家族は市場化され、人生は迫ってくる。そこで、ケアだ。
2010/03/07 20:07
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投稿者:kc1027 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ケアが大事なことは、英語でありつつもすでにすっかり温かな語感を
身にまとっていることからもよく分かる。広井先生曰く、ケアには
1.臨床的/技術的レベルのケア
2.制度/政策的レベルのケア
3.哲学/思想的レベルのケア
という3つの場面があって、ひとつの言葉の守備範囲としては
かなり広くて深い。そんな中でも本書はケアのそもそも論とも
言うべき哲学的/思想的レベルのケア論にまで掘り下げて始まる。
何かを考える態度として、根底から問いなおような、ゴリゴリと
まず地道に掘っていくような、この語りのたまらなさ。
そこで最初に出てくるケアの語りは、人間とはケアをする動物である、
というもの。人間は何かって言うとすぐ心配になったり、心配して
もらえないと寂しくなったり、それが表情や行動にすぐ出てしまったり、
気遣いベースの動物で、それは円環的に包み込むような母性原理が基盤に
なっていて、直線的に切っていくような父性原理と対極をなすものが
ケアではないかという。
なんで、ケアを問いなおすのか。
本書では、繰り返し、死を迎える前のターミナルケアの重要性を
取り上げる。その背後にあるのは、「家族」という制度の綻びと
「時間」という人生の正体への対処法だ。いま、政府レベルで社会的な
課題として挙げられる「医療」「福祉」や「教育」「子育て」、これらは全て
本来土着的な対人サービスで、家族の存在がベースにあった。
経済的に解決できる問題としてこれらの課題が取り上げられる現在、
家族はついに市場化され、「消費社会の最後の領域としてケア」は
駆動してしまった。だからここでケア論として著者は家族が純粋に
情緒的レベルに純化されていくことも可能性として予見しつつ、
こう問う。「最後に家族に残されるものは何か?」
最後に家族に残されるもの、そして家族におけるケアを問うとき、
立ち現れてくるのは、共有すべき時間だ。そして時間を問うことは、
生きることそのものを問うことで、さらにそれは裏返しとして死を
問うこととなる。スピリチュアルもパワースポットも村上春樹も
市場化された背景には、死んでいったものたちへのケア、残された
もののケアが、わたしたちの前に立ち現れたと見るべきだろう。
今を生きるわたしたちには、そんな現代と対峙し、能動的にケアを
行うことが課されている。
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[ 内容 ]
「高齢者ケア」、「ターミナルケア」、「心のケア」など、ケアという言葉を耳にしない日はない。
しかし、そもそもケアとは人間にとっていかなる意味をもつものなのだろうか?
本書は「ケアする動物としての人間」という視点から出発し、高齢化社会におけるケアをめぐる具体的な問題を論じながら、ケアのもつ深い意味へと接近していく。
現代という時代に関心をもつすべての人に贈る一冊。
[ 目次 ]
プロローグ ケアとは何だろうか
第1章 ケアする動物としての人間
第2章 死は医療のものか
第3章 高齢化社会とケア
第4章 ケアの市場化
第5章 ケアの科学とは
第6章 「深層の時間」とケア
エピローグ 生者の時間と死者の時間
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深層の円環的な時間死から来て生まれ一生を生きて死に戻るを前提としたケア もう一冊読むべきか?1997の時点でこれだけ書かれていてる。
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良い本でした。
著者の仰るとおり、ケアには越境的な知識や視座が日に日に必要になっていくように思われます。
「深層の時間」についての考察も興味深く読みました。死者と生者の交わる所、それを円環の時間的に捉えれば「深層の時間」となるでしょうし、よりフォークロア的に捉えれば、ゲニウス・ロキとも言えるように思いました。
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前半は、ターミナル・ケアや介護保険について、日本とヨーロッパの制度の比較をおこなった、手堅い内容になっています。その後、サイエンスとケアがどのような関係にあるのかという問題について論じた後、「生者の時間と死者の時間とがクロスする」という言葉で表現される、かなり思弁的な議論が展開されていきます。
ケアの倫理学についての学説史的な解説を期待していたのですが、やや思っていたものと違う内容でした。とくに後半の思弁的な議論は、正直に言って理解できないところもありました。あるいは、本書の中でも参照されている著者の本を読めば、より詳しい議論があるのかもしれませんが、ケアに関する問題を幅広く扱った新書の中で、映画『バウンティフルへの手紙』やフィリッパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』などを参照しながら持ち出すには、やや大きすぎる問題だったのではないかという気がします。
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このことは、先のナイチンゲールの「すべての女性=看護婦」論とも符号する。41頁
今後「死に場所」として増えるのは、
(a) 在宅
(b) ナーシングホーム
(c) デイ・ホスピス
わが国の今後にとって非常に示唆に富むものとなっている。71頁
110
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かなり前の本でありながら、私に取っては示唆に富む内容だった。
筆者の(多岐にわたる、そしてカタイ)専門分野がありながら、もっと深いライフワークだったり本当に心からの疑問について真摯に向き合っているということ(特に6章とエピローグ)が尊い。
備忘
・冒頭のアインシュタインの話
・私たちは遺伝子の乗り物で過ぎないということ
・生殖を終えた後の寿命が長いから固体が大事で、それは社会性=ケアの中で生まれる。人間はケアする動物。
・日本では今は死に向き合ったこころの拠り所は空白状態。死についてしっかり教わっていない、考えられていない。
・モノ不足の時代が終わったあとは、モノの消費ではなく、商品に込められた情報の消費をしている。
・物質的欠乏や経済的理由が家族を結びつける大きな要因であった時代が終わった今、最後に家族に残られるものは何か。情緒的関係。
・近代西洋科学はユダヤキリスト教文化の延長線。自然と人間は切断されている。神が宇宙に敷かれた法を明らかにし、それを通して神の意図を明らかにするという信仰と結びつく。
・直線的な時間、円環の時間(生まれる前は無であった、死んだ後はそこに戻る)、深層の時間=生と死が交わる時間。
・結果として死者に対するケアも必要。ターミナルケアはその者の死を持って終わるわけではない。
で、ケアは人間をそんな深層の時間につなぐ可能性を秘めているというところに至るわけだけど、それは自分の中のライフワーク的な疑問が一歩前進する新しい視点でした。読んでよかった‼︎