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投稿者:TORA - この投稿者のレビュー一覧を見る
ストーリーはあるようなないような微妙なかんじですが
キャラクターはぶっ飛んでいるようで、それでもそれぞれの人物にとっては
理にかなっていることも理解できるし、
寺山作品の世界観がすきなら楽しめる本ではないでしょうか。
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稀代のマルチクリエイター寺山修司が残した唯一の長編小説。
前衛的なものを期待していたのだが、これがまた意外なことに大衆的。
昭和の大衆文化を凝縮したような、喧騒にまみれた物語。
60年代の薄汚い新宿が情景としてすぐ浮かんできた。
この人は前衛も古典も大衆も全部網羅してしまう懐の深い作家さんなので、その辺の文化にスタンスが如実に出ていたように思う。
特にボクシングと競馬に対する情熱を書きたかったのだなという印象が強く残った。
実際彼は力石徹の葬儀を呼び掛けた張本人でもあるし。
当時の最先端を行く人がボクシング会場や競馬場といった、色んな人間が生み出すざわめきから何らかのインスピレーションめいたものを感受していたというは興味深い。
ただやはり小説の難しさや限界性のようなものを寺山自身がこの作品を通して痛感したのではないか。
あれだけ多ジャンルで多作だった人が小説という分野において目立った活動をしていないことからそのような印象を受けた。
インプロビゼーションの手法で書いたようだが、物語としての凡庸さは否めないかも。
この作品が長らく絶版になっていた理由も何となく分かるような気がしてならなかった。
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修司さんは変な人だ。考えてることが地球を一周してるよ。
でもこんな綺麗な言葉で語られたら、なんか信じてもいいやって思えてくるんだよな。
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1960年代の新宿。暴力的で退廃的な匂いのする新宿新次と、どもりのせいで自分は愛されないと思いこんでいる大男のバリカンは、さびれたボクシングジムのボクサーとなった。新次と出会ったセックス依存症の芳子、スーパーの経営には成功したが性的不能者の宮木、大学の自殺研究会のメンバー川崎、孤独な老人・バリカンの父親。60年代に生きる人々の人間模様。
難しい。。。言葉が闘っている。あの時代の空虚で明るい場所が見えるようで見えないような喧噪にまみれた匂いの感じられる小説だった。あの当時の東京は、朽ちていく感じだったんだろうか。
性的な描写をまざまざと見せつけられる度に人間の醜悪さと正直さゆえの、人間の奥底の本質を感じられた。
バリカンの人間くささと弱さはわかった気がするけど、結局、新次はどういう人間だったんだろうか。他の登場人物の行き先は?
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久々の感想;読むのに夢中で(^_^;)華恵ちゃんが表紙のこの寺山修司の文庫本シリーズ表紙がすきだし、寺山修司(何やら有名らしいとしか知らない)を読むなんてかっこいいのかもしれないと、前々から読みたかった本夏目漱石とかまではいかなくても、それなりに昔の人で、難しい本と思ってたら全く違うやん…!武者小路実篤系と思いきや、ね青春小説っぽいすきかといえば、話は別 笑
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ネオン溢れる新宿という荒野。登場人物たちの心象風景としての荒野。
45年経た現代にも荒野はあるのだろうか。それはどんな風景か。
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暴力から見出す愛のかたち。
私の経験していないエキゾチックで濃厚な年代の東京を感じさせる文章。
文学と言う見地よりはそういう感じでしょうか。。
死亡診断書がバリカンの親父さんなのが謎ですが、どういうことなのでしょうか?
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群像劇。
「モダンジャズの手法で書いた」と本人は言っているけれど。
ポールトーマスアンダーソンの映画みたいな。
それぞれが闇を抱えていて、それぞれの人生が交差する場所としてのリング。
世の中に問題提起している感じがする。
荒野。
って、いいことばだな。
バーのカウンターは、荒野。
リングは、荒野。
ベッドは、荒野。
みんな別の方向を向いている、そしてそれぞれが重みを持って生きている、それがひとつの物語で収束している感じがいい。音楽的。
この、孤高なロマンチストな感じが、今俺でもやり直せそうな青春を感じさせてくれるよな寺山修司。
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60年代の、ネオンの煌く新宿という荒野でたたかう人々の物語。直接的な場面が多かったのに嫌悪感なく読めたのは、彼らの中の闇に共感していたからなのか。「愛するために、愛されたい」主人公のラストにちょっと泣きました。
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2017年10月の映画公開に合わせ購入。
新宿を舞台にした生々しい昭和の香り。昔は新宿も薄汚かったのに、小綺麗になってしまった。ここに描かれた昭和が懐かしい。小説には出てこないけれど、コマ劇場前の噴水とか、昔の歌舞伎町を思い出した。何という小説ではないけど、昭和の新宿を生きた人たちの哀愁を感じる。寺山修司、初読。
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映画版のサブテキストとして参考になる部分は多々あった。しかし構成が破綻していると言うか、そもそもきちんとした構成を考えずに書いた作品らしいので、一編の小説としては、あまり評価できない。この小説からネヴィル・ブラザーズよくぞあれほどの名作映画が生まれたものだと思う。
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だが新宿新次は村田英雄が嘘つきだということを知っている。「おまえの時代」というものなど存在しない。ただ「おれの時代」を奪い合うエネルギーだけがほんものなのだ バリカン健二 ども跛吃りの治し方 吃り対人赤面恐怖症 「歌による自己表現」「スポーツによる自己表現」皮膚の下で何かが唸るのを感じた 心なんて、一種の排泄物みたいなもんで、「夜になるとたまって来るが、朝になると出ていっちまう」ものだ。 忽ちマンガ的に戯画化されて話題になった 薄利多売法 渥美清 長持ちする顔 老人に必要なのは、諦めではなくて、もっと酷い絶望か、或いは偽りの希望かの、どっちかなのだ。 西田佐知子 東京ブルース 話のネタになる本 若尾文子とオルガスムを分ちあいながら 「誰にも迷惑かけない性行為なんて、まったく無意味で、味気ないよ」 藤猛 北叟笑んだ アウト・ボクサー(点取虫) 拳闘の世界では「一番多く憎んだもの」にチャンピオンという称号が与えられる 彼の夢は大統領になること。すなわち、チャンピオン・ベルトをしめてリングの中を一周することである。そして、その資格を有するものは、少なくとも素晴らしいヘラクレス並みの肉体の持主でなければならないのだ。彼には新宿を歩いている青ざめた顔のサラリーマンたちが皆、間抜けに見える。 アデノイド症的な 幸せなら手をたたこう 坂本九 「誰だって、自分の宿命に勝ちたいからね。後天的なものを信じようとするのさ。生まれた時の星に逆らってみない人生なんて味っ気もありやしないじゃないか」 「野生の家畜」といった趣きがあった 「栄養剤を飲むといいんだよ。少し活力をつけると、あんな感傷的な人生観は、たちまち変わってしまうんだ。詩を書いたり、名曲喫茶に朝から閉じこもっているような連中を見てると、俺はいつでも(かわいそうだにあ!)って思ってしまう。奴らはリポビタンかアスパラを飲んで、体を鍛えればまだ立ち直ることが出来るんだ」これは新次の信念であった。彼にとって、ボクサーが負けるということは悪徳であり、その原因は突き詰めて行くと必ず栄養不足ということになるのであった。素晴らしい肉体が、精神などという小細胞を自由にできない訳がない。「己に勝て」などという精神主義的な金言は嘘っぱちで、まず、精神を支配できるような強健な肉体を作ることこそ先決なのだ。 幻影を持たない奴は、いつか消えていってしまうんだ。 馬鍬まぐわ つまり、欲求不満のエネルギーがあの人達の生き甲斐になってる訳なのよ。 あなたは病気にかかってませんか?人類彼の最後にかかる、一番の重い病気は「希望」という病気です。 川崎敬三(そっくり) 豊作兵助 それは「嘗て、あんなに何かを憎むことの出来た俺が、いま、何も愛せない訳がないさ」という自信である。彼等はそのことを自分の真実として、いまの怠惰を「世を偲ぶ仮の姿」だと考える。その考えは悪くない。だが、彼等は「世を偲ぶ仮の姿」のままで日々を送りながら、何時の間にかそれが「本物の自分の姿」になってしまっていることには気付かないのである。 猫の屍体したい 跛びっこ 曇天どんてん 弟子屈町 心臓の瓶詰め 薬一服煎じて飲んだら 植木等 学生節 少なくとも「暴力」行為には、疎外などのつけこむ空隙くうげきがないからである。 相手��傷つけずに相手を愛することなどできる訳がない。勿論、愛さずに傷つけることだってできる訳がないのである。 ボーイ・ソプラノ 雑念を払う為に去勢手術 学芸大学前 目黒 世の中には「偶然のない人生もある」ということがわかってきました。そこで、「偶然」をあきらめて、自分で一挺いっちょうやらかしてみようと思ったのです。 詠嘆している暇はなかったのである ダンプリング入りシチューチキン 花園町から歌舞伎町に抜け 俺の波田は俺が拭くそれははちきれるような欲望の処理というよりは、寧ろ自らを救済する一刻といった感じのほうが強かったのではあるまいか。 茎を握り出す マヤコフスキー ジューク・ボックス付きの女体だ バーブ佐竹 感謝にも似たエクスタシーの顔 昭和40年 モダン・ジャズの手法 コラージュ 極めて率直にお金を出して買ってくれた読者のあなたに捧げたいと思う。シナトラの唄ではないが、もしも心が全てなら愛しいお金は何になるという現実主義の名誉にかけて。1966年秋
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寺山修司を初めてしっかり面白いと思った。全編通して、薄汚さ、下世話さみたいなものの漂う上にストーリーが乗っかってる。どちらを楽しむべきなのかよく分からないけど、話が純粋に面白くてなんとなくでも楽しめた。結局何もかも曖昧で終わるのかと思いきや、きっちり決着がつけられていて、その描き方に脱帽した。
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河出文庫版。烏が表紙のやつ。何年も積読やったんやけど、平成が終わる前に昭和の臭いしかしないこれを読み終えたぜ。
この時代の新宿などわたしが知るはずないけど、路地裏なんかの換気扇の臭いがしてきそうな雰囲気。
バリカンくんせつないなー。でもそれが彼の向き合い方で自己表現の仕方なんやな。
バリカンくんと新次くんがどうやって親交を深めたのか、そこが掘り下げられればもっと面白かったと思うんやけど…群像劇っぽい感じだから、他の人の話読んでるうちにしらんまに仲良くなってた。
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この本のテーマは、「それでも生きていかなければいけない人間について」とか「命の重さ」かなあと感じた。
青春小説と言ってる人もいるくらいなので、青年2人がボクシングで絆を深める話なのかと思ったら、全く違う。
p12.バリカンが「何とかして周囲にひしめく人類の一パーセントたちに好かれたいと思っていた。」で早くも涙が出そうになった。
同じジムで過ごす新次と健二の様子は微笑ましい以外の何者でもなかったし、健二はここで愛を知ることができるんだと思った。
だけど、健二は新次に愛されていると思うことはついに最後までなかったのかな、と。
だからこそ、ボクシングを通して、リングの上で殴り殺されることこそ愛されることだと思ったんじゃないか。きっと、健二は新次のことを愛してしまっていたのであって、健二の新次への愛は新次に愛されることで完成するものだと思っていたんじゃないか。
薄れていく意識の中で、人生のたった2人の家族であったうち、「憎んだ」親父さんに対してさえ「俺はここにいます、だからどこにも行かないで」と思っていることや、新次のパンチが入るたびにそれを会話のように感じて喜んでいる様子があまりに切なくて、どうしてどうして、と思った。どうにかして、この本の中の健二を愛したいと本気で思うほどだった。
映画のときに死亡診断書の名前が、お父さんの健夫なのか健二なのかわからないまま終わるシーンが頭に残ってとてもモヤモヤしていたけれど、本では直筆の診断書が載っていて、「二木健夫(20)」と表記があったことが1番ショッキングだった。
ただ間違えたという説もあるみたいだけれど、命を失った後でさえ、正しい本名も伝えてくれる人がいないくらい、誰にも愛されることなく死んでいったと表す意図があったのか、ただ間違えたのだとしたら、著者だけでも健二を愛して欲しかったのに、と思えてならなくて、読み終わってしばらくは辛い気持ちが消えなかった。