駆けるなら野こもるなら穴
2003/01/10 06:41
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投稿者:鳥居くろーん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「天下無双」!!
まもるべき一線を踏みこえているというか、イッちゃっているというか、まあ要するに、こういうアホなタイトルがついている本が、私は大好きである。
「こういうネーミングができるのは、オモチャとしての日本語の使い方を知っている人だけっ!、でもって、そんな人が書く本なんだから、きっとおもしろいにちがいない!」なーんて私が思うかどうかとは関係なしに、つい食指が動いてしまう。
ただこの本に関しては、私の予想は当たっていたようである。
著者があとがきで白状しているように、この本は「天下無双」はともかく「建築学入門」ですらない。本当は「建築史学入門」。しかも、著者の主観とたくましい想像力がかなり作用しているため、本人いわく「マイ建築史学」入門。
古くは縄文時代の竪穴式住居から、現代のダイニング・キッチン住宅まで、あるいは床や天井から、便所や縁の下まで。この本には、そういった住居に関してのありとあらゆることがらの成り立ちと変遷が、短文集というかたちで紹介されている。
日本の家には階段がなかったって? 天井なんかなくってもいいんじゃないの? 引き戸って日本にしかないのか? なんどなんど、やや食い散らかしぎみながら、家に関しての「どうして?」に答えてくれる。
そんな著者が一番に力を入れているのが「原始時代の家はどんなんだったか?」 なんでも、原始の家を、しかも当時の技術でつくるのが夢だそうで、石器しかないのに木はどうやって切るか? 夏の湿気をどうやってしのいだか?などと、いやがおうにも力が入る。
彼が今住んでいるのは、原始的住宅から着想を得たという、自慢の「タンポポ・ハウス」。なんでも屋根にタンポポがはえているらしい。あいや〜、うらやましい。
そんな遊び心タップリの著者の文章に刺激されてか、昔の人々はどうやって住まっていたんだろう、そういう住みかで何を考えつつ日々をすごしたのかなぁ、などと、楽しい想像にふけることのできる一冊だった。
おいらも自分の家こさえてみようか〜。
2001/10/14朝刊
2001/10/19 22:16
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投稿者:日本経済新聞 - この投稿者のレビュー一覧を見る
建築史家で、近年は自然の素材を大胆に取り入れた建築の設計者としても知られる著者による、まさに目からウロコが落ちる日本住宅史。「日本建築の生命は床にあり」、「その昔、屋根には花が咲いていた」、「縁側に横たわって、庭を見ながら死にたい」などと軽妙な語り口でつづる。自邸を手づくり感覚で仕上げた経験も生かした。疑似洋風プレハブ住宅でも超高級和風住宅でもない、等身大の住宅像が見えてくる。
(C) 日本経済新聞社 1997-2001
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建築学入門とは言うものの他の建築学の入門書とはかなり肌合いが異なっている。はっきり言って『建築学』の入門ではない。しかし、建築という人間の営みを、例えば『柱を立てる』というような根本的な点から考察しており、考古学的、謎解き的な楽しみがある。なぜ、日本の建築は今あるような形になったのか?などという疑問に縄文時代にまで遡って答えてくれる本はこれしかない!とにかく面白いです。
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勇ましいタイトルがついているけれど、建築の雑学書です。
「基礎と土台はどっちが上か」など、知らなかったことを知るのはいい気持ち。
著者の空想の部分を「楽しい」と思うか「無駄」と思うかがこの本の評価の分かれ目でしょう。
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タイトルをなぜこんな名前にしたのかは不明。タイトルと内容は全く関係ありません。
それはいいとして、内容はかなりおもしろかったです。
前半は古代の建築技術について、後半は住宅の要素について、それぞれ短いコラム形式で書かれています。
藤森さんらしくカタカナを多用したちょっとふざけたような文章ですが、書かれている内容は興味深いものばかり。教科書に引用されたりするような本だから一度は読んでみるとおもしろいと思います。僕なんかは考えたこともないようなことを、半分おふざけ半分本気で書かれているので読んでても退屈しません。建築に全く興味のない人もおもしろく読めるし、少しでも知識のある人はその分面白さが増します。
藤森さんの本はどれもおもしろくてはずれがない!
P.76
蝦夷の竪穴式の屋根には大和と違って草が生え、まるで地面が一部盛り上がっているように見えてしまったのだ。そうした状態の住居から出撃して、追われれば逃げ込む勇猛で敏捷な蝦夷の姿はほとんど土蜘蛛のようだった。
これが、おそらく縄文時代の寒冷地の竪穴式住居というものの本当の姿に違いない。これまで各地の遺跡で行われている家屋の復原や、教科書に載っている縄文時代の村の姿の図は、ちょっとキレイゴトすぎるように思う。草葺き屋根よりもう一歩踏み込んで、草生え屋根こそ、日本列島の住まいの原型だった。
P.106
平らで清浄、周囲から切り取られている。この二つの日本の床の特徴を建築の歴史の上でさかのぼると、ついには古代の神社にまで行きつく。伊勢神宮で知られるように、昔々の日本列島の住人は、聖なるもの、聖なる場を表現するにあたりユニークなやり方をした。
ギリシャ正教やキリスト教や仏教などのほとんどの宗教は光り輝く神仏や神の子の像を作り、それを壮大な神殿や教会の中に納めているが、日本ではそうしたものを目に見せるような建築的演出はしない。代わりに何をしたかというと、いわゆる依代である。しかしこれだけでは聖なるものの演出としては心もとないから、その周囲の草や木を取り除き、地ならしし、河原から奇麗な石を運んできて敷き詰め、さらに中にケモノが入りこまぬよう柵を回した。ギリシャやキリスト教などのようにあたりに威を払う建物なんか必要としなかった。現在、伊勢神宮では依代の柱の上に高床式の本殿がかぶさるように立っているが、飛鳥時代、大陸から導入された仏教建築の荘厳さに驚き、やむなく豪族の館を持ってきて建てて対抗したというのが本当のところだろう。
わが列島のご先祖様や、屋根と壁からなる神殿建築はなくとも、ただ一本の柱とその周囲に画された清浄な平面だけで十分「聖なるもの」を感じ取ることができたのである。そしてこの、正常な平面に対する聖なる気持ちが、床というものへの深い感受性につながってゆく。
P.111
ポイントは尻の高さにある。ザラザラしようが寒かろうが、尻の位置が高いほど位は高い。座の高さ。
地面→縁側→板の間→円座→畳
地面と縁側の標高差は結構あるが、縁側から畳までの間はごくわずかしかない。そのわずかの標高差を位に合わせ四つに分割して���ンキングした。
P.164
人の入り込める空間があれば、そこには必ず文化が芽生える。
P.167
軒下の陰影の存在が明るい屋根に深い味わいを与えている。ここまではよく言われることなのだが、もう一つの陰影も忘れてはならない。縁の下に生まれる陰影である。日本の伝統的な建築は、やや離れて眺めると地面のところに陰影が横一文字にただよい、その上には光を照り返す縁側があって、底から白い障子の面が立ちあがる。そして障子の上端の辺りからまた深い陰影がわだかまり、その上には屋根が明るく輝く。明と暗、この二つの帯の重なり合いによって日本の建築物の外観は成り立っている。日本の伝統木造建築の奥深い味わいは、陰影によって支えられてきたのである。これこそ縁の下の力持ち。
P.198
きっと庭では時間は止まっている。ずっと昔からそこにあり、いつまでもこのようにしてあるのだろう。
庭とは時間を無化する装置なのである。
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建築って雑学の宝庫だよなあ。
その中から自分が得た知識と自分の経験と自分なりの感覚をもとにひとつの論として組み上げていくのはそれはもう大変だろうなあと思う。
しかしその辺この本はアバウトなのでフランクに読めます。
個人的には日本と西洋の明かりのとり方の違いなんかに興味がでました。
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[ 内容 ]
人はいつから「家」に住むようになったのだろうか。
自然の中で暮らしていた人間が家を建てるようになったのはいつからなのだろう?
山や川、木や石などに神が宿っていると信じていた頃からの心の習慣が、日本建築の中にはそこはかとなく生き続けている。
柱とは?
屋根とは?
天井とは?
建築史家であり、建築家でもある著者が、初学者に向け、屋根、床、柱、窓、雨戸、ヴェランダなど建物の基本構造から説く気鋭の建築学入門。
[ 目次 ]
1 目からウロコ!?古代の建築術(石器で丸太は伐れるのか?―磨製石器 魔法的先端技術“縄”―しばる技術 弥生的なるモノ―竹 「夏は樔に宿」とは―樹上住宅 ほか)
2 アッと驚く!!住宅建築の技(家は夏をもって旨とすべし―住宅 シック・ハウスの代わりにシックイ・ハウスを!―建材 引き戸とドアーを隔てる歴史的事情―戸 日本建築の生命は床にあり―床 ほか)
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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トピック形式でさくさく読みやすい。藤森照信は文章がわかりやすいし面白くていいね。同年代の建築家の本とかは、まだまだ難解で何言ってんのかよくわからないし(本人も分かってないんじゃないかと思うくらいな)。建築史家、と本人もさんざん自称しているのは、そのへんの「ケンチクカセンセイ」と一歩距離を置きたい気持ちがあるからじゃないだろうか。
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その昔、屋根には花が咲いていたという。
芝棟というらしい。
屋根に花が咲くなんて、なんて平和。
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新書としては、きちんとした記述になっていてよい本だと思います。
入門書にありがちな、薄っぺらい表現もあまりなく、
かといって専門用語ばかり使った分かりにくい本でもありません。
窓、廊下などの建物の部品の考え方と、暖房などの機能について知見を得ることができます。
建物を建てたり、借りたりする前に読むと良いと思いました。
縛る技術が建築学の一部であることを知りませんでした。
建築学の辞書に縛るがあるとは思いつきません。
足場などを縛って作る技術は見たことがあるので、そうかと思った。
赤瀬川源平の試作についても触れていたので一度見てみたいと思った。
建築学というよりは、薀蓄額という感じでした。
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難しいことはひとつも書いていない(讃辞である)。専門的なことへの説明もないが、ケンチクを面白く見るヒントをたくさん教えてもらった。
曰く、天井はなぜあるのか、曰く、暖房は数万年の歴史があるが冷房は数十年、曰く、ドアと引き戸の選択について。
専門知識なんてなくても(もちろん筆者は建築家ですが)考えをめぐらすだけでこれだけ面白くなるなんてすごい。
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あとがきにも書いてあるが「建築学」ではなく「マイケンチク学」というものなのだろう、だからこそこちらも斜に構えず、読み進めていくことができたように感じた。そこには、押し付けがましさはなく。むしろ小汚い居酒屋で自分の好きなもの(建築)を楽しく話しているような、イメージで本を読んでいけた。こちらも素直な気持ちで、読んでいけば自然と心に残る。好きなものを好きと胸をはって言える。藤森の素直な気持ちが伝わってきて、新しい発見がある。自分も建築が好きだったのだなという素直な気持ちで読み終えた。
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筆者もあとがきで述べているが、見事なまでの「My建築史学入門」であり、すなわち藤森照信の建築に関する考察が凝縮されている本となっている。言うことが極端だったり、一部の事例からの推測が多いように見えたりするが、きっと書いてあることの何倍もの知識を持っているからできることなんだ、と勝手に思って楽しく読ませてもらった。
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ユーモアたっぷりの建築エッセイ集。
軽く読めるとはいえ、知らないこともたくさんあって、楽しかった。
縄文の竪穴式住居。
夏はツリー・ハウスへ移っていたのではないか、とのこと。
石器で加工するには、栗の木のような硬い木の方が向いていたという、考証も面白い。
そこから、高床式とか、柱といった建築方法に関わる話から、家具や冷暖房といった、周辺的な問題まで、日本の住宅の変遷が、エッセイ特有の自在さで繰り出される。
雨戸って、世界にはないものだともあった。
ヨーロッパの鎧戸は、むしろ暖かい地方の、日よけの機能を持たされたものであるとも。
台風のときの守り神のように思ってきた私には、ちょっと衝撃的だった。
東南アジアの台風対策って、じゃあ、どうなっているんだろう?
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途中。縄文人の樹上住居云々は眉唾。憶測のどあいが強すぎるかも。もうちょっと裏付けしてほしい。切り口はすごく面白い。あまり真面目に読むべきではないのかも。