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たゆたゆ
おどり踊り
なってもなってもなりきれないからあ
たのしくやめようね
少し元気が出るのは
すごく元気が出るのより
いいのかもしれない
なりたいと思うのは
アライグマくんの
スキなところがみつかるのに似てるよ
なるっていうのは
アライグマくんの
スキなところを
スキだって言うのに似てるよ
に
れ
ぞ
ぞ
おとうさんにはともだちがいないんだろうか
オトナになるとともだちがいなくなるんだろうか
それともともだちがいなくなるとオトナになるんだろうか
さははは
傷を見ると傷を見たほうが驚いてしまって
傷を持ってる方はもう傷のことは忘れてるように見える
原因を理由にしてはいかんのよ
生きる気力をなくした者は
憎しみを生きる気力の代わりにするのが世の常じゃ
生きる気力をなくしたまま
憎むことさえもできずに生きているものもいる
ボクがまだ知らないことは
今はどうしてるんだろう
そしてそのときのお前の親父の顔を見たら
もういいやと思ったそうじゃ
おまえのオヤジはな
やっぱりいつもとおんなじ顔をしていたそうじゃよ
生き物が悩まなきゃいけないことなどこの世にゃないような気がするんじゃよ
ほっほっほ〜今のはないしょじゃよ
言うとみんな怒るからの・・・
生き物が悩まなきゃいけないことなんかないんだろうか
もしそれがホントならどうしてボクは悩むんだろう
ボクはまだ生き物じゃないのかな
ボクはもう生き物じゃないのかな
シャチさん
シャチさんの傷は17個なんだよォ
ああしってるよ
しかしそれを言ったのはおまえがはじめてだ
ケガをすると治るけどボクは治るところを見たことがない
今ボクは治るところを見れたのだ
ボクは治るところを見れたのだ
尊敬されるということは疎まれるということとセットになっているものだ。そう、長老様は尊敬されている。
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父親の昔の話なんて、子どもにとってはよくわからないし、イメージできないことなんだけれど、父親が、私の知らない誰かと仲良く話していたり、仕事の人と一緒に真面目な話をしていたりして、そんな自分の知らない一面を見たりすると、子どもの頃の私は不思議な気持ちになったものだ。ということを思い出しながら。
ぼのぼのがぼのぼの父の過去に少しふれる話。
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最近また読み返し始めた
楽しく考えさせられる、なかなかない漫画
「なってもなってもなりきれないからぁ・・・楽しくやめようね」
「生き物が悩まなきゃいけないことなど、この世にゃないような気がするんじゃよ」
悩んでも良い事はあんまないしね
ぼのぼののお父さん(死神ラッコ)の過去が少しだけわかる貴重な巻
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今回もすごい名言が飛び出した。歌うたいの踊り版、「踊りおどり」になりたかったフェネギーのお父さんフェネちゃんがその昔なぜ「踊りおどり」にならなかったのかを子フェネギーに問われ最初は適当な返事で誤魔化していた?けど最後にポロっと「なってもなりきれないから。」と本音を明かす。確かにどこまでいっても完成などないし、それ自体を突き詰めるとやらされているような感覚になる時がある。それでは何の為にやっているのかよく分からない。本来の目的は今やっているそれ自体であるべきと。だからやるのであればあくまでも楽しく、楽しむことこそが真髄だとお父さんは教えているのだと思う。だからこそフェネギーに「楽しくやめようね」と対象を好きなままでいるコツを教えてくれた。いい話。イチローが言ってた子供のころ父とキャッチボールをした時の気持ちで野球をやりたいと言うてたのと似てる気がするな。後半はぼのぼののお父さんが唯一の友達のシャチのスカーに会いに行くところをぼのぼのが勝手に尾行する。初めて知るぼのが知らないお父さんの姿にドキドキ探偵&探検気分。そこで出会ったシャチの長老が何ども荒くれ者のシャチに立ち向かいそのたびに負けて白い腹見せて切り身みたいにプカプカ浮いてる姿やお父さんとぼのぼの2人ともが子どものシャチに頭を噛まれ歯形が頭にくっきり付いてるのとかものすご可愛いい。(エンディングで歯形消えるとこまで含め)そして何よりお父さんがぼのぼののことを縮めて「ぼの」って呼んでるのがなんて言うか今の言い方で言うとエモかった。良かった。あと何といっても長老の「生き物が悩まなきゃいけないことなどこの世にゃないような気がするんじゃよ。」は都度思い出したい言葉です。ありがとう。