物足りない点もあるものの、興味深い事実を知るのに手頃
2014/08/18 23:26
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ががんぼ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ドラマにはあまり関心がないのだが、
今、NHK朝ドラの『花子とアン』を楽しんでいる。
『赤毛のアン』を翻訳した村岡花子が主人公と知って見てみることにした次第。
てっきりどこかの教養ある裕福な家庭のお嬢さんぐらいに思っていたら、
これがなんと、貧しい小作農の家の出身だというではないか。
いうまでもなく相当な苦労と努力もあったはずである。
ドラマを見ていたら史実を知りたくなった。
なんといってもドラマは最終的にドラマで、フィクションの色彩が強いからだ。
ということで読んでみたのがこの本。
著者は、村岡花子の養女になった姪の娘さん。
つまり法的には孫娘、いずれにしても血筋である。
正直な話、伝記文学としての水準はそれほど高いようには思わなかった。
事実の扱い方にも、こちらの好みもあるのだろうが、ときどき違和感を覚えた。
たとえば花子とのその夫の結婚前のラブレターをここまで公開する必要があるのかどうか。
一方、同じ事柄を語るにしても、妙に美談めいていたり。
しかしなんといっても事実としての興味深さがあり、
それを数多く伝えてもらっただけでもありがたいことだろう。
何しろ日清戦争後から太平洋戦争の後までの日本である。
いかに激動の時代だったかがあらためてわかる。
ドラマでは仲間由紀恵が演じて、ドラマ性という点ではピカイチの柳原白蓮をはじめ、
数多くの文人・知識人とのつながりがあることにもあらためて驚く。
要するに歴史の面白さなのだった。
村岡花子自身の人生と、彼女が訳した『赤毛のアン』の主人公アン、
ひいては作者モンゴメリの人生とが、よく似ているのもびっくりだ。
その『赤毛のアン』は、花子とその周辺だけでなく、
いわば日本の国としての幾多の労苦を経て出版にこぎつけたように見えて、
それを描いた段は感動的である。
亡くなるまで『赤毛のアン』の舞台のプリンスエドワード島を訪れることはなかった、
というのも興味深い。
結局、彼女の言う「想像の翼」のままに生きたということだろうか。
児童文学の翻訳家としての村岡花子がいかに優れていたかという点については、
身内の筆ということもあるのか、具体的なことはよくわからない。
その辺については、たとえば菱田信彦『快読「赤毛のアン」』など、
ほかに優れた文献があるようなので、そちらに当たるのがいいのだろう。
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投稿者:ひのえ - この投稿者のレビュー一覧を見る
花子さんはたくましいですね。彼女だからこそできた翻訳です。私も馴染みがあるからかもしれませんが、題名は「赤毛のアン」でよかったと思います。
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「花子とアン」がはじまったので再読した。
母親などの思い出話に村岡花子の残した文章や書簡などをひきつつ、孫娘がまとめあげた伝記。東洋英和女学校でのカナダ人婦人宣教師からの薫陶と生涯の友との交わり、学校で身につけたキリスト教、英語、文学、社会改革の意識の4本柱、文筆にかける夢と実生活で果たすべき責任の間での葛藤がよく伝わってくる。
はじめてよんだとき、同時代の数多の女流作家は言わずもがな、白蓮、片山廣子といった女学校時代の交友関係から初恋の人沢田廉三、文庫活動を支援した石井桃子、渡辺茂男まで、すごい大物がひしめいていることにおどろかされた。翻訳の虫で家庭を大切にしてでしゃばるところはないながらも、花子自身がアンのように周囲をひきつける人だったのだろうと想像する。
ドラマではこうした要素が過不足なく全部もりこまれるとは考えにくいが、どうなるのだろう。別の作品と思えばドラマはドラマでおもしろくなりうるけれど・・・。
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『赤毛のアン』の訳者である村岡花子の物語風評伝。
村岡の交流関係も興味深いが、それを用意する東洋英和女学校への入学は、立身出世主義者にして社会主義者の父親なくしてはあり得なかった点が興味深い。(どちらがどっちを生んだかは書かれていな買ったように思うが前者における「教育の機会均等」の主張が後者への道を作ったのかな)
また翻訳家という職業が確立していなかった時代に翻訳で生計を立てることの苦労という論点は、あまり深められてはいないものの面白かった。
児童図書館の先駆者としての顔も初めて知った。
ところで、彼女はカナダには一度も行ったことがなかった。アメリカでさえも死の1年前に初めて訪れたのだった。へええと思ったが、よく分かるような気がする。p370の記述からは、プリンス・エドワード島に行けなかったことが決定的に重要だったことが読み取れる。この世界ではない別の世界としてのプリンス・エドワード島。グリン・ゲイブルス。
本書は物語風なので、臨場感がある一方、地の文がどこまで資料に基づいており、筆者(孫)の解釈が入っているのか微妙に分からないところがある。
(また、村岡の「家庭」の重視の仕方については、若干の気持ち悪さがあるようにも思うが、そこらへんの指摘はない。もっとも、ほとんど考えていない状態で、この話をする意味はないので、とりあえずメモ書きにとどめる。)
そのような点はあるものの、読んで損はすることのない評伝だと思う。
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赤毛のアンシリーズを夢中になって読んだひとり。
その翻訳者の村岡花子というひとりの女性のライフヒストリーをお孫さんが書き綴ったもの。1本、芯のある人はすごい。こんなにもエネルギッシュに活動してきたそのバイタリティーに脱帽。
そして、歴史を学ぶだけでは見えてこない、その時代の息づかいのようなものを村岡さんの生涯を追うことで感じることができた。すばらしい評伝だと思う。
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モンゴメリの『赤毛のアン』を、日本で初めて翻訳した児童文学者村岡花子の生涯を跡付けた本。
著者は孫娘に当たる人だそうだ。
大正期のミッションスクール(東洋英和)の雰囲気が良く伝わってくる。
夫となった村岡儆三が経営する福音印刷のことも、興味深い。
片山みね子、柳原白蓮との交友について、本書では大きく取り上げられている。
その他、吉屋信子、林芙美子なども、ちょっとだけ登場する。
ささきふさについて、花子はたくさん証言を残しているが、そのふさについては全く触れられていないのがびっくりした。
ささきふさのことを思い出したので、余計そう思うのかもしれないが・・・
家族=遺族に恵まれた文学者は幸せだと思う。
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赤毛のアン は運命的に翻訳された
と言う気がした
翻訳はただ、機械のように言葉を置き換えることではなく、翻訳家の思想や思いが詰まったものであることがわかった
あの時代の人達はすごいなあ
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村岡恵里
マガジンハウス (2008/6/5)
あの「赤毛のアン」の翻訳者 名前はよく知っていても 何も知らなかった
すごい人だ
あの時代英語ができるのだからどこかのご令嬢だとばかり思っていた
全く違ったんだね
たくさんの激しい波をくぐりぬけての生涯
家庭人として 翻訳家として クリスチャンとして 志高く生きた女性だ
交友をたどればまるで近代文化史
写真などの資料も豊富で 彼女と一緒に戦前戦後をたどっていける
文庫が今年出版されその解説(梨木果歩)がとてもいいとのことです
私の大好きな大好きなアン
夢中で全巻読み通した若い日々
翻訳はまさに命がけだったのですね
著者はお孫さん
とてもあたたかい一冊でした
≪ 少女らに 夢を届けて 足は地に ≫
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たくさんの子どもたちへ、物語は続いていく。
ようやく読んだ。村岡花子の生涯だけでなく、その時代の雰囲気や女性の姿もわかる一冊。女子高校生におすすめしたい。英語の力(そしてもちろん国語の力)や、我が子だけでなく日本の子どもみんな(もちろん世界の子どもたちにも)のためなど、時代が変わっても変わらない「働く」「生きる」ことの教えがある。
『アン・オブ・グリン・ゲイブルス』が作者にとって、どれほど生きる力の源になったか。そのような本に出逢えることは幸せだと思う。
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「赤毛のアンシリーズ」や「リンバロストの乙女」の古臭い翻訳体は私の血肉となっていて、いまだに「しかつめらしい」とか「なくってよ」とか使いたくなるんだけど、ご本人の伝記まで読む気はなかった。けど読んでみてよかった。
寮で同室だったのが白蓮夫人とか、初恋の人がエリザベス・サンダーズ・ホームの創始者とか、自宅で始めた児童図書館の手伝いを頼んだ近所の大学生が渡辺茂男とか、知ってる名前が次から次へと出てくる。そういう星の下に生まれたというのか昔の知識人って一握りでみんな知り合いだったのかと思う。
村岡さんの人生の道筋に絡めて書かれる、明治後期から第二次大戦後までの日本への各種思想の伝播の経緯や、女性文学者たちと社会運動の関わり、戦争との関わりが日本の近代史として面白い。
日本史の教科書の最後にある、三学期に駆け足で習うあたりの歴史が、明治の終わりに給費生として東洋英和女学校の寮で十年を過ごし、カナダ人宣教師たちから衣食住から語学、神学に至る薫陶を受け、後に翻訳家、文学者として名をなす女性の生涯と結びついている。
川村湊の「異郷の昭和文学」あたりに詳しいが、日本の文学者たちは第二次大戦中に軍部からプロパガンダに協力させられている。この本はそのあたり文学者に同情的だが(私も思想弾圧に抵抗とかできないしする気ないから長いものに巻かれた方を非難する気はない)、彼らが感じたであろう葛藤を知らずに安易に平和を壊すようなことをしてはいけないなぁとも思う。
第二次大戦中に密かに翻訳を続け、家族の次に大事にしていたという「赤毛のアン」の原稿の話は目頭が熱くなる。戦後、焼けずに済んだ大森の家を訪れる編集者たちが「本棚を食い入るように眺めた。多くの作者や研究者が、戦災で命の次に大切な蔵書を失った。」という一節は何度読んでも泣ける。本当に戦争って嫌なものだ。
村岡さんが生涯を通して強く願った「姉も妹も父も母も一緒に集まって聲出して読んでも、困る所のないやうな家庭向きの読物」(文庫版145p.)を日本の若い人に、という気持ちはよく分かる。でもこれも行き過ぎるとナチスドイツみたいに「健全な家庭生活にそぐわない思想をテーマにした文学は発禁」てなことになっちゃうので、様々な思想が自由に語れることが一番大事だと思う。
……とまあ、村岡花子さん自身のことよりも時代の空気が感じられたことが面白かったのだけど、もう一つ本筋に関係なく「おお」と思ったのが『女子の名前には「子」がついているほうが、山の手風でモダンであった(文庫版88p.)』というところ。明治の終わりから大正、昭和の半ばまで半世紀くらいの間に「子」のついた名前の価値が下がっていったのね。
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京都で念入りに本屋をうろついたときに、読みたくなって買った本(図書館にはあるやろなーと思っていたが、文庫はなかった)。何年か前に単行本が出たのは知っていたが、読みそびれたまま、もう文庫になっていて、それも一年前だった。
村岡花子が「赤毛のアン」の訳者、ということはもちろん知っていた。私が最初に読んだ『赤毛のアン』も、村岡花子の訳だった。いま、本棚には当の『赤毛のアン』が見当たらないが、私が初めて読んだのは、講談社から出ていたハードカバー(箱入り)のアンシリーズで、本文は二段組み、挿絵は鈴木義治のもの。この箱入りの本を3巻まで(『アンの青春』と『アンの愛情』まで)親に与えられ、あとの巻は図書館で借りて読んだ。
アンがらみでは、『赤毛のアンの手作り絵本』という鎌倉書房のシリーズ3冊(これは3年続けて、誕生日に与えられた記憶がある)は、アンの物語以上に熟読し、いろいろ作ったりもした本だった。※今この本は白泉社版が手に入るらしい
アンの物語は知っているが、訳者のことは、ほとんど全く知らなかった。孫が書いたこの評伝で、アンを日本に紹介した訳者・村岡花子にぐっと興味をもった。明治の女性たちの伝記や評伝は、いっときずいぶん読んだ。いまに名を残している女性の多くは、教育を受けられたとか、経済的に豊かであったとか、よほど変人の親がいたとか、当時にあってはよほどぶっとんだ何かがある。
村岡花子の場合には、娘をミッション・スクールの給費生にした父親がいた。「はなは自分の勉強のことだけを考えればいいんだ」(p.29)と言い聞かせた父は、クリスチャンで、社会主義者の活動にも加わっていたという。
明治半ばうまれの女性が、ミッション・スクールで学び、英米文学と出会い、翻訳家として身を立てるようになる。その生涯のなかで、アンの物語との出会いは、戦時下に日本を離れた母校のカナダ人宣教師が、友情の証にと花子に贈った一冊の本だった。
敵国側の物語を翻訳していると知れたらどんな咎めを受けるだろうという戦中に、花子は原書とその訳稿を風呂敷に包み、これは自分にとって家族の命の次に大事な本だと言って、守りぬいた。「アンの言葉に励まされ、きっと、平和な日が訪れると信じて」(p.299)、花子は翻訳を続けていた。この物語が、戦時下の花子を支えた、という。
それは、例えばアンのこんな言葉だ。
「いま曲り角にきたのよ。曲り角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの。」(『アン・オブ・グリン・ゲイブルス』)
明治期に創設されたミッション・スクールは、女子教育の大きな砦であった。時代ということも、もちろんあるだろうが、花子が高等科まで学んだ東洋英和を卒業するとき、校長のミス・ブラックモアがMy girls!と呼びかけた言葉は、心に残る。
▼「今から何十年後かに、あなたがたが学校生活を思い出して、あの時代が一番幸せだった、一番楽しかった、と心底から感じるなら、私はこの学校の教育が失敗だったと言わなければなりません。人生はシンポです。若い時代は準備のときであり、最上のものは過去にあるのではなく、将来にあります。旅路の最後まで希望と理想を持ち続けて、進んでいく者でありますように」(p.107、これはブラウニングの詩の一節を引いて語られたものだという)
花子がクリスチャンであったことは、おそらくその生き方と切り離せない。晩年に至るまで英語圏に渡ったことがないにもかかわらず、花子が自在に英語を話し、書き、翻訳もこなしたのは、東洋英和という空間での相当に密度の濃い時間があったからで、寄宿舎で女性宣教師たちと寝食を共にしたこともまた花子の血肉になったのだろう。
花子の生い立ち、東洋英和卒業後の教職、そして翻訳や編集の仕事、結婚、関東大震災、わが子の死、戦争、そして赤毛のアン。この時代を生きた女性という意味で興味をひかれるエピソードもたくさんあった。時代の波も感じたし、花子の熱さもひしひしと感じた。
5章につけられた「魂の住家」というタイトルには、石井桃子の自伝的小説『幻の朱い実』を思い出しもした(石井桃子は村岡花子の14歳下で、この本にも登場する)。この石井の本の蕗子と明子の話を引いて、木村栄さんは「自由な精神の実家」ということを書いていた(『女友だち』)。
ずいぶん前に読んだきりだが、「赤毛のアン」シリーズを久しぶりに読みたくなった。そして、村岡花子の他の訳本も、花子の訳だと認識して読みなおしてみたい。
この本は血縁の孫が書きながら、書く対象の祖母との距離感のバランスがひじょうによかった。身内だからこそ書きにくいこともあっただろうと思うが、アンのゆりかごとなった祖母を、よく資料も調べて時代の中に位置づけながら書き上げている。最後まで読んでから、またてっぺんに戻って二周読み。
(10/19了、10/20二読)
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ハードカバーが出た時点で読みたいなと思いながら、文庫になるまで引きずり、二年も経ってしまったのは、なんとなく踏ん切りがつかなかったからだ。
赤毛のアンの信奉者としては、モンゴメリと同様村岡花子女史は星のように輝く存在であり、おそらく苦しかったであろう生涯を、お孫さんの手による、つまり「生きた」評伝で読むのは躊躇いが抜けなかったからだ。
村岡女史が東洋英和の出身なことはよく知られていることだが、柳原白蓮と親交があったというエピソードには驚いた。与謝野晶子、市川房枝といった当時の著名な女性たちとの広い交流も、何故だか意外に思えた。大きな社会のうねりの中に、文字通り身を置いて、よくもあんなに美しい文を書けたものだ、と思う。
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教科書に出てきたような有名な人が次々と出てきて驚いた。
英和時代を天国とは、今も昔も変わらない英和の雰囲気を感じさせられたを
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B29が来襲し警報サイレンが鳴り響く。
花子は娘の手を引っぱり、もう一方の手で書きかけの原稿用紙とその原書、アン・オブ・グリーンゲイブルスを抱えて、防空壕に飛び込んだ・・・。
赤毛のアンの翻訳者で有名な村岡花子。
アンの世界は、美しい自然の描写と牧歌的で穏やかな日常が綴られている。
しかしその天国的な内容とは対照的な、太平洋戦争時の連日空襲を受ける地獄と化した東京下町で、花子の手によって赤毛のアンの翻訳作業が続けられていた。
村岡花子の孫にあたる、村岡恵理によって書かれたこの本は、激動に満ちた知られざる花子の生涯が綴られている。
厳しいミッションスクールでの寄宿舎生活、生まれ故郷での教師生活の日々、道ならぬ恋、関東大震災、ひとり息子の死、養女みどり、戦争、病・・・
また子供に人気のラジオ番組レギュラー出演者という一風変わった側面や、婦人参政権の為に尽力、来日したヘレンケラーの通訳をするなど活動は多岐にわたる。
見つかれば敵性言語ということで本が焼かれてしまいかねない状況の中、命がけで様々な翻訳作業を続けた花子。
その努力は戦後、日本には無かった少女小説という新たな分野を生み出すに至った。
来年の朝ドラ、花子とアン。TVでどんな描かれ方をするか、大変楽しみである。
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「アンのゆりかご」を本棚に登録しました。/ http://booklog.jp/item/1/4101357218
吉高由里子主演の来年度朝ドラの原作本。期待以上に面白かった☆
村岡花子さんが赤毛のアンシリーズの翻訳者だということは知っていたけど、こんなにドラマティックな人生を送った方だとは知りませんでした。
戦前には本当に珍しかっただろう一般家庭から華族の令嬢がゴロゴロいるミッションスクールへの編入学。英米文学との出会い。社会人生活と文学活動。運命の恋。そして「赤毛のアン」。「本当にノンフィクション!?」と何度も尋ねたくなるような、人生を送ってらっしゃいます。
吉高由里子がどう演じるのか今から楽しみ^ ^