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第一印象はすごいタイトルの本だなと思った。笑
良く出版社側が許したなと。キリスト教側やらAKB側から批判されるのは目に見えてるのに。
本書はAKBの宗教性を分析したものであるが、ここでいう「宗教」とは、普通の宗教とは定義が異なる。近接性と偶然性を持ち合わせていることである。普通の宗教は自分とは関われないような人たちが(超越性)、世の中の事象を捉えようとする教えという風に定義できるのかな。(死生観がないことについては、あとがきで言及)
つまり、AKBメンを押すこととキリストを信仰することを同質と捉えているのが最大のポイント。
それでいて、普通の宗教とは違う、近代資本主義的な宗教としてAKBを理解している。
まあ、筆者はAKB大好きなんだなあと思った。筆者いわく、次世代センターはぱるるらしいよ(^^)
ここの理論は大雑把すぎてワロタw
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タイトルは編集者が付けた釣りだと思ったが、どうやら違ってたようだ。著者は本気でそう思っており、それについて書かれている。
著者の言いたいことはわかる。
本書の読者はアイドルはおろかAKBも名前くらいしか分かっていない人であろう。それらの人向けにはこれである程度伝わったかと思う。
だが本当の意味ではアイドルにハマったことのない人に伝わっているのかは微妙だろう。
著者は現役のAKBヲタである。
私はというと、ももクロでアイドルにハマり、そこから他のアイドルにもハマっているKSDDである(AKBにはハマっていない)
著者はAKB以外のアイドルには興味が無いように思われる。
本書に書かれているAKBにハマる理由やアンチの存在。これらについては他のアイドルにもそのまま当てはまる。(AKBファン内アンチには当てはまらないが)そのため本書の内容だけではAKBの特異性を語られているとは思えない。
AKBから他界(他のアイドルに流れたりしてファンを辞めること)した人の話しを聞いたり、他のアイドルの現場(イベントやライブ)に行ってみて、そのファンと話たりしてみて改めてAKB論を語って欲しいと思う。
また違った切り口になって面白いものになると思う。
■この本を知ったきっかけ
本屋で見かけて。
■読もうと思ったわけ
タイトルと帯に惹かれて。 帯は「ハマれ。さらば救われる!」
そして、ちくま新書でこのタイトルだったから。
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こんな本が出るねんなあと思いつつ、AKBをちょっと理解できるかなと読んでみました。
終始高いテンションで進んでいく。筆者がAKBをめちゃくちゃ好きであるのはわかった。
文章のなかでときどき、それは言い過ぎやろうというものもあった。
AKBが宗教であるゆえんは、「近接性」と「偶然性」らしい。
通読してみても、なんとなくわかったような、わからんような、というような感じ。
AKBか、まあ、自分はこれからも好きにはならないと思いますが、今後どうなるか、楽しみにしてます。
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いままで読んできたアイドルを論じた本の中で一番肌にあわなかった。アイドル好きの私でも、ちょっと気持ち悪さを感じてしまった。
自分は基本的に認識されたくないヲタだからかもしれない。認識中毒だったら、こういう高みに登れるのかもという羨ましさもある。
「そして筆者はいま驚いている。あのぱるるに「認識」されていることが、これほどまでに自分を律しうるということに。ぱるるに知られてるのだから、正しく生きなければならなぬ。そういう思いが強く溢れでてくるのだ。」
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AKBが好きで、アイドルファンだからこそ、あっちゃんは偉大で健気なセンターであることは知っているが、信者の「神をも超えた」とする過大評価は読んでてただ気持ちが悪いだけ。
読みながら「早くゴミ箱に捨てたい」という葛藤と戦っていた。
非常に稚拙で気持ちの悪い新書だった。
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個人的な経験ってのは否めない。
AKB白熱論争は対談だからただファンの会話を楽しむみたいなところがあったけど…。
なんにしろタイトルが過激すぎ。
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今までもいろいろな出版をうぃている著者だから、新書の形で出版が許されたんだろうか。同じ本を他人が書いても出版されていなかったんじゃないかなと思う本だった。だから、評価はよくないです。
近接性、偶然性、それに、アンチの迫害性をキーワードに、社会学を専門としている著者らしい著名な書物や理論などを駆使しして、AKBは世界宗教となりうり、その穴Kで前田敦子はキリスト教のキリストになるということだが、まあ、学者先生が分析するとこんな風になるのかなと感じかな。AKBヲタらしい、当時の経験談などは読みながら笑ってしまいましたが。
ちなみに、大きな物語として、マルクス主義が進歩主義に近いことを再確認したりと別な意味で社会学の理論を確認したり、キリスト教の「預言」が正しい表記なのですが、本書は「予言」と書いてあって、宗教的にはあまり強くなく、社会学者の面が強い著者だと思いました。
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【動機】AKB0048の参考資料として。
【内容】社会全体を語るためにシステムの外(アーキテクチャ)に注目し、AKB48のアークテクチャや宗教としての側面をレポを交えて解説している。
【感想】「近接性」を重視する論調が「在宅」の身としては共感しづらく、興味深かった。
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いい意味でも悪い意味でも「狂気の書」であると思った。AKBと宗教との対比、アーキテクチャとしてのAKB、といった論については、ただただ舌を巻くばかり。確かにAKBというシステムは、オウム・エヴァンゲリオン後の社会やコミュニケーションのかたちの縮図である。
しかし「たかがアイドル」――しかも、資本主義におけるモンスターよろしく大規模な搾取を続けている商品に対して、この国を代表する批評家が評価を与えている理由について、私が納得いくような回答は得られなかった。
筆者は日本のサブカルチャーやアーキテクチャの専門家であり、アイドルという卑俗なモチーフを扱いながらも有名な学者の言を引用しながら論を進めたり、自らの専門分野から鋭い指摘をしたりと、内容のおよそ半分は冷静な態度であった。しかしAKB自体に論が移ると、意図的かどうか分からないが明らかに冷静さを欠く。そして最も肝心な、「人はなぜAKBにハマるのか」という点については、偶然性によって出会った(一目惚れした)「推しメン」との疑似恋愛でしかないと言う。
ただただ納得するしかないが、じゃあ「普通に恋人を見つければ?」というツッコミ一つでこの本の価値は裸の王様になってしまうであろう。
もちろん恋人や配偶者がいてAKBにハマっている人もいるだろうから一概には言えないが、少なくともAKBを「恋愛弱者」の側から語るのか、そうでない側から語るのか、そのことで何か変わるのか、ということはかなり大きな問題であると思うので死生観云々よりもそっちを重要視してほしかった。
大体、偶然性によるつながりを量産するシステムってそんなに新しいのだろうか?濱野氏には、世界の中でも安全かつ多様に発達した、日本の性風俗産業にハマってもらい、同様の規模・視点から一冊書いていただきたい。皮肉でもアンチでもなく期待を込めて「マジ」で。